宝石の正体
「ここを見てみよ。露出してる表面に通し番号が振ってあるじゃろ」
宝鍵、などと大仰な名称を口にしたドワーフは、彼が持つには巨大すぎる宝石を掲げてみせた。
素人目には周辺にその他岩石がこびりついた原石にしか見えないのだが、彼には違うものが見えるらしい。
ルーペを借りてかろうじて露出している赤い表面を見てみると、そこには奇妙な数字が彫刻されていた。
――――128FC-A009。
「これは……」
「おおう、簡単に見つけよった! 王都の最新の魔法技術で作られた、200倍率のルーペじゃ。慣れない人間がそれを使ってこの表面積から番号を見つけるなど、一筋縄ではいかぬというのに!」
宝石鑑定の道に進む気はないかの? などと冗談めかして老人は言った。
「数字とアルファベット? 何かのロット番号のようにも見えますが……」
「――左様。この数字は第一紀に『客人』によって考案され、今にいたるまで使用されている我が国の通し番号。銘と言い換えても良い。
ディール暦128年の公式製造、Aランク工房で加工された、その年で9番目の製品であることを示しておる」
「Aランク工房?」
「地下王国で最も権威のある工房じゃよ。鍛冶、冶金、彫刻と、各分野のマイスタースミスが所属しておる。こと作ることにかけてこの国で奴らの右に出るものはおらん。お主らの言う『にんげんこくほう』をひとところに集めて運営している工房じゃ」
つまり月山がいっぱいとな!? 量産型七支刀とか重いわ切れないわ鞘が無いわで使い勝手最悪な代物を嬉々として作る連中じゃねえか。
内心戦慄している俺の様子など気に留めず、ガルサス翁は何が気に入らないのか宝石を眺めながら首を傾げる。
「……しかし妙じゃのう。Aランク工房とは本来、国の威信をかけた大規模な工作に用いられる工房のはず。ものがエルフの宝鍵でこれほど巨大な宝石とはいえ、所詮は墓の鍵。わざわざA房の奴らを使うなど――」
「待った待った。色々と情報不足で理解が追いつきません。一から順に説明を願いたい」
「う、うむ」
勢いに乗って薀蓄を語り出すドワーフを一旦制して情報の整理を試みる。……つまりこれはただの宝石ではない?
「まず、宝鍵とは?」
「古代エルフが己の死後、遺骸が荒らされないよう墓を封じるために用いた鍵じゃ。これを用いずに墓を暴こうとした場合、盗掘者は最悪石の中に転移させられる」
「何つーレトロな……」
「ネタを知ってるあんたも大概だけどね」
知らんな。むしろこれは一般常識の範囲ではあるまいか。
「どうしてたかが死体をそこまで厳重に?」
「よく考えてみよ。自らの死期を悟り、前もって墓なぞを造ろうとするエルフが常人であるはずがない。間違いなく最長老格。保有しとる魔力は桁違いじゃろ。……弓は山を裂き、竜巻は大海を割り、呼び込むいかずちはドラゴンを一撃で殺しうるほど。
ならばその死後の身体はどうなる? 魔物の牙ですらこの大陸では格好の素材なのじゃぞ」
「――まさか、聖骸」
「なに? どういうこと?」
困惑した様子でエルモが言った。どうやら理解が及んでいないらしい。
仕方がないので老人の代わりに説明役を引き受けることにする。
「……聖骸っていうのは聖遺物の一種、聖人の遺体のことだ。主にキリスト教の創始者の身体がそれであるとされている。……といってもそれに限ったものでなく、偉業をなした聖人やら歴代教皇の遺体も該当する。有名なやつだと……そう。イタリアのジェズ教会には、ザビエルの右腕が現存しているらしい」
「随分詳しいのね」
「馬鹿娘め。おまえ、世界史履修してないだろ」
「……どういう意味よ」
「四十年くらい前、世界中の聖骸という聖骸が荒らされる事件があったんだ」
「うぇ……」
初めて聞いたと、見るからに気持ち悪そうな顔をするエルフに溜息が出る。……あれ、現代史における一大事件だって騒がれたんだがな……。
