禁忌に触れるもの
シャムシールを手に甲冑へ肉薄する。体内の魔力に異常はなく、強化された脚力は一瞬で彼我の間合いをゼロにした。
横薙ぎの一閃。予期していたのか、男は手に持つ黒靄の両手剣で弾いてみせた。甲高い金属音。薄暗い棺室を火花が照らす。
彼の動き自体は遅い部類だ。その甲冑と両手剣によるものだろう。
重装と重量剣。動くだけで消耗するこの組み合わせで戦うなら、防御は鎧に任せて致命的な攻撃のみを剣で防ぎ、自身は攻撃に専念するべきだ。
だがこの男はどういうわけか、随分丁寧にこちらの剣を防いでくれる。恐らく元が白兵戦に不慣れな魔法使いで、戦い方が身についていないのだろう。
――なら、精々消耗して貰おうか。
「――――――」
足捌きは迅速に、かつ軽やかに。
曲刀とは騎乗の得物。慣性を用いての撫で斬りこそが真骨頂である。ならば絶えず立ち位置を替え、敵の目を惑わせた上重心を乗せて打ち込むべし。
切っ先は弧を描く。決して留まらず変幻自在に持ち手を操れ。思いもよらぬ方向からの鞭のごとき強撃が致命傷となるのだから。
「うお、おおおおっ!?」
連撃に圧倒され、男が奇妙な声を上げて後ずさった。剣で防ぎきれなくなった斬撃が、少しずつ鎧を傷つけている。
打ち合う剣からは次第に勢いが失われ、こちらが競り勝つことが大半だ。
行ける。
やはりこの男、剣の腕自体は大したことがない。肉体からして装備の重さに振り回されている。
そんな男がどうやってヴェンディルの討伐に名乗りを上げたのかはわからないが、所詮途中で死んだ人間だ。とるに足らないものだと捨て置こう。
今は、このまま畳み掛けることだけを――
「図に、乗るなよ……ッ!」
「――――――く……」
男が一切の防御を捨て、両手剣を大上段に構えた。真っ向から斬り下ろす気か。
上等だ。そちらがその気なら受けて立つのみ。
「――――――」
シャムシールを下段に構え、左手は柄頭に添える。漲る魔力に衰えはなく、骨格関節筋肉を補強していく。
紅銀が収束する。漏らせる無駄な魔力はない。すべては一撃に賭けるため。放出はあくまで一瞬。
そうとも。動きとは波だ。イメージは押し寄せる波濤。最頂点はあくまで一点に過ぎない。体内を巡る力もそれと同じ。地を踏み躙り反発を得て、膝からの捻りを腰で増大させ、肩と腕をもって精度を高める。
所作一つ一つの力は少ない。だがそれでいい。重要なのは無駄な澱みを生まないこと。
たとえそれが赤子の一押しであろうと、連続し方向を違えなければ、それは巨人の一撃にいたるだろう。
「おおおおおおおおおおおお……ッ!」
大喝を放つ。踏み込んだ足が石床を割った。既に間合いはなく、振り下ろされた大剣が目前に迫る。このままいけば剣はこの眉間を割るだろう。
それでも、曲刀は神速を極めた。
奔る剣閃。振り上げた曲刀が大剣を弾き上げる。固く握りしめていたのか、男の胴体が大きく泳いだ。
手の中が軽い。見ずともわかる、右手の曲刀は大剣を迎え撃った時に砕けていた。
「――――らぁあああ!」
「げぅ……!?」
蹴り飛ばした。足裏を胸板に押し込んで、男の身体を壁まで吹き飛ばす。男は奇妙な悲鳴を上げて壁にぶち当たり、よろよろと覚束ない足取りで立ち尽くしている。
この距離。この間合い。そのなんと好都合なことか。
閃光が迸る。手元に現れたのは暴大猪の牙刀。霞に構え狙いを定める。
間合いはまさに一足一刀。この距離なら一瞬で詰められる。刺突は慣れたものだ。今ならあの鎧の胸甲を潰し肋骨を粉砕してみせよう。
気味の悪い不死者など、一刀で身体に大穴を開けてやる。
その確信とともに、魔力に満ちた脚で前に踏み込み、
「な、に……!?」
――――唐突に、もつれた脚を自覚した。
一瞬、何が起きたのか理解が出来なかった。
膝をつき、混乱する頭を鎮めようとする。
なんだ、何が起きた。
