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黒炎と白布の異界渡り  作者: みやこけい
第二章:平和海域
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旅の目的、新たな旅立ち

 通信機から声が聞こえなくなった後、二人は機械室を出る。外の景色が見える窓付きの休憩室が近くにあったので、そこで一息つくことにした。窓際に置かれた椅子に座ったリシュリオルが口を開く。


「リーリエルデはイルシュエッタと、どうやって出会ったんだ?」

「イルさんとですか? 彼女と会ったのは仕事で開発した道具の試用をしていた時でした」リーリエルデがイルシュエッタと出会った時の話を始めた。


 リーリエルデは異界の鍵をより広い範囲で探知する為の道具を持って、多数の異界を渡り歩いている時にイルシュエッタととある異界で偶然出会った。リーリエルデとイルシュエッタはお互いが次の扉の鍵だった為、二人は共に行動することになった。


 二人で旅を続ける内、イルシュエッタもリーリエルデの仕事に興味を持ち、彼女が勤めている店で働くことになった。


「異界を探知する道具なんて凄いな。旅の負担がかなり減るじゃないか」リシュリオルが驚きながら話す。

「そうですね……。ですが、その道具はイルさんが仕事の途中で何処かに置いてきてしまいました」リーリエルデは話しながら、肩を落とす。


「そうか、リーリエルデも大変なんだな」リシュリオルは同情するように言う。

「リシュがそんな事を言える立場だとは思えませんが」

 アリゼルが真面目な態度でリシュリオルの言葉を指摘した。リシュリオルはちらりとアリゼルを睨みつけた後、直ぐにリーリエルデの方へと視線を戻す。


「私達はいつも怒られてばかりです。私もどこか抜けてるみたいで、イルさんはいつもあの調子なので」リーリエルデは話を進める度、俯いていく。

「……本当はあの人の役に立ちたいのですが」思い耽るように外の景色を見つめるリーリエルデ。


「あの人? 誰のことだ?」リシュリオルが聞く。


「えーと、私達の上司の事です。とても優秀な人でお店が開く時にも深く関わっていたんです。異界の事に本当に詳しくて、その知識を応用してたくさんの便利な道具を考えてきました。うちの店の道具の大半はあの人が作ったようなものなんですよ」

 目を輝かせながら、自身の上司の事を熱く語るリーリエルデ。リシュリオルはその熱気に少し気圧される。


「そ、そうか。凄い人なんだな」

「はい!」リシュリオルは笑顔で返事をするリーリエルデを見て、ふと昨日のイルシュエッタとの会話を思い出す。


(私は師匠が好きだから)


