お前のせいだ
瘴気島北部を制圧したノエルたち青年団であるが、依然として物資は潤沢と言い難い状況にあった。
確かにいっときの飢餓は凌ぐことができた。接収した北部の穀倉には行き先の定まらない麦がひしめいていて、ゴダイヴァのロドリック王子へ送る分を差し引いても年を越すに余りある。王国兵が撤退したあとに残された駐屯所には剣や槍が置き去りにされ、今まで鋤や鍬で武装していた村人たちに行き渡らせれば戦力としてどうにか形になるほどにもなった。降伏し青年団へ加入する形となった元王国兵も、適切な調練をノエルたちに教授してくれている。
有象無象だった瘴気島の村人たちも、そう遠からず兵士として戦力に数えられるようになるだろう。
しかしそれだけでは足りない、という声も未だ大きい。
瘴気島南東の平野部はゴブリンに占拠され、略奪されるがままとなっている。取り返したところで元のような収獲高に戻すまで何年かかるか。そして手入れのないまま放置された分だけ畑の荒廃は加速度的に進んでいくのだ。
食糧問題とて解決したわけではない。北部の穀倉を接収したところであくまで一時しのぎでしかない。
この冬は越えられても、遅くとも来年の初夏には種まきに入らなければ秋の収獲に間に合わない。
冬に入った頃から避難民の焦燥の声は日を追うごとに増えていった。このままでは飢える、このままでは凍える。一日でも早く土地を取り戻さなければ、本当に取り返しがつかなくなる。
当然、突き上げを食らうのは兵を率いているテオたちである。テオとしても、故郷の村を取り戻し元の生活に戻りたい思いはひとしおだ。しかし、数度にわたる敗戦の記憶が決断を鈍らせていた。
敵は強い。個体としてではなく、群体としての強さだ。
人間側の兵力はこの調練を終えたとしても七百に届くかどうか、対してゴブリン側は半年前からさらに数を増やし三千を超える勢いだ。略奪によって余裕ができた分、繁殖を盛んにしたのだろう。そしてこの冬を越えれば、春の陽気につられて考えなしに数を増やす。
以前の惨敗を鑑みるに、この兵数比では正面から戦って勝つのは難しい。
しかし、何もしなければ人間は緩やかに滅びる。食糧は足りなくなり、海を渡って大陸へ逃げるほかに生きる術は無くなるだろう。
せめて一戦して南東の平原だけは取り返す――それがテオの考えだった。
「馬鹿だな、お前」
それを進言した途端、キャバリーは躊躇いなくテオを面罵した。陣幕の片隅に置かれた机に陣取り、書類を眺める手つきを止めもせずに。
存在な扱いに思わずテオは鼻白む。
「馬鹿はどっちだ、このままジリ貧で過ごすより、打って出たほうが勝ち目があるだろ」
「取り返してどうする? 奪い返した村をどうやって守るんだ? この駐屯所と東の農村三つ、この四つだけでも手がいっぱいなのに、南に戦線を伸ばしてその分どこから兵を出すんだ?」
「ぐ……」
言葉に詰まったテオに少年が畳み掛ける。
「……思ったよりも兵の補充が進んでない。駐屯所を押さえれば千人くらいにはできると思ってたんだけどな。農民たちに負け癖がついたせいだ、誰も志願してくれない。奪われた畑も、誰かが取り返してくれるって他力本願が蔓延してる。お前ら舐めてるのかよ」
ばさり、と書類を机に落としたキャバリーは、苛立ち紛れに指先で机を小突く。隈の浮いた目がテオを睨みつけた。
「ここはまだ守りが固い。砦があって櫓があって、防壁は石造り。攻めるならゴブリンだってまとまった数が要る。当然奴らの中の『客人』だってそれを承知してるから、気安くは攻めて来ない。ここの守りが抜かれないうちは東の村だって安全だ。
