10月
遂に俺の体重は目標だった65キロに到達した。
……長かった。
初めて体重計の『65.0』という数字を見た時は、歓喜のあまり雄叫びを上げながら家中を駆け回った(そして母親にメッチャ怒られた)。
最近の俺の日課は、風呂上がりにクッキリ6つに割れた腹筋を鏡で眺めながらニヤニヤすることだ。
母親からはナルシストだとバカにされたが無視した。
何せ今まではただ漠然と憧れているだけだった漫画のキャラみたいな理想体形に、自分がなったのだ。
少しくらいのナルシータイムは大目に見てほしい。
ただ、また制服がぶかぶかになってしまったので、俺は母親に土下座して、僅か半年の間に二回目となる制服のサイズ変更をすることになった。
「ニャオォン」
「お、よしよし」
俺は擦り寄ってきたミィの頭を撫でた。
今ではミィはすっかり成猫になり、鳴き声も「ミィ」ではなく、「ニャオン」という若干野太いものになっていた。
既に人間に置き替えたら、俺より年上かもしれない。
むしろ餌をあげ過ぎたせいで、最近太り気味な気がする。
飼い主が瘦せたと思ったら今度はそのペットが太ってしまうとは、何とも皮肉なものだ。
だが、どうやら雪野坂さんはデブ猫も大好物らしく、動くのがダルそうにカーペットの上でゴロゴロしているミィの動画を、ハァハァ言いながらガン見していた。
猫なら何でもいいんだなあの人は……。
そして待ちに待った中間テストの時期がやってきた。
今回こそは雪野坂さんに肉薄してみせる。
俺はそう意気込んでいた。
過酷な夏期講習も乗り越えてきたのだ。
今の俺ならやれるかもしれない。
だが、かといって気負い過ぎて空回りしては元も子もない。
とりあえずは一桁台の順位を取ることを目標に、俺は黙々とテスト勉強に励んだ。
斯くしてテスト期間は瞬く間に過ぎ、成績発表の日を迎えた。
期待と不安が入り混じった心持ちで学年順位を見に行くと、結果は…………9位だった。
よし!
何とか目標はギリクリアした!
夏休みの猛勉強が功を奏したようだ。
9位という一桁台の順位は、やはり貫禄が違う。
俺は周囲に自慢したくなる衝動を、必死に抑えた。
「うわあ、凄いね進藤君。9位じゃん」
「っ! 雪野坂さん」
いつの間にか雪野坂さんが俺の後ろに立っていた。
「……いや、でも雪野坂さんは今回も3位でしょ。俺なんかまだまだだよ」
「いやいや、それって私は成績が伸びてないってことでしょ? でも進藤君は違うじゃない」
「え」
「毎回着々と順位を上げてるでしょ? だから私、このままだと進藤君に抜かされちゃうかもって、内心ビクビクしてるんだよ?」
「っ!」
そんな。
雪野坂さんが俺の成績を気にしてくれてたなんて……。
しかも俺のことを、ライバルとしてハッキリ意識してくれている。
――ついに俺は、雪野坂さんの眼を俺自身に向けさせることができたんだ。
もちろんそれは恋愛感情なんかじゃないんだろうけど、俺にとっては人類が月を歩いた一歩並みに大きな一歩だ。
今日まで頑張ってきて良かった。
俺は心の底からそう思った。
「――じゃあ、来月の期末テストでは、俺が勝たせてもらうよ」
「ふふ、負けないよ」
雪野坂さんが拳を突き出してきたので、俺も震える手で拳を作ってそれにコツンと合わせた。
――が、今月はこれ以上にとんでもない事件が起きた。
月末に開催された文化祭でのことだ。
「がああああ! なッッッんでオレがこんな格好しなきゃなんねーんだよッ!」
「まあまあ加藤、これも名誉なことだと割り切ろうぜ」
「どこが名誉なんだよ佐藤!? どう考えても罰ゲームだろーが!」
「……うるさいよ加藤、もうすぐ開店なんだから、いい加減腹括ってよ」
「お前は似合ってるからいいよな斉藤!」
……ハハハ。
でも、加藤の気持ちもわからんでもない。
何せ俺達四人は今、メイドさんの格好をしているからだ。
文化祭の出し物で『男女混合メイド喫茶』をやろうと言い出したのは、以外なことに斉藤だった。
普段は何事にも興味がないみたいな顔でボーッとしていることが多い斉藤だが、いざ文化祭の話になった途端、男女混合メイド喫茶がいかに魅力的なものであるかを滔々と語り出したのだ。
普段とのあまりのギャップにクラス中が引いていたが、斉藤の意見に逆らう勇気を持っている者も一人もいなかったので、そのまま押し切られて出し物は男女混合メイド喫茶に決まってしまった。
松ぼっくりマニアなところといい、実は斉藤は相当な不思議ちゃんなのかもしれない。
因みに男女混合メイド喫茶というのは、読んで字のごとく、男も女もメイドになっている喫茶店のことだ。
女の子のメイドさんなら大歓迎だが、男のメイド姿なんかどこに需要があるんだよと思ったが、決まってしまったものは仕方がない。
まあ、俺は適当に裏方でもやればいいかと高を括っていたのだが、男のメイド役を誰がやるかという段になった時に、それは起きた。
「……言い出しっぺだから、俺がやるよ」
斉藤が手を挙げたのだ。
まあ、これにはクラス中も納得だった。
言い出しっぺだからというのもあるが、斉藤は男の割には小柄で華奢な体形をしているし、顔立ちも中性的で可愛らしいので、いかにも女装が似合いそうだったからだ。
だが、その次がいただけなかった。
「……あと、加藤と佐藤と進藤もやるよ」
!?!?
