火の玉特攻野郎
疾走する。
横目で敵情を確認。三つの火球が俺めがけて飛来するところだった。
跳躍。一つ目を跳んで躱し、燃え尽きて黒焦げた木の幹を足場にして反転飛び。股の下を二つ目が通り過ぎたのを尻目に、牙刀を上段に振り上げ真上からモナンを両断せんと突っ込んでいく。
三発目の火の玉――躱せない。牙刀はその材質の面から火に近づけたくないし、水魔法は間に合いそうにない。
なので殴った。
「な……!?」
火球を殴ったせいで腕巻が燃え尽きる。痛みはない。熱も感じない。
燃える腕から紅銀が覗く。
――先代の篭手は、完全に魔法を遮断していた。
「ふっ――――」
「ぐ……っ!」
一閃。
……惜しかった。火球に対処したため間合いを詰めきれなかった。振り下ろした牙刀は切っ先が魔族の腕を掠め、勢い余って地面を叩いた。
「てめえ!」
噴き上がる炎と死の気配。男の掲げる両手の先に、今まで以上の魔力の気配があった。
全身をばねにして横に跳ぶ。一瞬遅れて爆風が身体を追いかけてきて、十メートル以上を吹き飛ばされた。
みっともなく地面を転がり、木の幹にぶつかってようやく止まった。息が詰まるのを堪えて立ち上がる。
止まるな。
捕捉されたら終わる。
あの火球は一撃でこちらを殺すに足る威力。篭手の加護はそう何度も通用しない。
正面から突破することは困難、ゆえに勝ち筋は死角を突いての強襲が望ましい。
ならば動け。死に物狂いで。
四肢を置き去りにするほどの速度をもってしなければ、この敵を打倒することは困難だ。
「――――ォ」
駆ける。魔族の視線から逃れるように、焼け焦げた木の幹を陰にして、一瞬でも見失わせられないかを試す。
効果は――なし。
モナンはにやけた顔を崩さないまま片手を掲げた。掌に光点が灯る。炎の球。わずかゴルフボールほどの大きさだというのに、その内包している火力は――
「ファイアボルト」
「く……ッ!」
放たれる火球。矢のような速さで迫りくる。
躱せない。間に入る遮蔽物もない。ならば――
「この……」
意識を沈める。心臓で脈打つ魔力を手元に手繰り寄せ、水流に変換して撃ち放った。
距離はある。迎撃は間に合った。衝突した水と火は互いを打ち消し合い、
次の瞬間、爆発的に体積を増した水蒸気となって俺を吹き飛ばした。
「が……!?」
地面で背中を打って、たまらず苦鳴が漏れた。すぐさま起き上がり、追撃を警戒して近くの木の幹に身を隠した。
……くそったれめ。あんなちまい火で水蒸気爆発なんて、どんだけ温度が高いんだ。
「おいおいおい! 何だぁ今の小便水は!? まさか魔法か? このド素人が!」
魔族は今の水魔法がお気に召さなかったらしく、腹を抱えてげたげたと笑っていた。
「……お前、ひょっとすると独学でやってきたな、この間抜けが。スクロールを使えば一瞬だってのに、馬鹿じゃねえのか!」
「…………」
ちょっと、そこらへんをもっと詳しく。
つい催促しそうになる自分を抑え込む。
自分の魔法がファンタジー世界の割に威力に乏しいのは理解していた。先代の冊子にも初歩の習得は猿でもわかるとでも言いたげに省略されていて、遺産の中でもあれだけは難解な暗号文と化している。
自分にできるのは冊子を虫食いに実践して、地力を上げていくことくらいで先行きが暗かったのだが、もしかするとここで突破口が開けるかもしれない。
期待を込めて魔族を見ると、モナンはにやにやと笑って、
「仕方ねーからさあ? 玄人の俺がお手本ってやつを見せてやるよ?」
――――ファイアブリッツ、と。
その唇がそう呟いたのが見えた。
魔力が蠢く。
男の内包している魔力が身体の外に引き出され、意志を持っているかのように舞い上がる。
そしてその粒子は空中にとどまり、一つの魔法陣を描き出した。
「それが……」
それが、魔法か。
なるほど俺がやっているのとはまるで違う。
