雄叫びを上げろ
傭兵の命は軽い。それに比例するように、その給金も。
当然だろう。彼らは金によって主を変える。金を積まれれば戦場のただ中ですら雇い主を裏切るし、命の危険のある戦いには決して参加しない。
いやむしろ、勝算があったとしても、戦力が拮抗した時は出撃を渋ることすらある。彼らが進んで前に出るのは戦局が決した追撃戦ばかり。敵の背中以外は斬ったことがないという傭兵もいる。
結局は、戦いではなく、殺しをしたいだけなのではないだろうか。
命どころか血の一滴も損ないたくないのだと、ある傭兵は語った。酒の入ったジョッキを呷り、片手に女を抱きながら。
……その酒と女を買う金は、戦場になった村を略奪して得たものだった。
西で散発した、砂漠民族との小競り合い。彼は昼の戦闘に参加せず、仲間とともに戦場の端にある、無防備な小さな村に襲い掛かり、それが戦功として認められたのだ。
その村の住民は皆殺しにされたという。この廃棄村のように、ほとんどが戦う術も知らない老人や女子供だったというのに。その男が何もしなければ、その村は戦場と認められることすらなかったというのに。
必要な汚れ仕事だと雇い主の騎士は言った。虫唾は走るが、敵の作る麦を減らすことは、敵を減らすことにもつながるからと。
清廉潔白な騎士様にはできない。だから汚れ仕事は傭兵にやらせる。だから傭兵の給金は安い。不足分は略奪によって補うのだから。
……そんなもの、そこいらの山賊と何が違う。
――そう、情けを知らず、誇る義もなく、信を得る努力もしない。それがこの大陸の、この時代の傭兵である。
それが、イアンはたまらなく嫌だった。
いけないのか、傭兵が誇りを胸に戦っては。
弱者から奪い取るのではなく、正当な客のみから高い報酬を受け取り、弱きを助け、強きを挫く。そんな傭兵は時代遅れなのだろうか。
英雄になりたい。本当の戦士になりたい。
幼い頃寝物語に聞かされた、征服王に従った傭兵卿のように。
綺羅星のような豪傑と轡を並べ、ともに倒した強敵について語り合いたい。
苦難に襲われるか弱い娘を颯爽と救い出し、報酬は頬への口づけだけでいいと気障な台詞を吐いてみたい。
保身に走る騎士を尻目に、報酬を出すならどんな相手とだって戦ってやると吹いてやりたい。魔王の首にいくら出す、と格好をつけて言ってやりたい。
――それが、この鉄剣の原点だ。
仲間が欲しい。ともに誇りを胸に、理想を語り、未来に向けて走っていける仲間が。
そのためなら、たとえ千金だって惜しくはない。
力なんていらない。そんなものはともに歩いていれば身につくものだ。
才能なんていらない。そんなものは仲間とともに見つけていくものだ。
金は要らない。俺にはこの鉄剣があればいい。
金は、俺以外の誰かのため使う。そうやって仲間が増えていく。
死んだ者もいる。怪我で抜けていった者もいる。それでも――
ただ、思いが。
思いがともにありさえすれば、俺たちはどこまでも昇っていけると――――!
●
――そんな、俺たちを。この猟師は何と言った……?
