3つの小学校
「お、麗奈じゃないか。なんか久しぶりだな、しばらく顔見なかったから心配してたんだぞ」
麗奈はとても痩せていた。身長が高く横幅もある新汰が近づくと麗奈はより貧相に見えた。
「ありがとうちょっと体調くずしてて」
麗奈は猫背になりいつものように俯いた。
「もう大丈夫なのか?治ったのか」
「うん。もう大丈夫。ありがとう新汰君。心配してくれて」
いつものようにどこか抑揚のない言葉が返ってきた。
「今日はみんなが集まってからコウジと麗奈の福島小学校に行こうぜ。どうだ?面白そうだろ」
「え、福島小に?」
麗奈は新汰になにか言いたげな様子を見せたがすぐにまた俯いてしまった。
「麗奈ちゃんどうしたの?」
新汰の隣りにいた葉月が心配そうに麗奈の顔を覗き込んだ。
「私・・福島小学校じゃないよ」
「あれ?。麗奈ちゃんはコウジ君と同じ福島小学校じゃないの?」
「うん」
近くにいたコウジも二人の会話に驚いた表情を見せた。コウジもてっきり麗奈は福島小の一学年上の人だと思っていた。
「あれ?じゃあ僕たちと同じ千里小学校なの?」
すぐにでもどこかへ向かって走りだしたいようにそわそわとしている悠理が訊いた。いまいるこの公園は千里小学校の学区内になる。つまりは悠理も新汰も葉月も四葉も千里小学校の生徒だった。
「悠理それはたぶんないぜ、だって千里小は全学年クラス二組しかないだろ?だから葉月が麗奈とここで出会うまで知らないわけないと思わないか?」
新汰が腕組みをしながらいうと悠理や葉月が答える前に麗奈が呟くように言った。
「私、千覚寺小学校だよ」
「ええ!千覚?あの千覚寺小からここまで来てるの?」
コウジが一番最初に反応をした。まるで相性の悪い薬品を混ぜ合わせたかのようにとても敏感な反応だった。三年生のなかでは身長の低い部類となるコウジは精一杯に体を背伸びさせて口を縦にこれでもかと開いた。
「うん、そうだよ千覚だよ」
麗奈が呟くとコウジは腕を組む。
「ゲキ荒れ小千覚だよね、有名だよね」
「ゲキ荒れ小?なんだそれ?」
新汰がコウジの言葉に聞き返した。
「荒れ小千覚って言われててさ、あっちは不良がたくさんいて先生も大変みたいだよ。煙草吸ってる六年生とかたくさんいるって聞いたよ。それってほんとなの?」
コウジに見つめられて麗奈はまたより深く俯いてしまった。もう簡単には下界には出てこないような角度だった。もうこれ以上質問はしてこないでと麗奈の身体が言ってるようにみえた。
「煙草?なんだそれ、バカな奴らだな。そうかわかった。麗奈は千覚寺小学校なんだな、なら福島小学校に行くのに抵抗あるのはコウジだけだな」
豪快に笑う新汰の声は広い公園の四隅まで響いて行った。
いまいるこの公園は千里小学校区内でも西の端と言えた。街の東側を学区とする千覚寺小学校はここから距離で行けば3キロ以上は離れている。コウジが驚いたのはその距離によってだった。千里小学と千覚寺小学校は切っては切れない縁がある。進学することになる公立中学校の学区はこの街を真横に縦断する線路が重要になる。千里小学校と千覚寺小学校は同じ中学校の学区となり、福島小学校は街の南端にある違う公立中学校の学区となる。
麗奈は福島小学校ではなく千覚寺小学校。それは葉月や麗奈にとっては嬉しいことになる。中学校に上がればもしかしたら同じクラスになるかもしれないのだから。
そのあとに公園に来たメンバーは同じ千里小出身の三年生の少年が三人で総勢9人となった。
「よし!いまから出発だ!今日は福島小学校まで冒険!そして校庭でとことん遊ぼうぜ」
新汰を先頭にぞろぞろと公園を出ていく少年と少女達。どの顔もみな楽しげだった。新汰が先頭で作りあげられる冒険はいつも笑いに満ち溢れていた。新汰がいれば怖いものなんてないんだ。
新汰の大きな背中は仲間に安心感をこれでもかと与えていく。
「よーしみんな!ここを渡ろうぜ!あっちの踏切まで行ってたらすげえ遅くなっちまうからな。なあコウジ、おまえはいつも駅前の踏切渡ってくるんだろ?ここを渡っちまえば近いもんだぜ、覚えておいて損はない」
「だって線路渡るのは危ないってお母さんが言ってたよ、踏切まで行こうよ」
コウジの言葉をよそに新汰はいかにも楽しげに左右を見てから巨体ともいえる身体で1Mほどの柵をよじ登った。「新汰君まずいよ電車がきちゃう」コウジの心配も届かず「まずはお先に!」と飛び降りてそのまま線路を駆けて横切って行った。
線路は左右共に長い直線で見晴らしはいいのだが近くに踏切が無いためにいつ電車が来るかわからない。特急列車だと現れたやいなやかなりのスピードで一気に眼前に迫ってくる。
