鍛冶師の戦い
夜が明けたとき、村からは何人かが消え去っていた。
傭兵団の構成員が、怖気づいて逃げ出したのだ。その数は四人。団長の予想よりやや少ない。これに安堵するべきなのか、頭数が減ってしまったことを嘆けばいいのかはわからない。
ただ問題なのは――いや問題ではないのか、他に数人の村人が逃散してしまった事実がある。
長老と雑貨屋と、彼らに親しくしていた者たちが家族ごと。
早朝の集まりに彼らが姿を現さなかったとき、ギムリンはそれほど驚かなかった。
……外からの行商を相手にし、外貨が真っ先に入ってくる窓口の雑貨屋と、徴税人や大物商人を相手にする際に接待を任されている長老だ。貨幣を使い慣れてすらいない他の村人と違い、それなりの蓄えがあってもおかしくない。
聞けば、夜中に雑貨屋が逃げた傭兵と話し込んでいる姿が目撃されていたらしい。……逃げるまでの護衛に雇ったという体だろうか。
今となってはどうでもいい話だ。
どうでもいい話なので、無人となった雑貨屋に強襲をかけることにした。
朝食後、手の余った男を数人集めて雑貨屋前に集合。ひゃっはーこれでも食らえと持ってきた鎚をフルスイングして扉を吹っ飛ばし、雪崩れ込んだ人手を使って、店内にある使えそうな商品を片っ端から掻っ攫っていく。
毛皮に麻紐、領都から仕入れた鉄のインゴット、西の素材でできた薬に、その材料。かさばるのか置き去りにしていた、雑貨屋自慢の戦鎚も。
あらかた荒らし回ったあと、気分が乗ってきたので店に火をかけてやろうとしたのだが、周りの男たちに羽交い絞めに引き離された。正直悪かったと思う。
――そんなこんなで正午を回った今、ギムリンは鍛冶仕事に邁進している。
傭兵や村の男連中は、斧を振るって北の山に生えた木々を伐採している。幹は先を尖らせて地面に突き立て逆茂木とし、打ち払った枝は集めてきて鍛冶屋が矢に加工するのだ。
ギムリンはその、枝を削ってシャフトを作る作業を任されている。作業自体はそれほど難しくないのだが、求められている数が百本以上となれば話は変わる。おかげで木工のレベルが2も上がった。
枝の皮を剥いで丸く削って形を整え、やすりをかけてようやくガワが出来上がる。本来はここで加熱したり乾燥したりするのだが、時間がないので省略だ。
仕上げは全て師匠に丸投げする。彼の肝心なところを人任せにできない性分は弟子の育成によろしくないのだろうが、その分猛烈な勢いで工程を進めていくので何も言えない。
「……ふうむ。師匠、こっちの作業は終わったぞい」
「わかった。そっちに出来上がった矢が置いてあるから、藁紐でまとめて傭兵に渡しといてくれ」
「了解したわい」
こちらに目も向けず、溶かした鉄を鏃の鋳型に流し込んでいくその姿はまさに職人。これじゃこれじゃと見とれてみる。
鋳造鍛冶など馬鹿にするものではない。今必要なのは粗悪でも大量の矢だ。用途に応じて手段を変え、求められるものを求められるだけ作るのが一流ではないだろうか。
――おっと、いかんいかん、儂にも仕事が残っておったわ。
完成した矢を纏めて担ぎ上げ、防備を固めている村の北面に向かう。
短い脚を急いで動かしても、人間の早歩きには敵わない。そんな事実に少々焦りながらも道を急いでいた、その時だ。
――――ゥォオオオオオオオン……!