「リーリエルデは、その人の事が好きか?」リシュリオルは何気なく質問した。

「え……」リーリエルデが思いもよらぬ質問に言葉を失ってしまった。


「そ、尊敬してます。はい、尊敬です」焦りを隠すように、わざとらしく笑いながら話すリーリエルデ。


「好きなんだな」リシュリオルが再び、リーリエルデをじっと見つめながら聞く。

「そ、尊敬です……」リーリエルデはどんどん語気を弱めていく。


 アリゼルがその様子を面白がって追い打ちをかける。

「好きなんですね」アリゼルの甲冑の奥にある赤い視線がリーリエルデの顔をじっと捉える。

「……」リーリエルデは赤らむ顔を隠すように俯き、黙り込んでしまった。


 そんな彼女の様子を見て、リシュリオルは呟いた。

「……やっぱり、私にはよく分からないな」




 ホリーから船首、船尾の各機械室の準備が整ったという連絡が通信機から聞こえた。再びホリーの指示に従って、リーリエルデとリシュリオルは機械室で作業を行った。


「これで、私の方から船全体の設備を動かす事ができるようになりました。皆さん、一度、艦橋に戻ってきてください。そこでまた船を動かす為の指示を出します」


 リーリエルデは通信機を使って、船首側にいるラフーリオン達と連絡を取った。そして、艦橋に行く前に第一甲板で合流する事にした。


 リーリエルデとリシュリオルが第一甲板に戻る頃には、ラフーリオン達が檣楼に入るためのドアの前で既に待っていた。二人は全身が煤で真っ黒になっていた。


「お待たせしました。……お疲れ様です」リーリエルデがラフーリオン達の煤だらけの格好をまじまじと見ながら言った。

「そちらこそ。お疲れ様です」ラフーリオンは笑顔で返事をしたが、目は笑っていなかった。


「新しい服、似合ってるぞ」リシュリオルはラフーリオンの姿を嘲笑う。

「そいつはどうも」ラフーリオンは不機嫌そうにリシュリオルを見た。


「ま、まあまあ。ホリーさんを待たせてしまいますから、艦橋に行きましょう」リーリエルデが青空を背景に高々とそびえる艦橋を指差した。


「……そうですね。ホリーを故郷に送ってあげましょう」ラフーリオンが檣楼に入る為の扉に入っていった。他のメンバーもそれに続いていく。




 艦橋に到着すると、計器などが取り付けられたデスクのスピーカーからホリーの声が響き渡った。


「皆さん、お疲れ様です。早速で申し訳ないのですが、この船を私が動かすには待機命令の解除をしなくてはなりません」


「分かった、ホリー。命令の解除はどうやればいい?」ラフーリオンはホリーの声が聞こえてくるスピーカーの隣についているマイクに向かって声を出す。

「司令室で解除できます。その部屋に大きな金属の扉はありませんか?」


 ラフーリオンは部屋の壁をなぞるように見渡す。ホリーの言葉通り、今まで見た扉の中でもかなり分厚い金属の扉が付いていた。


「ああ、ある。そこが司令室だな」

「はい。司令室の扉のロックはこちらから解除してあるので、問題なく入室できる筈です」 ラフーリオンは司令室の扉を開けようとしたが、ドアは歪んでおり押しても引いてもびくともしなかった。


「任せて下さい、師匠」イルシュエッタがキーホルダーを人差し指で回しながら、扉に近付いていく。そして、鍵を扉の中心に向かって突き刺し、小さな扉を取り付けた。

「たまには、私も役立つでしょう?」

「たまにはな」

 イルシュエッタに目もくれず、彼女が作った扉の先へと進むラフーリオン。司令室は頑強な壁に覆われており、壁には多数の画面と通信機器が取り付けられていた。


「ホリー、次は何をすればいい?」ラフーリオンは部屋に響くように声を張り上げる。司令室のスピーカーからノイズ混じりの声が聞こえる。


「今、画面にマニュアルを写します。それを見ながら、私の指示で装置の操作をして下さい」司令室の壁の画面に装置の各部位の名称や操作方法が表示される。


「師匠、私も手伝いますかー?」イルシュエッタが司令室に入ってきた。

「誰か、そいつを司令室から出してくれ」ラフーリオンが艦橋に聞こえるように大きな声で叫んだ。


「は、はい」リーリエルデがイルシュエッタの腕を引っ張って、艦橋に戻っていった。

「そんなー」イルシュエッタの声が聞こえなくなる。


「ホリー、準備はできた。指示を頼む」

「了解です」ホリーの指示に従い、ラフーリオンは待機命令を解除を行った。作業が終了してから数分後、船全体に轟音が響き渡る。


「これから船を少しずつ動かしていきます。かなりの揺れが予想されます。揺れが収まるまでは、何かに捕まっていて下さい」


 一行はホリーの指示通り、艦橋で待機していた。時間の経過と共にそこかしこから機械の駆動音が聞こえてくる。艦橋に設置された計器も忙しく動き出していた。


 ふと、大きな揺れが起こる。窓から見える外の景色が大きくずれる。船が海の上を動き出した。スピーカーからホリーの声が聞こえる。


「皆さん、お待たせしました。本艦はこれより、私の故郷に向けて出航します。目的地に着くまでは三日程かかりますが、それまで当艦が誇る海上安定性による、快適な船旅をお楽しみ下さい」


