一敗地に塗れる
――――あの力だ!
あれだ! あの力だ! あの軍団だ! あの兵隊だ!
オレに足りないもの。オレに必要なもの。オレに相応しいもの。オレが持ってないもの!
そう、オレはあんなもの、持ってない!
負けるはずだ。勝てないはずだ! あれが無いんだから!
数は力だ。勝つのは多い方だ。多くを従えた方が偉いのだ。ゴブリンは強い。オレは強い。多い方が強いからこそ、オレが一番偉いのだ!
――――だからこそ、アレの存在が許せない。
あれが欲しい! あれが要る! あれこそがオレに相応しい!
文句も言わず、生意気な小言もなく、飯も勝手に食わない、命令に従って意のままに戦い続ける無限の軍団! 小難しい理屈でオレに逆らわない召使い!
あれこそオレが持つべき軍団だ! オレが本来持つべき兵隊だ! 忌々しい泥棒め、今に思い知らせてやる……!
知ってるぞ。
あれがどこにあるのか、オレは知ってる!
●
「まだだ、まだ何も終わってはいない……ッ!」
奥歯を噛み砕いた。
口の中で広がる鉄の味、石のような異物感とともに地面へと吐き捨てる。握り込んだ杖がぎしぎしと軋みを上げた。
戦況は依然絶望的。圧倒的物量差への逆転の目は無い。もはや瘴気島統一の道は断たれたに等しい。目の前には万を超える不死の軍勢。いっとき阻んだ土杭は時を追うごとにめきめきと折れそうな音を立てる。あと十数分もしないうちに杭を迂回した敵が本陣へ襲い掛かるだろう。
この戦場における勝機は完全に失われた。
――――しかし、不勝と敗北には雲泥の差がある。
まだゴブリンの軍勢はほぼ無傷で残っている。首領のバーダンは健在で、まだこれからいくらでも立て直しは利くはずだ。
これで終わりではない。終わってたまるものか。ゴブリンの生き汚さを甘く見るな。
「ゴゼイ、廃城へと走れ」
手近にいたゴブリンへと声をかける。振り返った教え子の顔は恐怖に引き攣っていた。
「で、でもっ! あんなのお城に籠っても……!」
「違う。城に行くのはお前だけだ。城に残っている連中に伝えろ」
戸惑うゴゼイへ、アムールは噛んで含めるように言い聞かせた。
「城を棄てる。総員あの廃城から脱出しろ」
「ば……!?」
守れないと自分で言っておきながら、ゴゼイは引き攣った悲鳴を上げた。間抜けな顔に思わずアムールは苦笑を漏らす。
……考えろ。考えろ。
唐突に現れたゾンビとスケルトン。あれは明らかに自然発生したものではない。何らかの死霊術によって生み出された存在だ。術であるなら効果時間があるはず。
そもそも人間側に味方して現れたアンデッドの軍勢なのだ。用が終われば邪魔になる代物を永続的に出しておけるはずがない。
あの城では護りきれない。ゴブリンたちの連携が足りないし、ところどころ廃城らしく破損していて防備の体をなしていない部分がある。数百人の人間相手ならまだしも、万の軍勢を相手取ってはゴブリンの知能では補いきれないだろう。
防衛は不可。降伏はあり得ない。――――ならばやるべきことはただ一つ。
「――西に走れ。行き先は昔棲んでいた洞窟だ」
かつて、今ほど彼らが多くなかった頃、野心を胸にバーダンとアムールが立ち上がった土地がある。
「む、無理だよ!」
ゴゼイはぐずるように喚いた。
「あの洞窟、狭すぎる! 千人くらいなら何とかなるかもだけど、今のおいら達じゃ入りきらないだろ!?」
「…………偉い子だ。ちゃんと計算ができるようになった」
いついかなる時も、教え子の思わぬ成長は嬉しいものだ。堪え切れずアムールは顔をほころばせた。――それがゴゼイには死相のように見えたなどと、気付きもしないで。
「……あれから隙を見て、何度か土精霊を使って拡張を施してある。だから昔よりは過ごしやすくなってるはずだ。中身はかなり様変わりして入り組んでるから、迷わないように気をつけろ」
「せんせい!」
「手狭なようならお前たちが掘り進めろ。昔やった穴掘り遊びみたいなやつだ。……あまり広く掘るなよ? 人間たちが四つん這いにならないと通れないくらいの大きさで掘るんだ」
「せんせい! やだよ! なんでそんな、いきなり……!」
……あぁ、伝えられることがあまりにも少なすぎる。教えておきたいことは次から次から湧いてくるというのに、今は時間がまるで足りない。
「あとで俺も合流する。だからお前たちは早く城に走って、先に洞窟に逃げろ。装備も食糧も何もかも捨ててだ」
「せんせい、せん、せい……!」
「走れ……ッ!」
大喝する。振り下ろした杖が地面を叩き、爆発したように土煙を上げた。追い立てられたゴゼイが泣きじゃくりながら城へと走り出す。
教え子の一人が立ち去るのを見届けたアムールは、重苦しく息を吐きながら振り返った。
目の前には敵の大軍。土杭は要補強で、そう何分も持ちそうにない。
周囲には部下のゴブリンたち。直前に味方を見捨てる判断をしたアムールに戸惑いと不審の視線を向けてきている。アムールが手ずから鍛えた教え子は、ある程度理解を示す表情をしているが。
後方の輿にはバーダンの姿が――――ない。
「なんだと……?」
何度見直しても変わらなかった。たった十分前、バーダンがふんぞり返って戦場を見下ろしていた輿から、主の姿が影も形もなくなっていた。
逃げたのか。それとも無謀にも敵に向けて突撃でもしたのか。前者であればまだましだ。だが万が一、どこぞでアンデッドに縊り殺されでもしていたら――
「ケツを捲る用意をしておけ……!」
嫌な予感を振り払うようにアムールは声を張り上げた。いまだ前線に留まり土杭越しにゾンビの頭を砕くゴブリンたち、それら全員に声が届くように風魔法で空気を震わせる。
「戦線を縮小しつつ順に撤退を開始する! 奴らを仲間の尻に齧りつかせるな! 一人でも多く生き残らせる……!」
ひゅん、と杖が空を切る。宝石を仕込んだ杖の頭部が紫色の光を放ち、無数の風刃がそこから放たれた。風刃は放物線を描いて土杭を乗り越え、押し掛けるアンデッドの群れへと降り注ぐ。
粉砕される頭部、切断される手足、ぶちまけられるどす黒い血液。風刃が襲い掛かった場所はまるでくりぬかれたように人混みを失った。
「……必ず勝つ。最後に立っているのは俺たちだ。ここで耐えた分だけ勝機が上がる。俺が勝たせる。だからお前たち、ここで――――!」
それは、その言葉は。
果たして誰に言い聞かせて――




