昔は俺もワルだったよ、というアレ
人間、誰しも触れられたくない過去というものは存在する。
中学生時代の黒歴史ノートしかり、休み時間を机に突っ伏して過ごした高校時代しかり、研究論文のテーマに選んだ少数民族が実は補助金目当ての詐欺師集団だった大学時代しかり……あれ、もしかして俺ろくな青春送ってない?
いやいや、いやいやいや。他はともかく大学時代のアレは自業自得だった。フィールドワークで三回連続で偽物に引っかかったのが切っ掛けで意固地になり、もう紙の資料以外信用できないと疑心暗鬼に囚われたのが悪い。
おかげで基礎課程修了から卒業までの二年弱は、ひたすら北関東から東北にかけての限界集落を巡っては関係のありそうな名家に頭を下げて、蔵に眠る古い資料を見せてもらう日々を送っていたものだ。当然虫食い等の破損はこっち持ちで修復である。
お願いだからそういう明治以前の記録媒体は、ちゃんと保存する気がないならその手の資料館へ寄贈していただきたい。割と切実に。せめて無事なうちに写真に撮っておいて下さい。
……話が逸れた。話題は確か……そう、黒歴史だ。
掘り返されると悶絶必至な痛い過去。タイムマシンがあれば過去の自分を殴ってでも止めたい言行録。人はそれに直面するとき、正気を保っていられるのか。
――さらに言うと、知人に過去の自分の珍行を知られたとき、平静を保っていられるのだろうか。
具体的にわかりやすいケースが、今まさに吐血せんばかりの表情で膝をついていた。
「…………大丈夫か?」
「見て察しなさいよ……」
うむ、駄目そうですね。
視線を転じると、そこには領城ジリアンの応接間にてうちの姫様と歓談する褐色肌のエルフの姿が。
「――そこでシングが彼女に問いかけたそうです。『どうして食糧庫に焼き討ちなどを仕掛けたのだ』と。するとそこのエルモはこう答えたのだとか。『――砂糖と唐辛子に頭をやられました』」
「なにそれぇ! 唐辛子ってそんなにヤバい香辛料なんだ!」
「ごっふ」
「お前そんなことやってたの」
今明かされる我が副官の武勇伝。傍らで聞いていたアーデルハイトやウェンターはドン引きし、対してアリシアや団長はケラケラと笑っている。そしてエルモは胸を押さえて蹲った。
「ちがう……違うの……アレには深い訳が……っ」
どんな所以だ。
いや違う、別に聞きたいわけじゃない。どうせろくな理由じゃないだろうし。
「あなたには解からないでしょうねぇ! 迫りくる痛風への恐怖が! 三食全部甘いか辛いかのローテーションで過ごすプレイヤーの苦しみが! パクチーみたいに匂いのきつい香草なんて日本人には無理に決まってるでしょ!?」
「偏見だぞ、エルモ」
「やかましいわ馬鹿猟師! 三日四日の旅行ならフレーバーで楽しめても何年も続けば飽きるわよ!」
「なるほど、心当たりのある意見ですな」
喚くエルモに褐色エルフ――エルラム氏が納得げに頷いた。
なんでも、長年大森林にて過ごすプレイヤーは最終的に食生活が二極化するのだという。片や食事の何もかもに砂糖や唐辛子に胡椒やシナモンなどをぶち込むようになり、片や食事は最低限の栄養補給と割り切ってレンバスを齧って済ますようになるのだとか。英国人かな?