残念ながら当時のことをリアルタイムで知っているわけではないが、元上司がそのことをよく話していた。――教会に安置されている聖骸の、髪だの爪だの指先だのが破損し失われた。悪いのだと足首を丸ごと持って行かれた事件もあったのだという。
もちろん日本も被害を受けた。各地にて安置されている即身仏の歯が抜かれたのだ。……幸いにして高野山の空海上人は被害を免れたと喧伝されているが、かの人物はなかなか一般人の前に姿を現さないので本当のところは――おっと、彼は即身仏じゃなくて生存中でしたね。失敬失敬。
残念ながら犯人は特定できず、異端審問じゃーと一番騒ぎ立てそうな教皇庁は、不思議なことに一度遺憾の意を示したあとは沈黙を守った。
……なにやら陰謀の匂いがするが、ここではまるで関係のない話であろう。
「――つまり、遺体には力が宿るっていうのは世界的に見ても珍しくない観念というわけだ。この大陸でも同様に扱われてもおかしくはない」
「然り。その通りよ。例を挙げるなら、第三紀の雄弁の聖女の末路は酷いものだったそうじゃぞ? Aランクの光魔法を誇る治癒師だったのじゃが、死亡が確認されるや否や、信者どもが寄ってたかって衣服を剥ぎ取り髪や爪を引きちぎり、丸剥けになった死体を、今度はナイフで削ぎ取っていったのだそうな。最後に残った床の血痕も、丁寧に舐めとって綺麗にしたとか」
跡形も遺らんかったせいで実在すら疑われとるそうじゃ、とドワーフは愉快げに笑い、エルフは青い顔で口元を押さえた。
……ううむ、女子供には少々刺激が強すぎたか。話を変えてみるとしよう。
「……ガルサス翁、話の続きを。――エルフの長老が自分の身体を守りたがるのは理解しましたが、それとドワーフ王国とが繋がらない。彼らは森で、ここは火山。接点はどこに?」
「第二紀じゃからな。当時のエルフは東大陸を席巻しとった。ドワーフとも国境を接して、取引自体はあったはずじゃ。
そも、遺体の悪用を恐れて墓の封印など開発したのは、大領を有するようになったエルフが森から出て外地で死ぬことを考慮したからじゃ。通常なら連中は死後に森と同化することを望み、遺体を保全することなぞ考えもせぬはず」
「森の外はエルフにとって敵地であったと?」
「うむ。死ぬならパルス大森林で、というのが奴らの口癖よ。ゆえに墓はあくまで妥協の産物。……エルフの支族長を食らったドラゴンが、特殊個体に進化した例もある。敵の手に渡すわけにはいかんからのう」
「だからドワーフが墓の建築を請け負った?」
「商売じゃからなぁ。生理的に嫌っているとはいえ、断ることはあるまい」
あ、その設定この大陸でも生きてるんだ。
エルフ嫌いなドワーフ、というある種典型的なお約束がここでもあるということに、場違いにも感心する。
ドワーフはしかめっ面で手元の宝石を手慰みにお手玉しだす。
「……しかし、解せん。各地の墓地に用いられている宝鍵は、大半が水晶を加工したものじゃ。ルビーの宝鍵なぞ聞いたこともない。おまけになんじゃこの大きさは。通常の三倍はあるではないか」
「専門家から見ても珍しいのですか?」
「珍しいどころか銘からして異常じゃよ。……普段なら奴らで自作する宝鍵を、ドワーフのA房が手掛ける? ……有り得んわ、実に有り得ん。実物をこうやって見なければ、言い出した馬鹿を格子付きの病室に案内するところじゃ」
なんにせよ、複雑な事情が入り組んでいるらしい。厄介ごとの気配にうんざりしてくる。
「一体何事があってこんなものを作ったのか。記録院の手際に期待するとしようかのう。……A房の作となれば、設計前の議事録が残されておるはず。事情もそこに書き残っておれば……」
と、のんびりとドワーフがひとりごちたところで、
――ポンッと。
間の抜けた音を立てて、壁の配管から太めの筒が飛び出て来た。
「――――ほう、もう来たか。ムーギの奴もたまにはいい仕事をしよるわい」
そう言って、老ドワーフは呵々と笑った。