「雑兵、だと……?」
声が震える。握り込んだ拳がぶるぶると激情を抑え込む。
そんなイアンを、目の前の猟師は臆面もなくせせら笑った。
「そうとも。ここでお前たちが死ねば、『鋼角の鹿』などどこにでもいる犬死にした傭兵団の一つだ。お前たちの積み上げた実績は、その犬死ににすべて打ち壊される。誇りや面子なんて脆いものだ。
――――そら、あとに残るのはただの雑兵。ただの木端武者だろう?」
「――――――」
――侮辱するのか。俺を、仲間を。村のために死んだ傭兵を。
目が眩む。あまりの怒りに頭が煮え立つ。
イアンが何も言い返さないのをいいことに、猟師は嘲るように鼻を鳴らした。
「……まったく、大層な大口を叩くかと思えば、こんなところで全滅しかけている。期待外れもいいところだ。こんな腰抜けに雇われようとしていたなんて、自分が恥ずかしい。……これならさっさと見切りをつけて、山に逃げ込んでおけばよかった」
「言いやがったな、猟師風情が」
「戯け。その猟師に気後れしているお前は何だ? 戦士か? 小娘か? 小鹿か? ――ああ違ったな。お前自身が言っていた。……お前は風見鶏だ」
「…………ッ!」
風見鶏。日によって仕える相手を変える傭兵を揶揄する言葉。イアンが最も嫌う言葉。それを猟師は口にした。
「お前はそこらの傭兵と何も変わらない風見鶏だ。お前が自慢げに掲げているきらきらした角も、さっさと鶏の模型に差し替えてしまえ。そのほうが紛らわしくないか――」
ガン! と。
猟師の声を遮って、イアンは剣と盾を打ち鳴らした。耳障りな音が響く。
「…………違う」
「何が違う」
再び、盾を打ち鳴らす。さっきよりも力強く、盾を持つ手が痺れるほどに。
「……俺たちは、鋼角の鹿だ」
「ほう?」
猟師が眼を細めた。その眼を見据えて、イアンは続ける。盾を打つ。
「――そう、俺たちは鋼角の鹿だ。誇りある傭兵だ。ザルム渓谷に覇を唱える、無敗の鹿だ」
「そうだとも……!」
カンッ、とすぐ傍で音が響いた。ウェンターだ。手に持つ長剣の柄頭を胸甲に打ち付け、彼はその胸を張った。
「鋼角の鹿は群れの仲間と角を並べ、逆落としに敵を串刺しにする。友と歩を並べるからこその無敗だ」
また、音が響いた。先鋒の班長を任せていたガインだ。
「臆する鹿はいない。彼らは常に前だけを見て、敵を貫くことだけを考える」
傭兵たちは言う。己の武器を打ち鳴らして。
「死を恐れる鹿はいない」
「いや、死の中に笑って突っ込むのが俺達だ。その先を、友が進むと信じているから」
「犬死にする鹿はいない」
「友がさせない。仲間の屍を踏み越えて、その遺志を継ぎ続けるから」
「鹿は負けない。俺たちは必ず勝つ」
「敵を打ち倒したそのあとに、俺たちは仲間とともに勝ち誇る」
「鋼の角を振り上げて、俺たちは勝鬨を上げるんだ……!」
剣が鳴った。槍が鳴った。弓が鳴った。石を持つものは足を踏み鳴らした。
普段なら五月蠅いだけの、耳障りな騒音が、今はこれほどに頼もしい。
――これをみろ。
――これこそが俺の誇りだ。
――これが、この夢見がちな団長についてきてくれた若い鹿だ。
――これが、この無謀な理想に共感してくれた若い傭兵だ。
――――断じて。
「断じて、俺たちは風見鶏なんかじゃない……!」
そんな傭兵たちに、猟師は何を見たのだろう。
掴みどころのなかったその瞳は、挑むように、願うように見開かれていた。
「――――結構」
言葉を返した猟師は、口元を微かに緩めた。
「左男鹿の八つの耳を振り立てて、か……」
意味の通らない言葉を呟き、今度こそ猟師は傭兵を見つめる。
侮りはない。蔑みもない。
その眼には殺意が、戦意が、ギラギラと溢れんばかりの激情が漲っていた。
「ならば構えろ、傭兵! 団体様のご案内だ……!」
「鋼の鹿に栄光あれ!」
「鉄剣に!」
「ハスカールに!」
傭兵どもが気勢を上げる。手始めに脚が潰れて身動きが出来ないトロールを血祭りにせんと群がっていく。
そのあとは――――いや。
結末のわかりきった戦いを語る必要はないだろう。
鋼角の鹿は無敗の鹿だ。その名を冠する傭兵も同様である。
付け加えるなら、蛇足に一つ。
「ハスカール、か……」
聞きなれない言葉に傭兵団長の口元がにやつく。
よくわからないが、格好いい響きだな、と珍し物好きの心が疼いた。




