五重塔のキーホルダー
東の端では夕暮れを侵食していくような星空が始まっていた。混同する二つの世界が上空で競いあうなか、数羽の鳥が昼間を惜しむように夜を嘆くように掠れた鳴き声を抱き悠理の頭上を掠めて行った。コウモリが不規則な軌道を描いて飛び回わり遠くでサイレンの音が聞こえては消えていった。違う方角では車のクラクションが怒りの感情を吐き捨てるように鳴り響きそして風が一つ吹いた。雑多な音がどこにも留まることなく日常が今日をいつものように押し流していく。悠理はまだ赤く燃え続けたままの西の空に顔を向けていた。
きっと夕暮れの終わりの場所も変わらないところにあるんだよね。ねえ葉月、ここにはいまの僕らがいる世界が確かにあるんだ。これまでに数えきれないほどに見てきた光景がここには無数にあるんだ。
悠理は何度も訪れてきたこのいつもの公園の風景に葉月が現れるのを想像した。想像するのはとても簡単だ、だって葉月がいるのは日々現実にある世界なのだから。夜と夕暮れの世界が一つの空で混同するように、葉月がいない世界と存在する世界も混ざり合うのだろうか。幻の場所と真実の場所が混ざり合うのはとても怖いことではないだろうか。
僕はいつも葉月を探す。
悠理は瞳を閉じて彼女の温もりを探した。葉月は一緒に連れてくるのだもし童話の扉が開かれたならばそれは妖精のような存在だ。彼女が現れると世界の色が変わるのがわかった。魔法の奏でる色が彩りを辺り一面に与えていき葉月と一緒に訪れた妖精が遊具から遊具へと楽しげに羽ばたいていく。悠理はこの世から消えた四葉を感じた。葉月の隣りには妖精となった四葉がいるのだ。
悠理は閉じていた瞳をゆっくりと開けて公園の出入り口を見つめた。まだ葉月の姿がここからは見えなかった。西の端にあった赤い夕暮れはいつのまにか消え失せてしまいこれが現実世界なのだと思い知らされる。悠理には葉月がいない不安定さによってなにもなもがよそよそしく少し揺らいでみえた。
僕はきっと。
自転車のブレーキの音の悲鳴に線路を踏み締めていく列車の旋律…
飛行機が飛ぶ音に犬の鳴き声…
僕はきっと…きっとたまらなく葉月が好きなんだ。
悠理は少しでも心を落ち着かせようと辺りをゆっくりと見渡した。公園の東側はマンションの外壁が視界を遮り、内部にある遊具達は傷や錆びがどこにあるかわかるくらいに親密のままだった。片隅にはボールがぽつんと置かれ鉄棒の横にあるベンチわきには膝丈ほどはある雑草がざわめいていた。
なにもかもがいつもと変わらないのに。
悠理は葉月の声を心で聞こうとする
僕らはなにも変わらない風景のなかにいるよ。
葉月もさ。いま日常のなかにあるような風景を見てるよね?
悠理はうなだれて地面にある模様を探した。葉月と僕が残す痕跡はこの場所には至る所にあるのだから。見つけたのは誰かが書いた数字の跡だった。これは誰の字だろう?
