特別報酬は等価交換
その男は、唐突に姿を現した。
そうとしか言いようがない。傭兵団長の後ろに、鎧を取り出した団員の隣に並ぶ形でその男が佇んでいたというのに、今の今まで気付いた人間は皆無だったのだ。
存在感の希薄な男だ。声を上げ、傲岸にも膝もつかず立ち呆けているというのに、注視していなければその姿を見失ってしまいそうなほど。
服装は簡素なものだ。麻の布と毛皮を組み合わせた服に、真新しい深緑の外套を羽織っている。辺境伯の前でありながら、目深にフードを被って表情を隠していた。
男は周囲の不審な視線を意に介した風もなく、呆れたように鼻を鳴らして見せた。
「……竜騎士といえど、この程度の隠形に誰一人気付かないとは。まったく度し難い」
「なに……?」
「あーいえ、こちらの話です。大変失礼しました。
改めまして、ご紹介に預かりました。廃棄村の猟師をしていた、コーラルといいます」
慇懃無礼な猟師だ、というのがその場にいた全員の印象だった。口ではへりくだってはいるものの、領主を前にしながら礼の一つも取ろうとしない。
おまけに『廃棄村』とは。あの村の非公式な蔑称を名乗ることで、開発を後回しにしてきた辺境伯行政に当て付けているようだ。
「……コーラルといったか。貴様の態度には思うところがあるが、そこは置いておこう」
気を取り直して執政が言った。
「そこの傭兵団長がいうには、彼らを上回る功績を上げたそうだが」
「評価する人間によるでしょう。私としては正規軍にすら見捨てられた村を守った彼らをこそ、一等に評価したいものですが。……ただまあ、いち寒村の人間など塵芥のようにしか思わない貴族様にとってなら、私の戦況は際立って見えるでしょうが」
「……今の発言は聞かなかったことにする。だが貴様の働きが取るに足らないものなら、その時は覚悟せよ」
猟師の挑発的な態度に堪えてみせた執政の忍耐力は称賛に値するものだろう。だが彼も次の瞬間には度肝を抜かれることになる。
「これを――」
猟師の手元が青白く光った。だらりと垂らした手に姿を現したそれを、彼はごみ袋でも放るように投げて寄越した。
黒い肌に紫の髪の、人間の生首を。
「な……ッ!?」
「うぐっ!?」
「これは……」
口々に動揺を口にする家臣たち。口元を手で覆い、吐き気を堪える者もいる。生首は数回床を跳ねてゴロゴロと転がり、領主の足元で動きを止めた。
「見ての通り、魔族の首です。今回のスタンピードを扇動したものの末端ですが、首謀者の一員であることに違いはないでしょう。
――ああ、鮮度についてはご安心を。インベントリ内で時間は経過しません。死後一時間くらいしか、腐敗は進んでいませんよ」
猟師は平然としたものだ。指先に絡みついた紫の髪の毛を払い落とし、何でもないことのように続ける。
「残念ながら敵の首魁は逃しましたが、それでも魔族の首級です。手柄として認めていただきたいものですな。……特に、あの戦いであれだけ北を探し回っていた竜騎士様は、誰一人として魔族を討っていないようなので」
「――――――」
その言葉に数人の竜騎士が歯噛みした。
……確かに、魔族の目撃情報があった北方で網を張っていた竜騎士たちは、結局誰一人として魔族を倒していない。見つけることすらできず、完全に踊らされた形になっていた。具体的な戦果を城門前にさらすことも出来ず、魔族など魔物とともにブレスで跡形もなく焼き殺した、と苦しい言い訳を展開する程度。
対し、猟師のこれはなんとわかりやすい戦功か。生首だけといういささか見るに堪えない様相だが、それでもこれを使って勝利を喧伝すれば、被害に遭った領民の溜飲も多少は下がるというもの。
誰にとっても一目瞭然としている。この猟師は、目に見える大変な戦果を引っ提げて現れたのだ。
そして辺境伯は、その目に見える戦果を喉から手が出るほど欲している。