南に兵を出してみろ。奪還戦で兵が削れて、ろくに守りのない南を守るためにまたここの守りが薄くなる。各個撃破のお手本だ。今度こそどうにもならなくなるぞ」
「――――っ、じゃあお前はどうしろっていうんだ!」
理路整然と意見を叩き潰してくるキャバリーに、とうとうテオが激昂した。それまでの憤懣が爆発したのだと思う。
――ノエルの紹介で鳴り物入りで加わった、世を拗ねた少年。しかし彼のやることといえば戦場に立つわけでもなく、軍師面をしてあれをやれこれをやれと口を出すばかりだ。この北の駐屯所の襲撃とて、キャバリーは助力するでもなく後方で腕を組んで指図するだけだったというのに。
「お前だったらできるんだろ!? わざわざこうしてまどろっこしく兵隊を鍛えるんじゃなくて、得意の魔法でゴブリンたちを一網打尽に!」
「ぽっと出て来た便利な魔法使いにおんぶに抱っこ? 嫌だね、お前らの思い通りには死んでもなってやるもんか」
「だったらどうしてここに来たんだ!? ノエルの頼みだからって勿体ぶったふりして、結局はお山の大将気取りたいだけか!?」
「…………」
ちっ、という舌打ち。キャバリーは憎々しげに顔を歪め、深々と椅子に座り込む。
「――――誰が、こんな糞みたいな書類仕事」
「キャバリー」
「こっちにだって都合があるんだよ。『奴』に届くまで、目立ちたくないってのに」
荒んだ瞳で睨みつけているのは、恐らくテオに対してではない。ここにはいない誰かに向けて、この少年は憎悪を募らせている。
誰を見据えているのかは知らないが……この拗ねた少年がそれほど憎む相手とは何者なのか、テオにはそれが気になった。
「――まぁいい。わかった」
キャバリーは切り替えるように首を振って溜息をつくと、机の上に羊皮紙を広げた。釣られる形でテオがそれを見下ろす。
瘴気島の地図だ。最近流行の植物紙でなく、かなり古い代物だった。現行のものとは細部で微妙な違いがあるようだった。
「兵を起こす。でも南の村は攻めない。さっき言ったように正攻法じゃジリ貧になるからだ。小競り合いじゃ勝ち目がない。だから――――決戦を挑む」
ダン、とナイフが地図に突き立つ音。キャバリーが示した土地は、テオが思い描いていた場所の遥か西にあった。
「南西の……古戦場……?」
「正確にはその北。ゴブリンの廃城の目と鼻の先、負けたら逃げる間もないな」
ある種の背水の陣だ。これならいくら雑魚でも死に物狂いで戦うだろ、と少年は皮肉げに口元を歪める。
「ここで趨勢を決める。ここでゴブリンの主力を完膚なきまでに叩き潰す。深追い無用なんて言わせない、一体でも多くのゴブリンを殺す。真正面から、真っ向から」
「おい、でも……どうやって……」
「はっ」
唖然となったテオを鼻で笑い、キャバリーは陣幕の入り口へ向き直った。入り口には簡素な椅子に座り、ひとり呑気に水晶占いに興じている魔法使いの姿が。
「イニティフ」
「む?」
二人の話を聞いていなかったのか、とぼけた顔で振り返るフードの少女。
「なんじゃ? もう飯時かの?」
「仕事だ、諸悪の根源」
仇でも見るような目つきでイニティフを睨みつけ、キャバリーは言った。
「俺をここに連れてきたのはお前だ。けしかけたのはお前だ。唆したのはお前だ。せめてその分の責任は取れ」
「おっと?」
罵倒じみた命令。きょとんと眼を丸くしたイニティフは――――次いで、思わせぶりな笑みを浮かべた。
他の人の作品を読んで嵌ると、のめり込むのとついでに劣等感に蝕まれて一文字も書けなくなるという難儀な性分。
遅れて申し訳ありません全然書き溜め出来ませんコロナのせいで仕事が鬼のように溜まっていってぐぎぎぎぎ




