9月
「あーもう何やってんだよ進藤! 何度も言わせんなって。走り出しが遅えんだよ」
「ご、ごめん!」
バスケ部の加藤が俺に文句を言ってきた。
まあ、加藤が言ってることは間違ってはいないので、俺も言い返せないが。
「まあまあ加藤、そうカッカすんなって。もっかい最初からやってみようぜ。な?」
「はー、しゃーねーなー」
バレー部の佐藤が助け舟を出してくれた。
流石学級委員長。
頼りになる。
「……僕はもう帰ってもいいかな?」
「いい訳ねーだろーが斉藤! お前がオレにバトン渡すんだからよ!」
テニス部の斉藤がまた一人だけ帰ろうとしている。
こう見えてこの中で一番足が速いのは斉藤なので、こいつも所謂天才の部類なんだろう。
俺達四人は今、今月末に行われる体育祭の中の種目の一つである、クラス対抗リレーのバトン練習をしている。
まさか帰宅部の俺がリレー選手に選ばれるとは……。
クラス対抗リレーは四人の走者が100メートルをそれぞれ走るのだが、陸上部は出場できないことになっているので、陸上部員を除いた生徒で、100メートル走のタイムが良かった上位四人がメンバーに選ばれることになった。
――が、何と四番目にタイムが良かったのが俺だったのだ(うちのクラスは運動部員が少ないというのもあるが)。
当然リレー選手に選ばれるなんて生まれて初めてなので、最初は断ろうかとも思ったが、トークアプリで雪野坂さんから一言だけ、「頑張ってね!」というメッセージが、猫が荒ぶっているスタンプと共に届いたことで、俄然やる気が出た。
ここは何としても一番になって、雪野坂さんに良いところを見せねばならない。
幸いうちの学年はクラスが四組までしかないので、我が二組も一番になれる可能性は十二分にある。
そして雪野坂さんにアピールするためには、一番目立つアンカーになるのがベストだ。
俺は勇気を出してアンカーになりたい旨を他の三人に伝えたところ、二つ返事でオーケーされた。
誰も責任重大なアンカーなどやりたくないのだろう。
そんな訳で俺達四人はそれ以来、放課後はバトン練習に明け暮れるようになったのだが、どうにも俺と加藤のバトン受け渡しのところだけが何度やっても上手くいかない。
そもそも今までほとんど他人と接してこなかった俺が、いきなり誰かと協調するなんて無理な話だったのかもしれない。
あと、これは言い訳になるが、加藤がこっちに走ってくる時の顔が怖過ぎるのだ。
ただでさえ目付きの悪い加藤が、鬼の様な形相で迫ってくるので、思わず足が竦んでいつも走り出しが遅くなってしまう。
「アン? 何オレの顔見てんだよ進藤」
「い、いや……何でもないよ」
「ケッ、頼むぜマジで。少なくとも一組にだけは負けたくねーからな」
「え? 何で?」
「……そりゃ」
「俺に負けたくないからだろ、加藤?」
「「っ!」」
突然横から背が高い男が話し掛けてきた。
誰だこいつ?
