実録レポート:北方辺境
ディール大陸の北部には、広大な雪原地帯が広がっている。ロムス雪原と呼称されるその地方は、半島など軽く上回る面積をもって大陸に蓋をしていた。
どれくらい広いかというと、芸術都市の北方から西部の砂漠地帯の北方まで。芸術都市の東は内海によって途切れ、砂漠の西は小ぢんまりとした神殿領と西辺海があることを考えれば、ロムス雪原は実質的に大陸北方を丸ごと覆っていることになる。東から西へ徒歩で横断しようものなら、余裕で三か月は必要とする面積である。
さて、ここで俺たちの旅程を振り返ってみよう。
ハスカールから三日かけて領都へ向かい、俺と小僧は城壁の外で野宿。エルモは領都で必要な装備を買い込む。
そこから南西の大要塞に進むためにさらに五日。そして北西の芸術都市への道は一週間。この時点で年越しを寒空の下で迎える羽目になってしまったが、終わったことなので気にしないことにする。
芸術都市を旅立って北西にあるジャビス丘陵地帯を通過し、ガムド火山を迂回してふもとにある昇降塔に到達。――話にすると簡単だが、これがどれほど日程を要したか、想像がつくだろうか?
――正解は、35日。
広大な丘陵地と峻険な山岳地帯を彷徨うのに、五週間を費やす羽目になった。
当然その間のほとんどの夜は野宿で過ごした。高い標高で気温も低い冬の一月二月をだ。……これもまあ、仕事だから許容するとしよう。
まあ、寒いといっても豪雪地帯の半島ほどでもない。道中エルモがガタガタ震えていたが、諦めて耐寒スキルを鍛えることに専念して頂きたい。
話がそれた。
ここまでの行程で、多少方向に修正はあったが俺たちはひたすら西に向けて歩き続けてきた。それは俺たちの右側の彼方に、見えはしないものの常にロムス雪原が広がっていたことを意味する。
雪原の横断にかかる時間は二か月以上。そしてドワーフの地下王国まで五週間かけたということは、つまりここまでの道程で大陸の半分を踏破した計算になるのだ。
それを踏まえた結論をここで披露しよう。
「……ここ、絶対大陸なんかじゃない」
断言する。少なくとも威張って自慢するほど広い大陸ではない。
「――いや、なに言ってるのよ」
「この世界の広さの話だよ。――横断に六十日以上かかる雪原? 雪に足を取られて遅くなるから、日に20キロ歩いたとして、雪原の東西の距離は大体1200㎞。長めに見積もっても1500キロ超えるかどうかだ。対して地球最小のオーストラリア大陸の東西距離は四千キロ。半島や砂漠の分も含めたところで半分にも届かないだろう。
ほら、やっぱり大陸なんておこがましい面積じゃないか。グリーンランドと勝負できるかも怪しいぞ」
突然展開された推論に、傍らのエルフは少し考えるそぶりを見せた。
「……大陸と呼ぶには狭すぎるっていうのには賛成ね。けどこの世界、北と南で気候が違いすぎるわ。穫れるものも食べるものも習慣も、世界が狭いという割にかけ離れてるし」
「それだ。エスキモーじみた極寒民族とポリネシアみたいな南国人が同じ大陸で両立するには、それなり以上の緯度が必要となるはず。だというのに大陸でのこの距離感。いくらなんでも近すぎだろう」
「そこはファンタジーだから。どこかで空間が捻じれてるとか」
「実は星そのものが小さくて、少し移動しただけで緯度が劇的に変わるとか?」
「それもありね。星が小さいとなると重力も小さいはずだし。馬鹿みたいに大きなドラゴンが空を飛べるのも、案外それが理由なのかも」
益体もない話に花を咲かせる。今までは『そういうもの』だと考えもしなかったことでも、深く考察すると興味深い意見が飛び出すことがある。こうやって科学的思考というやつは磨かれていくのだろう。
「…………で」
それまで和やかに談笑していたエルフが言った。心なしか顔色が悪く見える。
「どうして私たちは雪原のど真ん中にいるのかしら」
「――――――」
そっぽを向いて知らん顔。出来れば現実逃避したいのは俺だって同じなのです。
ここはロムス大雪原。二月の下旬でありながら未だ万年雪に覆われた、北の辺境である。
●
「――少々、まずい事態になっとるようじゃのう」
記録院から送りつけられた議事録に目を通し、ガルサス翁は小鼻に乗せた老眼鏡をずり上げた。
「……最初は何と酔狂な依頼を受けたものじゃと思ったもんじゃが、蓋を開ければ納得じゃ。――この依頼は、A房の連中にしか任せられまい」
