標となるもの
水魔法を習得しました。関連してMPが10上昇した。
なかなかに面倒な道程だった。じわじわと魔力を海中に放出し、しかし拡散しようとする魔力をどうにかこうにか押さえ込んで弄り返してみる。そんなことをMPが尽きかけるまで繰り返す。……魔力変換なんてものはない。
所詮は独学に過ぎず、本当にこれで正しいのか疑問には思った。ただ、今までの経験上どんな行為も経験として勘定されるなら、繰り返した先に何らかの目に見える結果が得られると思ったのだ。
結果として俺は賭けに勝ったことになる。やったぜ。
……途中、MPの加減に失敗して3回ほど気絶即溺死のコンボを発動してしまったのは考えたくない。あと、やってるうちに渇水死も経験しました。非効率な独学で有りながら三日で習得できたのは、そのあたりの命懸けな状況も反映しているのだと思う。
……初めて掌に湧き出た水が塩水だったときは本当に殺意がわきましたよ、ええ。
話を戻そう。
試行錯誤を繰り返して海水魔法を真水魔法に改良するのはどうにか成功した。これで飲み水の問題は解決し、俺は半永久的にこの海を漂うことが可能になったわけである。
なら次は、いい加減陸地へ泳ぎだす用意を始めよう。
―――今は夜。目の前には満天の星空が広がっている。
不規則に散らばる星々は、地球で見るものとは別物でありまるで風情が異なる。時たま現れるオーロラは虹色にはためき、ここが異世界なのだと強く実感させてくれた。
……今回はこの星々を、妄想の海に沈めてやりたいと思います。
うん、言い方が悪かった。だからその無機物に発情する可哀想な人を見る目をやめるんだ。
やることは実に単純だ。星座を創造する。ただそれだけである。
俺が今いる惑星が自転活動を行っているのは数日前からわかっていた。太陽は浮かび上がった反対側に沈んでいくし、夕方に姿を現す赤緑紫の三連星が同様の軌道を描いているのも確認済みだ。
つまり、今は無秩序に眼前に広がって見える星たちを、星座に落とし込んで類別し動きを観測することによって、この惑星における北極星に相当する何かを探し出すことが出来るはずである。
北がわかれば後はこっちのものだ。ひたすら同じ方向に泳ぎ続けて、いつかは陸地に辿り着いて見せる。
ただしさっきも言ったように、ここは地球の夜空とはまるで星の並びが異なる。大熊座やらみずがめ座やらへびつかい座やらの配置を記憶していたとしても、何の役にも立たない。
だからこの場で、俺にしかわからない星座を創る。創ってしまう。
……あれに見えるは鏡餅。隣に不恰好な門松が控えている。そういや今年は寝正月だったっけ。帰ったらちゃんとしよう。
……おおう、ハート形のチョコレートだ。リボン付きでラッピングしてある。……リアルで貰ったことなんざねえがな。
……ヒョットコが般若面と天の川を挟んで睨み合ってる。ひょうきんな顔つきの癖に角度を変えるとやたら凄味があるのね、あいつ。
……竹刀とかグローブとか防具とかバットとか、そういうのが浮かんでくるのは勘弁して下さい。もう間に合ってるんです。
……もしかしてあれは親父が家宝にしてたマジカル☆かなみんのフィギュアじゃないか? 手を合わせておこう。もげた腕のことを恨むならお袋を恨んでくれ。
咎める奴はどこにもいない。俺はこの大海原に限れば唯一の天文学者なのだ。
≪経験の蓄積により、『天文学』を習得しました≫
≪スキルレベルの上昇により、魔力値が上昇しました≫
そら見たことか。アナウンスさんは俺の味方だぞ!
ひゃっほーいとガッツポーズをとる。
連日徹夜なせいか妙にハイだ。なんとなく口寂しくなって、インベントリから人食い魚の切り身を取り出す。生のまま荒ぶるラッコのポーズで頂いた。塩気が効いてそれなりにイケる。燻製にしたら旨いだろう。
そんな調子で過ごしていた時だ。
何かが、仰向けで海面に漂う俺の背中に触れた。最初はつんつんと。次にべったりと。
……何だと思う暇もない。
巻き付かれた。半透明の触手。吸盤がついていた。
全貌を見るまでもなく対象を推測する。―――蛸か、烏賊か、あるいはクラゲか。絡みついてきた触手が特に長い二本であることから触椀のあるイカと仮定する。……しかしだからといって振りほどく術もない。
海中に引き込まれる。残りの触手を使って巧みに泳ぎ、あっという間に深度10mへ。
身を捩じって振り返り、相手を見返すと―――案の定、でかいイカだった。
無機質な真円の眼には何の感情も浮かんでいない。そりゃそうだろう、俺なんて海面に浮かぶただの餌だ。泳ぎが巧みな分魚のほうが上等だろう。
半透明な身体は海面から降るささやかな星光を乱反射しているのか不規則に輝いていて―――場違いにも、美しいと思ってしまった。
……だがなあ。
剥ぎ取りナイフを取り出す。幸いなことに両腕は自由だ。振りほどくのではなく逆に触手を手繰り寄せる。
水中の不利は気にしない。こちらも水泳スキルのレベルは10に達している。そう不覚を取る気はない。
吸盤に張り付かれた腹やら背中やらが噛みつかれたように痛むが、今は無視する。
ようやく手の届く範囲に来たイカの眼球に向け、渾身の力で手に持つナイフを突き入れた。
ずぶりと腕を伝う感触。体液だかイカ墨だかが海中に噴出するが、構わずさらに力を込める。
……殺す。殺してやる。
せっかく人がいい気分で飯食ってるのを邪魔しやがって。無事で帰れると思うなよ。
散々人を餌扱いしやがって。こちとら鬱憤が溜まってるんだ。逆に素麺にして食ってやる。
十本にものぼる触手が迫る。俺の身体に絡みつき、絞め殺したいのかサバ折りにしたいのか力を加え始めた。剥ぎ取りナイフでは短すぎて触手を切り落とすには向かない。
だから―――胴体に刃を当てて、筋に沿うように裂いてやった。皮膚が薄ければそのまま開きにできたのだが、大王イカみたいに分厚かったらしく断面が覗いただけだった。だったらまた裂いて―――
―――ぐしゃり、と。
まるで枯れ枝をまとめて踏みつぶしたような音とともに、俺の胸が押し潰された。
……そうか、水圧―――
既に、人間に耐えられる限界深度を超えていたのか。
いつの間にかイカは高速で潜航していたのだ。間抜けにも俺は血気に逸って気付かなかった。
……気付いたところで何かできたとも思えないが。
そう考えたところで頭蓋が軋む音が聞こえ、呆気なく俺は絶命した。
≪経験の蓄積により『潜水』スキルを習得しました≫
≪スキルレベルの上昇により、防御値が上昇しました≫
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海に棲む魔物で、強力なものはより遠洋に生息する傾向がある。
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