ならば共に戦おう
済まない、土産はないんだ。
――ああいや違う違う。そんなもんはありません。
領都で買った小さな人形を墓前に供える。
俺も動転してたのかねえ。人間の生首を土産にしたって、相手にドン引きされるのが関の山だろうに。こういうときはもっとこう、贈り先にあったものを選ぶべきだった。
「……悪いな。結局、助けてもらった恩を返せずじまいだ」
よっこらせ、とその場に胡坐をかいて座る。目の前には、やや盛り上がった土と、卒塔婆のように塚に突き立った木札があった。
村の外れには、ずらりと墓が並んでいる。いずれも似たような木の札で、墓とも言い難い簡素なものだ。いつか立派なものに建て替えたい。
傭兵と村人、区別はしなかった。団長によると、死んだ傭兵は近場の都市の共同墓地で弔われるらしく、こうやって墓標に名前を書くことはなかったのだとか。
まあ、死んだ人間の扱いなんてどうでもいい話か。重要なのは知り合いの死に対し、生者がどういった形で折り合いをつけるかだ。
だとしたら、こういうそのうち風化して消えてなくなる木札は、それなりに合理的なのかもしれない。
「……弱ったな。墓の前だが、話すことがない」
そういえば、彼女とは面と向かって話した記憶がない。雑貨屋の前で店の手伝いをしているのを見たり、通りすがりにあいさつを交わす程度ならあるのだが。
それもこれも理不尽なロリコン疑惑が悪いのです。ついつい、いもしないお巡りさんが気になって距離を取ってしまった。今では少し反省している。
こんなことなら、もう少し彼らと関係を深めておくべきだったかもしれない。毛嫌いして遠巻きにするのではなく、腹を割って少しでも信頼を得ることが出来ていれば、何かが変わったのだろうか。
……いまさら詮無いことだが、死んだ人間を送るときの後悔などそんなものだ。こうなる前に、生きているうちに、と下らない妄想に浸ってしまう。
これもまた、別れの惜しみ方の一つなのだろう。
守れるものなら、守りたかった。傲慢な後悔だと理解はしている。だがそれでも思いは尽きない。……まったく、未練まみれで無様極まる。
――と、
「おん」
「……ウォーセ」
どれくらいそこで呆けていたのだろう。一時間くらいは潰れてしまったと思う。
そんな中で背中に鼻先を擦り付ける感触がして、思わず苦笑した。
あの戦いからもう半月以上が経っているが、村の北で使用された腐れトマトの香りは残っている。狼たちはそれを嫌って近づこうとしないが、この小僧はどうしても気になったらしい。来たはいいものの臭いはやっぱり不快で、人様の脇に潜り込んで誤魔化そうとしているのだろう。
いい根性だ、こうしてやる。
「がう? ぐぁあっ!?」
ぴょこんと腕の下から顔を出した仔狼の眼前に、例のトマトを突き付けてみた。インベントリに偶然残っていたものだ。面食らったウォーセは悲鳴を上げてバタバタと暴れ出した。
だがお前、自分から潜り込んできただろう? 逃がさんよ。
嫌がる小僧を抑え込んで鼻先にトマトの汁を垂らしてやる。小さな狼はぎゃんぎゃん叫びながら近くの茂みに跳び込んでしまった。
「……あー、うん。正直すまんかった」
茂みに向かって頭を下げてみる。小僧は逃げていない。そこに隠れているだけだ。まだまだ隠密が未熟で、茂みの奥から涙目でこちらを見ているのが丸見えだ。
……これはいけない、かくれんぼの難易度を引き上げてやらねば。
そこまで考えたところで、ふと気づく。
鬱屈した感情は、だいぶ晴れていた。
やはり、墓の前で悶々と座り込むのはよろしくない。人間は立ち上がって前を向いてこそ、未来に進めるのだろう。
立ち上がって伸びをする。ふと見上げた空は、夏の盛りに青く広がり、入道雲がとぐろを巻いている。
……折り合いはついた。ついたと思う。けじめに人一人の命まで奪ったんだ。これ以上燻ったところで仕方がない。
さあ、いつもの日々に戻るとしようか。
――――少しだけ、気を紛らわせてくれた小僧に感謝した。
●
「――ところでコーラル、これからどうするんだ?」
村の酒場で夕食をとっていると、イアンが話しかけてきた。
この団長、とっくに仕事は終わって村から出ていくはずなのに、まだ居座っている。なんでも団員のウェンター氏から聞きかじった四十九日が終わるまでは、仲間の墓のあるこの村に滞在するのだとか。
なんとも律儀なことだ。……まあ、滞在する間、辺境伯から貰った報酬をこの村で散財してくれるのだから、こちらとしても異論はないのだが。
「どうって、そうだな……」
少し考え込んで、手に持つワインを舐める。
「――やることは変わらないよ。死んだとはいえ長老との約束は有効だ。あと五年はこの村の猟師さ」
ひょっとしたら領主から追手がかかるとも思っていたが、今のところその予兆もない。