確か隣の一組にいたような気もするが……。
「チッ、お前なんか目じゃねーよ上原」
「ハハッ、相変わらず口だけは達者だな。ま、バスケ部のレギュラー争いだけじゃなく、リレーでも俺に負けたらカッコ悪過ぎんもんなあ。精々無駄な努力でもするんだな」
「うっせーなッ!! 用がねーんならどっかいけやッ!!」
「ハハハ、それじゃーな」
上原と呼ばれていたデカ男は、肩で風を切りながら去っていった。
「クソが! オイ進藤、もっかいバトン練習すんぞ!」
「あ、ああ……」
今ので何となく事情はわかった。
大方加藤と上原は、バスケ部でレギュラー争いをしてるライバル同士なんだな。
そんで上原もクラス対抗リレーの選手だと。
だから一組には負けたくないと言っていたのか。
そういうことなら俺にとっても好都合だ。
是非とも加藤には死ぬ気で走ってもらって、できれば一位で俺にバトンを渡してもらいたいものだ。
「よし、じゃあ最初からやるぞ」
「……うん」
「しゃあ! 来いオラァ!」
「よ、よろしく」
俺は今度こそ走り出しが遅れないように、頭の中で何度もイメージトレーニングを繰り返した。
そして体育祭当日が訪れた。
が、ハッキリ言って状況は芳しくなかった。
やはり俺と加藤のバトン受け渡しにミスが目立つのだ。
それでも何とか二回に一回は上手くいくようにはなったが、今日がその上手くいかない方の一回だったら目も当てられない。
「ハァ……」
俺は登校して自分の席に着くなり、大きな溜め息をついた。
ただ、そんな中良いことも一つだけあった。
やっとダイエットの停滞期を脱して、俺の体重は67キロにまで落ちたのだ。
これで目標体重までは、あと2キロとなった。
力こぶもついてきたし、腹筋も薄っすらと6つに割れてきた。
後は今日のリレーで良い結果さえ出せれば、言うことはないのだが……。
「あれ、進藤君。どうしたの、溜め息なんてついて?」
「ゆ、雪野坂さん!?」
雪野坂さんが唐突に話し掛けてきた。
この人はいつも急に現れる(でも好きだ)。
「悩みがあるなら私でよければ聞くよ。ホレホレ、言ってごらん?」
「う、うん……」
じゃあ、お言葉に甘えようかな。
「……実は、加藤とのバトンの受け渡しがなかなか上手くいかなくてさ。どうにも緊張して走り出しが遅れちゃうんだよね。どうしたもんかと思って」
「ああ、何だそんなこと」
「え?」
そんなこと?
そんな言い方をするってことは、雪野坂さんには解決法がわかってるってこと?
「それってつまり、進藤君が緊張しなくなればいいってことだよね?」
「え、うん……」
だからそれが無理だって言ってるんだけど。
「じゃあ、加藤君のことを、『猫』だと思えばいいんだよ!」
「…………え」
え。
「ホラ、よく言うじゃない? 観客をジャガイモだと思えば緊張しなくなるって。それの猫バージョンだよ」
「……はあ」
「私達は24時間365日、猫のことしか考えてない生粋の猫愛好家なんだから、加藤君をその愛しの猫ちゃんだと思えば、自然とリラックスするよ」
「……」
俺は雪野坂さん程猫のことしか考えてない訳じゃないんだけど……(むしろいつも雪野坂さんのことを考えてる)。
……とはいえ、せっかく好きな人からいただいたアドバイスだ。
ありがたく頂戴するとしよう。
「ありがとう雪野坂さん。その作戦でいってみるよ」
「うん! ところで、最近ミィくんの動画は撮ってない?」
「あ、撮ってるよ。観る?」
「観る!」
満面の笑みでそう答えた雪野坂さんを見ていたら、何だかリレーも上手くいくような気がしてきた。
「お。確かお前、二組の進藤だよな?」
「え? ああ、そうだけど……」
そして遂に迎えたクラス対抗リレー本番。
アンカーの待機位置に着いた俺に、加藤のライバルである上原が話し掛けてきた。
「俺もアンカーなんだ。よろしくな」
「え!? そうなの!?」
お前加藤のライバルなんじゃないのかよ!?
てっきり加藤と同じ3走を走るもんだと思ってたんだけど!?
「『てっきり加藤と同じ3走を走るもんだと思ってたんだけど!?』、とでも言いたげな顔だな」
「っ!! い、いや……」
エスパーかこいつ!?
怖ッ!
「ハハッ、俺は加藤なんか眼中にねーよ。どうせ俺の方が速いに決まってんだからよ」
「……そう」
凄い自信だな。
きっとこいつは、今まで一度も物事が自分の思い通りにいかなかったことがないんだろうな。
俺と違って。
「だから俺は一番目立つアンカーになったのさ。悪いけど優勝は俺達一組がもらうからよ。精々お前は俺の引き立て役として頑張ってくれや」
「っ!」
……こいつ。
言ってくれるじゃねーか。
「……俺達だ」
「あん? 何か言ったか?」
「優勝するのは俺達だって言ったんだよ!」
「っ!――ハハッ、面白えじゃねーか。後で吠え面かくなよ」
「……そっちこそな」
――勝ちたい。
こいつに勝ちたい!