……というか何なんだあの魔法陣。魔力が勝手に出てきて勝手に動き始めたように見えた。あいつが意識的に動かしたようにはまるで見えない。
魔法と言いつつ何か自動的な、機械にコマンドを入力しているような印象を受ける。
完成した魔法陣を前に、魔族は口端を吊り上げて、
「そんじゃまあ実演してやるよ。――授業料はお前の経験値っつーことで」
その魔術を解き放った。
魔法陣から火球が生じる。それも一つだけでなく、次から次ととどまることなく。
最終的に視認できた数は12以上。
防ぐ術などあるはずがない。
殺到する火球に包まれ、俺の視界は真っ赤に染まった。
●
「――――げふっ」
もうもうと周囲に立ち込める白い煙。濃密に広がったそれはこの場を完全に包み込み、伸ばした手の先すら視認が難しい。
人間の焼ける悪臭と噴き上がる湯気に、魔族モナンは軽くむせた。
「あーあ。態度だきゃあでかいくせに、とんだ雑魚じゃねえか」
呆気なく終わった戦闘に拍子抜けする。思わせぶりな言動と裏腹に、人間の男はなす術もなく焼き殺されている。直前に性懲りもなく水鉄砲を打ったようだが、そんなもので防ぎきれるはずもない。
起こったことは以前の焼き直し。蒸発する水と肌を打つ爆発。ただ今回違ったのは、奴が吹き飛ぶ前に後続の火球が襲い掛かったことか。
死ぬなら死ぬで大人しく食らっておけばいいものを。男が無駄に足掻いて水を放ったせいで、こちらまで煙と一緒に大量の湯気を被った。おかげで身体中がずぶ濡れだ。
煙と湯気に視界を遮られたが、仕留め損なってはいない。白く煙る中に手ごたえを感じた。燃え上がる人影を確認し、ようやく火弾の掃射を止めたのだ。
「……へっ」
侮蔑の意味も込めて唾を吐く。素人が粋がりやがって。
……それにしても、本当に雑魚だったらしい。今の戦闘で何一つ、スキルもステータスも上昇しなかった。いくら魔族のスキル成長が他種族と比べて数倍劣っているにしても、自分の腕を斬った男だ。それなりにレベルも高いと思っていたのに。
……まあ、それも当然か。いくらステータスが高かろうが、プレイヤーに自分ほどの魔力を誇るものがいるとは思えない。魔法の撃ちあいで負ける気はしなかった。
最初魔族を選択し、魔力特化のキャラを押し付けられたときはどうしようかと思ったものだが、これはこれで嵌れば強い。
魔族はスキルは伸びにくいがステータスは上がりやすいし、レベル上昇のハードルも低い。適当に走り込みや筋トレをするだけでどんどんレベルが上昇し、それにつられて魔力もぐんぐんと伸びた。今や魔力値は120の大台に乗ろうとしている。
最初に覚えた火魔法も、初めは皮膚を火傷させるのが精々だったのが、今では人狼を一撃で消し炭に変えるほどである。
そこに棒立ちになってる猟師だって、ほとんど原形を留めて――
「あぁ……?」
そこで気付いた。
霧の先に浮かび上がる、その人間の死体の影、やけに大きすぎないか……?
何体もの敵を焼き殺してきたから経験として知っている。焼死体は燃えた分、生前と比べて身体が縮んでいるものだ。だというのにこの死体は数分前と変わらないどころか、むしろがっちりと大きくなってさえいるような――
「まさか――――」
思い当った。込み上げる焦燥を抑えつけ、煙を押しのけて前に進む。近づいた分だけ煙が薄れ、目の前の人影が明瞭に浮かび上がる。
そこにいたのは、
「まさ――」
「大正解。――だが残念ながら時間切れだ」
後ろからの衝撃につんのめる。それはさほど強くない、まるで知人に背中を叩かれるような感触。ややあって、胸に熱い感覚が押し寄せる。
なんだ、これ、と間抜けな感想を抱くのと、込み上げた熱い感触が喉をせりあがり口から噴き出るのはほぼ同時のこと。
呆然と見下ろすと、自分の胸から象牙色の刃が生えているのが見えた。