去り際の領都は仁義を通して村を守りきった『鋼角の鹿』の話題でいっぱいだった。そんな中、話題の村の猟師を無礼討ちする、という命令は出しにくいのだろうか。
俺の返答を聞いた団長は、心底残念そうに首を振ってジョッキを呷った。
「もったいねえなあ! あんたなら間違いなく戦士として伝説になるのに!」
「その時は、あんたが俺を雇うんだろう?」
「その通り! 俺は伝説の豪傑を配下にして天下に名を轟かせるのだ!」
はっはっはっ、と景気よく団長は笑って見せた。その明るさを、少し羨ましく思う。
『鋼角の鹿』は、その数を10人に減らしている。団長も併せてだ。
死者は10人に満たないくらいだったのだが、傭兵として復帰不可能な怪我人が多数出たのだ。戦士としての人生は短い。小指を一つ失っただけで脅かされてしまう。足を引きずるものも、流浪の軍団にはいられない。
団を離れるものにも出来る限りのことはしたい、と彼は語っていた。それがどういうものなのかは、いまだわからないが。
そんな彼らの惨状を思うと、ふとある一節が浮かんできた。
「――『十名。それが全軍だった』か……」
「おい不吉なこと言うなよ……!」
突然背後から不機嫌な声がかけられた。振り返ると件のウェンターがジョッキを手に半眼で睨みつけてきている。
「なに、なに? 今のの何が不吉なんだ?」
「団長は知らなくていいことです!」
イアンの疑問を一刀に斬り捨て、青年は食卓に乱暴に腰掛ける。注文は済ませてあったのか、店主がつまみを卓上に置いて去って行った。
「それで団長、伝えなくていいんですか? 村長代理をやってる鍛冶屋には話を通してありますが、そこの猟師は彼の右腕みたいな仲なんです。今後のことを話しておかないとあとあと面倒ですよ」
「えー、だったらお前が話つけとけばいいじゃん。彼、鍛冶屋の右腕。お前、俺の右腕」
「だから……俺はそういう経理とか接待とか営業とかが嫌だからこの世界にいるんですよ……! なのになんでいっつもいっつも俺に丸投げしてくるんです!?」
酒のせいか沸点が低くなっているようで、ウェンターの顔がみるみる赤くなっていく。
これはいけないと危機感を覚え、話を変えることにした。
「……さて、俺に話があるんだったか」
「おおっ! そうだそうだ。俺が、コーラルに、話があるんだった! ――ちゃんと俺がやるからそう睨むなって!」
「…………」
先生、大剣担いだ傭兵の青年が恐ろしいことになってます。
「イアン、いいから続きを」
「お、おう。――怪我で辞めてく仲間のことなんだがな。鍛冶屋のミンズと相談したら、村の住民として迎えたらどうかって言われてな」
「それは――――そうか」
「幸い、空き家が多くて移住は大歓迎なんだと。働き口も上手く分業を組み合わせれば、怪我人でもなんとか食っていける程度でやっていけるとも」
「ああ。……だがそれもこの過疎村が今後も存続できればの話だ」
……なるほど、だんだん事情が呑み込めてきた。
つまりこいつらは――
「だろう? だから俺達も、村を存続に協力するのにやぶさかじゃないってわけだ。
――――この村に『鋼角の鹿』の本拠地を作る! ここが俺たち傭兵の故郷になるんだ!」
「ははっ――――」
それは、なんて素敵な――
「このスタンピードで損害を受けたせいで、半島の各所は魔物への守りが足りてねえ。つまり剣の腕は高く売れる。傭兵の稼ぎどころってやつだ! ……栄えるぜ、この村は!」
「いいな、それは。とてもいい」
作ろう、村を。
失った以上の繁栄をもって、去ったものへの弔いとしよう。
見てろよ、長老。あんたがかつて見た以上の光景を、この村に作ってやる。それがあんたとの約束の履行だ。
「だからよ、コーラル。あんたも一緒に――」
「待った。それから先は言うなよ。物には順序というものがある」
せっかくの機会だ。こんな場末で飲んだくれながら、というのは決まりが悪い。
立ち上がって身だしなみを整える。正装なんて持ち合わせがないので、先代の篭手とブーツ、額当てと紅い外套を身に纏った。
周囲の視線が集まるのを感じた。……突然人間が青白い光に包まれて装いを変えたら、そりゃあ目立つか。良い観客だと思うことにしよう。
片膝をつく。かしこまって頭を垂れ、上目づかいで若者の目を見上げる。イアンはにやりと笑って正面に立ち、何を言い出すのかと待っている。
戦鎚を取り出し、目の前に捧げ持って、
「――――『鋼角の鹿』、雄々しき団長よ、『鉄壁のイアン』よ。貴方は、わたしの力を欲するか?」
「ああ、欲するとも」
体が震える。抑えきれない魔力の猛りが、紅い粒子となって溢れ出す。
――そうとも、これだ。
これでこそだ。
獰猛な笑いが体の奥底から込み上げてくる。
衝動に身を任せ、わたしはその言葉を発した。
「よろしい。ならば――――」