俺は生まれて初めて、勝負事に勝ちたいと心の底から思った。
「位置について、よーい――」
パーンという発砲音と共に、一斉に1走の選手が走り出した。
そしてその中で頭一つ抜け出したのは、何と我らが学級委員長、佐藤だった。
おおっ! 流石学級委員長、足が速い!(関係ない)
そのまま佐藤は一位で斉藤にバトンを渡した。
すると斉藤は佐藤以上の超スピードで、二位との差をどんどんつけていった。
ぬおっ!?
やっぱ凄いな斉藤は!?
更にバトンは斉藤から加藤へ。
「おっしゃああッ!」
雄々しい咆哮と共に、加藤は勢い良く飛び出した。
二位との差は、既に10メートル以上離れていた。
――く、来る!?
本当に一位で俺のところまで来ちゃったよ!
あわわわわわわわ。
どうするどうする。
「進藤おおおお!!」
「っ!?」
加藤がいつもの鬼の形相を浮かべながら、俺目掛けて突っ込んでくる。
その途端、俺の頭は真っ白になった。
――あれ?
何してんだ俺?
ああそうか。
今はクラス対抗リレーの最中だった。
そろそろ俺も走り出さなきゃ。
――でも、根が生えたみたいに足が動かない。
その割には、俺の心臓のドクドクと脈打つ音はハッキリと聴こえる。
ヤバい。
このままじゃまた出遅れる。
――何だっけ?
雪野坂さんにもらったアドバイスは?
――ああそうだ、加藤を猫だと思えばいいってやつだ。
…………いや、やっぱ猫だとは思えないよッ!!
むしろどちらかと言えばあれは、動物園から抜け出した虎だよ!
とても可愛いとは思えない!
――やっぱり俺は、アンカーが務まるような器じゃなかったんだ。
――ゴメン、みんな。
「進藤おお!! 毎日家で走ってんだろおおおお!!」
「っ!!!」
加藤!?
何故お前がそれを!?
「だったらあと100メートルくらい、楽勝だろうがあああああ!!」
「――!」
……そうか。
ひょっとしてお前、この半年で俺が大分瘦せたことに気付いてたのか。
帰宅部の俺がこれだけ瘦せるには、毎日家で走ってるに違いないって思ったのか。
――てっきり俺のことなんか、クラスの誰の目にも入ってないと思ってたのに。
鉛みたいに重かった俺の足は、雲のように軽くなっていた。
「走れ、進藤ォ!!」
「――ああ!」
俺は加藤から、今までで最高のタイミングでバトンを受け取った。
「お前ならイケる! 気張れやああ!!」
俺は無言でコクンと頷いて見せてから、前を向いて駆け出した。
風景がスローモーションに見える。
自分の身体が自分のものじゃないみたいだ。
まるで映画でも観てるみたいな感覚で、俺はゴールに向かってひたすら足を動かした。
――よし、イケる!
このままいけば、俺達が優勝だ。
その時だった。
ワッ、という歓声が、俺のすぐ後ろから聴こえてきた。
何だ!? と思ったのも束の間、俺のすぐ隣に、颯爽と上原が現れた。
――なっ!?
「残念だったな。まあ、凡人の割にはよくやったよ」
「っ!」
吐き捨てるようにそう言うと、上原は俺を抜き去っていった。
……そんな。
……クソッ。
クソクソクソクソッ。
やっぱこうなるのか。
凡人はどんなに足掻いても、天才には勝てないのか。
――まあいいか。
俺にしてはよく頑張った。
後は流して、無難に二位を取りに――。
「進藤くーーーん」
「――っ!」
この声は――雪野坂さん!?
ふと顔を上げると、ゴール手前の応援席で、雪野坂さんが俺に向かって両手を振っていた。
雪野坂さん!!
雪野坂さん雪野坂さん雪野坂さん雪野坂さん雪野坂さん!!!
雪野坂さんが俺を応援してくれている!