「みんな!早く来い!いまがチャンスだぞ!早くしろ!」
向こうから手招きする新汰に導かれるようにまずは少年たちが柵を登り線路を駆けていく。「ひいっ」コウジは運動神経があまり良くないので線路でつまづいて転倒してしまう。「立て!早く!」新汰が大声をだしながら助けに向かい無事に二人が渡り終えたときには線路の両サイドで歓声の声が沸き起こった。コウジは半べそで新汰に抱きついていた。「うわやめろ」とコウジとふざけあう新汰を線路伝いに見ていた悠理は親友のことがとても誇らしげに思えた。いつも男らしくて頼もしい。「よし。俺たちも行こう、みんなで手を繋いでいこうよ」
悠理が振り向くと葉月は瞳を輝かせていた。後に残るのは悠理と葉月と麗奈と四葉の四人だった。
「さあ早くこっち来い!」
線路の向こうで少年五人が大きく手招きする。
ゆっくりと時間をかけながら悠理と葉月が四葉を補助しながら柵を上り降りたときだった。
「こらぁ!危ないだろ!なにしてんだ!」
悠理の後ろで大人の男の怒鳴り声が聞こえ四人は一斉に振り向いた。どこかで農作業を終えて帰宅中と思われる服装の初老の男がこちらを睨み付けながら近づいてきていた。手には大きな鍬が握り締められていた。
「やべえ悠理!あれはげんじぃだ!」
線路の向こう側で新汰が叫んだ。新汰の最大の天敵であるげんじぃ、悠理もよく知ってる近所に住む初老の男性だ。新汰はいままで何回げんじぃに叱られ頭にげんこつをもらったか数えきれない。
「またおまえらか!このワルガキめが!何度も言うがあぶねえことするんじゃない!いつ列車がくるかわからんぞ!轢かれたら身体はくしゃくしゃだ。わしは昔、一度轢かれるところみたことあるんだからな!それはもうひでえもんだ、線路を渡るな!踏切を渡れ!このワルガキどもめ」
げんじいは鍬を手にしたままこちらに向かってくる。
行こう!
悠理と葉月は見つめ頷きあうとお互いの手を握り締めた。
「どっちから?」
悠理がいざ駆けだそうとしたときに葉月が質問をしてきた。
「え、な、なに?どっちからって」
「おにちゃん早く!ほんとのオニが来る!」
「いや、だってさ葉月がなんか言うから」
「悠理君早く行こう、列車も来ちゃう」
珍しく麗奈も慌てている。後ろには迫るげんじぃ。
「悠理はどっちの足から駆けるのか知りたくて」
「ああ。そのことね、俺は・・そうだな右足?いややっぱ左足からだな、だから・・」
「ってことは私は右足?同じ左足から行くべきかな?」
二人が首を傾げたときに麗奈と四葉は声をそろえた。
「そんなのいいから早くいこ!」
四人は走り出した、学区の違う新しい世界へ。僕らがいるのは閉ざされた世界なんかじゃないんだ、解放させる扉はいつもすぐそこにあるんだ。新汰が教え導く世界があった、そこには嗅いだことのない香りや聞いたことのない音が待っている。手を握りあう悠理と葉月、そして悠理のもう片方の手には四葉の小さな手、葉月のもう一つの手には麗奈の手が握られていた。線路をまたぐときにわずかに感じた振動、視覚の片隅に入る列車のライトのような黄色い光、変わる風向き。悠理達が渡り終えてからすぐに特急列車が物凄いスピードで駆け抜けていった。
「こらぁ!おめらは、わしの心配をなんともおもっとらん!このワルガキどもが!」
線路を隔てて鍬を振りながら怒鳴るげんじぃから逃げ出すように走り出す総勢9人の子供たち。
「やっほー!スリル満点だ!これだから冒険は楽しいんだ!」
新汰が叫ぶと残るみんなも何かしらを叫びながら走った。麗奈も珍しく笑いながら何かを叫んでいた。
福島小学校の校庭では見るからに上級生10人くらいがサッカーをやっていた。新汰を先頭に校庭に入っていくと一斉に睨み付けられた。普通なら怖気付くその姿を見て相手は一層に強気になるものだ。だが新汰は違った。
「おにいちゃんたちサッカーすげえうめえ。俺たちに教えてくれよ」
上級生に近づきまったく臆さずにそういうのが新汰だ。そう言われたら対応はガラリと変わる。「おおいいぜ教えてやるよ、おまえ見かけない奴だな」
「俺たち千里小学校から来た」
と学年や学校など関係なく一緒にボールを追いかけることになる。
30分もすれば悠理の脚の速さや新汰のキーパーの上手さに上級生が逆に褒めだして和気あいあいとなっていく。
葉月と四葉と麗奈はサッカーを観戦しながら千里小学校や麗奈の通う千覚寺小学校、そしていつもの公園にはない新鮮ともいえる遊具でたくさん遊んだ。