魔族ザムザール
赤い髪。黒い肌。目は充血したように赤く、瞳孔は縦に割れている。注意して見れば黒い頬にはさらに黒い刺青が施されているのがわかった。
仕立てのよさそうな外套を羽織り、身体の作りは判別できない。
ウェンターが魔族を見るのは初めてだが、さほど人間とかけ離れているようには見えなかった。
「――――ふん、また魔族か。出くわすのは今日だけで三人目だが、どういう因縁なんだ? 俺から変な匂いでも出ているのか?」
「いえいえ、単純に私があなたを探していただけですよ」
「俺を?」
「ええ。なにせうちの戦闘狂が槍を失い腕を折って逃げかえってきましてね。話を聞けば一人の人間にやられたというではありませんか。それほどの難敵なら一度この目で見ておこうかと思いまして」
「ああ、なるほど。つまりはお前があれの言っていた『お上』とやらか」
「ええ。――はじめまして。魔族のザムザールと申します。今回の作戦の立案と指揮を担当していました」
そう言って、魔族の男は大仰に頭を下げた。仕草のいちいちが道化じみていて神経に障る。
魔族の視線が切れたところを斬りかかろうとしたウェンターを、猟師が留めた。
少し黙っていろと、その眼が言っていた。
「……作戦か。わざわざ出向いてくれたんだ。ネタ晴らしくらいはしてくれるんだろう?」
「勿論ですとも! そもそも今回の騒動は、あなた方のために行ったと言っても過言ではないのですから」
「――なんだと」
「ですから、此度の件は、あなた方がこの世界に留まる間に事を起こすための、下準備に過ぎないのです」
顔を上げた魔族の表情は、喜悦に染まっていた。
「……順を追って説明しましょう」
指を一つ立てて、魔族は饒舌に語り始めた。
「……この半島の北にはドラゴンが生息しています。彼らは幼年期は地脈の力を吸収して育ちますが、成竜となってからは他の魔物を主食としています。つまりは北端の魔物はドラゴン達に、常に南進を押しとどめられているのです。人間はあの地を見たことがないでしょうが、なかなか酷いものでしたよ。魔物たちはひしめき合い、今か今かと機会をうかがっていました」
「……あの噴火は、合図だったのか」
「苦労しましたよ。ドラゴンを殺すのは難しい。一体程度なら苦ではありませんが、一度に大量にとなると私でも少々骨です。ですので、地脈に少しずつ毒となる術式を流し、ドラゴン達の休眠期が同期するように調整したのです。主食ではなくとも彼らは火山から無意識に力を吸収する。あの火山の噴火が抑え込まれていたのは、彼らの生来の体質によるものでした。
しかし、同時期に多くのドラゴンが眠りにつけばその体質も弱まり、噴火を押さえつけるものが無くなり、内圧は一気に爆発します。……それを見た魔物たちは好機と見たでしょうねぇ。ドラゴンは今機能していない、今なら暖かい南に移り住むことが出来ると」
「よく言う。どうせ扇動したのもお前たちだろう!」
ウェンターの激昂を、魔族は柳に風と受け流した。
「多少の手助けはしましたよ? 尻込みする彼らを勇気づけるために、少しばかり心をいじったりもしました。棍棒だけでは不安だと言っていたので、前々から溜めていた装備を放出してあげたりもしました。わざわざ私自身が付呪を施した一品です。性能はご存知でしょう?」
そう言って、魔族は猟師の手元を見つめた。既製品に模様の入った戦鎚。まさか、あれが……?
「……あの山賊長は、お前の差し金だったのか」
「まさか! 彼は現役時代、武器の横流しに協力してもらっていたので、袂を分かつ際お礼代わりに渡したのです。まあもっとも、長い時間をかけて洗脳してきたので、元のような清廉潔白な人間には戻れなかったでしょうねぇ。――ああ、山賊になったのですか、彼にはふさわしい身分だ」
「――――――ふん。続けろ」
「これはどうも。話が逸れてしまいましたねぇ。
さて、ここからが本題です。我々の目的ですが、別に魔物を使って人間の領域を侵略することではありませんでした」
「バアルも言っていた。あのチンピラが防御線を突破したのは想定外だったと」
猟師の言葉に、魔族は軽く目を見張った
「――これは驚いた。あの戦闘狂に戦況を考える脳があったとは。……その通り。我々の目的は防御線を突破して弱い人間を殺すことではありません。この戦闘で、人魔隔てなく大量の死者が出ることが目的だったのです」
「隔てなく……?」
どういうことだ、と問いただそうとしたとき、
「いや、待て。……ああ、なるほど」
猟師が遮り、数瞬思案したあと納得したように頷いた。
はたと魔族を見据えて断言する。
「魔族ザムザール。お前、特大の魔力溜まりを作る気だな」
「く、くくく……」
魔族は答えず、ただ笑みを深めて代わりとした。
理解が追いつかないウェンターに対し、猟師は鼻を鳴らして説明を始めた。
「……先代曰く、魔力溜まりの発生要因はいくつかあるが、主なものは次の二つ。地脈の停滞と生物の死だ。今回の場合は恐らく後者だろう。
魔力感知を鍛えていれば認識できることだが、この世界では生物、大気、木石にいたるまで魔力が宿っている。慣れない間はどれが何の魔力か判別が出来ないほどに。その中で魔物や人間を区別できるのは、保有する魔力の濃度が格段に高いからに他ならない。
ならば生物が死んで土に還る際、それが持っていた魔力はどうなるのか。――答えは単純だ。狩りのたびに何度も見てきたとも。死骸に残った魔力は徐々に周囲の大気や大地に拡散し、世界の一部として再び循環していく。……この死亡後の、魔力が拡散しきっていない状態が魔力溜まりだ。……本来、人や魔物が数体死んだところで大したものは発生しない。数時間もすれば完全に消えてしまうほどなんだが、これが百、二百だと話が変わってくる。
傭兵。種族選択の時の説明を見なかったか? 魔族は、魔力溜まりから門を開いて現界すると」
「――――――」
まさか。
言いようもない嫌な予感に襲われて、ウェンターは魔族を振り返った。
「……おかしいと思うべきだった。あれだけ魔物を殺したんだ。周囲一帯が魔力溜まりと化していてもおかしくはなかった。だが、今の村はあまりにも綺麗過ぎる。その上――」
そこで猟師は言葉を切り、魔族の方を顎で示すと、
「お前が胸に隠しているもの、そこから特別濃い魔力が感じられるんだがな……!」
「ふ――――はははははははは!!」
魔族は今度こそ、憚ることなく笑って見せた。




