11月
いよいよ二学期の集大成、期末テストだ。
俺が一年生の内に雪野坂さんにテストの学年順位で勝てるチャンスは、今回を入れてあと二回。
できれば今回で勝ちたいところだが、いつもながら焦りは禁物だ。
急がば回れ、急がば回れ。
俺はいつもの呪文を繰り返し唱え、あまり徹夜などはせずに、むしろ量より質を重視して、短期集中型の勉強で本番に備えた。
「勝負だよ、進藤君」
「うん。負けないよ」
テスト当日。
雪野坂さんはわざわざ俺の席まで来て、そう宣戦布告してきてくれた。
完全に俺を好敵手として認めてくれたようだ。
だが、これには明確な理由があった。
前回俺が学年9位の順位を取ったことで、二組では俺と雪野坂さんが成績ツートップになったのだ。
元々二組はあまり平均点が良くなく、成績では雪野坂さんのワントップだったのだが、それだけに天才故の孤独のようなものをずっと感じていたのかもしれない。
そういう意味で、初めて俺という自分を脅かす存在が現れたことは、逆に嬉しかったのだろう。
俺みたいな男でも、雪野坂さんの心の隙間を少しでも埋めてあげられたなら本望だ。
とはいえ、俺も勝つことを諦めた訳ではない。
あくまで俺の最終目標は、雪野坂さんの彼氏になることなのだ。
そのためには雪野坂さんよりも下の順位に甘んじていてはダメだ。
大丈夫大丈夫。
俺は今日までやれるだけのことはやってきた。
後は自分を信じて、突き進むのみだ。
「テスト始めるぞお。みんな席に着けえ」
試験監督の先生が、ダルそうに教室に入ってきた。
「フー」
それから数日後、大きく深呼吸をしながら、俺は学年順位の張り紙の前に立った。
少なくとも全科目の合計点では、俺は過去最高の点数を取っていた。
恐らく前回よりも順位は上がっているだろう。
後は雪野坂さんに勝てているか否か。
俺は逸る心臓を右手で押さえながら、ゆっくりと張り紙を見上げた。
俺の順位は…………4位だった。
くうッ!
惜しい!
「へっへー、今回も私の勝ちだね」
「っ! 雪野坂さん」
例によって雪野坂さんが俺の後ろに笑顔で立っていた。
「……うん。俺の完敗だよ。やっぱ雪野坂さんは凄いね、今回も3位なんて」
「……ううん、本当は私の負けだったよ」
「え?」
一転して雪野坂さんは表情を曇らせた。
どういうことだ?
「今回私達は、4点しか点差がなかったじゃない?」
「え、うん……」
確かに張り紙に書かれた合計点を見ると、俺と雪野坂さんの点差は4点だった。
だが、たとえ1点でも上回っていれば、勝ちなことには変わりないだろう。
野球だってバスケだって、それは同様だ。
それなのに何故雪野坂さんは、自分の負けだなんて言うんだ?
「――数学の最後の問題、選択式だったでしょ?」
「数学? ああ」
あの問題か。
あれは難しかった。
とても高校一年生の範囲の問題ではなかった。
俺も何とか答えを導き出せたが、それでも時間ギリギリまで掛かってしまった。
「私あれね、時間が足らなくて、計算が最後まで終わらなかったの」
「あ、そうだったんだ」
雪野坂さんでもそんなことがあるんだな。
「だからね、答えは当てずっぽうで、選択肢の中から選んだんだ」
「……!」
「それがたまたま当たったって訳」
「……雪野坂さん」
「あの問題は5点分だったからさ、本当は私は進藤君に負けてたはずなんだよ」
「っ!」
――それは。
「それは違うよ雪野坂さん!」
「え」
俺は思わず声を荒げてしまった。
「よく言うじゃん! それは運も実力の内ってやつだよ! それに俺だって一か八かで答案書いた箇所いくつかあるしさ。そういうのも全部含めて勝負なんだよ!」
「……進藤君」
雪野坂さんの眼が、少しだけ潤んだように見えた。
「だから雪野坂さんは堂々としててよ。なーに、心配しなくても、2月の学年末試験では、俺が圧倒的な差をつけて勝つから、首を洗って待っててよ」
「……ふふ」
雪野坂さんに笑顔が戻った。
「わかった。楽しみに待ってるね」
「いや、楽しみに待ってるのはおかしいと思うんだけど……」
とはいえ、これで一先ず二学期のテストは全て終了した。
あと二学期で残っている最後にして最大のイベントは、来月の『クリスマス』だ。
恋を成就させようともがく高校生男子にとって、クリスマスは最重要イベントだと言っても過言ではない。
