彼女の任務
「……申し訳ない、エルモ嬢。客人が来たというのに、随分と失礼をしてしまった」
「あ、いえ。私がここに来たのも突然でしたし……」
徴税人がいなくなり、クラウスはエルモに空いた席を勧めた。遠慮がちに座った彼女を尻目に、俺は俺で適当な椅子に腰かける。
タイミングよく、人数分のお茶をお盆に乗せたゲイルが入室してきた。徴税人の分が余ったので、彼にも勧めて全員で一服することにする。
大陸西部の丘陵地帯で収穫された茶葉で、かつては手の届かなかった嗜好品だ。今でも常備されているのはこうして来客のある役場の応接室くらいである。
そしてこの時、俺たち人間種は珍しいものを目にした。
「ぁ……!」
ティーカップに口をつけた際の、エルフの声。何があったと訝しむ間もなく、彼女の瞳からみるみると涙が溢れてくる。
「いや待てっ。そんなにまずかったか、これ!?」
「そんなはずは!? まさか砂糖が必要だったとか!?」
「違う! 違うの……!」
浮足立つ俺と商人に対し、エルフは涙ながらに否定した。……なんでも、甘くないお茶がこの大陸に来て以来初めてで、つい感動してしまったのだという。
「……甘いのはお茶菓子だけで充分なのに……」
「それは、なんとも不憫な……」
エルフは貴族的で優雅な生活を満喫していると思っていたが、だいぶ勝手が違ったらしい。よくまあ五年もの間カルチャーギャップに耐えてこれたものだ。その場の人間種は思わず同情の視線を彼女に送った。
……ええねんで、お嬢さん。茶葉は缶ごとくれたるさかい、存分に楽しみや。
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「……ううむ、ごほん。――それで、話なんだが」
代理補佐が咳払いをして本題にかかったのは、エルモがお茶のおかわりを三回と、飲み過ぎによる花摘みを済ませてからのことだった。
……あの小娘、普通に手洗いの場所を聞けばいいものを、何故か顔を真っ赤にしてもじもじと身じろぎしていた。言っておくがそれで通じるほどの紳士はこの場にはいない。
「ああ、俺からの報告はさっきの通りなんだが。……そういえば爺さんはどうしたんだ? 村に着いてから見てないぞ」
「訓練中だった一個分隊を連れて、北で堆積している火山灰の調査に向かっている。……まとめて採集できれば新たな特産物が出来るかもしれないからと」
……爺さん、本気で鍛冶師辞める気か。木工以外のものに興味を示すとは思わなかった。
彼は一体どこに向かっているというのでしょう。あのドワーフの先行きが不安になってきたところで、強引に話を切り替えることにする。
「……ああそうだ。これからエルモ嬢はどうするつもりなんだ? 急ぎの旅でなければ宴会に出席してもらいたいんだが」
なにせ交易路開通の目に見える成果である。エルフが宴会に混じってただ飯を食べているだけで、宣伝効果は相当なものだろう。
お茶一杯であれほど喜んでもらえたのだ。きっと参加してもらえるのではと期待してみる。
するとエルフは、
「それが、支族長にお使いを頼まれていて……」
そう言って、インベントリから一つの包みを取り出して見せた。紫色をした見るからに高級と分かる絹の布だ。
「これを、ドワーフの地下王国に持ち込む必要があるんです」
「――――――」
包みの中身を露出させ、あっけからんと言い放ったエルフに、思わず目を覆いたくなった。周囲を窺うと、商人も代理補佐も似たような表情で顔をしかめている
「……初対面の人間に、そんなものを見せるかねぇ……」
「え、いや、でも……」
「エルフの森も日本と似て治安が良かったんだろう。きっと玄関や勝手口も鍵をかけたことがないんじゃないか? 羨ましいというかなんというか……」
――それは、一粒の宝石の原石だった。
いや、粒というのは少々適切ではない。何しろ彼女からみて拳大ほどもある、巨大な岩石だ。……これは、ルビーなのか? 鉱物には詳しくないんだ。ガーネットとルビーの違いを説明しろと言われたって困る。
その周囲は黒ずんだ石に覆われていて、全貌を知ることはできない。だが表面の不純物を取り除いて研磨すれば、相当な値打物になることは想像に容易い。
これほどの宝石だ。一体何カラットあるのだろう。どこぞの王笏の上に鎮座していたとしても違和感は覚えまい。
……応接室に通しておいてよかった、衆目の元でこんなものを取り出されては、何が起こるかわかったものではない。
商人などは早くも目を奪われていて、今にも溜息をつきそうになっている。
「……これ、売ったらいくらくらいするんでしょうね? 私に預けてもらえれば、一年で半島を牛耳って見せますよ」
「やめなさい預かりものなんだから」
単に売っぱらうのではなく見せ金に使おうとする辺り、商人の本気度がうかがえる。
対して代理補佐はいかにも厄介ごとの種だと言わんばかりの表情だ。
「……失礼だが、エルモ嬢。パルス大森林に大規模な宝石鉱床はなかったと聞く。私はエルフの価値観など存じていないが、これほどの宝石をいち支族長が保有している理由は何なのだろうか」
「私が住んでいた森の東端には、第二紀の遺構があるんです。エルフの長老の一人に、採掘を専門としている変人がいて、その人がその遺跡で四年前に発掘しました」
「第二紀? なんでそんなものが遺跡になってるんだ? 種族説明で見たが、エルフは千年生きるんだろう? 六百年前の施設なんて、現役で稼働しててもおかしくないはずだ」
現代でいうなら東京スカイツリーみたいなものだ。あれは二十一世紀初頭に建設されたものだが、当時の記録は充分に残っているし、あの施設は電波塔として今もなお立派に役目を務めている。
――長老というからには相当な年齢のはずだ。それこそ第二紀の遺跡が建設された当初に立ち会っていてもおかしくないはず。そんなエルフがたかだか六百年前の遺跡を発掘する?
