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雨夜月に抱かれて 第一部 初恋編  作者: 冬鳥
2010年12月23日。愛知県西尾市の須和新汰。そして原点。始まりの過去へ。
32/40

武道によって

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葉月の修学旅行から2ヶ月が過ぎて季節は夏に変わった。空から落ちる強い陽射しは絶え間なく地上に降り注ぎ、時折吹く気まぐれな風は大地の稲穂を小刻みに揺らせていた。灼熱の日光が届かない秋月悠理の足元に潜む影帽子は主の汗の滴が地に落ちるのを絶えず待ち続けていた。見上げるのは切に心焦がれる人という目線だった。影は永遠にこの場に居座り続けたいと願うのか。

炎天下のなかを歩く悠理と新汰の二人。季節がどれだけ巡っても変わらぬ風景がここにあった。二人は今日も肩を並べゆっくりとした歩調で目の前に広がる世界をまじまじと見据えていた。二つの背中は熱気で僅かに揺れ動いてみえた。新汰の体格は悠理と比べるとかなり大きかった。彼が背負うランドセルは彼にとってはとてもだが馴染んでいるとはいえなかった。



突如、新汰の人を惹きつけるような大きな笑い声が響き渡ったかと思うと横にいる悠理は微笑んで首を縦に小さく振ってみせた。揺れる夏の風景を楽しげに彩らせていく二人のようだった。まるで空とやわらかい風のほうから同化を求めてくるように感じられた。


新汰が大きな声で話し悠理に相槌を求めると彼は微風のようにまた小さく頷いて見せた。悠理の小さく頷いたりわずかに微笑みを返すのがなんだか夏色にどっぷりと浸かった気まぐれな風のようだなと新汰は思った。さて秋月悠理のなかにはいったい幾つの悠理がいるのだろうかと新汰は少し考えてみる。

日々彼は変わり行くように思われた。明日の悠理は秋が一歩近づくような雨が降る空模様になるかもしれないし、或いは夏の暑さが一段と激しくなる太陽の日差しのようかもしれない。実際には明日の悠理は悠理本人しか知らないのだ。これは友人の新汰にしてみれば大変なことだ。悠理の反応が予測できないのだから掴みどころが実に難しい。ただ、これだけははっきりといえる。ずっと彼の内部に巣食っていた軟弱で弱気な湿り気たっぷりな悠理だけはどこか過去の空間に投げ捨てたようだ。いつからだろう?空手を習い始め変わっていったのは確かだ。悠理は日々本当の自分を探す旅を続けている。新汰は隣を歩く悠理の横顔を見つめた。弱虫で自分の助けがいる悠理はもう目の前にはいない。きっと悠理は自分がどんな奴なのか気付きはじめているのだろう。以前と比べ明らかに無口になり感情の起伏も減った。空元気ですぐに泣き出したり怒ったフリをして弱いくせに無理に強がる悠理はどこかに行ってしまった。思い出せばいままでにいろんな悠理がいた。複数いた悠理がいまは一人に固まりつつあるのかもしれない。新汰はそれはそれでとても寂しいことだと思った。悠理と葉月は俺が必ず守るという強い意志が片方抜け落ちてしまったように感じられた。



新汰にはわかっていた。


悠理をここまで変えたのは


武道の空手だ。



いつもの公園前まで差し掛かると向かいに広がる田園から微風に乗った熱気が全身にまとわりついてきた。


「本日なかなかの暑さだな」


新汰は噴き出る額の汗を袖口で拭いながら隣りを歩く悠理に顔を向けた。


「ほんと我がデブには厳しい暑さだ。わからないだろ?悠理には」


悠理は返事をせずに少し顔を傾けて微笑んでいた。


新汰は「さて」と呟いてからランドセルに吊るされた水筒を引きちぎるような強さで引っ張ると内部に残る麦茶を実に美味そうに飲み干した。


「あのな聞いてくれ、この公園まで帰ってきたところで水筒の中身を空にするのがなんだか気持ちいいんだ。最近はよくやっちゃうのよ。なんでもピッタリってのは気持ちいいもんだ。ピッタリな給食にぴったりな夜ご飯。まあ給食はいつも足らないけど。そんな食いしん坊デブさんな俺の小さな小さな夏の楽しみなど悠理にはわかりっこないだろ」


隣りにいる悠理に向けて空になった水筒をこれでもかと振り続けた。水筒がいう、ほら反応しろよ悠理、返事をしろよ悠理。


「なんだよさっきから僕にはわからないだろばかり言って」



「お、反応した。だってさいつもお前暑そうじゃないんだよな、この最高潮な夏に」


新汰は

悠理のランドセルにかけられた水筒を持ち上げてゆっくり振ってみせた。


「ほらおまえのは半分以上は残ったままのお茶だ。ピッタリから程遠い。あのな、お前を見続けてるとこの暑さは嘘なのか?おれがただ異常に暑がりなのか?と疑問になったりもする」



「新汰はデブではないよ」


「な、なんだよそれ。ありがとう俺は喜んでいいのか?」


「空手道場にいるんだ。新汰になんだか少し似てる人。背丈も同じくらいで山のようだよ。その人は一学年上の六年生だけど強いんだ、とくに突きの力がずば抜けてる」


また空手道場の話しか。

新汰はまじまじと悠理の横顔を見つめた。

最近の悠理はほんとに変わったのだ。空手の話しになると必ず大きな瞳を輝かせた。まえはもっと無理してるところがあったのに、無理に話し無理に笑い無理に怒ってみせていたのに。




「教えてくれるのは渡辺っていう先生だっけ?どうなんだ、その人はやっぱ強いのか?」



悠理がとくに瞳を輝かせて興奮ぎみに話す指導員の名前を新汰は口にした。


「ああ!渡辺先輩は強いよとにかく強くて優しい。あの人はとくに蹴り技がすごいんだ」



一段と瞳を輝かせはじめた悠理にはやはり暑さが感じられなかった。









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