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雨夜月に抱かれて 第一部 初恋編  作者: 冬鳥
2010年12月23日。愛知県西尾市の須和新汰。そして原点。始まりの過去へ。
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一縷の希望

マンションエントランスの壁際に住人の使う自転車が乱雑に並んでいる場所がある。

そこに一人の少女がいた。

12歳の七海葉月は自分の自転車のスタンドを立てままサドルに腰をかけなにか物思いにふけているように夏の気まぐれな風に包まれていた。長い黒髪が戯れるように浮き上がり連なるように白いスカートの裾が小さく揺れた。


「ねえ四葉、ここはいつも涼しいよね、いつでも変わらないねこの場所は」



夏のきつい日差しはここまでは届かず南北が見渡せるこの場所は風が吹き抜けていき夏は涼しく冬は寒い。


葉月は亡くなった妹の四葉に話しかける。もちろん四葉はここにはいない、この世界にもいないしいま葉月の隣りには誰もいない。一人の空間だ。当たり前のように絶対的なまでにいつも手の届くところにいた4つ年下の妹の存在は過去の記憶のなかで立ち止まっておりすでにこの世には消え失せた命だった。だが葉月は四葉との記憶の些細なことすらも忘れないためにひたすらに話しかける。




葉月は四葉のことを思い浮かべる。

もうあれから2年が経つ、突然に四葉が消えてしまってから。


悠理の秋月家で夕食をいただくことも最近は無くなってしまった。父から他人に迷惑をかけてはいけないと言われてから葉月の足は秋月家から遠のいてしまった。



「四葉ちゃんとはまた必ず巡り逢える」


ある日言われたその言葉を葉月は決して忘れない。この先も絶対に忘れない言葉。



四葉が亡くなり半年ほど月日が流れたころ、いつものように秋月家の夕食に呼ばれ悠理と悠理の母親と三人で食卓を囲んだ。食事を済ませたあと悠理にお別れを言い、続けて悠理の母親にお礼を述べ玄関を開け共用通路に出たときに後ろから追いかけるように来た悠理の母親が発した言葉。



「待って葉月ちゃん」



二階へ続く階段に一歩足を踏み掛けたときに葉月は呼び止められた。振り返ると悠理の母親が深刻そうな顔つきでこちらを見つめていた。



「葉月ちゃん」


葉月の小さな右手を母親は両手で強く握りしめる。



「聞いてほしいの。葉月ちゃんがこの先も四葉ちゃんやお母さんを思い続けていたら必ずまた巡り逢えるからね。だから葉月ちゃんから話しかけてあげて、お母さんと四葉ちゃんはあなたの心のなかにいるから、すぐ隣りにいるから、できるなら心で会話するんじゃなくて言葉にしてあげて。言葉に表すと強い力が生まれるから」



悠理の母の言葉に葉月は必死に耐えていたものが決壊するように涙を溢れ出しながら何度も頷いた。


「はい…そうします。また…わたし…絶対に四葉に逢いたい…お母さんに逢いたい」


握りしめてくれる悠理の母親の手の温もりは自分の母の温もりの記憶と同じだった。


「これお父さんに持っていってあげて」


先ほど食べた肉じゃがの入った容器が葉月の手に渡される。


「ありがとうございます…」


葉月は涙を袖で拭いて容器を抱きしめながら階段を上りはじめた。




四葉とまた巡り逢いたい。お母さんとまた巡り逢いたい。



「そろそろ五年生様のお帰りだぞ四葉」



この景色とこの暑さ。蝉が鳴き陽炎が浮かぶ。夏休みの五年生の帰りを待つ自分がここにいる。

暑いね、四葉は好きな川に行きたいかな?

うーん、だめだよねもう川は嫌いだよね、怖いだけだよね



一つの風が四葉の笑顔のように感じ、鳴る空気が四葉の声のように感じる。


「もうすぐおねえちゃんは中学生になっちゃうんだ」


葉月は一人呟いた。


おねえちゃん中学生になったら悠理おにちゃんとあまり会えなくなるのとっても寂しいんでしょ。



隣りにいる四葉にそう言われた気がして葉月はほんのりと頬を赤く染めた。


「悠理は最近変わってきちゃったんだよ。わたしが守ってあげたかったけど、なんか武道を習い始めて強くなったというか」



ますますおにちゃんかっこよくなっていくね。



「うーーん。悠理は弱くて優しいのが悠理だったけどな。いまは武道で怪我しないか心配で強い悠理は想像できないままかな。おねえちゃんは早く悠理に逢いたいな」



葉月はまた一人呟いてから頬を染め微笑んだ。悠理の大きな瞳に見つめられると自分の心がひどく揺れるのがわかる。この気持ちはいつから生まれたのだろう?


「もうすぐ帰ってくるはず」


葉月はハンドル部分に両肘を付けて前のめりになる。



お母さんは…


四葉に話しかけようとしてやめた。



お父さんはお母さんをいまも思ってくれてるだろうか?また巡り逢うために


父は…


母に話しかけているだろうか。


葉月は父が家に連れて来る女性が苦手だった。最近は頻繁に父と一緒に帰宅して食卓を囲む。


冷たい大人の女性という印象だ。母親と四葉の位牌に合掌をすることもなく彼女の自分を見る眼差しがひどく荒々しい。なにかを推し量るように観察される気分すらある。母と四葉との思い出に満たされた家のなかに入られる度になにか穢されていくように感じた。葉月は彼女とはあまり話したくないので会話にはあまり参加しない、たまに睨みつけたりもする。父はそんな態度をする自分を見て寂しげにするがそれは仕方ないことだと葉月は思った。



だって私はひどく怒っているしひどく悲しいのだから。



父は母の死をあまり深く受け止めていないのか。

四葉が消えてお母さんが消えて、母のお腹には新しい命も宿っていたのに。


葉月からすれば父はとても優しい人だった。いままで怒る父を見たことがないくらいに。


あの女性は苦手だ。

逢いたくない。


葉月はため息を一つする。


いまは父のことがわからない。


私は父をどう思っていけばいいのだろう?



今すぐに動きだす様子はなく景色と同化しているようにみえるあらゆるもがなにか曖昧になった錯覚がある。


父は近い日にあの女性と結婚をするのだろうか。

葉月は結婚と呟いて隣りの空白に視線を移す。


四葉は言ってたな…


パパか悠理おにちゃんどっちと結婚しよう?


って。



悠理と新汰の自転車が一番入口側に並んでいる。大人の自転車より小ぶりの2台の自転車だ。


葉月の耳に声が届きはじめる。


「新汰の声だ」


新汰の豪快な笑い声が聞こえてくる。

悠理も隣りにいるのだろう。


葉月は目を細めて二人の姿が現れるのを想像した。

すぐにそれは現実となる。


葉月が手を振るのと二人が

声を出すのは同時だった。


「葉月だ!」



二人は笑顔を浮かべながら葉月のもとへと走っていく。背中で揺れるランドセルは気持ちを表すかのように楽しげに揺れていた。


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