「終わったみたいだな」艦橋の椅子に座っていたラフーリオンが立ち上がる。

「三日かー、結構掛かるね」伸びをするイルシュエッタ。リシュリオルが彼女に近づいていく。


「イル、体術を教えてくれ」

「ああ、そうだったね。……リシュは体力はある方かな?」

「精霊の力があるから、それなりにはあると思う」

「なら基礎的な訓練はすっ飛ばそう。まずは体術に一番必要になる足さばきを覚えようか」

「分かった」リシュリオルは頷いた。


 そして、イルシュエッタの過酷な訓練が開始された。




 船がホリーの故郷に着くまで、リシュリオルはイルシュエッタの指導による体術の訓練を受け続けた。


 アリゼルは彼女達の訓練を見ながら、リシュリオルが訓練でへたばった時、暇そうなイルシュエッタと模擬戦をしていた。


 ラフーリオンはホリーからこの世界の話を聞いたり、船内に隠してあった酒を飲んだりして、ぐだぐだと日々を過ごした。


 リーリエルデは異界調査の為、忙しなく艦内を歩き回っていた。


 船が動き出してから二日目、ラフーリオンが酒瓶を片手に艦橋から外の景色を見ている時、ホリーがスピーカー越しに話し掛けてきた。


「今、目的地の港がある湾に入りました」

「もうそろそろ到着するのか。確かに陸が見えるな」遠くに巨大な陸地が見えた。


「この船旅の間、何度か陸地に近付きましたが、船のセンサーに人の反応はありませんでした」

「ああ。やはり戦争でこの世界から人は消えてしまったんだろう」ラフーリオンは酒を一口飲む。


「はい。人は優れた能力があるのにどうしてその力で戦い、殺し合い、自らの首を締めるような事をするのでしょうか」


 ラフーリオンはまた一口、酒を飲む。

「……なんでだろうな。俺もいろんな世界を渡って、人間の良い部分も悪い部分も見てきた。だけどな、その良いとか悪いとかの見方は俺の価値観だ。きっと広い世の中には逆に考えるやつもいるんだと思う」