ふと込み上げてくるなにか。
悠理は必死に堪えながら近くにいる親友の新汰に助けを求める。
「新汰。もし葉月になにかあったらどうしよう」
悠理の声はひどく掠れていた。
新汰は滑り台の上の台座に腰を下ろして腕を組んでなにかを睨みつけていた。その見つめる先には何が見えるのだろう。新汰は悠理に向けて鼻をフンと鳴らす。
「おいばか!なに泣いてるんだ。相変わらずお前は泣き虫だなおれはうんざりするぞ!葉月にはなにもない!とにかくいまは待とう」
大声で怒鳴っても悠理が頬を伝う涙を拭こうとしないことにまた新汰は怒り出す。
「こら!すぐに涙を拭け!約束しただろ!俺たちは強くなってたくましくなって二人で葉月を守るんだ」
新汰は勢いよく立ち上がると滑り台に重い身体を預けて下まで滑ろうとしたがまったく滑らないので舌打ちをして手漕ぎで下まで行くと走ってブランコに向かった。
「もう泣いてないから!」
悠理が新汰の背中に向けて大声を出すと
「また次に泣いたら痔になるくらいにお前の尻にかんちょするからな!いまの涙の百倍は泣くことになるぜ」
悠理は何度も袖口で顔を拭い
新汰はしかめっつらのまま腕組みをして見つめる方向は一途に向かいの道路だった。
そして
一台の車が通り過ぎたあとに二つの人影が公園のまえに現れた。
「葉月だ!」
悠理と新汰は同時に名前を呼んで駆け出した。
オレンジ色の弱い照明に照らされた人影が葉月であることが二人にはすぐにわかった。
背中までかかる長い髪と羽織る白いカーディガン。その場の空気が澄むような優しい佇まいに和らぐ風に柔らかい彼女の微笑み。
二人は息を切らし飛び出した。
現実はここにある。
葉月がいて新汰がいて僕がいる世界だ。
ごめんね葉月…僕はまた泣いていたんだ。僕はすぐに泣いちゃうよ。
二人は葉月に走り寄ると不安な表情のまま葉月に怪我がないか確かめるように注視した。
「ただいま」
葉月は微笑み
「じゃあね香織ちゃん」
「うんまたね
明日は休みだから明後日だね」
葉月は手を振った。
香織は悠理の顔をじろじろと観察するように見てからゆっくりと歩き出していった。
「バスの事故があったけど大丈夫だったよ」
「事故のとき怖くなかった?」
大丈夫だよなにも、ほら、怪我もしてないよ。
聞いた二人は全身の力が抜けたように地面に座り込んだ。
ありがとう心配してくれて
嬉しい
葉月は泣き笑いに変わっていた。
公園のまえ
三人がそろう足は家路へと向かって歩き出した。大きなバッグをもつ葉月が先に歩き悠理と新汰が少しだけ後ろにつく。公園からマンションまでゆっくり歩いても僅か2分ほどの距離。二人は視界のすべてに彼女がうつるようにわずかばかり後ろを歩く。
その都度、地表に呪文を書き記していくようにゆっくりとした足取りが大地を確実に踏み締めていた。緩やかに流れる時のなか葉月は事故のことを後ろ歩きで二人に簡潔に話した。
声音は変わらず明瞭であったが会話からはいくばくかの疲れがうかがえた。
葉月は話しながらなにかほかのことを考えているようにもみえた。悠理はそんな気がした、
話しの枝分かれの部分に多少の単調さがあったからだ。
「ずっと公園で待っていてくれたの?」
風に乗る葉月の香りが悠理の鼻腔に届いた。
「ありがとう心配してくれて」
葉月の言葉に
悠理と新汰は満面の笑顔を浮かべていた。
実際にこのときの悠理が抱いた小さな違和感は的中していたことになる。
葉月は旅行中にクラスメイトから告白をされた。重なった事故と男子からの告白によって葉月の中で思考を深めなにかが芽生えていった。
事故の全容が見えてくる、京都市内で交差点にて停止中の六年二組が乗るバスに後方から接近した大型トラックが接触した。
一番後ろの座席で立ち上がっていた男子生徒二人が弾みでまえの座席にぶつかり怪我をした。
症状は軽い打撲であったが引率の教師は救急要請をした。
学校には当初
救急搬送されたという定法が伝えられ職員が対応先や対処に錯綜した。
結果でいえば小さな事故であったが
修学旅行中に起きたということが子供たちの記憶に色濃く残った。それは追突されたときの衝撃からの悲鳴、救急サイレンやバスのリア部分の破損部だった。
引率の教師やバス運転手、当事者のトラックドライバー等の普段は見せないであろう大人たちの動揺や戸惑い。それらは子供たちのなかで嫌な刺激臭が鼻腔の奥に残るように蓄積された。
マンションのエントランスのわきにある自転車置き場まで来た三人は輪になるように向かいあった。
「渡したいものがあるの」
葉月はカバンのなかに手を差し入れた。
「これなんだけど」
小さい袋が二つ。
京都のお土産
開けていい?
「すげえ!
五重塔が彫られたキーホルダーだ!」
もらっていいの?
「これならやっぱり京都かなって」
葉月は恥ずかしげに舌を少し出してみせた。




