その首貰い受ける
それは鮮やかな手際だった。
辺境伯が、執政が、家臣が固唾をのんで見守る中、決闘とも呼べないような戦いは展開している。
猟師はつまらなげに溜息をつき、白けきった様子で竜騎士ハルトを嬲っていた。自在に長柄の杖を操って腹を打ち、骨を折り、投げ飛ばして打ち据える。
満身創痍でなお立ち上がるハルトは称賛に値するだろう。もはや意識は朦朧としてまともな思考もできていないだろうに、右手の剣を支えにどうにか立っているのだから。
彼にもわかっているのだろう。この鬼気迫る猟師に適う術はない。せめて地に尻を付けたまま死なないよう、恥を恐れて足に力を籠めている。
降参の声はない。それを口にする前に猟師が顎を砕いた。だらしなく開いた口から漏れ出るのは虚ろな呻き声だけだ。
不思議と、両足と利き腕は折られていなかった。……決闘の体を取らせ続けるために、猟師があえて残していたのだろうか。
猟師は微かに血が付着しだした杖を捧げ持つように正面に立て、フードで顔を隠したまま鼻を鳴らす。
「心外だろう、竜騎士? こんな衆人環視の元で、こんな得体のしれない下民にいいように転がされている。お前が夢見ていた誉れある最期とは程遠いだろう。
見るがいい、この杖を。お前を殺すのは名剣でも魔槍でも、ましてやドラゴンのあぎとでもない。ただのどこにでもある、樫の木の棒に過ぎない」
「え、えええああああああ……!」
だらだらと血の混じった涎を撒き散らしながらハルトは突進した。もはや誰が見ても技などない一撃。猟師は杖を構え真っ向から受け止め、
――杖が耐え切れずに、真っ二つに切断された。
「――――ああっ」
「――――――」
殺せる、と喜色を浮かべたハルトは、次の瞬間凍り付いた。
猟師の手元。折れた杖。鋭く尖った断面が、見せつけるようにこちらに向いている。
まるで最初から予期していたかのように猟師は剣戟を躱し、両手に残った残骸を握りしめ、
「えぅ、ご……」
喉元と鳩尾を同時に突き破った。
もんどりうって仰向けに男が倒れた。びくびくと痙攣している。明らかな致命傷、数分もせずに息絶えるだろう。
猟師は深々と息を吐き、竜騎士を見下ろした。
「……首が欲しい、とは言ったが。――気が変わった」
歩み寄る。その手元が青白い光を放った。出現したのは物々しい外見の戦鎚。
「墓とはいえ、子供の前に生首など置いては泣かせてしまう。
――お前の首はやはり要らん」
ぐしゃり、と何かが潰れた音。一瞬竜騎士の手足が大きく痙攣する。
渾身で戦鎚を振り下ろした猟師は、顔に付いた血を不快げに拭い武器を収めた。
「……床を汚してしまった。どうかお見逃しいただきたく」
「――――ああ、尋常の決闘の結果だ。気にすることはない」
まるで些細なことのように平然と猟師が謝罪し、数拍おいて辺境伯が答えた。
その場の誰もが同じ思いを抱いた――これのどこが尋常な決闘だ?
全周から寄せられる視線に動じる様子もなく、猟師は外へとつながる扉へ足を向ける。
咎める者はいなかった。誰もがこの男の放つ異様な気配に圧されて、身動きを許されなかった。
まるで王侯貴族のように、猟師は堂々と謁見の間の絨毯を踏みにじる。
「魔族の首は差し上げる。精々効果的に用いることです」
「そうさせてもらおう」
扉を守る衛兵は、怯えきった様子で道を開けた。自ら扉を押し開き、その先に姿を消そうとした猟師は、ふと思いついたように背後を振り返った。
「ただ、こればかりは心しておくことです。――――次は、部下の首だけで済むとは思わないことだ」
「――――――」
扉が閉まる。猟師が消える。一瞬の静寂ののち、緊張を解かれた男たちが慌ただしく声を上げた。
「だ、誰か、あの無礼者を捕らえろっ!」
「無駄だ」
領主が制止の一声を発した。
「あれほどの隠密の使い手だ。一度視界から消えたなら再び捉えるのは容易ではない。先ほど散々見せてくれた我が軍の練度で、あの男を見つけられるか?」
「それは……」
「フードで顔を隠していたのもそのためだ。あれでは人相書きも描けるものか。村に軍勢を遣わして見つけたところで、猟師は他人の空似だと白を切るだろう。――そうだろう、『鉄剣のイアン』?」
「……ええ、まあ」
傭兵団長は目を伏せて苦笑した。
「ただ、そうなる前にあの男は姿をくらますでしょうな。元々は『客人』です。しがらみなんてものはない」
「その割には、村人の命に固執していたようだが?」
「さあ? その辺は何とも。……ただ一つ言えるのは、あいつを怒らせていいことなど一つもない、ということでしょうか。……だが、死地で背中を預けるのに、あいつ以上の男はいませんよ」
「ふん……」
ではこれで、などと言いつつ傭兵団長が退室していく。団員の男が続いて謁見の間を出るとき、一度振り返って眉をひそめた。何に対してかは、わからない。
「『客人』か……」
静まり返ったなか、辺境伯はひとりごちた。
――『お客人』、百年に一度現れ、30年の間いいように世界を掻きまわして唐突に姿をくらます。そこに年齢や種族といった区別はなく、あるときは羽虫の魔物の姿で現れることすらあるという。ルフト王朝の開祖を導いたのは一人の『客人』であり、80年前に砂漠民族と騎士団と魔族を同時に血祭りにあげたのも彼らだったとか。
……手に負えるだろうか、この半島の、竜騎士にすら手を焼いている自分に。
まだ爵位を継いだばかりだからと、主君として器を示しきれていないからと、臣下の統制をとりきれないままここまで来てしまった。
竜騎士たちは一人一人が強力な分、それに応じるかのように我が強い。竜騎士の地位は嫡流に継承され、ドラゴンは血筋に従って契約を更新する。新たに契約を結ぶ竜騎士は貴族の分家筋で、無名の適応者が火山でドラゴンと心を通わすなど、ここ百年起きてすらいない。
あのハルトもそうだ。彼の死後、その竜騎士の地位は彼の幼い娘に引き継がれる。魔法の才に長けるとの評判だが、それでもまだ六歳の子供だ。
鍛錬を重ねなくとも、勤勉に努めなくとも、その戦力は依然強力なまま。竜の鞍に跨ってお飾りでいるだけで、あとはドラゴンが周囲を焼き払ってくれる。……過去の竜騎士はドラゴンと意識を同調させ、連携により一騎で巨人を相手取ったとすら言われるのに、今の彼らにはその力の片鱗すらない。
それでもなお、竜騎士の地位に揺らぎはない。この時代における最強の兵科であり、たとえ未熟でも、彼らこそがこの半島で人間を守る要だからだ。
特権意識が生まれるのも、当然と言えた。
「…………」
対して、あの男はどうだろう。
『鉄剣のイアン』。あの血気盛んな傭兵団長。彼の連れている男は間違いなく『客人』だ。そして、あの猟師とも誼を通じているようだった。
竜騎士以上に扱いの難しい連中。その多くは束縛を嫌い、自由気ままでほのぼののんびりと称して大陸の風習を、経済を、環境を破壊していく。そんな、噴火前の火山のような存在。
下手をすると、彼は二人の強力な『客人』を擁している。その力をどう使うつもりなのか……。
「取り込みを、考えておくべきかもしれないな……」
辺境伯の呟きは、誰に聞かれるでもなく謁見の間に消えていった。




