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怪物に届いた便り

 彼女は、双子の兄と再会した。


 楽団の公演に通いはじめた――兄が彼女に会いたいと言ったから。

 服飾品が揃った――町娘の変装用。彼女が着たくもない服ばかり。

 笑顔が増えた――空元気に似た、感情の伴わない笑み。


 兄も座長もあの場で殺してしまえば良かったとすら思う。


「仕組んだな」

 アオとかいう座長は泣きながら命乞いをした。「違います」と弁明し続けた。

 彼女は、再会に嬉し泣きして眠った兄を劇場の医務室へ預けに行った。兄は肉声の嘘に敏いからと、置き手紙にしたためた虚偽の経歴まで周到に用意済だった。

 口裏を合わせる為だろう、同じ内容の書付を座長にも手渡した。

『面倒を増やして申し訳ありませんが、ご承知おき願います』

 土下座で謝罪した座長に対し、彼女はそれだけ伝えて医務室へ向かった。

 座長は打合せの段階で、兄には会わないよう調整すると請負ったらしい。それでも彼女は兄に遭遇した場合の準備を完璧に整えていた。

「……相良は初めからお前を一切信用していなかった。怒らないのははなから何も期待していないからだ。仕方ないと諦めて流した。その程度の察しはつくだろうな」

 胸倉掴んで吊り下げた座長は、今さら青ざめて声を失くした。

 この男に彼女の秘密は守れない。

 口の軽さは、彼女の師から言い付けられた黙秘を漏らした点からも明白だ。あの兄に泣かれでもしたら易々と口を割る。所詮これは彼女よりも兄の肩を持つだろう。

 野放しには出来ない。最低限、これを縛らなければ。

「相良の情報を他人に伝達しないと約束できるか?」

 男は馬鹿の一つ覚えに頷いた。違う。

「頷くな。その口で、答えろ」

「は、い。……喋りません。約束します! 誰にも教えません、から」

――俺の問い掛けと、男からの答えを以て制約は課された。

 男の言葉がその行動を縛る。言質が要るぶん呪縛は強い。

「『契約成立』だ。……俺もお前を信用しない。不履行が為されれば直ぐ解るからそのつもりでいろ」

 喋ろうとしても喋れないだろうが、不履行を試みれば俺には伝わる。

 その際の処分は決めていないが――最悪、死ななければ構わないだろう。


「マキさん、ご立派な犬歯ですね」

 思い出し怒りに我を忘れて、相良の接近に気付かなかった。


 牙を隠すあまり椅子から落ちた。吸血鬼ばけものの特徴を見られ焦っていた。いつの間に食卓の跡は綺麗に片付けられていて、彼女が席を立ったことも認識できなかったらしいと呆れる。

 視線が好奇心でしかない辺り、怪物だと悟られたかという怯えも杞憂だろうが。

「……見る、か?」

 動揺して馬鹿な返答をした。俺は変質者か。

 けれど彼女が久々に喜色を浮かべてくれたので、先刻の自分に手のひら返して大人しく口を開けた。


 彼女をそのまま膝に載せる。すこし軽くなった。

 口腔に触れられる感覚を考えないよう至近距離で観察する限り、健康状態は芳しくない。家での食事量は変わらないが、隠れて吐いていないだろうか。吐き胼胝たこは見当たらない。歯が溶けていないか確認――見せて欲しいとは頼みづらかった。

 彼女が本気で隠そうとすれば幾らでも繕える。嘘にさといという兄に全てを偽り、庇護のもと平穏に生きてきた善良な町娘を演じ切っているのだから。

「……余計なこと思い悩んでらっしゃいません?」

「う、ぁ」

――俺の体感なら彼女も十分に敏い。

 反射で喋りかけ、彼女の指を噛まないよう耐える。今更ながら自分の促した行為に逆上のぼせてきた。気を緩めると正常な判断力を欠きそうになる。

「こんなに鋭利で綺麗な犬歯、初めて見ました」

 彼女の指が牙に触れる。柔く撫でられる感覚にぞくりとした。

 ひた隠してきた怪物の部分を愛でられている錯覚で熱が集まる。倒錯した感情を意識しそうになる。力が抜けて体勢を崩し、頭を強打する寸前で彼女に支えられた。

 情けないほど赤面しているのだろう俺を見下ろし、彼女は申し訳なさそうに呟く。

「……気を遣って頂いた身で申し上げにくいんですが、……恥ずかしいから嫌だとか、仰ってくださいね。嫌なこと無理強いしたくないので……」

 多分、嫌じゃないから非常にまずい。

 問題ないと念押しして自室に篭もり、頭を冷やした。――彼女の性成熟が止まっている現実を有難く思ってしまった。単なる煩悩にここまで手を焼いているのだから、通常あるべき吸血衝動まで加わった時を考えたくない。

 彼女の時間が正常に動きはじめ、年齢相応、吸血鬼おれの好物である妙齢の女性に成熟した時。彼女を傷付けずいられるだろうか。吸血本能に負けて襲ってしまわないか。


 俺は、彼女を守れるだろうか。

「私は『ただの町娘』なのですから、身辺に異変があれば会えなくなるのは自然なことです。行方も追えない。違いますか」

 楽団への顔出しと、北の街へ業務連絡に。旅支度を整えながらの説明を聞くに、彼女は着々と「兄に会えなくなる」までの筋書と根回しを整えているらしかった。

 このまますり減って死ぬ気はないと分かり安堵した。

「……俺に手伝えることはないか?」

「ありがとうございます。今のところ問題ありません」

 偽らない彼女の本心は、兄との接触をどのように認識しているだろうか。

 不安を覚えながらも、彼女が兄との縁切りに前向きであることを鑑みて言及しなかった。とりあえず、負荷を減らす意思があるならいい。

「数日ほど帰宅予定がずれ込むかもしれません。大幅な変更は詳細を通知しますが、文書ゆえ到着の遅れはご了承ください」

 同居に際して取り決めた報連相の徹底は、現在も律儀に守られている。

 俺の印象はすっかり心配性の同居人になっているらしい。彼女はああ言うものの、異変が無くても定期連絡に筆を取ってくれる。街で見たもの、北の積雪の苛烈さ、師や友人とのやり取り。近況が添えられる連絡書面は平凡な文通のようで少し楽しみにしていた。


 そうして一通の便りが届いた。

 彼女の綺麗な筆跡で、母の墓前に行ってきますと記されていた。

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