『クリスマスを制する者は恋愛を制す』。
有名なバスケ漫画にもそう書かれていた(書かれていない)。
何とか雪野坂さんと二人っきりで……それがダメなら複数人で(妥協した)、クリスマスを共に過ごしたい。
そのために今の俺がやっておかなければならない最重要事項は、お洒落な私服を買っておくことだった。
何せ今年のクリスマスイブは土曜日なのだ。
クリスマスに会うとなったら、俺の私服が雪野坂さんに見られてしまう。
そして自分で言うのも何だが、俺は私服が壊滅的にダサかった。
というより、鼻毛の先程もファッションに興味がないので、そもそも服の善し悪しがまったくもってわからないのだ。
今までは学校外で雪野坂さんに会うことはなかったので私服の問題は後回しにしてきたが、いよいよそうも言ってられなくなった。
幸いバイト代は大分貯まっているので、服自体は好きなものが買えるだろうが、問題はどう買うかだ。
俺一人で服を買ったら、80年代の竹の子族みたいな服を買いかねないしな(それだけは避けたい)。
こうして俺が白羽の矢を立てたのは、俺が懇意にしている、例の美容院の店長さんだった。
「え? 僕に私服をコーディネートしてほしい?」
「はい。こんなこと頼めるのは、桧垣さんしかいないんです。雑誌とかに載ってるオススメの服を教えていただけるだけでいいんで」
「……なるほど。例の雪野坂さんとの、クリスマスデートに向けてって訳だね」
「まあ……そうです」
俺も高校入学以来、この美容院には足繫く通っているので、店長の桧垣さんとはすっかり打ち解けていた。
だから今日、いつも通り髪を切りにきたついでに、勇気を出してコーディネートをお願いしてみたのだ。
因みに桧垣さんは地球上で唯一、俺の雪野坂さんへの想いを知っている人物でもある。
何度もここに通っている内に、桧垣さんの巧みな話術で俺の恋愛話を引き出されてしまったのだ。
まあ、幸い桧垣さんは良い意味で赤の他人だし、相談に乗ってもらいやすかったというのもある。
とはいえ、桧垣さんはあまりひとの恋愛にあれこれ口を出すのはマナー違反だと思っているらしく、俺の話を黙ってうんうんと聞いてくれていることがほとんどだったが。
「うん、そうだね。他ならぬ進藤君の頼みだ、僕も一肌脱ぐよ」
「ほ、本当ですか!」
これは心強い。
「ありがとうございます! 何とお礼を言ったらいいか」
「ハハハ、そんな大袈裟な。ま、今後もうちをご贔屓にしていただければ、それで結構ですよお客様」
「はい! それはもう」
「よし。明日の放課後は空いてるかな?」
「え、明日ですか? まあ、空いてますけど」
「じゃあ放課後に、駅前のショッピングモールの前で待ち合わせにしよう」
「え?」
「明日はうちの店も定休日だから、僕も一緒に行って、良い服を選んであげるよ」
「そ、そんな!?」
いくら何でもそこまでは……。
「まあまあ、若いうちは遠慮なんかするもんじゃないよ。その代わり、君がその雪野坂さんと付き合えたら、雪野坂さんもうちのお得意様になってくれたら嬉しいね」
「桧垣さん」
桧垣さんは白い歯を覗かせて微笑んだ。
「……ありがとうございます。では、明日はよろしくお願いします」
「お任せくださいお客様」
こうして俺は、桧垣さんに頭のてっぺんから足の爪先まで、全身をコーディネートしてもらったのだった。
最初に費用を聞かれた際、「金に糸目は付けません!」と断言したので、その総額は実に68000円にも及んだ。
もちろんこんな高い買い物をしたのは、生まれて初めてだ。
文字通りの桁外れな金額に、財布からお金を出す際の俺の手はプルプルと震えていたが、その分、見違える程シャレオツな男子高校生になれた気がした。
雑誌とかに載ってる、読者モデルみたいだ。
高校入学当初の、デブのダサ男だった俺とは、神様ですら同一人物だとは見抜けないだろう。
「うん。とても良く似合ってるよ進藤君。自信を持ちなよ。今の君は、いろんな意味でカッコイイ男だよ」
「あ、ありがとうございました桧垣さん!」
「ふふ。良い報告を期待してるよ」
「はい!」
じゃあね、と、颯爽と去っていく桧垣さんの背中を見送りながら、いつか俺もあんなカッコイイ大人になりたいな、と夢想した。