三人
三人が出会った場所は愛知県名古屋市の西端に位置していた。そこは決して治安が良いとはいえない地域であり、殺伐とした印象を抱かせる空気が絶えず停滞している土地といえた。大都市を名乗る名古屋市の西の外れにある吹き溜まりのような場所であり四方には何かしらの障害物が壁を作り上げていた。行動をとにかく制限させる街だなといった思いは子供達の間にもあった。例えばそれは高速道路の永遠と続くかのような高架であったり、一度閉じたらなかなか上がることのない踏切であったり、また名古屋市の右腕のような太い川であったり。たえず渋滞が蔓延する道路があり巨大な飲料メーカーの工場もあった。多くの立ちふさがるそれらによって子供達にはなにか言いようのない閉塞感を感じる街だった。そんな淀んだ灰色の空が似合う街のなか、変哲もないどこの街にでも必ずあるような四階建ての質素な外観の賃貸マンションの居住者として彼等は出会った。秋月悠理は一階の105号室で両親と三人で暮らしていた。須和新汰は三階で七海葉月は四階だった。
マンションの最上階になる四階の共同通路の奥角にはさらに上がる幅の狭い階段があり上り詰めたところには鉄製の頑丈なドアがあった。昔は鍵が掛けられ開けることができなかったが何時からかその鍵の役目は何らかの理由で失われてしまい子供達だけであっても階段を上りドアを開ければ自由に屋上へと出入りできるようになっていた。いま思えば住人の大人たちは誰一人として屋上に通じる扉の鍵が壊れてるなんてことを知らなかったのかもしれない。もし知っていたのなら子供達だけで危険がある屋上に行かせることはさせなかっただろう。屋上に行けることを最初に知ったのは新汰だった。
「いいか?このことは俺たちだけの絶対な秘密だからな。屋上はいまから俺たち三人だけのものだ、親友の仲を誓う秘密基地にしようぜ。どうだ?」
新汰の言葉に悠理と葉月は目を輝かせながら大きく頷いた。
新汰は二人の頼れるリーダーだった。
戻ろうあのころに。敵は必ずいる。
誰かがもう一度言う。
戻るんだ。あの頃に。
その気になればいつでも記憶は蘇るのだから。仲間はそこに居るのだから。それはきっと永遠に消えないのだから。
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悠理と新汰が小学三年生のときの夏の花火大会。マンション屋上で生温かい夜風を感じながら悠理は膝を丸めて座っていた。見上げたその瞬間、空中に上がる大きな花火が見えた。はじけて広がる閃光は世界の色を一瞬にして変えた。頭上には何も隔てるものはないこの場所で見えるのは夜空と花火とそして・・・悠理の瞳に映る葉月の横顔があった。後ろで騒ぐ新汰は悠理には少しだけ目障りだったかもしれない。膝を曲げて座ったままの葉月がすぐ隣りにいる。肩が触れ合うほどにすぐ横にいる葉月に悠理は見とれていた。花火の閃光に照らされる葉月の横顔はとても美しかった。
「ねえ悠理。花火すごく綺麗だね」
「うん、とっても綺麗」
悠理は閃光によって赤く染まる葉月の横顔を見つめつづけていた。葉月の長い黒髪から漂う甘いシャンプーの香りと混ざり合うのは風で流れてくる花火の硝煙の香りだった。すぐ後ろで飛び跳ねてはしゃぐ新汰の大きな声に葉月は微笑み悠理もそれを真似るように微笑んだ。
「お!いまの花火すげえでっけー!二人とも見た?見た?最高だぜ!花火!」
「新汰は騒ぎすぎだよ、ここにいること大人にばれちゃうよ」
三人は名前を呼び捨てで呼びあっていた。出会ったころは君付けであったりちゃん付けであったのだが、新汰がある日突然なぁめんどくさいからさ今日から名前のあとにクンチャンつけるの一切無しな!葉月は一つ年上だけどそんなんはいいだろ?という言葉で三人は敬称無しの呼び捨てで呼び合うようになった。はじめ悠理は葉月を呼び捨てで呼ぶことにはどこか恥ずかしくて抵抗感があったがいまではすっかり慣れていた。
「葉月さ、今度妹のよつばをここに連れてきてもいいぜ」
「え、四葉もいいの?」
新汰は大きく頷いてみせた。花火が上がるたびに三人の顔は赤く染まる。