「その価値観の差が争いになるんでしょうか?」

「さあな。でも、俺は戦って死ぬなんて御免だ。だから、極力争いは避けてきた」


「世の中の全ての人がラフーリオンさんのような人だったら良かったのに……」

「そしたら人は飲んだくればかりになって、絶滅するぞ」ラフーリオンは笑いながら、瓶に入った酒を飲み干した。


「ははは、そうかも知れません」スピーカーからホリーの笑い声が聞こえた。

「そろそろ、夕食だな。ホリー、みんなを艦橋に集めてくれないか」

「お安い御用です」ホリーの声が船の中に響き渡った。




 その日の夕食、ホリーは船がもうすぐ目的地に着くことを伝えた。


「ホリーとはお別れになるのか。寂しくなるな」そう呟くリシュリオルの体にはイルシュエッタの訓練のせいか、あちこちに擦り傷ができていた。


「また泣いたりするなよ。面倒だから」ラフーリオンがニヤニヤ笑う。

「うるさい!」リシュリオルが怒り出す。


「リシュはよく泣くの?」イルシュエッタが面白そうに聞く。

「すぐ泣くぞ」ラフーリオンはまた笑った。彼の笑い声を聞いている内に、リシュリオルの黒髪がざわざわと動き始める。


「ま、待って下さい。食事中くらいは喧嘩しないで下さい」リーリエルデが慌てて二人の間に入り込む。


「じゃあ、おかわり」リシュリオルが皿をリーリエルデに渡す。

「はい」リーリエルデは左手でそれを受け取る。


「俺には追加の酒を下さい」ラフーリオンが空になったグラスを差し出す。

「は、はい」リーリエルデは右手でワインを注いだ。


「はははは。先輩、良いように使われてますね」イルシュエッタが笑い声を上げる。


「ふふ、本当に面白い人達です。久し振りに会えた人があなた達で良かった」ホリーの笑い声がスピーカーから聞こえてくる。

「……この船の乗員の方々も甲板の上で、食事をする時がありました」ホリーは先程の笑い声とは対照的に、悲しそうな声で呟いた。


「ホリー……」ラフーリオンがスピーカーを見る。


「いいんです。私のお願いを聞いてくれただけでも、とても感謝しています。あとは皆さんにこの船旅を楽しんで貰えれば幸です」ホリーの口調が元に戻る。

「……そうか。なら、もっと酒がいるな」ラフーリオンはグラスに注がれたワインを一気に飲み干した。


「昼間から飲んでいるのに、まだ飲むんですか?」イルシュエッタが引きつった顔で、グラスにワインを注ぐラフーリオンに向かって言う。

「悪いか? イルシュエッタ、お前は俺の元弟子なんだから、酒を注げ」ラフーリオンがグラスをイルシュエッタの顔の前にぐいぐいと突き出す。


「め、面倒くさい……」


 イルシュエッタはラフーリオンの酒癖の悪さに辟易しながらも、しぶしぶと突き出されたグラスにワインを注いだ。その様子をリシュリオル達が愉快そうに見ていた。


「ふふふ、それでいいんです。あなた達が楽しければ、私も楽しいですから」ホリーは嬉しそうに言った。


 夕食後、酔いつぶれて眠ってしまったラフーリオンを除いた三人と精霊でホリーの解説を聞きながら、この世界の星空を眺めた。


 どんな異界においても、この星空の美しさは変わらない。




 次の日の早朝、ラフーリオンは一番に目を覚ます。二日酔いで彼の気分は最悪だった。


 少しでも体調を回復する為、第一甲板に上がって風に当たろうとした。外に出てみると、辺りは濃い霧に包まれていた。


「何も見えないな」独り言を呟いた後、適当な段差に腰掛ける。そして、独りになった彼は考える。


(俺の望む異界はここではなかった。久し振りに元弟子にあったが、元気そうだった。なんだかんだ昔の知り合いに会うのは嬉しいものだ。だが、このままでは未練が残る。リシュリオルの事もそうだ。これ以上、彼女といるのはまずい。いつも考えてしまう事だが、異界に神様がいるなら教えて欲しい。『どうして俺をこの世界に連れてきた?』)


「……答えてくれるわけ無いか」また独り言を呟く。


 突然、スピーカーからノイズが鳴る。

「おはようございます、ラフーリオンさん」いつもよりボリュームの小さなホリーの声が聞こえてきた。

「おはよう、ホリー。どうしてそんなに小さな声で話すんだ?」


「お願いがあります。ラフーリオンさんに」緊張した声で話すホリー。

「どうした? 何があった?」ホリーの今までに無い声色に不安を覚えるラフーリオン。


 ホリーは更にボリュームを落として、ラフーリオンにスピーカーに近付くように促す。そして、囁くような小さな声でラフーリオンの耳元にその願いを伝えた。


「分かった。……本当にいいんだな?」

「はい。できれば他の皆さんには言わないようにお願いします」

「だが、その時になったらきっと皆も気付く」

「そうでしょうね。ですが、心は決まっています」ホリーの口調からは強い決意を感じた。


「分かった。もう何も言わないよ」

「ありがとうございます」


 霧はいつの間にか晴れていた。昨日はまだ遠くに感じた陸地がすぐ近くに見えている。眩しい朝日が甲板を照らす中、ラフーリオンは誰かが目を覚ますまで、ホリーからこの世界の海の話を聞いた。