そう吐き捨てて、ドワーフはその書類を手渡してきた。
「……死霊術師じゃ。この墓は、第二紀に猛威を振るった、死霊術師の墓じゃ」
「――――――」
聞き慣れない単語に眉をひそめる。……何やら、非常に不穏な気配がするのですが。
「第二紀の死霊術師。腐れたダークエルフにして『半不死』のヴェンディル。――お伽噺で語られるやつの墓が、こんな所にあろうとは!」
その書類には、事件の経緯が大まかに記されていた。
――第二紀、ディール暦122年。ロムス雪原にて死霊術師ヴェンディルが蜂起。自ら死霊王を称し、大エルフ首長連合国からの離反を宣言。
エルフの各長老は事態を重く捉え、200からなる精鋭のエルフ部隊を派遣。
結果は――敗北。
ヴェンディルは地中で化石となっていたドラゴンの骨を蘇らせて使役し、後方の地中から飛び出て来た竜骨の魔物に襲われた部隊は全滅したという。
死亡したエルフたちは漏れなく死霊術の毒牙にかかり、死霊王の手駒と化した。
ゾンビになり思考力が落ちたとはいえ、そこはエルフだ。魔法の行使はランクを落とすといえども実用に支障はなく、弓の腕に衰えはない。死体の腐りにくい北方ということもあり、疲れ知らずの死霊軍団はロムス雪原を席巻するに至った。
エルフの評定は紛糾したという。このままかのダークエルフによる雪原支配を認めるか、無理をしてでも討伐に力を注ぐか。
必然、これ以上の戦力となればエルフの長老格の出馬を求めなければならない。だが年老いたエルフは森から出ることを大いに嫌う。
渋る長老を尻目にヴェンディルの侵攻は続き、その支配は丘陵地帯に達しようとしていた。
そんな頃だ。彼の討伐に手を挙げた有志がいた。
六人のプレイヤーと、一人のエルフの支族長。プレイヤーの種族は様々で、人間、ゴブリン、リザードマン、ドワーフまで混じっていたという。
彼らはその数の少なさを活かして屍の警戒網を掻い潜り、ヴェンディルの拠点であるグレウ城に侵入。見事討ち果たすことに成功した。
生き残ったのはエルフの支族長とリザードマンの魔法戦士のみであったという。
さて、ここまでならめでたしめでたしなのだが、話はここでは終わらなかった。
このヴェンディルという死霊術師、己の死の直前にとある仕掛けを施していた。
――死後の己を、不死者として永らえさせる禁術である。
これが発動した場合、死後百年ののちに彼は復活し、再び雪原の王として君臨するだろう。そして復活を阻止するためには死体を完全に焼き払い、Aランク以上の光魔法をもって浄化する必要がある。
そして、支族長とリザードマンはそれほどの魔法を習得していなかった。そして当時の大陸にも見当たらず、唯一高位司祭を有している神殿は、雪原の危険性を理由に司祭の派遣を承諾しなかった。
やむなく彼らは死体の浄化ではなく、封印を手段として選んだ。雪原のどこかに陵墓を築き、ヴェンディルの死体を収めて不死化の術式の進行を抑制したのだ。時間とともに術式が風化して機能不全を起こすことや、あるいは……彼が復活する前に、まだ見ぬ誰かが浄化してくれることを期待して。
――――つまり、この墓は、この宝鍵は、死体を守るためでなく、
「死体を封じるための墓と鍵じゃ。そりゃあ特別製にせねばのう。おまけにロムス雪原はこの地下王国から見ても目と鼻の先。他人事ではない。本腰を入れるのも納得じゃ」
「エルフたちが死体を森に引き取らなかったのは、危険だから?」
「うむ。ヴェンディルは死後ですら周囲の屍を魔物として蘇らせるほどであったと聞く。迂闊に動かすことは出来まい。……それほどの死体じゃ。好事家が欲しがって自滅する未来が、目に浮かぶようではないか」
だから封じて、場所すら隠匿した。いずれ相応しいものを見極めて、浄化を託すために。
エルフの森の遺跡は正規の手段で発掘されるべきだった。だがいつの間にか口伝は喪失し、偶然どこぞの考古学者が墓を掘り起こしたのを、盗掘とみなして仕掛けが発動。不埒物に鍵が渡ってもどこの何なのか判別できないよう隠滅した、と。
……ドワーフ側に記録が残っていてよかった。そうでなければ宝鍵の正体は不明なまま、いずれ大陸北方は復活した死霊術師で大変なことに――
「…………ん?」
微かな違和感。
視線を感じてそちらを見ると、ガルサス翁が意味深げな表情でこちらを見ていた。
……なにか、非常に嫌な予感がする。
「……のう、『ご客人』。ひとつ、仕事を頼まれてくれんかのう?」