まるで風船から気が抜けるように脚が萎えた。牙刀は辛うじて指先に引っかかっているが、今にも取り落しそうなほど力が籠らない。
全身を襲う抗いがたい倦怠感に、どこか既視感がある。
「まさ、か……」
目を彷徨わせる。いつからかか確認することもなくなっていたステータスバー。その緑のゲージがいつの間にか全損していた。
回復の兆しすらない。あの船の上ですら、遅々とした速度で緑色の棒は伸びていたというのに。
黒く染まった表示は、どこかで見たような色合いで――――
「その剣か……!?」
男の持つ両手剣。それの纏う黒い靄は、SPを侵食している何かとよく似ていた。
「ふ――ふははははははっ! ようやく効いたか、この化け物じみたスタミナ男が! もっと早くに動けなくなるはずだったのに、ここまで追い詰めてくれるとは。まったくもって忌々しい!」
SP吸収。あるいはその回復阻害。枯渇すれば身体から活力が失われる。
なんていうことだ。そんなもの、もはや意識しなくなって久しいというのに。
ここにきて、こんなゲーム的な仕掛けに足を引っ張られるとは。
「――だがまあ、これで終わりだ、墓荒らし。動きとしては第二紀の奴らより良かったぞ」
振り上げられる大剣。やっとの思いで牙刀を掲げて防ごうにも、そんなものが通用するはずもなく。
象牙色の短刀を両断し、いささかも剣速を鈍らせることなく、大剣は俺の身体を斬り伏せた。
●
大剣は猟師の短刀を破壊し、その体を袈裟切りに捉えた。革鎧は容易く切り裂かれ、斜めに通った傷跡から鮮血が噴き出す。
甲冑は返す刀で猟師の首を狙い、彼は力なく吹き飛ばされた。直前に響いた硬質な音からして、間に腕を挟んで断頭を免れたのだろう。
だがそれだけだ。壁に激突し力なく倒れ伏し、だくだくと血液を噴出させながら、猟師はわずかに痙攣しつつ横たわっている。
誰が見ても致命傷。あと数分もしないうちに彼はログアウトを強制される。
信じられないことだが事実だ。エルモが知る限り最強の一人が、呆気なく斬り殺された。
「…………」
……皮肉ね。三十年を真摯に向き合え、なんて偉そうに言っていた人間が、たった六年で退場するなんて。
どこか醒めた目で状況を見ている自分に苦笑し、エルモはメニュー画面を操作した。
状況は詰んでいる。ログアウトしよう。
……もう頃合いだ。援護の手を挟む余地がなく戦いは敗北に向かい、前衛のいない自分はあの剣士に勝つ手段がない。練っていた魔力は待機しているが、きっと敵を倒すより自分が斬り殺される方が先だろう。
逃げようにも、ここから階段まで障害物がなく、地下階段は一直線だ。あの勢いであの剣でも投げつけられたら躱すことが出来ない。男が攻撃魔法を習得でもしていたら、それこそ終わりだろう。
なら、わざわざ痛い思いをして死ぬよりも、自分からログアウトしてしまう方が賢いというもの。
……仕事半ばになってしまい、支族長には悪いと思うが、こっちだって痛いのは嫌だ。たとえ痛覚設定を下げていても、痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。たかがゲームでそんな思いなどしたくもない。
「……辛い思いをしてるところ悪いけれど、これでお別れね」
彼は死に、自分はログアウトする。行く場所は同じだが、現実での接点がない以上もはや会うこともないだろう。
ポップアップしたメニュー画面。あとは承認ボタンを押すというところまで来て、エルモはふと不思議におもった。
……自分の、傍から見て不自然な造作を眺めて、この甲冑はどうして何もしかけてこないのだろう、と。
視線を転じると、男はいっそ、不気味なほど穏やかに微笑んでこちらを見ていた。
「どうしたんだ? 手が止まったぞ」
それは、まるで微笑ましいものを見るような声色で、
「ログアウトするのだろう? 早くしたらどうだね、プレイヤー」
そんな言葉を口にした。