 朝食を終える頃、船はホリーの故郷である街の港に着いていた。


 そして、ラフーリオン達はその港町の何処かに異界の扉の気配がするのを感じ取った。一行はホリーに別れの挨拶をする為、制御システムが置かれた部屋に集まることにした。


「皆さん。ここまで連れてきていただき、本当にありがとうございました」

「どうもどうも。まあ、異界の鍵の為にやったようなものだけどね」イルシュエッタが呑気に笑う。

「イルさん、もうちょっと雰囲気という物を考えて下さい」リーリエルデが呆れた顔をする。


「ははは、あんまりしんみりされても嫌なので、そんなに気を使わなくてもいいですよ」


 ラフーリオン達は和やかな雰囲気でホリーに別れの挨拶を告げた。ラフーリオンはホリーに聞きたい事があるから先に船を降りるよう仲間に伝えて、一人だけ部屋に残った。


「そろそろいいだろう。ホリー、俺は何をすればいい?」

「すみません、ラフーリオンさん。こんな事、本当は誰かに頼みたくはないのですが、自分ではできない事なので」


「いいんだ。ホリーの考えている事は、俺にも分かる気がするから」

「では、手早く済ませましょう。他の方々に気付かれる前に。まずは待機命令を解除した時に入った司令室に向かって下さい」


「分かった。すぐに行くよ」ラフーリオンは制御システムのある部屋を出て、駆け足で艦橋の隣りにある司令室に向かった。

 司令室に置かれた画面にはマニュアルの様なものが映し出されていた。ラフーリオンは司令室に置かれたマイクに向かって話しかける。


「ホリー、司令室に着いた」

「分かりました。待機命令を解除した時と同じように画面のマニュアルを使いながら指示を出します」

「了解だ」ラフーリオンはホリーの指示に従い着々と作業を進めていった。


 装置の操作を行っている最中、司令室の扉の方から足音が聞こえた。その音につられて振り返るラフーリオン。そこには怒りと疑心を含んだ表情をするリシュリオルと困惑するアリゼルがいた。


「必死に止めたんですが、言うことを聞かなくて」アリゼルが呆れ果てたように言う。

「さっきのお前の様子がおかしかったから戻ってきたが、……お前何してる」強い口調で迫るリシュリオル。


「……ホリーの調整を頼まれていたんだ」ラフーリオンは一瞬考えた後、嘘の言葉を吐く。リシュリオルはその一瞬の間を見逃さなかった。

「やっぱり、何か他の皆には知らせたくない事をしているんだな」彼女の剣幕にラフーリオンは目を逸らしてしまう。


「……ラフーリオンさん、本当の事を言いましょう」ホリーが弱々しく諦めの声を上げる。

「分かった。説明する」

 ラフーリオンはホリーに頼まれて、ホリーの電源を完全に停止する為の作業を行っていたことをリシュリオルに話した。リシュリオルは彼が行おうとしていた事に憤る。


「その作業を続けたら、ホリーはどうなる?」

「……ホリーは二度と起動することができなくなるだろう」ラフーリオンは重苦しい口調で言った。


「どうしてそんな事!」リシュリオルは激しい剣幕でラフーリオンに向かって叫ぶ。


「リシュリオルさん、落ち着いて聞いて下さい。これは私が頼んだ事なんです。ラフーリオンさんは悪くありません」ホリーがリシュリオルの怒りを鎮めようと説得する。しかし、彼女は納得しなかった。


「だけど、どうして平然とそんな事ができる? お前も死のうとしているからか?」

「そうかも知れない」ラフーリオンは冷静だった。


「リシュリオルさん、あなた達が次の世界に行った後、この世界に残された私がどうなるか想像できますか?」ホリーが落ち着いた口調でリシュリオルに話し掛ける。リシュリオルはホリーの声がするスピーカーに見て、黙り込む。


「私はこの港に来るまで、この船に積まれたセンサーでずっと人の気配を探していました。しかし、センサーに反応はありませんでした。やはり、人は消えてしまったのだと思います」


「でも、何処か別の土地に、もっと遠い場所に行けば誰かがいるかもしれない」リシュリオルは悲痛な表情で言う。


「例え、何処かに人がいたとして、私に何ができるのでしょうか? 戦うために作られた私に。それに人を探してるいる最中に、燃料が尽きて何も無い海の真ん中に浮かび続けるなんて嫌ですよ」ホリーは冗談めいた声で笑った後、話を続ける。


「今回のラフーリオンさん達との出会いが、私を止める最後のチャンスなんです。あなた達が次の世界に行ってしまったら、私は世界に一人取り残されてしまいます」


「だけど――」リシュリオルが口を開いた直後にアリゼルが彼女の肩に手を置き、諭すように喋り始める。


「リシュ、ホリーさんの気持ちをよく考えて下さい。彼をこのまま、この世界に取り残せば彼は独りで思い出の街が朽ちていくのを見続けるか、燃料が切れるのを恐れながら、あてのない人探しをする事になるんですよ。私にはどちらも耐え難い退屈さです。リシュ、あなたが彼の今の状況にさらされた時、あなたならどうしますか?」


 リシュリオルはアリゼルの問いに答えられず、小さな体を震わせながら俯いた。暫くの間、司令室に機械音だけが響く。ラフーリオンはリシュリオルを一瞥した後、画面に映し出されたマニュアルに視線を向ける。


