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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
霧の戦士
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賢人二人

「ふむ……これはいささか、意外な結末だったか」


 コロンビア半島ジリアン北部に座す火山、その洞窟内にて、ひとりごちる声が響いた。

 魔法使い然としたローブ、焦げ茶色の体毛、角ばった顔つきに突き出た齧歯類の前歯。……一般にカピバラのようなと評される顔つきで彼は言う。


「彼は相当に追い詰められていたはずだが、結局はあの力に見向きもしなかった。それどころか自爆してまで表に出すのを防ぐとは。……もう少し、合理的な人間だと思っていたのだがね」

『――痴れたこと。その者の自認する器以上に、その者の見た『王冠』は禍々しく映ったというまで』


 答える声は地響きのような重々しさを伴っていた。

 巨大な体躯を洞窟内に横たえ、火山の主は来訪者を見据える。


『合理云々を語るのであれば、早々にあの王冠はこの世から消し去るべきであった。レヴィヤタンの危惧の通りである』

「またその話か。確かにあの程度の遺物、イルベンシアならば一時間、私ならば三日もあれば無害化できるだろう。……だが、それではあまりにも遊び(・・)が無い」

『貴様のそれは悪癖である。禍根を座視する姿勢に侮りが見て取れる』

「さて、余裕と言ってもらいたいところだね」


 火山の主の咎めるような視線を、彼は肩をすくめて受け流した。


「私はただ、あの王冠を使いこなすプレイヤーが現れる可能性を待っていただけだよ。精神汚染さえ克服すれば死者の王は強大な戦力だ。それを期待していたから、イニティフもあれを監視するにとどめていたのだろう?」

『――アレは、プレイヤーでなく、むしろ彼の者のような持たざる者(NPC)に希望を抱いていたようだが』

「彼女なりの意趣返しだろう。かつて彼女を貶めたエルフの秘儀が、特別でも何でもない只人にいいように使い潰される……なるほど、溜飲の下がる光景ではある」

『しかし――――もはやそのしがらみは失われた』


 岩がこすれ合うような吐息を漏らし、ドラゴンが目を伏せる。


『彼の祭壇が地に埋もれた以上、イニティフを縛る枷は無い。不死の探求にも、貴様の思索にも囚われることはあるまい』

「とらえた記憶などないのだがね。あぁ、しかし土壇場で協力を仰げられないというのは痛いな」


 何を思ったのか、ゴブリンの賢者は物惜しげに首を振ってみせた。

 どこか演技めいた仕草は愛嬌を滲ませているようで、見るものが見ればそこはかとない不気味さを感とるだろう。


「――先月だったか。魔王軍から接触があったよ。カーラと名乗っていた」

『…………』

「魔王の……ウルリックといったか。彼への助力を求められた」

『タウンゼイ』

「興味深い個体だったよ、彼は。これまでにも魔王を名乗る個体は何度か現れたが、今回の彼は最後(・・)ということもあって特に顕著(・・)だ。

 ――――彼はね、世界を救うのだと言っていたよ」


 世界を救う――人間が語るならば陳腐な台詞。しかし現在進行形で人類を脅かしている魔王がそれを語るとなれば、意味合いは変わってくる。


役目(・・)を与えられたか』

「いいや、それを言うなら歴代の魔王候補すべてに使命は与えられていた。しかしそれはあくまで本能レベルに刷り込まれていたものだった。ゲートを開く、魔族を喚び入れる、魔力溜まりを蒐集する……どれもこれもが研究段階――否、一度試みた時点で実験としては完了していた。残りの虐殺は放置された彼らの予備災害に過ぎない。

 魔王ウルリックの特異性は、自らの使命を明確に自覚し、それに迷いを持たないという点にある」


 主はなにゆえ己を創りたもうた。なにゆえ己をこの世に解き放たれた。

 使命とは、役目とは。なぜ己がそれを果たさねばならぬのか。


 ――意志ある生物が必ず突き当たる疑問に、魔王は既に答えを得ているという。

 疑問を持たないのではない。持ったうえで答えを選び取ったのだと。


「――世界を救う。そのためにまた別の世界を磨り潰す。魔道と電脳のはざまに異なる時間流を見つけ、そこに新しく異世界を構築する。成長とともに肥大した魔力を起爆させ、それを推進剤として魂を超光速に(・・・・・・)乗せる(・・・)

『時間遡行。……迂遠極まる』

「そうだろうか。私は面白いと思ったがね?」

『無為な試みである。歴史は修正される。因果は収束する。たとえ超科学的手法を用いて逆行を叶えようと、改変は不可能だ。否、変えたところで観測者が認識可能な世界、時間軸が削減される。伐り取られた分岐先に、観測者が進むことは断じてないのだ』


