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雨夜月に抱かれて 第一部 初恋編  作者: 冬鳥
2010年12月23日。愛知県西尾市の須和新汰。そして原点。始まりの過去へ。
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リクと悠理の出会い


四葉がこの世から消えてしまったことはあまりに唐突なことで秋月悠理、須和新汰、七海葉月の三人は悲しみと戸惑いのなかそれぞれに変わらざるをえなかった。悠理は体内に飼い続ける自らの弱さを強く憎しみ、新汰はなにか得体の知れない大きな疑心をこの世に抱いた。一瞬にして愛する家族を二人も失ってしまった葉月は突然訪れた地獄と向き合うことになった。向こうから苦しみの世界が近づいてきたのかそれとも自ら足を踏み入れたのかそれすらもわからぬままに世界のすべてが変わっていく現実に酷く混迷を来した。葉月は永遠に続くかのような悲しみのなかにおいて悠理に助けを求めはじめることになる。生きる意味を生きる喜びを悠理の背中に求めていく。


三人は大きな分岐点となる違う感情を抱えはじめた。四葉がいなくなったこの先は三人が心を一つにすることは無くなってしまうのだろうか。真っすぐに生きようと願い戦うたびに三人は一歩ずつ離れていく。


この街にはこれから三人に深く関わっていく人間がほかにも多くいた。だが、いまの時点で大きく関係するのは男が二人。

二人には共通する部分があった。

闇を抱えてこの世を生きていた。


一人は結城リク。


もう一人は立花隆太という男。



結城リク。彼もこの街にいた。


九歳になる結城リクは目の前を勢いよく通り過ぎていく電車を立ち止まって見送っているところだった。空気を切り裂いていく鉄の塊によって人工的に生まれた微風がリクを後ろに少しだけ押し返そうとする。


「ちっ」


リクは汚いものが付着したかのように胸から腕にかけて何度も手で払いのけた。


「なんだこの風は、あまりに臭い」


リクはそう呟いた。人工的に生まれる風はオレは大嫌いだ!扇風機の風すらも目障りだ!オレはこの先も誰かによって自分を変えることはない!

叫びたい気持ちを深呼吸で紛らわす。

リクの隣りには誰もいない。前にも後ろにも人影は見当たらない。


ふん、気楽でいいや。


彼はいつも一人だった、引っ越しを繰り返しどの街に行こうがどの学校に通おうがリクの隣りに人は絶えずいなかった。肩を並べ、ふざけ合い歩く友達と呼べる存在は彼の周り四方をいくら遠くまで見渡してもどこにもいなかった。リクはいつも不安や寂しさを抱き追随する恐怖というものが心の大部分に付着していた。友達を作ろうとはしない自分と友達が作れない自分の二人が心のなかにいた。いままでに様々な思いを抱いてリクのテリトリー内に侵入を試みて来る者はいた。その時には彼は容赦なくその鋭い切っ先の眼差しを相手に向けてしまうのだった。失せろ、俺に近づくなと刃のような瞳が無言のままに恫喝する。もちろん彼の本心は違うのに。リクは友人と呼べる人を心の底から求めていたのかもしれない。だが実際にどう対処すればいいのかその術が彼にはわからなかった。そして睨まれたあとはほとんどの者が彼から距離を置いた。


なぜだ?なぜわざわざ「友達ごっこ」などくだらないことをしなくてはいけないのだ?


それはあまりにもくだらないじゃないか。

自分に何度も何度も言い聞かす。



リクは周りにいる同学年の人間達は単なる「臭くて無能でただ目障りな生き物」だと思い込む努力をした。誰かと瞳が重なった時点で鋭い眼光は瞬時に獲物を睨み付ける猛獣となりまさに捕食への幕開けを意識させるようだった。そして人は背けるしかないそのまなざしからその際立つ冷酷さから。まるでこの世界のすべてを嫌い尚且つすべてを敵に回すような目つきをリクは解放し続けた。



彼はいまも何かを睨みつけていた。列車が通り過ぎていくときのレールの軋む音、鉄の錆びついた香り、行く当てを見失うような真っ赤に染まる夕暮れ、リクの心を僅かに押し上げるなにかはたくさんある。完全に闇のなかに紛れる事ができない自分をリクは俯瞰する。自分には大好きな母親がいる。深夜、酒に酔い顔を赤らめ帰ってきた母親の久美子がよくリクの顔をまじまじと見ながら言う。「リクの目はねほんとパパにそっくりなの、パパはすっごくいい男だったんだよ」


