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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
雪山を行く狼連れの傭兵
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山統べる狼

 ボルドーは焦っていた。

 雑貨屋から前金を受け取り、夜明け前に村を出発。西回りに続く街道を行けば、三度の野営で北西の領都に辿り着く。

 そのはずだったというのに、いまだに一日の行程の半分も進めていない。


「おい! 急がないと日が暮れるぞ! このままじゃスタンピードに追いつかれちまうじゃねえか!」

「待ってくれ。あんたら傭兵は歩き慣れてるかもしれないが、こっちは女子供に、年寄りだっているんだ」


 雑貨屋の反論に歯噛みする。……このまま見捨てて逃げてしまいたいと、何度思ったことか。

 後続を見渡す。長老の息子家族に、雑貨屋の家族。それまではいい。報酬の範囲内だ。だがそれ以外、長老の入り嫁の家族だの、雑貨屋の嫁の兄夫婦だのといった追加があるなんて聞いてない。

 人数が増えればそれだけ脚が鈍くなる。おまけに、一番の年寄りである長老の足はとんでもなく遅い。そのくせ調子のいい時は急げ急げと囃し立てたり、いざ自分が疲れると休憩を要求したりと神経を逆なでしてくる。こちらの意見を通そうとすれば、すぐに依頼人である自分の立場を強調してくる。

 これなら、同じ鈍足でも大人しくついてくる雑貨屋の一人娘の方が百倍マシだ。


 前金だけ持ち逃げする、その考えは常にあった。……いや、むしろこの場で不平を垂れている連中を皆殺しにして、身ぐるみを剥げばひと財産にはなる。それで人生をやり直すことは、十分に可能だろう。

 だがやらなかった。それよりもいい筋書きが浮かんだからだ。


 傭兵団『鋼角の鹿』は村を守ろうとして全滅した。

 ボルドーたちは最後の最後に、団長から命令を受けたのだ。村の住人の希望者を、領都まで送り届けろと。

 ボルドーたち四人は入団したばかりの新入りで、自殺紛いの戦闘に加わらせるのは良心が咎めたのだと。

 だからこれは逃亡ではなく任務。本当は自分たちだって、慕う団長の元で勇敢に戦死したかった。


 世間は言うだろう。なんて勇敢で義に厚い傭兵団なんだろう。そんな彼らの一員なら、たとえ死に損なった新入りでも有能であるに違いない。

 ――そうとも、ボルドー達は憐れにも死に損なっただけの有能な傭兵だ。村に残って討ち死にした『鋼角の鹿』の名声はさらに高まり、団長の悲願に一歩近づく。


 そして、ボルドー達は新生した『鋼角の鹿』を率いて、前団長の遺志を継ぐのだ。


 だから、そのためにもこの護衛依頼だけは是が非でも達成しなければならなかった。長老たちだって無断で逃げ出した後ろめたさがある。口裏を合わせてくれるだろう。


 罪悪感はない。

 馬鹿な団長が考えなしに放り捨てた栄光の未来を、見るに見かねて拾い上げてやったのだ。むしろ感謝して欲しいくらいである。

 30人の傭兵で50のオークと戦う? 馬鹿げている。たとえ勝ったとしても、何人の仲間が生き残れると思っているのだ。

 いい上司とは部下を死なせない上司だ。義理だ名声だと偉そうに部下を死地に送り出すのは無能な上司だ。

 入団直後に上等な装備をポンとくれるから、安全に食っていけると期待していたのに!


「悪いな、鉄剣の団長さん。あんたが遺したものは、俺たちがきっちり守っていくから」


 今頃死地にいる前任者に向けて、ボルドーは軽い調子で嘯いた。

 腹立たしい村人のことはしばし意識の外に置いて、いずれ行う傭兵団経営に思いを馳せる。


 ……さしあたって、新しい剣を買おう。見栄えのいい魔法剣がいい。前団長みたいにみずぼらしい鉄の剣なんてごめんだ。



   ●



 そのはず、だったのに……!


