4月
生まれて初めて湧いた感情だったにもかかわらず、俺にはそれがハッキリ恋だとわかった。
むしろこれが恋でないのだとしたら、他の何が恋だというのだろうか。
高校の入学初日、偶然席が隣同士になったある女の子に、俺は目を奪われた。
流れるような黒く長い髪。
気品溢れる切れ長の眼。
それでいて少女の面影も覗かせる天真爛漫な笑顔。
絵画から抜け出てきたのではないかとすら錯覚させる本物だけが持つ美貌を、その子は身に纏っていた。
俺の初恋は、春の嵐のごとく、あまりにも唐突に、俺の心に訪れたのだった。
彼女の名前は雪野坂美遥さんといった。
名前からさえも、神々しさを感じる。
雪野坂さんは、デブでコミュ障でボッチオタクな俺にさえ、
「これから一年間よろしくね、進藤君」
と、気さくに挨拶してくれた。
俺の心はハロウィン時の渋谷並みに舞い上がったが、俺は、
「あ……うん。……よろしく」
と、たどたどしく返すだけで精一杯だった。
俺はこの時、心底自分が情けなくなった。
そして15年間、ただただ怠惰に生きてきた自分を悔いた。
俺は決意した。
必ずこの恋を実らせてみせると。
そのためには、如何なる努力も惜しまないと。
家に帰ってから先ず俺がしたことは、両親に塾に通わせてくれるように頼み込むことだった。
雪野坂さんが中学時代の友達と思われる女子と雑談していた内容に耳をそばだてて手に入れた情報によると、どうやら雪野坂さんは成績も優秀で、その上運動神経も抜群らしかった。
まさに欠点のないパーフェクトガール。
俺の初恋相手は、高嶺の花どころか天上の花とも言うべき存在らしい。
だが、それで諦める俺ではない。
こう見えて数々の無理ゲーをクリアしてきた俺だ。
こういうものは、功を焦らず、長期スパンでコツコツ地力をつけていくことが結果的に攻略への近道になる。
急がば回れの精神だ。
――つまり、雪野坂さんが文武両道の才色兼備なら、俺もそれ以上の男になればいいだけの話なのだ。
そのためには独学では限界があるだろう。
何せ自慢じゃないが、中学時代は一度もテストで平均点以上を取ったことがない俺だ。
そもそも勉強の仕方がわからない。
そのための、塾だった。
幸い両親は、漫画とアニメとゲームにしか興味がなかった俺が、急に勉強に前向きになったことに対して、訝しがるどころか、嬉し涙を流しながら応援してくれた。
逆に言えば、今までそれだけ両親を不安にさせてきたということでもあるのだろうから、それに対しては申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だが、これで一先ず勉強に関しての足掛かりは掴んだ。
続いての問題はダイエットだ。
俺は身長171センチに対して、体重が82キロもある。
紛うことなきファットである。
これではブタですら相手にしてくれないだろう。
何としても痩せなければならない。
最初は何か適当な運動系の部活にでも入ろうかと思ったが、すぐに思いとどまった。
万年帰宅部だった俺が、いきなり体育会系のノリについていけるとは思わなかったし、部活と塾の両立も難しいと思ったからだ。
だからこれだけは自分の力で何とかするしかないという結論に至った。
まあ、何もオリンピック選手になりたい訳ではないのだ。
中肉中背くらいの体型になるだけなら、努力次第で誰でもなれるはず。
俺は毎日お茶碗4杯も食べていた夕飯を2杯までに減らし、絶えず食べていた間食のお菓子も一切断った。
その代わり、ノンシュガーの飴を舐めて心の飢えを凌いだ。
そして毎日ランニングと腹筋と腕立て伏せをすることにした。
だが、初日はランニングは500メートル、腹筋は10回、腕立て伏せに関しては1回やっただけで死にそうになったので、そこまででやめておいた。
ここで無理して身体を壊したら元も子もない。
運動の負荷は、徐々に徐々に上げていけばいい。
急がば回れ。
俺は何度も自分にそう言い聞かせた。
更に俺はアルバイトも始めた。
今後はファッションにも気を遣う必要があるからだ。
昔からド近眼でダサい瓶底メガネもかけているので、できればこれもコンタクトに替えたい。
そのためには何より金が要る。
ということで、バイトは近所のファミレスでホール業務をすることにした。
ホールを職種に選んだのは、コミュ障な性格を直すためには接客業が都合良いと思ったからだが、昔読んだラブコメ漫画の主人公が喫茶店でホールのバイトをしており、それにちょっとだけ憧れていたからというのも理由の一つだった。
生まれて初めて体験したバイトはとてもキツく、心身共にヘトヘトになったが、これも雪野坂さんのためだと、歯を食いしばって耐えた。
こうして俺の、激動の高校生活は幕を上げたのだった。