「……見事だった、猟師コーラルよ。参考までにどう倒したのか聞きたいのだが」
顔を引き攣らせ、絞り出すように執政が問うと、
「油断したところを陰から闇討ちにしました。ほとんど反撃もなく、呆気ないものでしたよ。……その首をご覧になればわかるでしょう? 腫れも擦り傷も少ない。ほとんど暴れられなかったので綺麗に斬り落とせたのです」
その言葉に、その場の人間の視線が生首に集まった。集まってしまった。
確かに傷はない。まるでついさっきまで生きていたような魔族の首級だ。元の胴体に据え付ければ動き出してしまいそうなほど。
だがそれでも生首だ。首の断面から血が流れて、謁見の間の床を汚している。筋の通った鼻は投げ落とした際に潰れたのか、歪な形に歪んでいた。耳まで裂けた口は虚ろに半開きになっていて、中から舌がだらりと垂れ出ている。
思わず詳しく見てしまった何人かの貴族が、口を押さえて駆け足で退室していった。それを羨ましく思いつつ、執政は悪趣味な煽動をする猟師を見やる。
表情はフードに隠され、まるで窺えない。
「――わかった、もういい。貴様の功績は充分に理解した。報酬は存分に渡そう」
「それは結構なこと。だが報酬は金銭以外のものをお願いしたい」
「金以外、だと?」
想定外の返答に執政が困惑の声を上げた。ちらりと領主を窺うと、彼は軽く頷いて猟師に声をかける。
「……よかろう。金銭以外で、望むものがあるなら喜んで与えよう。何が欲しい? 我が家に伝わる剣か? 魔道具の類か? 魔族を殺す腕だ、歩兵としてなら叙勲することもやぶさかではないが」
「――――では、同じものを」
「なに?」
すると、猟師はおもむろに腕を上げ、自らを囲む家臣のうちの一人を指さし、
「そこにいる長髪の竜騎士。彼の首を所望したい」
そんなことを言い放った。
「な、に……!?」
執政が絶句する。……この男は、今なんと言った……!?
「聞こえませんでしたか? 首の報酬に首を頂きたいと申し上げたのですが」
「どういう意味だ!? なぜ私なんだ!?」
指さされた竜騎士――ハルトが声を荒げると、猟師は心外そうに首を傾げ、彼を凝視して言った。
「……はて、身に覚えがないと? だとすればその眼は相当な節穴ですな。――だが私は覚えている。全身鎧で覆われていようが、その魔力の色は見間違いようがない。……そこの騎士は、私の目の前で村人を魔物ごと焼き払った。辺境伯はご存じでないと?」
「……あの村の救援に飛んだ竜騎士はハルトだけだ。傭兵が取り逃がした魔物の一団を焼き払い、その先の村に被害が及ぶのを防いだという報告を受けている」
「魔物の一団? 被害を防いだ?」
「そうだ! 私は魔物が拡散して被害が増えないために、一刻も早くあれを焼き払う必要があった。夜も更けていて、人間が混じっていることなどわかるはずがない!」
「抜かせッ!」
突然の大喝。猟師の放った怒号に誰もが凍りつく。
「街道のど真ん中で、偶然スタンピード中の魔物の一団が、一か所に固まって進みも退きもしていなかった? そんなものに出くわしておいて、不審にも思わず馬鹿の一つ覚えに焼き払ったと? その目と頭は何のためについている!? その程度が竜騎士なら、わざわざドラゴンに跨って空を飛ぶ意味はないッ! これなら蜥蜴に鎧を着せて敵にけしかけたほうがよほど安上がりだ!」
「貴様っ、愚弄する気か!?」
「いかにも!」
激昂したハルトが腰の剣の柄を握ると、猟師は虚空から一本の長い杖を取り出した。カン、と杖を床に打ち付け、フード越しに竜騎士を見据える。
「ここに来たのは、お前の首を貰うためだ。守るべき民ごと敵を撃つなど戦士として言語道断。その首、あの娘の墓前に供えねばおさまりがつかん。
――介錯してやるから、大人しく腹を切れ!」




