未だに村長がいないという事実
五年前までは長老が住んでいた、村でもひときわ大きな家屋がある。村中央の広場にも面していて、その家は公的なものとして使用するのに適当だった。
というわけで、今ではこの家は何度かの拡張工事を経たあと、『鋼角の鹿』首脳本部兼、ハスカールの村役場として機能している。当然内部は随分と様変わりし、当初の面影はひとかけらもない。扉を開ければ受付と事務机に対面し、奥には応接室やら小さな会議室までがある。
ちなみに机だの受付の看板プレートだのは我らがギムリンの自信作だ。あの爺さん、五年経った今でも鍛冶屋のミンズの弟子として鎚を振るっているんだが、未だに鍛冶スキルが木工スキルを上回らないと嘆いている。……むしろ、こういった木製家具を作っていた時の爺さんはいつにも増して生き生きとしていたのだが……それは言わぬが花か。
事務員は五人程度。スタンピードで引退した傭兵や未亡人などに、簡単な読み書きと計算を教えて働かせている。
当然、中学生に毛が生えたような教養の持ち主程度では務まらない仕事も多い。こんな連中に予算の割り振りなんて任せられないし、水利権の裁定なんて素人に投げられない面倒事の筆頭だ。
そういう本格的な行政仕事は、他に担当の者がいるのだが……。
「あら猟師さん、それにノームさんも。もうお帰りになったんですか? それに後ろの方は?」
ウォーセを表で待たせて役場に入ると、さっそく声をかけてきたのは事務員のハンナ女史だった。未だ三十代手前の女盛りである。背後で商人がわずかに緊張するのを察しつつ、声を抑えつつ返答する。
「ようやくノームがパルス大森林から帰ってきたんだ。俺はその出迎えだよ」
「あら、だったらあの交易の件は――」
「大成功です、ハンナさん!」
商人が食い気味に答えた。どことなく得意げに胸を張り、顔を紅潮させている。
「……南方への航路はほぼ確定しました。あとはエルフたちが何を求めているかの市場調査と、使用する魔物除けをどう減らすかの研究が残っていますが、筋道は見えました」
「まあ、それはおめでとうございます。今夜はお祝いにご馳走を作って商会に伺いますね。皆さんと召し上がってください」
「楽しみにしています! それでハンナさん、あの、出来ればですが、今夜――」
「ハンナさーん! 去年の収穫高の資料ってどこー?」
「ちょっと待ってて! 今行くから!」
商人の話を遮って事務所の奥から声が聞こえた。見ると中年の男が羊皮紙の束を抱えて右往左往している。
ハンナはこちらに向き直り、申し訳なさそうに微笑んだ。
「……ごめんなさいね、猟師さん、ノームさん。今日は徴税人の方が来る関係で忙しくて」
「また来たのか。いい加減しつこい奴だ。――とすると、クラウスは応接室か?」
「ええ、もう二時間も籠りっきり。猟師さんが顔を出したら、空気も変わるのだろうけれど……」
「わかった。役人なんぞ叩き出してやろう」
「くれぐれも穏便に、ね?」
それではこれで、などと言いつつハンナは同僚の手伝いに去って行った。残される人間二人にエルフ一人。見送る商人の肩が、心なしか下がって見えたのは見間違いではあるまい。
「…………」
「…………あー、その、なんだ。……どんまい」
「くぅ……っ!」
気まずい。
なんというか、一世一代の求婚の機会を掻っ攫われた男の煤けた背中が見える。
美貌の未亡人の背中を見つめる商人の視線は熱っぽく、彼がどんな感情を抱いているかは一目瞭然である。
つんつんと背中をつつく感触に振り返ると、女エルフが小声で商人を指して訊ねてきた。
「……ノーミエックさんって、あの女の人が……?」
「おう。行商に来て、初めて会った時に一目惚れ。この村に誰よりも真っ先に建てた商会も、ハンナ女史宅の隣の空き家を改築したものだ」
「それってストーカーなんじゃ……」
「言ってやるな。本人は真剣にやってるんだ」
それにこの世界にストーカー規制法なんてものはない。
「……実際、付け回してるわけじゃない。毎朝庭先で交わす挨拶がその日の原動力になってるんだと。その程度ならまだギリギリ犯罪じゃないだろう」
「でも……」
「こいつが憧れの人にいいところを見せたくて、今回の交易路開発が始まったんだ。うまいこと船に乗っかってきたお前がとやかく言うことじゃない」
これ以上の異論は封殺する。不満げなエルフの視線は無視だ。
