朽ちた死体と守護剣士
「……完全に白骨化してる。ヴェンディルとかいうエルフ、結局術に失敗したみたいだ」
「ミイラか死蝋くらいにはなってると思ってたんだけど。実際はこんなものよね……」
幾分がっかりした調子でエルモが言った。……まさか、死霊術が現在進行形で機能していることを期待してたんじゃあるまいか。
広さとしては一般的な剣道場を上回るほど。入口の仰々しさに恥じない大きさを持った部屋の中央には、重々しい石造りの棺が鎮座していた。しかし蓋はなく脇に退けられて中身が剥き出しの状態。そして棺の中には、かの死霊術師と思しき死体が収まっていた。
「……世の中なんてこんなものだ。浄化する手間が省けてよかったと思おう」
「それはそうだけど。……正直、拍子抜けね」
「なんだ、実は期待していたのか? 破られた封印、迫るリッチーの危機、敢然と立ち向かう主人公! ……英雄願望なんて視野狭窄を患った馬鹿の見る夢だぞ」
「夢見がちな人間だから、こんなゲームをやってるんじゃない?」
「違いない。もっとも、夢を見るには酷すぎる世界でもあるがね」
軽口を叩きつつ、手元に光を灯して白骨死体を観察する。乾燥した表面、歯はいくつか抜け落ちている。眼窩の奥は炎が揺らめき……なんてことはなく、丸くくりぬいたような跡が残るのみだ。
復活の余地もなく、棺の主は風化していた。
だが解せない。
肝心の主は死んでいた。だが表のアンデッドはどういうことだ。あれはこいつが操っていたのではないのか。
大量の腐乱死体に白骨死体、程よく乾燥したミイラまでいた。あれほどの大量発生の原因と目していた張本人が、こうして力なく横たわっている。
まさか、あの規模のアンデッドが自然発生したと? それもドラゴンの骨と融合したような特殊個体が?
ありえない。まずもってありえない。
「一体、何が起きている……?」
理解できない現象に頭を悩ませる。……正直、こういった案件は専門じゃない。ブードゥー教徒でも呼んできた方が意義ある見解を聞けるだろうに。
――と、その時だ。
「コーラル」
エルモの声に頭を上げた。彼女はいつの間にか、部屋の隅にある壁の窪みを覗きこんでいる。
「どうした?」
「ちょっと、これ……」
エルフの手招きに応じて壁に近づく。封印の扉と同じく、部屋全体を縛り付けるような彫刻の施された壁。それは窪みというより穴と呼ぶ方が適している。その壁にあいた、肩幅ほどもある広さの穴に、
「……甲冑像?」
「…………」
光を冷たく反射する、フルプレートの甲冑が鎮座していた。
「ここは死霊術師の墓だったな。どうして鎧像なんてものが置いてあるんだ?」
「知らないわ。でもある物はあるんだから仕方ないじゃない」
大型の立像だ。俺の身長以上はあるから、軽く180㎝はあるだろう。……最近は嫌な現実に直面するから、身長を正確に測らなくなってきたが。
各部から棘のような装飾が突き出ていて、どこか禍々しい印象を受ける。材質は不明。黒ずんだ色合いと錆びた様子のないところから、どうせ真っ当な金属でもあるまい。
鎧は直立不動の態勢をとり、正面に両手剣を掲げもって微動だにしない。
……これは、副葬品……?
「嫌な鎧だ。見た目からして悪趣味だし、なにより動きづらそうだ」
「そう? でも値は張りそうよ」
「持って帰りたいのか? 本格的に墓荒らしに転職とは、いよいよあとがなくなったか」
「そんなんじゃないってば!」
……茶化してみたが言いたいことはわかる。ここは封印のための墓場だ。値打物を副葬品に入れておく理由がない。もし入れるにしても、それは護符であったり金剛杵であったり、何か封印に関連したものではないのか。
謎は深まるばかり。明らかに俺たちの手に余る事態だ。
「――――戻ろう。素人の調査はこれが現界だ」
「…………。それもそうね」
期待はずれそうに明らかにがっかりした様子のエルモを促し、棺室の出口に向かう。
ガルサス翁からの依頼は達成。封印は機能し、死霊術師は風化して滅びていた。浄化の必要はなし。ただ周囲にアンデッドが蔓延し、原因が不明。それに対する調査は必要。――――こんな所だろうか。
せっかく宝鍵まで研磨し直したというのに、無駄足になってしまった。いや、無駄になってよかったと思うべきなのだろう。荒事の予感など、杞憂で済むに越したことはないのだから。
棺室を出る直前、ふと不思議に思う。
どうして棺に蓋がされていなかったのだろうか。封印というからにはそれこそ念入りに棺にいたるまで締め切っているものと思っていたが。それにあの鎧、まるで棺を見守るような趣で――
「――――――」
待て。
封印が機能している? ……どうやってそれを判別する? 壁がくりぬかれて鎧が収まっている状況で、あの壁全体を覆う儀式的な彫刻は途切れている。
――そう、視覚的にみるなら、封印はもう破られているのではないのか。
だが内外の魔力の流れは遮断されていた。破られたのならこうはならない。これはどう説明するのか。
――――――なんだ、これは。
簡単な話だ。再び封じてやればいい。ただし外からではなく、内側から遮断する。密閉自体はされているのだ、界を区切ることは難しくない。
やり方はいくらでもある。水を撒く、壁に傷をつける、あるいは絵を描く、綱を張る、四隅に塩でも振ってみる。挙げるだけなら何十通りでも挙げてやろう。手段は問題ではないのだ。
結界とは界を結ぶ行為。閉じた空間に施すなど見習いにでもできる。ましてや、二つ名の付いた術師ならば。
――――――この思考は、どこから。
そう、これは偽装だ。やつは自らが未だ封じられていると見せかけた。復活の機会を窺うために。
……いや違う。復活が、リッチー化が目当てなら周囲の瘴気を取り込む必要がある。外部との接続は不可欠のはず。
――――――こんな知識、俺は知らない。
ならば復活は目的でない? 己の生存以上に固執する目的があった? ……そんなことがあり得るのか。
だが現に死体は滅んでいる。風化が始まり、まるで抜け殻。
―――――ああ、あたまがいたい。
抜け殻、抜け殻、抜け殻だ。抜けた先には何がある? 種族説明を見るがいい。気位の高いエルフが、己が身体を使い捨てたのだ。ならばその先には、元の身体以上の素体があるはず。
――そう、素体だ。エルフという人型として最高の質を誇る身体以上の素体だ。
なんてもどかしい。どうして気づかない。それが何を意味しているかなど、自明の理だろう――――!
「――――ぁ――――」
「コーラル……?」
エルモの訝しげな声。しかしそれに気も留められないほどに頭が痛い。そしてこの、背筋を襲う異常な悪寒は何なのか。
……来る。来る。何かがいる。
インベントリを展開。シャムシールを抜き放つ。全身に魔力を循環させ、身体能力を強化する。
振り返ると、そいつはいた。
「ぉぉぉおおおおおおおお…………!」
「…………くくっ」
忘れろ。ただの白昼夢だ。ただの妄想だ。今この場に、その思考は無駄の要物だ。
いらぬ思考を振り払う。頭痛など剣戟の果てに置き去ってしまえ。
いつの間にか背後に佇んでいた甲冑に、俺は雄叫びを上げて斬りかかった。