「ホリー、作業を進めよう」

「……分かりました」ホリーはラフーリオンへの指示を再開した。


 ラフーリオンはホリーの電源を停止する為、黙々と作業を続けた。リシュリオルは司令室の床を見ながら、その場に立ち尽くす。アリゼルは沈黙を保ったまま、俯くリシュリオルの背中をじっと見ていた。重苦しい空気の中、作業は終盤に入っていた。船内の設備を少しずつ停止している為、周囲から聞こえる機械音が小さくなっていた。


「ラフーリオンさん、そのコマンドを打ち込んだら、私が置いてある部屋に来て下さい。そこで最後の指示を出します」

「……分かった」ラフーリオンはキーボードにいくつかの文字列を打ち込んだ後、司令室から出ようとすると、背中から服を引っ張られた。俯いたままのリシュリオルが服の端を掴んでいた。


「私がやる」そう言って顔を上げたリシュリオルの瞳には強い意志が秘められているように見えた。

「……ホリーのいる部屋に向かおう」ラフーリオンは足早に司令室を抜け出した。




 二人は無言でホリーが置いてある部屋に向かう。ラフーリオンは廊下の窓から外の景色を横目で見る。穏やかに波打つ海が見えた。


(こんなにも平和な世界で、例え機械だとしても人と同じように話し、思考する者の命を止める事になるなんて)


 これからする事に対して、あまりにも平穏な海を見ると、胸の奥から虚しさが込み上げてきた。


 二人はホリーが置かれた部屋に着く。先に部屋に入ったリシュリオルが部屋の中央に置かれた直方体に近づいていく。ラフーリオンは部屋の扉の近くからリシュリオルを見ていた。


「ホリー、本当にいいのか?」心配そうに聞くリシュリオル。

「ええ、大丈夫です」ホリーの口調は落ち着いていた。


「……私は何をすればいい?」


「中央の箱の裏側に操作盤があります。その操作盤の中に大きなレバーがあるので、それを下に倒せば電源を停止できます」


 リシュリオルは箱の裏側に回り込み、操作盤の扉を開ける。扉の中の操作盤には大きな赤い取っ手のレバーが付いていた。リシュリオルはレバーの取っ手を両手でしっかりと掴む。


「ホリー、この船の甲板に穴を空けてしまったんだ。ごめん」リシュリオルが唐突に最初にこの船に乗った時に起こした事を謝り始める。


「いいですよ、お気になさらず」ホリーは何事も無かった、というように返事をした。

 ホリーの返事を聞いて、レバーを握り締めるリシュリオルの腕に力が入る。その腕は何かに耐えるように震えていた。


「……さようなら、ホリー」リシュリオルはレバーをゆっくりと下に倒した。


「さようなら、リシュリオルさん、ラフーリオンさん、アリゼルさん。先に船を降りた二人にもよろしくお伝えください」ホリーの声が小さくなっていく。

「ああ、伝えておく」ラフーリオンが頷く。


「ありがとうございます……」


 ホリーの声は部屋に騒がしく響いていた機械音と共に聞こえなくなった。




 部屋から出た二人は船から降りる為、甲板に戻った。甲板に着くと、ラフーリオンは遠く彼方まで広がる海の方を見て呟き始める。


「この辺りの海は戦争が始まる前までは、いつも波の少ない穏やかな海だったらしい。人々はこの海を『平和海域』と呼んだそうだ。……そうホリーから聞いた」


 リシュリオルは無言で海を見ながら彼の話を聞いた。人が居なくなった世界のその海は恐ろしい程の静寂に包まれていた。


 二人は暫くの間、海を眺めてから船を降りた。乗船所には先に船を降りた二人が待っていた。


「遅かったですね。何かあったんですか?」リーリエルデが不思議そうに聞いてくる。

「……はい。ホリーに頼まれ事をされて。最後に二人にもよろしくと言っていました」ラフーリオンはやや間を空けて答えた。リシュリオルは横目で嘘をつく彼の背中を見ていた。


「そうでしたか。ホリーさんにはもう少ししっかりとした挨拶をするべきでした」リーリエルデはホリーの事に殆ど気付いていないようだった。

 だが、イルシュエッタはどこか落ち着かない様子で、口を開くのを躊躇っているように見えた。


「……先輩は他人に気を使い過ぎですよ」笑みを浮かべるイルシュエッタ。


 彼女はラフーリオンとリシュリオルの態度から、ホリーに何かがあった事に気付いているようだった。しかし、イルシュエッタはその事については何も言わなかった。ラフーリオンは彼女の気遣いに心の中で感謝した。