「――後者はどうしても出なくてはならない宴のときは、『設定』を弄って味覚を消すのだとか」
「そこまでやるか……」
「刺激のない主食が食べたかっただけなの……お米かパンが恋しくて、ついでに蒸しバナナに嫌気がさして……」
まるで飲み会で酔っぱらった上司の説教に付き合う社畜のような食事風景である。戦慄する面々に虚ろな顔でぼそぼそと犯行動機を漏らすエルモ。ここが一体どんな場であったのか、思わず頭から吹き飛ぶ光景だ。
――――そう、エルラム氏とアリシアがおっぱじめた部下の奇行話でとっ散らかってしまったが、ここは正式な外交の場なのだった。
●
十二月に差し掛かり、冬限定で半島とパルス大森林を繋ぐ東辺海航路が開通、商人が交易都市に集まる時機のことだ。
麦や皮革製品、ドワーフ工芸品などを満載した商船団が港を発って20日強、香辛料やエルフの工芸品を持ち帰った彼らの中に、意外な人物が混じっていた。
エルフの長老格、えせダークエルフのエルラムである。
第三紀におけるエルフの大陸撤退に乗り遅れ、よりにもよって西の砂漠地帯で同じく取り残された仲間を率いて数百年を過ごし、つい七年半前にやっとの思いで故郷の大森林に帰還したエルラム氏。大森林では長老の盟友として森出身者にない独自の発想でエルフ発展に努めてきたという。
そんな彼がどうしてわざわざ半島くんだりまでまたやってきたのか。
外交官として赴いてきたというエルラム氏は、未だ日焼けが色濃い顔に苦笑いを浮かべた。
「同盟の申し入れをしたい。来たるリザードマンとの決戦に、半島のハスカールの助勢を得たいのだ」
●
――――で、
「森に帰った時は思わず仰天したものです。若い頃に世話になった人物の墓石が、まさかズタズタに斬り刻まれているとは」
「ほんとになにやってんのお前」
「誤解! 語弊のある言い方しないでもらえますかエルラムさん!?」
懲りもせずエルモの凶状をあげつらってアリシアの関心を得ようとするエルラム氏に、堪え切れずエルモが叫んだ。
「誤解とは言うが。シングの言うことによると、墓碑を読むや迷いもせず風魔法を放ったとか」
「そうだけど! そうなんだけど! 色々と事情があって……!」
頭を抱えながらエルモがのたまう。
「村の端にあんな豪勢な墓があって、墓碑にあんな意味深げなポエムなんか載ってたら何か仕掛けがあると思うじゃない? とりあえず松明で殴ったり水をかけたり、変色した文字に魔法ぶち込んだりするでしょ!? 私の感覚ってゲーマーとして間違ってる!?」
「ゲーマーとしては間違っちゃいないが人としてアウト過ぎる。バグ技使ってフックショット抜きに森の神殿攻略するような真似するんじゃない」
「実際、墓石に仕掛けなどなかったわけだが。文字の変色はただの風化で、奇天烈な詩は彼の自作だ。昔から韻を踏むのが特に苦手だった。エルフといえど下手の横好きとは無縁ではいられないということだな」
エルラム氏の追撃が耳に痛い。さらに聞くところによると、本当に仕掛けのあった墓の遺構とは村の反対側の森の奥深くで、十年前エルモが森を出るきっかけになった遺跡そのものなのだという。
つまりこいつは見当違いな方向に大冒険をかまそうとしていたのだ。
「……実のところを言うとですな、エルモを森から出したのは懲罰的な意味合いもあったのだとか。予想外に馴染んだどころか地位に名声も築くあたり、腐っても『客人』ということですかな」
「それ絶対懲罰になってないって!」
エルラム氏の語り口が気に入ったようでアリシアは膝を叩いて笑い転げている。どうやらこの外交官殿はうちの身内の裏話で姫様の好感度をガッツリ稼いでいったらしい。
……と、
「――さて、話のネタは尽きないのですが、いい加減に本題に移りましょうか」
にこやかな面持ちもそのままに、エルラム氏がわずかに居住まいを正した。途端に応接間の空気が糸を張ったような緊張感に包まれる。
エルフといえば傲慢不遜を絵に描いたような種族。どんな口上が飛び出てくるのかと身構えていると、
「近年勢力を増している湿地帯のリザードマン、そして最近南海の海辺から現れた正体不明の海魔勢。二つの勢力に挟まれた我らエルフは劣勢に立たされています。いくつかの村を放棄し戦線を縮小することによって対応してはいますが……依然押し返すことは叶わず、このままではなし崩しに追い詰められることはもはや必定。よってわれらエルフは、近いうちに北のリザードマンに対して大規模な攻勢を仕掛けることに決定しました。
ひいてはミューゼル辺境伯閣下におかれましては、この攻勢に示し合わせて湿地帯を攻めていただきたい」
すらすらと淀みなく軍事同盟の提案を口にするエルラム氏。それどころか共同作戦への参加打診と来た。ただ聞くだけならばエルフの一方的な提案でしかなく、辺境伯側へのメリットが無い話だ。
「我々と結ぶということは、我ら森の工芸品で利益を得ている交易都市の既得権益を守ることにもつながるかと。決して一方的な損得の話にはなりませんな」
出鼻を挫くように外交官が釘を刺した。これは俺たちが損をしないための同盟でもあるのだと。
それに、と彼は言葉を続けて、
「この話を受けていただき、リザードマンの脅威を取り除いたあかつきには、我らパルス大森林はこの大乱蠢くディール大陸にて、ミューゼル辺境伯を全面的に支援させていただく。
具体的には、私が森の精鋭五十名を引き連れ、客将として閣下にお仕え致しましょう」
んぅ??????




