渡辺と悠理
「ん?どうした。なにかあったのか、悩み事でもあるのか」
渡辺の声は周りを包み込むように優しい問いかけだった。この人は父親の孝介とはまたなにか違う優しさを持っている大人の男性だと悠理は感じた。
もちろん酒を飲み酒に縛られてしまった父親はまったく論外の話しだ。酒に侵された父のことなどいまは考えていない。
悠理は一人っ子であり想像でしか測ることができないのだが渡辺は兄という存在でもないなと思った。そしていままで担任になった男性教師とも違う。
空手を通しての尊敬はもちろんあった。
だがそれにプラスされるように悠理は渡辺に優しくされると心が浮き足立つのがわかった。渡辺に少しでも注目されたい少しでも褒められたいと空手道に打ち込む自分がいた。
悠理はいま渡辺に包み込まれる優しさに浸りはじめ自分にとって言葉では説明できない不思議な存在の人なのだと思った。
悠理は渡辺に相談したいというかただ聞いてほしいことがあるのだがそれを上手く言葉にして伝えれるか不安だった。
「あの…実は…」
悠理は一つ長い深呼吸をしてからゆっくりとした口調で話していく。
「僕には須和新汰という親友がいるんです、なにもかもがすごく強くてとにかく
僕らのリーダーで」
その言葉を皮切りに悠理の話しが始まっていった。
渡辺は相槌を打ちながら悠理の話す言葉を吸収していった。
その日、悠理と新汰は同じクラスの男子二人と計四人でサッカーボールを手に合流していた。場所はいつものマンション横の公園だった。
「じゃあまずは俺キーパーやります。三人はどんどんシュートしてきてくれ」
「おーっけー本気でいいの?」
悠理が長い前髪を掻き分けながら聞くと新汰は親指をくいっと立てた。
「全部防いでやる、カモーン」
新汰がフェンス際に立ちキーパーをして三人は笑いながら順番にシュートをして遊んでいた。
そこへ突然、学生服姿の中学生らしき男達8人が公園のなかにぞろぞろと入ってきたのだった。
この時、渡辺は悠理の会話を遮って8人てまたやけに多いなといった。
中学生達は一様に汚い笑顔を浮かべていた。
「健全なる少年たちよ、サッカー実に楽しそうじゃないか、どうだろ、ぜひ俺たちも混ぜてくれないか」
どんなルール?とにかくこのデブに思い切り蹴ればいいのか?
中学生の一人が新汰を指差してまた嫌な笑いを浮かべた。
ほんとデブだなおまえ。
新汰は「ふん!」と負けじと睨みつけた。
「おいおい、なんだよあれ。あのクソデブ。俺たちをこれでもかと睨んでるぜ、ギャハハまったく可愛くない」
中学生の背の高い男が落ちていたボールを助走をつけて勢いよく蹴った。ボールは新汰の膝に音を立てて当たり向かいの滑り台のほうまでコロコロと転がっていく。
強くボールが当たっても微動だにしない新汰は眉の辺りにシワを寄せてこれでもかと睨み付けたままだった。
「なんだあれ。なんかやばいくらいに腹立つガキだな、殴ってやろうかな、いや、いますぐ殴りにいきてえ」
男達のリーダーらしき男が地面に唾を吐きつけた。そんななか悠理は無言のまま新汰だけを注視している。
「あの…やめてください、どうぞ公園使ってください、ね、新汰さ、外に行こうよ、ほら悠理も黙ってないでなんか言って」
新汰と悠理の仲間の一人が中学生の隙間を潜り抜けてフェンス際にいる新汰のもとへ近づこうとする。
「おいチビうるせえよ!」
中学生の男は、男子が真横まで来たときに腕を大きく振り上げた。
そのとき少し離れた場所にいた悠理が低い姿勢となり前足を動かすのが新汰の視界に入り込んだ。
「だあ!!やめろ!」
新汰のとんでもない大声にここにいる全員の動きが止まった。
新汰は悠理に向けて怒鳴っていた。
新汰にはわかっていた、悠理がなにをしようとしているか。
「先輩らは俺に蹴りたいんだろ。全部防ぐからさ、シュートしてきてくださいよ」
「なんだと?相変わらずうるせえデブだな。よーし、全部取れよ、取れなかったら殴ってやるからな」
中学生達は笑いながらサッカーボールを新汰に向けて勢いよく蹴り込んでいく。
悠理は必死になにかを堪えるように直立不動の姿勢を維持していた。
新汰の頭にボールが当たると誰かが悲鳴をあげた。
「新汰君!誰か大人の人を呼んでくる!」
友人の1人が公園の入口に向かって走りだした。
…そんな必要ないよ…
新汰には悠理の心の声が聞こえた。
そしてまたも悠理の前足が動き出すのがわかった。
「誰も呼びに行くな!そして悠理も動くな!」
新汰は悠理を見つめたまま自らの拳を血の気が失せるほどに強く握りしめていた。
「それでその後はどうなった?」
渡辺は話す途中から泣き出した悠理の横顔を見届けていた。
「う…ぅヒクッ…そのあとは新汰と友達が謝ったんだ。何度もすみませんて…あんな奴らに。僕らはなにも悪いことしてないのに……新汰は…あの新汰が謝って。それが僕は悔しくて。ねぇ渡辺先輩。僕ならやれたんだ、蹴りが届く間合いにいつでも持っていけたんだ。僕と新汰ならあんな奴ら…」