 そして、直ぐに話題を切り替える為、ぎこちなく笑って言った。


「さあ、次の異界に行きましょう。扉は開いていますから」一行は乗船所から離れ、ホリーがいた船を見ながら次の異界の扉の気配がある街の中に向かった。



 街の中には、人の気配は全く無かった。建物の状態も廃墟同然になっており、戦争による被害の大きさが街の通りを歩くだけで見て取れた。


 ラフーリオン達とイルシュエッタ達の異界の扉は別の場所にあった。イルシュエッタとリーリエルデが向かうべき異界の扉は街の中心にあるレストランの扉だった。


「師匠、またいつか会いましょう」イルシュエッタはラフーリオンに向かってゆるく敬礼する。

「次に会う時は凄い道具をお見せしますね。これお店のカードです」リーリエルデが店の名前の書かれたカードをラフーリオンに渡した。

「楽しみにしています。イルシュエッタ、あまりリーリエルデさんに迷惑をかけるなよ」

「そんなことしませんよー」自信満々に言うイルシュエッタ。


「ははは……」リーリエルデは苦笑いする。これからも苦労するだろう、とラフーリオンは思った。


 リシュリオルの影からアリゼルが現れ、イルシュエッタの目の前に右手を差し出す。

「また手合わせ願います」

「こちらこそ」イルシュエッタは差し出された手を握り返した。


「リシュ、あなたからは何か言うことはないのですか?」アリゼルが振り返って言う。

 リシュリオルは何かを言いたげにしていたが、口をつぐんでいた。イルシュエッタが何も言おうとしないリシュリオルに何かを手渡した。


「はい、これ。体術の指南書。これに書かれてる事を続けていれば、私の次くらいには強くなれるよ」イルシュエッタの言葉に反応して、リシュリオルが口を開いた。


「イルの次くらい?」

「うん」笑みを浮かべながら、返事をするイルシュエッタ。


「ふざけるな、絶対にお前より強くなってやる」リシュリオルは笑顔を崩さないイルシュエッタを睨みつける。

「そうそう、その意気だよ」そう言って、イルシュエッタはリシュリオルの目の前にしゃがみ込み、彼女の体を急に抱き寄せて、耳元で囁いた。


「約束忘れないでね。師匠の事、よろしく」

「……分かってる」リシュリオルも小声で返事をした。


「頼んだよ」イルシュエッタはリシュリオルを更に強く抱き締めた。

「分かってるって」リシュリオルはイルシュエッタの腕を解こうとしたが、力強く抱き締められて彼女から離れることができなかった。


「ふふふ。私の事、師匠って呼んだら離してあげる」イルシュエッタは楽しそうに笑いながら、抱擁を続けた。

「それはもういいんだろ! 離せ!」リシュリオルはジタバタと暴れたり、イルシュエッタを突き飛ばそうとしたが、彼女はビクともしない。


「よしよし、元気になったね」イルシュエッタはそう言うと、パッとリシュリオルの体を解放した。

「く、くそ」イルシュエッタに抱き締められ、ぐったりとしているリシュリオルの様子は、あまり元気そうには見えなかった。


「本当に仲良くなりましたね」微笑ましそうに笑うリーリエルデ。

「本当に仲が良いんでしょうか?」ラフーリオンは不思議そうに二人の様子を見ていた。


「さて、そろそろ行きますか」イルシュエッタがレストランの扉を開ける。扉の先には異界の景色が広がっていた。

「もう、二人は行ってしまいますよ。お礼ぐらいは言ったらどうですか、リシュ」アリゼルがリシュリオルに向かって言う。しかし、リシュリオルは不機嫌そうな顔をして、そっぽを向いてしまった。