それに最終的にうまく収まれば万事解決するのだ。ハンナも時々夕飯を共にする程度には商人を憎からず思っているようだし、勝ち目はあると思っている。
……今回の絶好機を逃したのは痛恨だったが。
「…………い、いいえ。まだまだです。今回はあくまで偵察。次の航海こそが本番なのです。それを成功させたときこそ……」
ぶつぶつとひとり野心を語る商人の背中にひっそりとエールを贈る。……頑張れノーム。明日には明日の風が吹くものだ。
――ああ、そういえば応接室に顔を出せばいいのだったか。せっかくなのでこのエルフにもこの村の新たな顔役と会わせてやろう。
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「……だから、何度言えば伝わるんだ!?」
「何度聞いても答えは変わらない。この村に無駄な税金を払う余裕などない」
「村!? こんな規模にまで膨れ上がっておいて、村だと!?」
応接室を行き交う怒号。立ち上がって罵声を上げかけた男の顔は真っ赤に染まっている。
扉の隙間からその様子を窺いつつ、この状況をどうしたものかと思案した。
……どうしよう、何だかひどく入りづらい。
応接室には二人の男が激論を交わしていた。
一人は若い男だ。恐らく三十にも達していまい。仕立てのいい服に身を包み、苛立った様子で立ち上がって机に手をついている。
もう一人は壮年の男だ。黒髪に片眼鏡。身に纏う衣服は質がいいが少々くたびれており、神経質な顔つきで椅子に座り、指でトントンと机を叩いていた。
若い男が言った。
「……もう一度言う。この町に関所を作り、通行税を取って領主に納めるのだ」
「断る。わざわざ関所を作って流通を阻害する必要を感じない。……大体、貴様は通行税がどのように使われるか知らないのか? この村には補修が必要な防壁もないし、治療院新設の申請もジリアンは却下したではないか。――その上新たに通行税を取ったところで、その金はどこに行く? 丸ごと領都の役人の給料に消えるだけではないか」
「貴様――」
再び激昂しかけた青年を、片眼鏡の男はじろりと睨んだ。
「人頭税は支払っている。『鋼角の鹿』が肩代わりし、村民名簿と照らし合わせた正確な金額をだ」
「廃棄村の南に、新たな集落が出来ているではないか!」
「今年出来たものだ。新年に名簿を更新して、来年度に支払おう。秋には収穫に応じた年貢もこちらで建て替える」
「元は北の村から逃げ出した者たちだろうが! 私は、彼らが今年払わなかった税金を収めろと言っているのだ!」
――ガン、と。
突然硬いものをぶつけ合うような音が響いた。音源は片眼鏡の男の机。彼は片足を跳ね上げて机を蹴りあげていた。
思わず黙り込んだ青年に、男は目元をひくつかせて怒りを堪えた様子で言った。
「――そう。彼らは、元の辺境伯領から逃げ出した難民だ。本来領軍が治安を守って安全に暮らしていけたはずが、衛兵が頼りないがためにここまで逃げてきた、領民だ。
一体辺境伯は何をしている? 歩兵の重要性は五年前に痛いほど理解したはずではないのか。領民が住み慣れた土地を離れて、荒れ地に新たな畑を作らなければならないほど追いつめられていることに、なぜ気づかない?」
「編成は進めている! そのための繫ぎとして貴様ら傭兵が配置されているのだろう!」
「我々以外の傭兵が、治安の維持になど心を砕くものか! 無防備な村をいい鴨としか思わない連中だぞ!
逃散が起きる環境を作っておきながら改善もせず、流民が新たに村をつくるというのに、補助金の一つも出ないとはどういうことだ? その上耕したばかりで収穫も期待できない畑に対して、税を払え? 冗談も休み休み言えっ!」
「不敬な! わ、私は辺境伯の代理として徴税に来ているのだぞ!?」
「その台詞、そのままジリアンに問い合わせてみようか。租税の管理は執政補佐の管轄だ。辺境伯は報告を受けなければ大まかにしか把握なされていない。そんな中でいち徴税官が伯の威を借りて強権を発したとなれば捜査の対象となる。公的な裁判にも発展するだろう。
――さっさと執政補佐を連れて来い。あの男の弱みなど、いくらでも知っているぞ」
……おおう、絶好調だな、あいつ。
あの男、天下りしてからやけに肩の力が抜けたというか、吹っ切れた感がある。昔の職場で散々苦労していたのだろう。
そういう点ではシンパシーを感じるというか。
……まあ、勝負あったというところだし、そろそろ話を打ち切ってやるとしようか。




