廃棄村の戦い
「……違う」
誰かが呟いた。
声がした方向を見ると、ウェンターが目をすがめてオーク達を観察していた。
「何が見えた、ウェンター」
「あの鎧、確かに領兵の装備ですが、あの赤黒い模様は錆ではないようです。どれもこれもが同じ場所に同じ模様が描かれている。多分、魔法が付与されているのでは。
……闘技場の装備にも、似た雰囲気の鎧があったのを覚えています。あれは実力の開き過ぎた闘技者にハンデを科すために、行動阻害の術式が組み込んであったんですが」
「……あの鎧がオークの動きを縛ってるってのか?」
「模様が違います。多分違う術式でしょう。……ただ、あの見た目からして碌なものでもないでしょうが」
確かに、とイアンは頷いた。鎧に描かれた波打ち渦を巻く模様は、眺めているだけで船酔いしたような気分になってくる。そんなものがただ防御力を上昇させる程度の効果とも思えない。
十中八九、精神干渉系の何か。高揚か、最悪狂化。奴らがひとかたまりになって移動しているのと関係があるのだろうか。あるいはこのスタンピードの発端にも関係している?
……今はどうでもいいことだ。イアンは首を振って気を取り直した。――今は、どうにかしてあいつらを防ぎきることを考えなければ。
●
「――――放てェ!」
曲射を狙い、逆茂木を前にして12人の傭兵が弓を引いた。矢は山なりに放物線を描き、魔物の上から襲い掛かる。当たり所が良かったのかゴブリンが二体倒れた。だがそれだけだ。ほとんどの矢はオークが身に纏う鎧と盾に弾かれ地面に落ち、虚しくその足に踏みにじられる。
……弓を使えるといっても専業という訳ではない。剣や槍を主とする傭兵であり、強弓を扱えるわけでもない。
……少数精鋭でやってきたとはいえ、鍛え方が器用貧乏に過ぎたかもしれない。強弓を扱える人間も育成しておくべきだったか。
今更後悔しても遅いがとイアンは皮肉に笑った。
「よっし! 二体削った。この調子でじゃんじゃんぶち込め!」
弱気は見せない。弱気を見せれば部下の心が折れる。心が折れれば手元が狂い、弓の狙いが付けられない。
こういう時こそ、大将は余裕を見せなければならない。
幸いなことに、敵の進軍速度は遅い。盾を構え、矢を警戒しながら進むため足が鈍っている。……ひょっとしたら、長征の疲労がここで出てきたのかもしれない。
敵との距離が100メートルをきった頃、さらに追加で三体の小人と二体のオークを倒すことに成功した。
「来たぞ! 印字兵、石を投げ込め!」
ウェンターが叫んでいた。弓の苦手な傭兵と村の有志が石を投げ始めた。ウェンター自身もスリングを持って拳大の石を旋回させている。
投石紐を用いた石の投擲は下手な弓矢以上の破壊力を誇る。矢は鎧に阻まれて鏃が刺さらなければそれまでだが、拳大の石はその重量をもって敵に衝撃を伝えるのだ。たとえ殺せなくとも当たりさえすればダメージは蓄積するはず。
そして――
「ちっ……」
イアンは思わず舌打ちを漏らした。大半の石は敵に向かわず、見当違いの方向に飛んでいる。確かめずとも村人の投げたそれだとわかる。
やはりにわか仕立ての投擲兵は賑やかし程度にしかならなかったか。
それでも、偶然命中した石には敵を昏倒させているものもあり、多少の戦力にはなっていた。
「ゲェオオオオオオオ!」
苛立たしげにオークが吼えた。もはや50メートル。彼我の距離は大分近づいている。本来遮蔽物もない平地の浜辺だ。その鈍足でも駆け寄れば20秒もかからない距離。一息につめ寄りたいのだろう。
だがそれを許すはずもない。その位置からここまではこちらの領域だ。柵を構え杭を打ち穴を掘り、徹底的に足場を不安定にした。彼らが真っ直ぐ走ってこれるはずもない。必ず立ち止まり、迂回し、バランスを崩す。そこを弓と石で狙う。
そしてそこを抜けたところで、村北面に境界を作るように掘った空堀がある。無防備に乗りあがろうとするなら、用意していた人の頭ほどの岩を投げ落とす。これほどの大きさの岩なら、たとえ領兵の上等な兜を被っていようが殺すに十分だろう。