「じゃあね師匠、リシュ」

「さようなら、またいつか」イルシュエッタとリーリエルデはもう扉の向こうに進んでいた。


「待て!」リシュリオルが扉の先にいる二人に向かって叫ぶ。イルシュエッタは閉まりかける扉を止めた。


「ありがとう、リーリエルデ。料理、美味しかった」

「どういたしまして」リーリエルデはにっこりと笑った。


「ありがとう……。し、師匠!」リシュリオルは悔しそうな、恥ずかしそうな、真っ赤な顔でぎこちなく叫んだ。


 イルシュエッタはニヤリと笑った後、リシュリオルに叫び返す。


「強くなれ! 我が弟子よ!」叫び声の後、イルシュエッタは扉を閉めた。

 扉を閉める直前、笑顔で手を振るイルシュエッタの姿が見えた。


「行ったな」ラフーリオンが閉められた扉を見て呟いた。

「ああ」


 イルシュエッタ、リーリエルデと別れたラフーリオン達は、次の異界の扉の気配に向かった。




 次の扉は、小高い丘の上から気配を感じた。丘の上には小さな家が見えた。丘の上まで登り切り、振り返ってみると今まで渡ってきた海が見えた。乗船場にはホリーがいた大きな軍艦もあった。もうあの船が航海することは無いだろう。


「ホリー……」リシュリオルが呟く声がラフーリオンの背後から聞こえた。


 丘の上の家の周囲をぐるりと一周したが、当然のように人の気配は無かった。窓から家の中を覗くと、生活用品がホコリを被ったまま放置されていた。異界の扉の気配は玄関の扉から感じ取れた。


「さて、行くか」ラフーリオンがドアノブに手を伸ばす。

「ラフーリオン、次の異界に行く前に行っておきたい事がある」リシュリオルの言葉にラフーリオンの動きが止まる。


「何だ?」振り返り、リシュリオルの顔を見る。彼女はどこか悲しげな顔をしていた。


「ここに来るまで、ホリーの事を考えていた。アリゼルに言われた事も。あの時は頭の中がぐちゃぐちゃで、考えが及ばなかったけれど、この世界に独りで取り残されたら、私も同じ事をしていたと、今は思ってる。何となくだけど、……死のうとする者の気持ちが少しだけ、分かった気がする」


「……」ラフーリオンは何も言わず、リシュリオルの言葉に耳を傾けていた。彼女は必死に話し続ける。


「でも、やっぱり正しい事じゃないと思う。ラフーリオンがやろうとしている事は。お前は独りで取り残されてるわけじゃないだろ? 砂の街にはベルフリスやアルフェルネがいる。イルシュエッタとリーリエルデとだってまた会える筈だ。それに……それに、私がいる。……だから」


「……だから?」ラフーリオンは真剣な表情でリシュリオルの顔を見据える。


「だから、私はお前のやろうとしている事を止める。勝手に死なせたりなんてさせない」


 リシュリオルの鋭い眼差しがラフーリオンに刺さる。彼女の瞳に宿る光を見て、彼は酷く辛く感じた。まだ幼い少女の決意の言葉が彼の胸を苦しめる。自身の決意が揺らぐのを恐れて、ラフーリオンは彼女の言葉を冷たくあしらう。


「……勝手にすればいい」ラフーリオンはそう言うとすぐに振り返って扉を開けた。

「そうさせてもらう」リシュリオルはラフーリオンの背中を見ながら、次の異界へと足を進めた。




 とある異界。イルシュエッタとリーリエルデが船の世界の後に訪れた世界。


 最初に見つけたカフェで話す二人。イルシュエッタは注文した物に手も付けず、浮かれていた。

「先輩、ついに私にも念願の弟子ができましたよ。いつも周りには目上の人しかいなかったので嬉しいです」嬉々として話すイルシュエッタ。リーリエルデは彼女の勢いに押される。

「わ、分かりましたから少し落ち着いて下さい」リーリエルデは席を立ち上がり、声を上げるイルシュエッタをなだめる。


「早く会いたいなー、強くなっていればいいけど。会った時はまた抱きしめてあげないと」

「あんまり早く会っても、彼女はそんなに変わっていないと思いますよ」イルシュエッタの感情の昂ぶりにリーリエルデはついていけなかった。


「強くなれよー。我が弟子、リシュよ」

 イルシュエッタは楽しそうに笑い、何処か遠くの世界にいるリシュリオルに向けて、聞こえる筈のないエールを送った。


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