渡辺は悠理がここまで泣くのは久しぶりだなと思った。道場に来たはじめのころは毎回のようによく泣いていた彼もいまでは歯を食いしばり痛みにぐっと耐える場面が増えていた。
渡辺は咳払いをしてから稽古の余韻のごとく額を濡らす汗を手の甲で拭った。
悠理は戦うつもりだった。同じく新汰というリーダーの男の子もきっと戦いたかったのではないだろうか。
だが他の友人二人はどうだろうかそれを求めていたのだろうか?いざ喧嘩になったときに二人は戦力になったのか?何度もボールをぶつけられながら新汰という男の子は分かれ道のどちらを進むべきか思案し続けていたのだろう。しかし相手が8人はやはり多勢すぎると思ったのだ。
結局のところは
悠理にとって悔しい結果が残った。だがそれはあの時向かっていかなかった自分への後悔なのだろう。仲間が謝る姿なんて見たくなかった、いまそれが自分の責任だと思い込んでいる。本当は向かっていける度胸も強さもあったのにと。時間がもし巻き戻せるなら必ず悠理は得意の蹴り技を中学生に向けて放つのだろうと渡辺は思った。
反面、新汰という男の子は置かれた状況を完全に掴みきっていたことになる。
何せ相手が8人はやはり頭数が多すぎる。
まさに多勢に無勢だ。答えは簡潔にその言葉しか当てはまらない内容だが、考えれば考えるほどに深いかもしれないなと渡辺は思った。
渡辺は腕を組んで「うーん」と小さな声で唸ったが心中はなんだか晴れやか気持ちになっていた。
きっと秋月悠理は大成するだろう。空手の習得が驚くほどに早い。おそらく空手以外どの分野でも抜きん出ることのできる逸材なのだろう。だがその片鱗をいますでに見せているのはきっと親友の新汰という男の子の存在がとても悠理にとって大きいはずだ。
もしその場に新汰と悠理の二人だけならば「悠理やってやろうぜ!」と新汰も勇んで中学生に向かっていたのではないか。だが他の友人が二人いたのだ、きっと喧嘩とは無縁の友人達。そこには新汰がプライドを捨ててまで守るべき人がいたことになる。
「悠理。時に負けを自らが選んでもいいんだよ」
「ボクは…ボクは…」
「まあ聞け」
渡辺は俯いたままの悠理に一歩また近付いた。
「ずばり言うが新汰って友人のが正しい。こちらは4人向こうは年上で8人だろ
、俺なら土下座して頭を地面にこすりつけるよ。額を泥だらけか砂だらけにして鼻水垂らして謝るよ。ずみまぜんでしだって」
「え…先輩が謝っちゃうんですか」
「ああ、謝る、渾身の土下座だってする」
二人の背後を管理人が鍵の束をじゃらじゃら鳴らしながら通り過ぎていった。
「謝ってすむならそれでいいんだ」
「え…でも」
「悔しいのはわかるよ、ただしその場その時に応じて適切な手段を講じればいい。悠理、おまえがそのときなにもしなかったことは決して負けではないんだよ。勝ち負けはなにより自分で判断することだろ。空手では相手が攻めてきたら透かしたりいなしたりするのもとても大切なことだ。プライドで冷静を見失うな。武道の真髄はプライドをコントロールすることだ」
よし解決だな。
渡辺は下に置いていたカバンを持ち上げた。
「なんか飲もうか。帰りは送ってくよ。自転車一台余裕で乗るから」
渡辺は白いハイエースを指差してから
悠理を連れて自動販売機のほうへ向かった。
「俺は炭酸飲料だな。悠理は?」
コインを入れると
悠理はいただきますといってコーヒーを選んだ。
「マセ…」
渡辺は今日は言うのをやめた。
マセガキ。
雨夜月に抱かれて
第一部 初恋編 完
冬鳥です。雨夜月に抱かれて。を読んでいただいてほんとにありがとうございます。知識も無く語彙力も無くて間違いだらけの情けないほどの書き方になってしまってます。それでもこの小説を読んでくださる方がいることに自分は感激しかありません。この小説は2010年から書き始めてもう14年の歳月が流れてしまいました。かなり前に、初恋。という題名でこのサイトで書かせていただきましたがエンディングを迎えるまえに、自分の下手さに呆れて途中放棄してしまいました。でもやはり沸々と気になり続けておりまたエンディングまで書きたいとなり7年前くらいから徐々に書いてます。今回話しのなかで主人公が中学生になるので一度区切らせていただきました。
この話しは自分の幼少期の出来事など実際にあったことも織り交ぜ書かせていただいてます。
愛知県尾張地方西部にあったクリーム色のマンション。103号室で家族五人ギュウギュウになりながらの生活、
小学二年生か三年生のとき3階には同い年の親友の男の子がいて、4階には一つ学年が上の女の子がいました。僕はその女の子に初恋を抱いたのを今でもしっかり覚えてます。おそらく3階の男の子もその子のことが好きでしたね。隣りの公園で男二人遊んでてその女の子が来たら二人してめっちゃ喜んでたの覚えてます。