雪野坂さんが両手を振って、俺を応援してくれている!!
――が、次の瞬間雪野坂さんの口から出た言葉を聞いて、俺は自分の耳を疑った。
「今朝うちのミケの超ーーーカワイイ写真が撮れたのー! 後で見せてあげるねー」
「!?!?」
――ハハッ。
君ってやつは。
「――よっしゃ!」
もう少しだけ、踏ん張ってみるか。
「うああああああああ!!!」
「何!? し、進藤!?」
俺は奇声を上げながら、ガムシャラに走って上原に追い付いた。
そうだ。
何俺はカッコつけて潔く負けようとしてんだ。
俺はそんなクールなキャラじゃないだろ。
凡人の俺にできることと言ったら、ただなりふり構わず、愚直に突き進むことだけなんだ。
――ありがとう雪野坂さん。
君のお陰で、それが思い出せたよ。
「がああああああああ!!!」
「ク、クソ……クソおおおおお!!」
あとゴールまで10メートル。
5メートル。
1メートル。
ゴールテープを最初に切ったのは………………俺だった。
「ぜぇ……ぜぇ……ガハッ……ぜぇ……」
俺はその場にへたり込んでしまった。
足がガクガクいっている。
軽く痙攣しているのかもしれない。
「進藤おおおおおお!!」
「うぇっ!? か、加藤!?」
加藤が俺に抱きついてきた。
眼には若干涙も浮かんでいる。
ええええ!?
お前ってそんなキャラだったの!?
「やるじゃねーかお前えええ!! 見直したぜ!」
「あ、ありがとう……」
どうしよう。
加藤のテンションに若干ついていけない。
「うん、良い走りだった。だから俺はずっと言ってたろ? お前ならできるって」
「佐藤」
言ってたっけ?
「……これ、あげる」
「え?」
斉藤が俺に何かを手渡してきた。
見れば、それは大きな松ぼっくりだった。
……何これ?
「おお! よかったな進藤。斉藤は大の松ぼっくりマニアなんだ。それをくれたってことは、斉藤もお前を認めたってことだぞ」
「あ、そうなんだ」
佐藤が解説してくれた。
やっぱ掴みどころがないやつだな斉藤って……。
当の斉藤は、無言で俺にサムズアップを贈ってくれていた。
俺も苦笑いしながら、サムズアップを返した。
「オイ、お前」
「っ!」
その時、上原が険しい顔をしながら俺の前に立った。
そしてにわかに右手を動かした。
俺は咄嗟に殴られると思い、ビクッと身構えた。
――が。
「――さっきは無礼なことを言って悪かったな。俺の完敗だよ」
「え」
上原は急に爽やかな表情になって、右手を俺に差し出してきたのだった。
お前キャラ変わり過ぎじゃね!?
よく漫画とかで、試合が終わったら途端に良いやつになる敵キャラがいるけど、お前もその口なのか!?
「あ、ああ……。でも、100メートルのタイムでは俺が負けてるから」
俺は上原の手を掴んで立ち上がった。
実際その通りだ。
俺と上原のスタートが同時だったなら、確実に俺が負けていただろうし、そういう意味では、今回俺達のチームが勝てたのは、俺以外の三人が頑張ってくれたからに他ならない。
だから俺は、今回の結果に自惚れてはならない。
むしろ俺の最終目標は、足が速くなることではなく、あくまで雪野坂さんを振り向かせることなのだから。
「進藤君!」
「っ! ゆ、雪野坂さん」
噂をすれば何とやら。
雪野坂さんも駆け付けてくれた。
「進藤君の走り凄かったね! カッコ良かったよ!」
「――!」
あ、ヤバい。
泣きそう。
「ということで、ハイこれ、ご褒美」
「え?」
そう言いながら雪野坂さんが見せてきたのは、先程言っていたスマホで撮ったミケの写真だった。
そこにはピンクの肉球をこちらに向けながら、気持ちよさそうに寝ているミケが写っていた。
「ね! カワイイでしょ?」
雪野坂さんは屈託のない笑顔で言った。
「……うん。とっても可愛いよ」
――そんな雪野坂さんがね。