第8話 危険な下水道
師匠に連れられ、スラム街の通りをいく。
「ところで師匠、労働できる場所のアテはあるのですか?」
迷いない足取りで、ボサボサの銀髪を揺らす師匠へ声をかける。
「ふふ、いい質問ね。ジェームズ、あなたが魔法のない別の世界から来たというのなら、あっと驚くような働き口を知っているわ」
「さすがは師匠です。して、それはどこですか?」
「ふふん、それはまだ秘密よ♪」
師匠は得意げに頬を綻ばせ、スッと横を指さした。
視線でその先をおえば、地下水路の入り口を発見。
「あなたに言われて気がついたの。わたし、いつまでもこんな所にいちゃダメなんだって」
「あぁ、さっきのですか」
「ここを出るわよ」
「それは……ずいぶん、いきなりですね。まだ、何も準備してないですけど」
「もちろん引っ越しは必要でしょうけど、まずは引越しさきを見つけないと。わたしたちにお金はない。
財産なら、いくらかあるけど、魔術教本を売る気はないわ。あれは大切なものだもの」
たしかに、いきなり大荷物持って、アテのない引っ越しをするわけにもいかない、か。
「あの水路をうまく抜けられれば、きっと中央街に出ることができる。……ジェームズ、付いてきてくれる?」
「らしくないですね、師匠。普段なら『ついてきなさい! この馬鹿!』……って感じに言ってくるのに」
「何よそれ、やっぱり、わたしのこと馬鹿にしてんでしょ!? もういいわ! あなたの意思なんて関係ない! 黙ってついて来なさいよ、馬鹿!」
師匠がご立腹だ。
いや、いつもの不機嫌な彼女に戻ってくれたと言うべきか、悲しいけど。
私は先行く師匠に置いていかれないよう、水路へと華奢な背中を追った。
⌛︎⌛︎⌛︎
巨大な闇が、すぐちかくに息をしているのを感じる。
水面をつたって付いてきていた光も、もうどこかへ行ってしまった。
頼りになるのは、導く柔らかい手のひらだけ。
小刻みに震えているが、これが意外と心強い。
このスラム街も中央街も、ほうかつして広がる地下水路には、
犯罪組織の連中が、違法な関所を設置しない理由があるのだから、彼女の気苦労もわかってやれるというもの。
それに、師匠はたしかにヘタレだが、そんな彼女が頑張ってるのをみるのは、なかなかに微笑ましいものだ。
「しー……」
耳たぶを温める、ありがたい熱。
きっと、暗闇に見えない先導する師匠は、見当違いの黒に、「静かにするのよ」と、訴えかけているのだろう。
彼女の香りが離れていく。
と、その時。
「≪風打≫!」
前傾の風向き。
前髪をさらっていきそうな、見えざる魔力が暗さを走りぬけた。
「師匠、何が起こったんですか?」
真っ暗ななか、震える手が、ぎゅっと握りしめてくる。
「あぶっなぁ……今、魔物がいたわ。本当に危なかった……気づけなかったら、きっと今ごろ……うぅ!」
なにか獣の気配はした。
が、そうか、魔物か。魔法生物ときたか。
いやはや魔術師の存在を知ったあたりから、薄々気づいてはいた。
まるっきりファンタジー物語のなかに、来てしまったようだな、私は。
いまさらだが、これは本当に現実なのだろうか。
頭を強くうったりしたら、目を覚ましたりしないだろうか。
それにしても魔法生物、魔物。
私の技術が通用するのか、試してみたいところではあるが、あいにくと現在持っている糸はただの「粗糸」なので、拘束くらいにしか使えないだろう。
それに筋力も、指の耐久力も落ちている……ふむ、やはり、より丈夫な糸、グローブを手にいれることは、この世界で生きるために肝要なのかもしれない。
最善は、あの箱から「神の糸」をとり出すことだが……あのロックは堅牢すぎる。
この中世文明の世界に、双極性量子電算機があるなら話はべつだが……そう都合よく道端の露店で売ってるとは思えない。
暗い水に沿って、淀んだ空気をいっぱいに吸いこんでも、箱を開ける冴えたアイディアは湧いてこない。
思い悩み、師匠の震える手を握りつづけ、濁った流音を小耳になぞることしばらく。
導きのひかりが、出口はここだ、と大声をあげる。
もう手は震えない、足取りは加速する。
やがて、私たちは太陽を得た。
「やったわ! ジェームズ、水路をぬけたのよ!」
はしゃぐ師匠。
なんとも可愛らしい。
「っ、なによ、その微笑み! 今、わたしのこと馬鹿にしてたでしょっ!?」
「ふふふ、いえ、まさか、してませんとも」
いけない、いけない。
私は紳士だと言うのに、こんな歳下のレディ相手に意地悪なことをしてしまった。
「ささ、師匠、それではいきましょう。はやく仕事を見つけないとですよ」
「言われなくても、いくわよ! さ、ジェームズこそ離れずついてきなさい!」
小さな手にひかれ、真昼の中央街へくりだそう。