弓も直射に切り替え、前面の弾幕がさらに厚くなった。大した防具を身に着けていないゴブリンや小人たちが先に倒れていき、オーク達も柵を潜り抜ける頃には十体を上回る程度になっていた。
そして、
「――――総員、抜剣!」
イアンが号令をかけた。前方のオークの様子に、どこか気後れのようなものを感じた。
もうひと押し、もうひと押しあれば敵は瓦解する。その確信がある。ならば、
――ここは、前に出て押し散らす。
鉄剣を抜き、愛用の盾に打ち付ける。……調子はいい。いつもの戦場、いつもの相手だ。
空堀の上から跳躍した。狙いは地滑りながら堀に突入しようとするオーク一体。転ばないようバランスを取るさまはいかにも無防備だった。
「おおおおおおおっ!」
突き込んだ。領兵の装備は矢を通さないほど強固だが、それも数十年も前の規格で、所詮は一般兵の装備に過ぎない。予算や技術、使い勝手の面で覆いきれず、露出している急所はある。
たとえば、このオークの喉元のように。
「ブェ……!?」
オークがくぐもった断末魔を上げた。、イアンは構わず剣を引き抜いて、今度は逆側のオークに左手の盾を叩きこんだ。二メートルを超える巨体が衝撃でよろめく。そこに、
「だから、総大将が勝手に突っ込むなっていつも言っているでしょうが……!」
ウェンターの一撃が襲った。両手に大剣、上段からの振り下ろしは力任せに兜を砕き、オークの脳天を砕く。
力なく膝を折った巨体の頭に足裏を乗せて剣をこじり抜き、彼は戦闘の興奮もそのままに怒鳴りつけた。
「指示を出すあんたが前に出てどうするんですか!? 団長が死んだら終わるんですよ!?」
「ははっ! だったら命令だ! 全軍前に出てあの豚頭を叩き潰すぞ!」
背後で何人かが弓を投げ捨てるのが見えた。団員たちが思い思いの得物を持ち前に出る。
『鋼角の鹿』ではこういうとき、必ず二人一組で行動する。片方が負傷した際に相方がフォローできるし、強敵に当たるときの連携は生存性を大幅に高めてくれるからだ。
ちょうど、今のように。
「はあああっ!」
「いやぁああっ!」
身を屈めオークの脇を駆け抜ける。すれ違いざまに無防備な膝裏に斬りつけた。腱を斬られバランスを失い膝をついた敵の頭を、今度はウェンターが大剣を横薙ぎに斬り払った。刎ね飛ばされたオークの首が宙を舞う。
ナイフを手に襲い掛かるゴブリンを盾で吹き飛ばし、正面の小人は蹴倒して踏みにじる。息のある敵は団員の一人が飛びついて止めを刺した。その分だけ敵が減り、味方が前に出る。
あるオークがでこぼこした地面に足を取られて転倒した。団員が二人がかりで斬りかかり、その喉を切り裂いていた。
自ら耕して不安定な足元でも、こちらは動きに問題はない。短いながらも訓練を施した甲斐があった。
勝てている。今、傭兵たちは想定外な装備で身を固めたオークを相手に押している。
ただ、それでも――
「ぎ……!?」
悲鳴が聞こえた。視界の端に顔を斧で割られた団員が見えた。芸術都市でスカウトしたゴドー。剣の腕は凡庸だが、時折放つ蹴りが強烈だった。
「くぁああっ!」
切り伏せる。死んだ仲間の分だけ前に出る。そう言った。そう言ったのだから前に出て敵を斬る。立ち止まりはしない。振り返るのはこいつらを殺しきってからだ。
……ああ、また死んだ。ベレーがオークと刺し違えている。元は樵の癖に、盾の扱いが巧かった。当然自分には劣ったが、新入りの見本に最適だった。
斬り伏せる。……畜生、畜生。よくもお前ら。魔物風情が。お前らが殺した、お前らが潰した未来は、どれほどの価値があったか知ってるか? どれほど大きな物を見据えていたか、知っていたか?
奴らがどれほどのものを俺に懸けてくれていたか、お前たちは知っていたか?
立ち止まらない。立ち止まってたまるか。
ここで止まれば、先に逝った奴らに会わせる顔がない。
「あああああああ……ッ!」
立ち止まるものか――――!