「ああ。悠理もいいだろ?四葉も成長したし仲間だからな」
「もちろん」
悠理は葉月の喜ぶ横顔を見続けていた。
葉月には三歳年下の妹がいた。名前は四葉といって、よく葉月が手を引いて一緒に遊びに連れてきていた。「お、四葉も一緒か」学校から帰宅してからマンションのすぐ隣りにある公園で待ち合わせをしていた新汰は、葉月と二人でこちらに走ってくる小さな身体を見て喜んだ。同じく公園にいた悠理は滑り台の上から大きく手を振ってから、「葉月おそーいー」と言いながら滑り台を転げるような早さで駆け下りていった。「だってしょうがないもん四年生は今日は六時間授業だよ」葉月は目の前に来た悠理の尻についた土を両手で払ってやりながら少し残念そうな顔をした。ブランコの傍にいた新汰も三人の近くまで来ると、四葉の頭を軽く撫でてから「さ、今日は四葉はなにして遊びたいか?」と笑顔で聞いた。
「おにちゃん!」
小学一年生になったばかりの四葉は悠理と新汰のことを「おにちゃん」と呼んだ。ある日、悠理がどうして四葉はおにいちゃんていわないの?と聞いたら四葉はにわかに頬を膨らましておにいちゃんは言いにくいもんと返した。悠理が「なら俺と新汰は鬼になってよつばを襲っちゃうぞ」と言ったら四葉はきゃっきゃとはしゃぎだした。今日もやはり悠理と新汰は四葉から呼ばれる名前はおにちゃんだった。
「わたしおにちゃんの行きたいところでいい!」
「よし!それでは、おにちゃんにすべてまかせなさーい」新汰は自分の胸をドンと強く叩いて見せた。
悠理と新汰が小学三年生、葉月が四年生になると共に遊ぶメンバーは急激に膨れ上がっていた。初めは三人で遊んでいたのが四葉が加わり四人になりいつの間にかまた一人増えて五人になり、それがいまでは総勢10人で遊ぶこともあった。ほとんどが同じ学校の同級生になる三年生だったが、なかには上級生や下級生もいた。初めて見かける違う学校の男子や女子まで参加することもあった。公園から南に二百メートルほど歩けば線路がありその向こう側は違う小学校の学区になる。おそらく線路を越えてこちら側に来るのだろうと皆はあまり気にもしなかった、子供は楽しい場所に集まってくるものだった。新汰はこのころからすでに人々を惹きつける求心力があった。とにかく新汰を中心にして子供達は吸い寄せられるように集まってきていた。遊び場のメインとなる場所は主にマンション横にある公園だった。児童公園にしては広々としていたその公園には滑り台やブランコなどの遊具は一様に揃っており、子供達が十分野球やサッカーをできるスペースもあった。
四人が公園の滑り台の前にいると見知った顔の少年が公園の前に現れた。
「お、コウジじゃねえか」
新汰が大きい声で名前を呼ぶとコウジと呼ばれた少年は満面の笑顔で走ってこちらに近づいて来た。
「新汰君、今日はなにして遊ぶんだい?」
「コウジは何したい?」
コウジという少年は悠理や新汰と同じ学校ではなく線路を渡ってこちら側に来ている。名前は聞いたらコウジって呼んでよと言われいまはそのままコウジとみんなから呼ばれていた。新汰が学年を聞いたら同じ三年生だといった。
「人数集まったら野球にする?」
コウジの提案に新汰は頷いては見せたがあまり乗り気ではないようだった。
「野球もいいが今日は四葉がいるからな。じゃあそうだなぁ、線路越えて小学校にでも行くか。そっちの」
「え、こっちの?」
コウジは驚いた表情をする。
「学校にはまだ六年生とかが沢山いるよ。怖くないの?」
「ん?、まったく。六年は怖いのか?」
新汰が聞き返すとコウジは新汰君らしいなと笑い出した。
「おにちゃん、わたし違う小学校行ってみたい」
四葉が目を輝かせた。
「よし。今日の行き先は決まりだな」
新汰がまた四葉の頭を撫でようとしたときにまた一人公園に入ってくるのが見えた。次は少女だった。
「あ、麗奈ちゃんだ」
次は葉月が出迎えた。
麗奈と呼ばれる女の子も同じ学校ではなかった。学年は葉月と同じ四年生だといった。麗奈はとても痩せていて無口でいつも俯いている少女だった。そんな麗奈だが葉月とは仲が良いようでみんなで遊ぶときには二人はよく一緒にいた。