「おおう、今のは何じゃあ……?」
北にそびえる山を見上げる。――まただ。時折聞こえてくる狼の遠吠え。身も凍るようなその咆哮に、村の誰もが不安を感じていた。
そういえば、とギムリンは首を傾げた。そういえば、猟師が言っていた、ここを縄張りにしているという狼はどうしているのだろうか。
猟師の口ぶりでは、魔物の南進に合流するほど自我の弱いタマではないそうだが、実際にあったこともない身では何とも言えない。
「案外、尻尾を巻いて山奥に逃げとるかもしれぬのう」
誰に向けるでもなく呟く。野生動物なんて臆病なものだ。山のヌシとて所詮は狼。群がる魔物に狼狽えて身動きできなくとも不思議ではない。
そんなことを考えていたギムリンは気付かなかった。
「――――オン」
目の前にいる、虎のように巨大な狼に。
「ば―――ッ! なななな何なんじゃあ!?」
「グル……」
思わず放り出した矢束がバラバラに飛び散って地面に転がった。のそりと座り込んだ狼はその様をじっと見て、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
巨大な灰色狼だ。ドワーフの矮躯から見上げると威圧感が半端ない。これほどの存在感を持っているのに、どうやってこの村のど真ん中に現れたのだろうか。
村人が悲鳴を上げて逃げ散るのが見える。あーいかん、村から離れては本末転倒だろうに! ここはむしろ一致団結して魔物を倒すか追い払うかしないと――
そこでふと思いつき、こうしちゃおれんと慌ただしくインベントリからつるはしを取り出す。突然出現した所属不明の魔物である。怪しい動きをしたら真っ先に跳びかからなければなるまい。
もたもたとみっともなく得物を構えたギムリンに対し、狼は地べたに座り込んだまま、尻尾をぱたりぱたりと揺らして見せた。
……敵意が、無い?
訝しんだギムリンの視界に、奇妙なものが飛び込んできた。狼の首の付け根。麻紐が首輪のようにぐるりと締め付けている。
――その紐に結わえつけられた木筒に、ギムリンは見覚えがあった。
「……その、木筒。儂が作ってコーラルに渡したものじゃな。――とすると、貴様あやつの言っていた山のヌシか」
「――――フン」
灰色狼は鼻を鳴らして身体を伏せた。目の前に首輪が迫る。その木筒を取れと言いたいのか。触りやすいように身体を低くしてくれたらしい。
恐る恐る近づいて狼の首に手をやる。咄嗟に触れた毛皮はふかふかしていて、思わず我を忘れてしまいそうになる。ひとりでにふやける表情筋を感じつつ木筒を取り外して中身を取り出す。
やはり、ギムリンが手作りしたものに違いないようだ。側面に彫り込んだ唐草模様と、底に刻んだ『GM』の刻印が何よりの証拠。ねじ口の細工も自信の一作である。
蓋を開けて中身を取り出すと、丸めた羊皮紙が出てきた。猟師の手によるものだろう。確かあの男は昨日の時点で村を出て、魔物の偵察に出ていたはず。
なぜ奴が来ず、この狼が?
「お主だけか? あやつはどうした? まさか死んではおらんと思うが――」
「グルゥ……」
不意に、巨狼が唸り声を上げた。牙を剥き出しにして敵意を露わにしている。
何があった、と問いかける暇もなく、
――――ウォオオオオオオオオオオ!
爆発。
そうとしか喩えられない。突然放たれた咆哮はびりびりと周囲の人間をうちのめし、腰を抜かしたギムリンは吹き飛ぶように尻もちをつく。
そして、
「お、おいお主、何をしとる……?」
風が渦を巻く。西から吹き込む突風が狼の周囲で乱舞し、咆哮が続くにつれてその勢いを増していく。
素人のドワーフにも理解できる。いや、これを見て何が起こっているのかわからない者がいようか。
――これは魔法だ。この季節外れの竜巻は、今目の前にいる馬鹿でかい灰色狼が引き起こしている。
風が強い。あまりの突風に目を開けていられない。巻き上げられた土煙が竜巻とともに狼を覆い、その姿を完全に隠してしまった。
――――オオオオオオオォォン……
咆哮が治まる。風が鎮まる。ようやく晴れた視界に目を凝らすと、そこにいたはずの獣は影も形もなくなっていた。
「……なんなんじゃ、一体……」
呆気にとられてひとりごつ。気を取り直して手元の羊皮紙に目を落とし、
「なん……!?」
愕然とする。あまりのことに言葉が出ない。薄汚れた紙に、赤く滲んだ日本語で書き殴られたその書面は、
『オーク50、人狼10、その他の人型50以上、四つ足が100以上、魔族アリ。
我道中にて分断作戦遂行予定。予定通り村北面にて待機されたし。
アケロンの岸で会おう』
「なんじゃ、これは……ッ!?」
予想を大きく上回る敵の規模と、猟師の遺書めいた決意表明が――――