「それがまるで分らなくて。長老が言うには、『高度に隠蔽された地下墓地だ。まるで朽ち果てたように偽装されているだけで、機能は生きている。本来遺跡と呼ぶべきかどうかも怪しい』と」
「遺跡ではない?」
「当時のエルフにも気づかれないように、徹底的に隠匿されて建設されたらしいです」
「築いたエルフの記録は? 墓地なら埋葬者が記されているのではないのか?」
「それが……」
なんだかひどく言いづらそうな顔。非行に走って補導された中学生を迎えに来た姉のような雰囲気だ。
「墓標は破壊されていたそうです。長老は正規でない手段で押し入ったらしくて。招かれざる客が来た場合、埋葬者の正体を隠滅する仕掛けが施されていたそうです」
「――――――」
一同、絶句。
俺の抱いていた優雅で物静かなエルフのイメージが崩されていく。……何なんだ、エルフってインディ・ジョー○ズの親戚か何かなのか。
「……なるほど。随分と豪快な長老だったんですね……」
「言葉もないです……」
商人がしみじみと言った。……そうとしか言いようがないのはよくわかる。
やってることは二十世紀の大英帝国がやっていたような、まんま墓荒らしである。あー、貴族的種族ってそういうこと。
「いや、コーラルさん? エルフのみんながみんなあんな感じじゃないから。ちゃんとしたガラドリエル的なおばちゃんだっているんだから」
「おばちゃん……」
もういい、喋るな。
口を開くたびに理想を打ち砕いていく彼女はトールキンの天敵だ。今確信した。
「……とにかく、この宝石の解析をするにはドワーフに協力を願うのが適切だろう、と。……幸い、その長老と支族長の知り合いにそういったことを専門としているドワーフがいるそうで。手紙と一緒にこれも渡してこい、と」
突っ込まない。突っ込まないぞ、そのネタ振りには。ドワーフとマブダチになってるエルフとか何なんだ。
気を取り直した代理補佐が言った。
「……つまり、その宝石を解析に出すために出来るだけ早く旅立ちたい、と。――何日後に出立する予定なのか、聞いても良いだろうか?」
「明日、一日使って旅装を整えて、明後日には出発するつもりです。……ちゃんとした防寒着が欲しくて」
そういって、エルフはぶるりと身体を震わせた。……室内とはいえ、ここの室温は二十度を上回る程度でやや肌寒い。温暖な地方にいたエルフには辛いだろう。
「そうか……団長が帰投するのは明後日の予定だ」
「入れ違いになるなぁ」
「きっと恨まれます。俺だってエルフなんか見たことないのにって」
「いや見たことはあるだろ。芸術都市にエルフの錬金術師がいて、回復薬を安くしてもらったって自慢してたし」
「どちらにしても、珍し物好きな彼のことです。恨まれますよ」
「ううむ……」
聞き分けのない子供のような団長をどうするかと、商人と二人して頭を抱える。そんな俺たちを尻目に、代理補佐はいとも簡単に決断してのけた。
「――いないものは仕方がない。明日の夜、今回の航海の成功を祝って宴を催す。――出席して頂けるかな、エルモ嬢?」
「あ、はい、それならぜひ」
「コーラルはハンナにそう触れ回るよう伝えてくれ。あと酒場の主人に、食事の用意に取り掛かるようにと」
「おう了解。ご近所さんも総がかりで腕を振るうことになるな。初夏祭り以来だ」
「トマトはもう勘弁してくださいよ……」
残念ながら今年収穫した腐れトマトは今回の航海で使い切った。夏にとれる果実を冬まで保管したのだ。毎朝氷室で樽の中の水を何杯も凍らせる作業は、流石の俺もうんざりする。
今後はどうにかしてあの果実を保管する他の手段を模索しなければなるまい。
さあ取り掛かれ、と代理補佐が手を打ち鳴らし、俺たちは宴の準備に追われることとなった。