「畜生、なんなんだ、ちくしょう……ッ!?」


 死地にいるとは、誰のことだったのか。

 ボルドーは目の前に剣を突き出して、みっともなく喚いた。


「グゥゥ…………」


 熊だ。白い体毛の巨大な熊。以前依頼で団長が仕留めたものより二回りは大きい。

 獰猛な唸り声を上げる雪熊は、敵意に満ちた瞳でボルドー達を睨んでいた。


 出会い頭に仲間が一人殺された。街道の横合いからいきなり突っ込んできて、気付く間もなく爪で顔を引き裂かれ、勢いそのままに首がへし折れたさまを見た。

 近くにいた村人も被害を受けた。疲れて野営だ野営だと喚いていた長老。あまりにうるさくて魔物の気をひいたのだろう。絶叫を上げながらはらわたを引きずり出されていた。

 そこで他の村人から背中を押されるように前に出て、こうやって魔物と相対している。


「くそ、くそ、くそっ……!」


 悪態をつく。

 だから言ったんだ。早く歩かないと追いつかれると。

 戦いから逃げ出すような傭兵に、熊の相手なんて務まるわけがない。出くわしたら最後だと、理解していたのに。

 無理だ。無理だ。無理だ。こんなの追い払うことだってできやしない。


 足腰が震える。股間に生暖かい感触。体裁なんてどうでもいい。……漏らしていることすら気にならないほどに、目の前の獣が恐ろしい。


 待ってくれ。こっちはまだゴブリンだって殺したことはないんだ。ひと月前に入団して、これまでは雑用と訓練ばかりしていた。

 そんな人間が、こんな、山のヌシみたいな熊と戦う? 冗談じゃない。

 団長もいない。仲間もいない。二人の同期は怯えて後ろで縮こまっている。

 ふざけるな。冗談じゃない。


 初陣が、こんなにみっともないものだなんて。


「グゥォオオオオオオ……!」

「ひいっ!?」


 熊の咆哮に、たまらず悲鳴を上げて腰が抜けた。雪熊はその場に後ろ足で仁王立ちし、威嚇するようにその巨体を誇示した。

 よくよく見ると奇妙な身体だった。熊の毛皮は所々が刃物で斬られたみたいに削ぎ落とされている。片耳も半分欠けていて、癒えきっていない傷口から赤い肉が覗いていた。腕の傷口から見える白い物体は、ひょっとすると骨だろうか。


 ――手負い。

 そう判断したところで、何が変わるわけでもない。むしろ負傷して興奮した獣は、目を血走らせてこちらを睨みつけている。


「ぁ……」


 ああ、死んだ。

 全身から力が抜ける。負傷してなお大の男を瞬く間に殺すその暴力。そんなものにかなうわけがない。


 その巨躯を見上げて呆然と剣を下ろしたボルドーに、熊は咆哮を上げて無傷な片腕を振り下ろし――


「――――オン」


 不意に現れた黒い影に、その片腕を喰いちぎられた。


「グ、ゥオオオオオ!?」


 悲鳴が轟いた。片腕を失った熊は怯む様子を見せ、だくだくと傷口から鮮血を流しながら後退し、


「――――ォ……」


 呆気なく、その命を絶たれた。


「なん、なん……!?」


 言葉にならない。

 目の前には雪熊の死骸。どさりと倒れてピクリともしない。それもそのはず、首から上を失っては、どんな魔物も生きてはいられないだろう。

 そんな熊の死骸の傍らには、


「――――ガゥ」

「グゥ?」


 狼だ。それも二頭。通常の狼よりもかなり大きい。スタンピードで氾濫する獣はみな巨大化するとでもいうのか。

 どちらも黒い体毛で、身体の所々が血で赤く染まっている。傷があるように見えないから、恐らくは返り血なのだろう。

 そんな狼たちは、腰を抜かしたボルドーを尻目に、自らが喰いちぎった熊の腕と頭をお互いに見せ合っていた。まるで戦果を自慢しあうように。

 尻尾をぱたぱたと振りながら首を傾げ合うさまは、どこか遊びに興じる子供のようにすら見えた。


「クゥ?」

「ぐぁ?」


 やがて飽きたのか、狼たちは咥えていた肉片を吐き捨てて、ボルドー達を見据えた。


 ……ああ、次は自分かと思った。

 抵抗する気など失せていた。あんな、熊を一瞬で殺すような狼だ。歯向かったところで苦痛が増すだけだろう。

 捨て鉢になったボルドーを、狼たちは品定めするような目で眺めて――何故か、興味を失ったように視線を逸らした。

 目を伏せてそっぽを向き、呆れたように鼻を鳴らす。……どうしてだろう。そんな、どこか人間臭い仕草に、不思議な既視感を覚えた。

 そして、


 ――――ォォォ……


「――――?」

「――――!」


 どこか遠くから聞こえてきた、微かな遠吠えに反応し、二頭はピクリと首をもたげた。そして何をする気なのかと思う間もなく、一目散に駆け去っていく。

 山の起伏すらものともせず風のように疾走する狼たちは、全身に戦意を漲らせていて、まるでボルドーなど歯牙にもかけない戦士のよう。


 ――結局、腰抜けたちに一瞥すら残すこともなく、狼たちは姿を山の中に消した。


「なんなんだ、いったい……」


 取り残されたボルドーは、呆然と呟いた。

 雑貨屋にしがみついて震えている娘が見えた。村人の誰もが怯えた様子で、ここから多少進んだところで野営しようとは誰も言わないだろう。だが夜を徹して歩いたところで、進める距離はたかが知れている。

 スタンピードはもう間近に迫っている。歩き詰めたところで、領都に着くのを待たずに追いつかれるのではないだろうか。だいたい雇い主の一人である長老を死なせた段階で、ボルドーの計画はほぼ破綻している。

 ならばいっそのこと戻るか? 進めば領都まで二日以上かかるが、村への距離は半日程度だ。ひょっとすると団長がうまいこと南進をいなしているかもしれない。だがどんな言い訳を用意する? そもそも戻ったところで村が滅んでいたら、今度こそ自分たちは嬲り殺しにされる。

 混乱に拍車がかかる。進んだところで間に合わない。戻ったところで破滅しかない。


 わからない。なにもかも。進めばいいのか、戻ればいいのかすら。

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