7月
俺の体重は72キロになった。
入学当初から比べると、ちょうど10キロ減ったことになる。
ここまでくると流石に制服のブレザーもぶかぶかになってきた。
このままではカッコ悪いので、母親に新しいサイズのブレザーを買ってくれないかと俺は頼んだ。
普段俺が必死にダイエットしている姿を一番近くで見ている母親は、「しょうがないわね」と零しつつも、これを快諾してくれた。
そして来る期末テスト。
俺はこの期末テストに懸けていた。
何せもう少しで夏休みだ。
そうなったら9月まで、俺は雪野坂さんと会えなくなってしまう。
だからこそ、今のうちに雪野坂さんに俺のことを印象付けるためにも、何としてもここで良い成績を残しておかねばならないのだった。
俺は寝る間も惜しんで勉強に没頭し、期末テスト当日を迎えた。
死ぬ気で頑張っただけあって、中間テストの時よりも確かな手応えを感じていた。
そして後日、学年順位が廊下に張り出された。
俺の順位は――22位だった。
……22位。
その数字を見た瞬間の、俺の心境は複雑だった。
前回の43位よりは倍近くランクアップしているので、確実に成果は出ていると言える。
だが、今回も学年3位だった雪野坂さんから見れば、22位の人間など心に引っ掛かりもしないだろう。
自分なりにこれ以上ない程努力してきたつもりだったが、所詮はこんなものなのか……。
何だか途端に無駄なことに時間を費やしているような気がしてきて、予報通り降り出した雨が、俺の心にもじわじわと水溜まりを作っていった。
「ハァ……」
その日の帰り、俺は一人溜め息を零しながら、雨に濡れた通学路を歩いていた。
雨は既に止んで晴れ間も覗いていたが、俺の心にはどんよりとした雨雲が依然満ちていた。
「ミィ」
「……っ!?」
その時だった。
どこからか猫の鳴き声のようなものが聴こえてきた。
辺りを見回すと、電柱の陰に小さな段ボール箱が置かれており、声はその中から聴こえてくるようだった。
慌ててその段ボールに駆け寄り中を覗くと、『拾ってください』という置き手紙と共に、キジトラ柄の子猫がチョコンと座っていた。
なっ!?
す、捨て猫!?
朝ここを通った時はいなかったはずだし、段ボールは雨に濡れていないので、ついさっき捨てられたに違いない。
俺はこの瞬間、今まで感じたことがない種類の怒りが自分の中から湧いてくるのがわかった。
この猫の飼い主がどういうつもりで捨てたのかは与り知るところではないが、都合が悪くなったからといって、無責任に命を放り出すなど、決して許されることではない。
「ミィ、ミィ」
「……」
無垢な瞳で俺を見つめてくる子猫に、そっと人差し指を差し出すと、少しだけ警戒した素振りを見せた後、クンクンと俺の指の匂いを嗅ぎ、ペロッと一つ舐めてきた。
「っ!」
俺は無言で段ボールを持ち上げ、そのまま家に持って帰った。
この子をうちで飼いたいという俺の懇願に、両親は最初反対したが、最終的には俺が責任を持って面倒見ることを条件に、飼うことを許してくれた。
そんなものは言われるまでもない。
もうこいつには、二度と寂しい想いはさせない。
俺は心に、固く誓った。
「ふふ……」
翌日の昼休み。
俺は昨日スマホで撮影した猫の写真を眺めながら、気持ち悪い笑みを独りで浮かべていた。
どちらかと言えば犬派の俺だったが、いざ飼ってみると猫も滅茶苦茶可愛いかった。
名前は単純だが、ミィミィ鳴いているので、そのまんま『ミィ』と名付けた。
ミィは存外人懐っこい猫で、昨夜などは俺がベッドで寝ようとすると、俺のベッドに入ってきて喉をゴロゴロ鳴らしながら丸くなったので、一緒に寝た。
今や俺は、ミィのためなら何でもしてあげたいという気持ちになっていた。
俺はドルオタではないが、地下アイドルを応援しているドルオタの人達は、こういう気持ちなのかもしれないなと、ふと思った。
「あれ!? し、進藤君……、その子、は……?」
「あっ」
いつの間にか雪野坂さんが俺のスマホをガン見しながら、俺の横に立っていた。
「いや、実は……、昨日帰りに捨てられてるところを拾って、うちで飼うことにしたんだ」
「何とッ!!!」
「!?」
雪野坂さんは俺が見たこともない、仁王のような顔になった。
ゆ、雪野坂さん……?
「こんなカワイイ子を捨てるなんて、絶ッッッ対許せない!! 絶対に、YU・RU・SE・NA・I!!!」
「雪野坂さん!?」
発言がローマ字になってるけど!?
「でも進藤君は、この子を拾ってくれたんだよね!?」
「あ、うん……」
雪野坂さんの圧が強い。
「マーベラス!!」
「マーベラス!?」
何故英語?
「マーベラスだよ進藤君!」
「あ……ありがとう」
どうしよう。
雪野坂さんのキャラ崩壊に、まだ頭が追い付かない。
「猫が好きな人に悪い人はいないからね! だから進藤君は、良い人だよ!」
「そ、そうかな……」
中には悪い人もいると思うけど……(昔の映画とかだと、マフィアのボスがよく猫を撫でてるし)。
「この子、名前は何ていうの?」
「あ、えっと……ミィだけど」
「フムフム、良い名前だね! 性別は?」
「オス、だよ」
「なるほど! じゃあミィくんだね!」
「うん……」
ミィくんらしい。
「ねえねえ、進藤く~ん」
「え!?」
急に雪野坂さんが、文字通りの猫撫で声を上げて、俺を上目遣いで見つめてきた。
カ、カワイーーーー!!!!(鼻血)
「私ミィくんの動画が、沢山観たいな~」
「ど、動画?」
「うん。スマホでいっぱい動画を撮ってきて、明日私に観せてくれるよね?」
「明日!?」
「そう、明日。観せてくれるよね?」
「えっと……」
「くれるよね?」
「……くれます」
「やったー! ありがとー! 約束だよー」
「……うん」
スーパーハイテンション雪野坂さんは、スキップしながら自分の席に戻っていった。
今夜はミィにご馳走を用意してやらないとな、と、俺は内心ほくそ笑んだ。