「ハアアアッ!? テメェ何勝手に決めてんだよ!」
「だって僕らは、リレーを共に戦った仲間でしょ?」
「だからって俺がメイドになる義理は1ミクロンもねーだろーが! 絶対ヤだからな俺は!」
「はっはっは、これはしょうがないな加藤」
「佐藤!?」
「戦友である斉藤がこれだけ頭を下げてるんだ。ここで応えなかったら男じゃないだろ?」
「……そうだよ」
「1ミクロンも頭は下げてねーだろ!?」
「――進藤はどうだ?」
「え?」
急に佐藤に水を向けられたので、俺は反射的にこう言ってしまった。
「あ、ああ、うん。……いいんじゃないかな」
いやよくないだろ!?
俺の意気地なし!
NOと言えない日本人の代名詞、それが俺!
「よし、多数決で決まりだな」
「クソがああああああ!!」
加藤の咆哮が、クラス中に響き渡った。
雪野坂さんはそんな俺達の遣り取りを見て、ケラケラと笑っていた。
こうして文化祭当日である今この時、俺達はメイドさんの格好でスタンバイしているのだった。
「クソが……。末代までの恥だ……」
加藤はすっかりしょぼくれている。
それでも何だかんだ言いつつちゃんとメイド服を着てメイクまでされているので、根は良いやつなのだろう。
ただ、お世辞にも似合っているとは言えなかった。
バスケ部でセンターをやっている加藤は、背も高い上にガタイも良く、目付きも悪いので、完全に二丁目で働いているオネエにしか見えない。
「そんなことはないぞ。マニアにはウケるかもしれないだろ?」
「ウケたくねーよ!!」
そう言う佐藤も、やはり似合っているとは言い難かった。
バレー部の佐藤は加藤以上に身長が高く、昭和のイケメンみたいな濃い顔をしているので、さもありなんと言ったところだ。
「……大丈夫、似合ってるよみんな」
「お前眼ぇ腐ってんのか!?」
斉藤は流石言い出しっぺだけあってとても似合っていた。
男の娘ゲーのキャラみたいだ……。
「……進藤も」
「え? あ、うん……」
そう言われてもあまり嬉しくはないけど……。
ただ、自分で言うのも何だが、確かに俺はちょっと女装が似合っている気がする。
太っていた頃は気付かなかったが、瘦せた俺は意外とメイク映えする顔をしていた。
可愛い系というよりは美人系な感じだが、これなら本物のメイド喫茶で働いても、すぐには男とはバレないかもしれない(もちろん働くつもりは毛頭ないが)。
「おー、四藤君達、みんなカワイイじゃーん」
「雪野坂さん!?」
満を持して大本命の雪野坂さんがメイド姿で登場した。
ごっぱーーー!!!!
可愛ええええええええ!!!!!
ててててて天使やーーー!!!!!
「ん? 進藤君、どうかした?」
「い、いや、なな何でもないよ!」
「? ふーん」
これは目に毒だぜ。
むしろ歩く視覚兵器だぜ。
眩しくて目を開けてられないよ。
因みに雪野坂さんを含めた他のクラスメイトは、俺達四人のことを体育祭以来、まとめて『四藤』と呼んでいる。
偶然にも、四人共名前に『藤』が入っているからだ。
正直恥ずかしいのでその呼び方は勘弁してほしいのだが、俺の口から雪野坂さんにそんなことを言える訳がないので、泣き寝入りしている。
これも惚れた弱みってやつか……。
「……いいね」
「え? 何が斉藤君?」
っ!?
何故か斉藤が真剣な表情で、俺と雪野坂さんを交互に見つめている。
「雪野坂さん、実はちょっとお願いがあるんだけど」
「え、うん……」
何を言うつもりなんだ斉藤!?
「……進藤のことを、『お姉さま』って呼んでみてくれないかな」
「は?」
斉藤ーーー!?!?!?
お、お前まさか、百合男子でもあったのかーーー!?!?!?
……いや、俺は男なので、厳密にはこれは百合ではないのだろうが、少なくとも斉藤が今の俺と雪野坂さんに萌えているのは間違いない。
その証拠に、いつも眠そうにしている斉藤の眼が、これでもかと血走っている。
「え、何何? 私が進藤君にお姉さまって言えばいいの?」
「うん。頼むよ」
「いいよー」
いいの!?
どうやら百合というものを知らないらしい雪野坂さんは、言われるがまま俺に近寄ってきた。
ちょ、ちょ待――。
「――お姉さま?」
「っ!!!」
雪野坂さんは小首をかしげながら、上目遣いで俺にそう言ってきた。
ああああああああああ!!!!!!(死)
「進藤君!?」
「オ、オイ! 進藤が倒れたぞ! 誰かバケツに水汲んでこいッ!」
薄れゆく意識の中で俺は、「ありがとう。斉藤ありがとう」と、何度も心の中で繰り返していた。
因みにこれは余談だが、うちの学校には意外と百合男子が多かったらしく、俺と雪野坂さんの疑似百合カップルの噂を聞きつけた学校中の百合男子が殺到し、我が二組は文化祭で校内一の売り上げを叩き出したのだった。