この世にはいない父の話をする酔った久美子は必ず涙を流した。


母はいない父をいまも愛している。そのことがリクのなかで小さな誇りであり希望の光だった。闇に溶け込むことを防ぐ唯一の自信だった。リクは二歳のときにバイク事故で死んだ父の記憶を必死に手繰り寄せようとした。決して忘れてしまわないように。唯一の記憶は一つだけだった、それは香りだった。父の香りがいまも心のなかに残っている。


それは強さと悲しみだ。そんな言葉がピタリと当てはまるような香りだった。




完全なる夜が来る前までに家に帰るとするか。眼前に広がる伊吹山の奥の西の空は滾るほどに真っ赤に燃えている、リクは次の曲がり角まで行ったら引き返そうと思った。家では仕事前の母親が化粧をしながら自分の帰りを待っているはずだ。


「クミもいつかは…やがて臭いだけの人になるのかな」



リクはまた一人呟いていた。自分の長い影法師が悪魔の化身のように足元から地面を伝い後方に伸びている。きっとこいつもなにかの意思表示をしているのだなと思った。オレから抜け出したい?それともオレを食い殺したい?いや、違うか、この影は自分の本当の姿なだけか。実体などない生き物のほうがオレよっぽど楽なのかもしれない。


曲がり角は眼前に近づいてくる。


リクの母親はいつも男のことを考えてる人だった。めまぐるしく変わっていった付き合う男たちの顔がリクの心のなかには刻印のように焼き付いている。いったいいままでに何人のくだらない大人の男が家に土足の心のままにずかずかと上がり込んできたことか。どの男も自分を見てまずは驚きそれから一つ溜息をついた。それは夜中に這いずるゴキブリをみたときと同じだなとリクは思った。そいつらから見れば自分はクソ汚ない害虫でしかないのだろう。深夜になれば隣の部屋で男が母親のクミを抱いた。リクは母親が漏らす小さな声を聞きながら天井を見上げ男をどう殺そうか考えた。あらゆる方法が頭に浮かんだ、気持ちいいほど。じゃあどうすれば最も苦しむ死に方をするだろうか?。だがそれは考えるだけだった。いま凶器を手に扉を開けていく自分がこの世界にはいないのを知っている。リクはまだ幼いと思える自分がなんだか救いに感じた。


これが中学生にでもなっていればどうだろう。布団のなかに深く潜り込み母親の漏れてくる声を遮断する、そしてリクは弱々しい声で呟く


「ねえパパ…クミを…ママを」


許してあげて。





リクは我関せずを貫こうとする。母の久美子の前では。



リクにとって母親の存在はある一種のギリギリの生命線だった。一度でもクミを臭いと思ってしまったら一度でもクミを憎んでしまったらきっと戻れない闇まで行ってしまうのだろう。と、リクはそう思った。


この街に引っ越してきて一か月ほど経っていたが、まだ学校には一度も行っていない。母親に学校に行くのは四年生になってからでいいだろ?と聞いたら返答は小さく笑うだけだった。だからリクはたまにはこうして家を出て外を歩いてみる。今日は朝から西に行こうと決めていた。この街の西の外れまで歩いてみようと思った。

この街の印象は?と聞かれたら、心がすぐにすさむ街だと言う。川と工場と線路と国道に囲まれ汚れた街に暮らす人間達は身も心も荒んでいるなとリクにはそう見えた。


ただ今日この街の西側を歩いてみて思ったことは自分が住む街の東に比べたら幾分は住みやすいなと感じた。喉を通る空気が違うように思えたし、見かける大人達も警戒すべき人物は少なく感じた。


そしてここでリクは出会った。


曲がり角まで来たリクが、さて引き返すかとそう思ったときにその人物は現れた。リクのすべてを変える人がそこにいた。


向こう側から歩いてくるのは秋月悠理だった。


二人にもちろん会話などなかった。ただすれ違っただけだった。向こうはこちらをちらりと見ただけだった。



リクはいつものように悠理を睨んだ。おそらく同学年だろう。と。リクは自らのテリトリーを守るために排除するような切っ先を向けた。悠理はちらりとリクを見てすぐにギョッと顔を下に向け通り過ぎようとした。リクは猛禽の瞳を向け続けていた。


すれ違うその時に悠理は小さな風を生んだ。


それはやわらかい風だった。頬を撫でる風は鼻孔から胸の奥の奥まで入り込むようだった。リクはたまらなくなり思わず瞳を逸らした。


風が香りを含んでいた。



弱さと優しさの言葉がピタリと当てはまる香り。

父親の香りと真逆に感じたその香り。

リクはその場に立ち止まったまま、悠理の後ろ姿を見えなくなるまで追いかけ続けた。



リクは四年生の二学期から学校に行くことになった。千覚寺小学校だった。そこで登校初日から上級者に囲まれることになる。













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