 遡行者は遡行を叶えた時点で未来に紐づけされる。遡った先でいくら改変を行おうと、遡行者が認識する歴史を逸れることは決してない。奇跡、偶然、解釈の変容。まるで顔の周りに纏わりつく羽虫のように歴史は奇跡を修正して認識に追いついていく。

 修正力と言い換えてもいい。矛盾を打ち消すための世界の揺り戻し、それが起こった(・・・・・・・)道筋にしか(・・・・・)遡行者は進めない(・・・・・・・・)のだ。

 度を超えた悪運、火事場の馬鹿力、偶然の連鎖、不可解な気の迷い、悪魔的な閃き、虫の報せ、過度な才能、神がかり(・・・・)な言動。……英雄譚が生まれる(・・・・・・・・)きっかけ(・・・・)はここにある。

 人が生み出した因果の乱れなど、所詮同じく人間が『劇的な過程』を辿れば押し流せる特異点(シンギュラリティ)でしかないのだ。


 いかなる過程を経ようとも、カエサルは暗殺され、釈迦は王位を棄て、ナポレオンはワーテルローにて敗北する。

 ――――そして、人はまさにその過程(・・)に目を奪われる。

 なぜブルータスは叛意を抱いた。釈迦を四門へ導いたものとは。皇帝は何故人心を喪い持病を悪化させた。

 それ(・・)こそが、改変を修正する『揺り戻し』ではないのか。


 未来Aから遡行してきたものは未来Bへと到達することはなく、酷似した未来A’へと帰還する。しかしAとA’の差異は遡行者が認識できないほどに微小なのだ。改変の結果、大谷休泊が大山休泊に名を変えていたとして、どれほどの人間が違和感を抱けるのか。

 結果として、遡行者は歴史を変えられない。改変を認識できない。もとより改変前の知識すらないのだから。


『それが魔王の目的であるならば、なおのこと無益極まる。ヴェンディルですら否定する愚行であろう』

「あぁ、ところが話はさらに込み入っているようでね。――――過去ではなく(・・・・・・)未来を改変する(・・・・・・・)そうだよ」


 どういう意味だ、という赤竜の無言の問いに、ゴブリンは肩をすくめてみせた。


「さて。これ以上は部外秘というものだ。しかし私見だが、なかなかに面白い絵図面だと思ったよ」

『貴様は、あちらに着くか』

「君はどうする? この世界、相当に瀬戸際に立っていると見たがね」


 タウンゼイが問いかける。どこか答えを予想しているような、達観した声だった。


「遠大な計画だよ。壊すために作り上げた世界。そこに住まう生命など、化学反応に必要な二酸化炭素を排出するバクテリア程度の認識でしかない。魔王は躊躇いなく踏み潰すだろう。大陸の片隅で燻る竜騎士に抗せられるものではないと思うがね。

 逆に、今なら利用できる」


 以前から温めていた、賢人としての計画に。


「術式に余裕を持たせてもらえばいい。我々がこの世界から解き放たれる程度の余力など、彼なら容易く用意できるだろう。

 見たいと思わないか? 『彼』が育った世界を。『彼』が帰還した世界を。その眼で」

『――――』


 赤竜はおもむろに瞳を閉じた。眉間に深々と刻まれた皺は重ねてきた年月を表している。その長命の知恵をもっても即答し難い誘惑だったのか。


『…………科学とは』


 重々しく紡がれた言葉は、タウンゼイの予想とは異なっていた。


『……科学とは、愛と平和に基づかなければならない。……このところ、この半島を騒がすドワーフの言である。それを持たぬ科学者など反吐にも劣る、とも』

「興味深い信条だ」

『然り。当人はあたら爆薬を多用したがるのが玉に瑕であるが』


 目を見開いた赤竜は、真っ直ぐにゴブリンを見据えた。


『貴様の魔王に、愛はあるか』

「哲学的な問いだ。残念ながら、私は答えを持ち合わせていないが」

『ならば、結論は知れたこと』

「いいのかい? 志は同じだと思っていたのだが」

『愚問である。我が心は、魂は、我が盟友(とも)とともにある。全てはアレとの誓いを果たさんがため。賢人なるへ加わったは、ひとえに誓いの一助とせんがため』

「――――そうか。では、決まりかな?」


 首をもたげる。

 悠然と洞窟内を席巻する巨竜と、空間の片隅に蟻のように佇むゴブリン。正面から見つめ合った二人の賢人は、微塵のためらいもなく袂を分かった。



『第三席、大賢者タウンゼイ』

「第十席、赤騎竜ラース」



 ――――次にまみえる時は、戦場で。


 別離を交わし、無言で杖を振り払ったタウンゼイは、次の瞬間音もなくその場から消え去った。

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