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雨夜月に抱かれて 第一部 初恋編  作者: 冬鳥
再び過去へ 悠理と空手
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龍真会 土曜日

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土曜日の陽が沈み始めた頃に悠理は自転車にまたがり隣町へと向かった。彼は毎週土曜日が訪れることがとても楽しみだった。もういまは自分自身を形成する大半がある道に捧げられていると感じていた。秋月悠理が片道20分かけて目指すのは空手道場だった。



空手には数多くの流派がある。そんななか悠理が出会ったのは龍真会という空手界では有数の一大流派だった。



龍真会創設者は昭和初期の暴力と差別が蔓延する日本で、空手という名の金剛杖を右手にそして左手には底知れぬ度胸のみを携えて闇の世界をがむしゃらに生きぬいていった。そして戦後になると我が身を守った空手をさらに自分流に改革を進めいつしか師範として道場を立ち上げた。

彼は武芸に秀でるだけでなく有能な指導者でありまた野心や造詣もあった。

当時の空手の概念を打ち消すほどの改革を進めた龍真会は瞬く間に門徒を集めいつしか全国規模の流派へと成長していった。


創設者は多くの門弟に空手を指導する傍ら暴力の無意義さを説いていった。これは矛盾していることといえた。いかにして素早く人を倒せるかの暴力の技を教え、逆にいかに暴力が無意味かも説いたのだ。創設者は苦悩しながらもいつの時代にも跋扈する暴力への対処方法を明確に開示したことになる。

それは本来ならば世の平和と安楽のみを願い祈り続けるはずの宗教者達がときに底なしの暴力、戦争を扇動し殺戮者を讃えるのと同じ思想だった。


龍真会も宗教家同様に難しい言葉を羅列し掟上をしたためたが要は




―売られた喧嘩は買え―

ということだった。



結局はそこに行き着いてしまうのだろう。

愛する人を暴力で奪われたならば人は如何様にも悪魔になれるのだ。


偶発的な人的災害においていかに身を守り又、愛する人を守りぬくか。


必要なのはただ一つ、空手で得られる究極の不動なる強さ。


道場に足繁く通う生徒のなかには短絡的に得られた強さに溺れる者ももちろんいた。龍真会は自らの素手と素足を武器に変えて対人を想定しての戦いの鍛錬を繰り返していく。武器は鍛錬をすればするほどに鋭利さを増していくのだからそれは個々に維持しているだろう良心が揺れ動くような危険行為ともいえた。


幼い頃から実戦向きの空手を習うならば良き指導者に巡りあうことが肝心要素となる。一つ間違えれば絶大なる暴力を対人関係の圧力として利用する子供が生まれてしまう。


龍真会で得る空手は諸刃の剣といえるのではないだろうか。

生徒が未成年ならば指導者の手腕がひどく試されていく。


悠理は空手を通じて多くの人と交差していくことになるのだが、なかでも指導員の渡辺との出会いはとりわけ悠理にとって大きなあるきっかけとなっていく。


毎週土曜日の空手道場の指導を担当しているのが渡辺という30歳になる男だった。


土曜日は変則稽古となり一般と呼ばれる成人と子供達少年部が一緒になって19時から21時まで空手を習う。


この道場は常設ではなく貸しスタジオで稽古をしていた。磨かれた板張りの上でこの日は15人ほどの生徒が道着を着込み汗を流していた。


ここでは他の曜日にバレエ教室も行われており、教室の片側は鏡張りになっているのが特徴的だった。出入口の壁には二つのチラシが貼り付けてあり空手とバレエの唯一の共通点である白の衣装を身にまとった子供達がそれぞれに写りこんでいた。


指導員の渡辺の背はそれほど高くはないが道着に隠された体は厚い筋肉に覆われているのが一目でわかった。

教室の向かいを走る県道で行き交う車がヘッドライトを照らし合わすなか、ガラス越しの渡辺は武道家特有の張り詰めた姿勢で道場生の突きの基本動作を見つめていた。その目つきは獲物を捕える獣のように鋭かった。

稽古中、渡辺は厳しい目線のまま号令を出し個々に細かく指導をしていった。


だが、稽古が終わり雑談が始まると目つきはふんだんに緩み本来の垂れ目になり笑い声を中心に生徒たちと分け隔てなく接していく。それが渡辺だった。


悠理はどちらの渡辺も好きだった。


稽古中に注意する声は背筋が凍るように厳しい。とくに指導中に私語をする子供達には本気に叱りつけたりする。

渡辺の声は空中のなにかと混ざり波長を合わせるようによく通り広い板張りの床が震えるほどだった。


「空手を中途半端にやると必ず怪我をする。稽古が終わってから皆んなで話そう。いまは集中しろとにかく真剣にやってみろ」


渡辺は子供達に空手を通じて集中力や礼儀や優しさを教え込んだ。



この日も例外なく稽古が終わるとあらゆる年代が床に座り込み交流をした。

弾む息を抱きながら渡辺を中心に輪を作り他愛無い話しや世間話で盛り上がった。


そんななか、いつもは笑顔だけは振り撒いてる悠理が今日は俯いたままなのが妙に渡辺は気になった。


「そろそろ切り上げましょう」


渡辺が立ち上がると

一斉に帰り支度がはじまっていく。


鼻歌混じりに道着を綺麗に畳んでいる最中の渡辺に悠理は目の前にちょこんと向かい合って同じように正座をした。



「あの…渡辺先輩…」



「ん?悠理。どした?」



渡辺は悠理の消沈した表情を見つめた。



「よしわかった。この後少し外で話そうか。それでいいか?」



何かを察した渡辺は悠理の肩を優しく叩いてからゆっくり立ち上がった。


ここは21時過ぎると管理人さんが早く帰ってほしいなって感じで来ちゃうからそろそろ出ますよー


渡辺について外に出てきた道場生はそれぞれに最後の挨拶を渡辺にして、はつらつとした表示でこの場から去っていく。


成人の生徒は駐車場に止められた自家用車や自転車置き場に向かい、子供達は迎えに来ている保護者の車へと向かっていった。



その場に残された渡辺と悠理はしばらく無言のまま帰っていく道場生を目で追いかけていた。やがて周りが静寂に戻り渡辺が手にしていた大きなカバンを足元に下ろすのが合図だったかのように悠理が口を開いた。




「渡辺先輩…あの…僕は」






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