認識の差がもたらした誤算
昼下がりから敵の攻撃が二度ほど押し寄せている。
第一波は虎や熊、人狼といった獣の混成部隊で、用意した弓矢が遠くからではほとんど当たらなくて難儀した。
最初の方は慣れない防衛戦ということで傭兵たちの動きも悪く、数体の魔物がその恐るべき跳躍力で堀と柵を跳び越えて内部に入り込み、四人の仲間が殺されている。入り込んだ魔物はそれぞれ古参の傭兵が止めを刺した。
だがそれ以上は許さなかった。事前に南西の森から採集していた魔物跨ぎの果実。あれを投げつける作戦に出たのだ。あの悪臭は獣型の魔物にとって天敵だったらしく、悲鳴を上げて怯んだところに矢を浴びせかけ、多くを殺すことに成功している。
ただやはり被害は大きかった。怪我で武器を持てない仲間もいる。40以上の獣がわき目も振らずに突っ込んでくるのだ、果実がなければどうなったことか……。
第二波は小人やゴブリンを主としたやや俊敏で小柄な種族。これもあまり問題はない。地面に飛び散った果汁跡を避けるように駆けつけてきたので、集団に固まりやすく、矢を当てるのに苦労はしなかった。
体格上大した防具を身に着けることが出来ず、矢を二本も撃ちこまれれば絶命する脆弱さも大きな理由だろう。
後続の群れと間隔が開いているらしく、使用した矢を回収し、怪我人の手当てと軽い食事をとることが出来た。
怪我の手当てといっても、大したことが出来るわけではない。
薬師の老婆からよく効く塗り薬の供出を受けているが、薬を塗って三分経てば傷口が塞がるわけではない。骨を折った仲間がいる。足の腱を切って立てなくなった仲間も。虎に指を喰いちぎられて剣を持てない身体になった男もいた。
治癒の魔法を使える団員はいない。それに、欠損を治すにはAランクの光魔法が必要だ。そんな高位の魔術師や神官は領都にもいない。
……残念ながら、この戦いのあとの『鋼角の鹿』は人数を大きく減らすだろう。
重傷の者は後方に送っている。他と比べて広い酒場で、食卓や椅子を片付けて怪我人を寝かせたのだ。
死者は四人、とは言ったが、戦闘に耐えられる人数は二十人を切った。志願した村人も含めればもう少しいるが、彼らには石とスリングを持たせて一歩後ろに控えさせた。素人に剣を持たせるつもりはない。
乾いたパンを齧りながら頭を整理する。
少し不思議に思うことがあった。魔物の死骸が積み重なるなかに、未だ漂う魔物跨ぎの実の効果についてだ。
スタンピード中の魔物は周囲の状況に酔って、極度の興奮状態にあるという。いくら悪臭がするからといって、こんな果実一つに足を止めるものなのだろうか、と。
猟師からの報告と、実際の敵数に違いがあるようなのも引っかかる。
四つ足が100以上、と報告にはあった。だが今まで殺せた獣は精々が50程度。数が合わない。
……まさか、猟師が相手取っているのか?
ありえない想像にイアンは思わず苦笑した。……いくら得体のしれない男でも、さすがにそんなことをすれば自殺行為だ。そうではないと思いたい。
……そう、あの男は簡単に死に急ぐほど馬鹿じゃないはずだ。
猟師といえば、あの男出立する前に奇妙なことを言っていた。
南進してくる群れに対し、防備を固めようとしているときのことだ。
主要ルートがわかっているとはいえ、敵が同じ方向から馬鹿正直に突っ込んでくるとは限らない。北西の山を迂回して村の西側を突かれるのを防ぐため、兵を分けようとしたとき、猟師が止めたのだ。
――敵が山を迂回してくることはない。守りは、北面の海岸沿いだけを固めたほうがいい。
そう言った猟師に、当然反感をもった。何だってそんなことを言えるんだと問いただすと、
――あの山は灰色の縄張りだ。たとえスタンピードだろうが、余所者に好き勝手させるとは思えない。
それに、と猟師は不思議な笑みを浮かべて、
――それに、あれがこの南進に加わっていたら、備えたところでどうしようもない。大人しく自決でもするんだな。
随分と確信ありげな口ぶりだった。
……正直、イアン自身も兵を分けられる状況ではないとは思っていた。あまりに数が少なすぎる。数人西に配置したところで守り切れるはずがないし、纏まった数を送れば今度は主戦場の北面が落される。
この二律背反、この歯痒さ。まったくもって胸糞の悪い。
……あーくそ。籠城戦の指揮なんてしたことないっつーの!
内心ぼやきつつも表には出さない。守戦の素人でも、弱気を表に出したら士気に関わることくらいは知っていた。
結局、協力を申し出た村人を三人、見張りとして村の西に配置することになった。
本当に西には来ないんだろうな、と目を据わらせたイアンに、猟師は苦笑して言った。
――わかった。そんなに心配なら、そのうち証拠をみせてやろう。
意味深な言葉を残して猟師は姿を消した。そして夜が明け魔物との戦端が開かれたが、北の山から魔物が迂回してくる気配は、ない。
時折山の方角から聞こえる狼の遠吠えは敵意に満ちていて、まるで何かを追い立てるようだった。
……証拠は、多分送られたのだろう。報告書を首に提げていたという灰色狼。あれが件の山のヌシであるなら。あれが人間と敵対しないというなら。あれが、人間の味方をしてくれるというなら。
いや、違う。
人間の、ではない。きっとその山のヌシは、猟師の味方をしてくれるのだ。
●
「な――――ッ!?」
そうしてとうとう、彼らがやってきた。
オークの群れ。数はおよそ二十程度。その大半は武装し、敵意を目に宿し興奮した様子で進軍している。
ゴブリンや小人を供に引き連れ、総勢は四十を超えている。
言葉にしてみればなんということもない。だというのに、その異様なさまはイアンたち手練れの傭兵を絶句させるに足るものだった。
ぞろぞろと列をなし、ふがふがと鼻を鳴らして歩を進める。横に膨れ上がった体躯は脂肪か筋肉によるものなのかわからない。時折手に持つ武器と盾をがんがんと打ち鳴らして威嚇を示している。
それだけならいい。多少勇ましいオークなど、芸術都市で稼いでいた頃に散々見た。問題なのはその外見――
「なんだ、その装備は……!?」
理解が追いつかない。
オークの装備といえば、木を削った棍棒であったり、獣の角や割って尖らせた石を使った斧であったり、あるいは死んだ人間から剥ぎ取った、錆びついた鉄製の武器であったりが精々だというのに。
どうしてオークが領兵の装備などを身に着ける……!?
何度見直そうが変わらない。あの形、意匠は忘れもしない。練度も大してないくせに鼻持ちならなかった、領都の歩兵どもと全くの同一。
多少古びて赤黒い錆が浮いているが、あれは数十年以上にわたって更新されてこなかった、領兵の歩兵装備に他ならない。
答えを返すものはなく、魔物の身に着ける鋼は、夏の日差しをうけて凶悪な輝きを放っていた。




