それはブラック企業ですか?
「亡霊の再来?」
不穏なあだ名だ。猪殺しの下りは不本意ながら身に覚えがあるが、亡霊なんてのは初耳である。
目で問いかけると、イアンは意外だったらしく目を丸くした。
「知らないのか? 『亡霊』ってのは70年も昔、この周りを縄張りにしていた凄腕の『客人』だよ。あんたはその後継者だから『亡霊の再来』。……知り合いじゃないのか? あんたらのやってきた世界とここは時間の流れが違うっていうし、実は師弟だった、ていうのが俺の大穴予想なんだが」
「70年――ああ、なるほど」
少し考えて思い当たる。――先代、あんた何やってるんだ。
「――いや、残念ながら先代と面識はない。形見みたいな物を貰ってはいるがね」
「そうか。じゃああんたには、亡霊みたいにこの山にこだわって余所者と顔を合わせない、なんて事情は無いんだな?」
「……ああ、一応は。今もこうやってあんたと話しているだろう?」
なんだ、一体?
訝しく思って隣を窺うと、男は含み笑いを漏らして、
「だったら、俺があんたをうちに勧誘しても、特に文句を言うやつはいないわけだ」
そんなことを言い放った。
「――――――」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
言葉を失った俺に対し、イアンは畳み掛けるようにまくし立てる。
「あんたの評判は聞いていた。馬鹿でかい猪を槍か何かでたった一突きで殺して、この辺りにいた山賊団を一人で皆殺しにしたんだろ? そんな芸当ができる猟師なんてディール大陸を探し回ったってそうはいない。そんな腕がありながらただの猟師だなんてもったいない。こんなところで燻ってないで、俺と一緒に身を立てていかないか?」
「ちょ、ちょっと待った……!」
手を挙げて男を制止し、どうにか言葉を返す。
「……何か、勘違い――そう、あんたは何か勘違いしてないか? 俺は別に、あんたが欲しがるような英雄豪傑なんかじゃない」
「そうかぁ? 俺の見立てじゃ、あんた相当の手練れだぜ」
子供のように目を輝かせる男に溜息をつく。……こういう真っ直ぐな相手はどうにも苦手だ。
「まずあの猪……槍みたいに突き殺したんじゃない。馬防柵みたいなものを作って、正面から突進してきたところを罠にかけただけだ」
「でかい猪が迫ってくるのに怯まずに迎え撃ったんだろ? その肝っ玉だけでも大したもんじゃないか」
「…………。あと山賊の件だが、確かに何人かは殺したがね、別に皆殺しにはしちゃいない」
「殺したことは認めるんだな? ははっ! 裏が取れた、やっぱりあんたの仕業だった!」
「…………」
鎌をかけられていたのか。助け出したあの娘たちから特定されたのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。
間抜けな自分に呆れつつ続ける。
「その殺しも、寝込みを襲って喉を掻き切っただけだ。荒くれ連中のど真ん中に突っ込んで暴れ回るなんて真似したら、二人も殺せずに返り討ちだっての」
「そうやって山賊達に気付かれずに忍び込んで、金やら武器やら遺品なんかも根こそぎくすねたっていうのか? いいじゃないか! その忍び足の腕前、うちの斥候役にも教えてやってくれよ」
「――――――」
かろうじて舌打ちを堪える。……遺品の件まで掴まれているとは思わなかった。もっとましな出まかせを聞かせるべきだったか。
……だから、三味線は苦手なんだって。口を動かすたびにドツボに嵌っていく気がする。
これはもう、諦めたほうがいいかねえ?
「…………随分と食いつく。そこまでこだわるほどかね?」
「こだわるとも! 俺はいつか、天下にこの名を知らしめてやりたい。この第八紀のディール大陸に、歴史の教科書に載る位に! そのためには力がいる。金が要る。そして何より仲間が要る。腕の立つ奴、頭の切れる奴、料理が美味い奴や歌が得意な奴! ちょっとでも才能があるなら欲しいのさ。――いや、本当は才能なんていらない。一緒に前を向いて踏ん張れるなら、どんな奴だって構わない」
……曹操、いや違うな。この気質は蒲生の麒麟児に近い。取り柄など長ずればおのずと生ずる、大事なのは心意気なのだと彼は言う。
一瞬、夢想する。彼についていけば何が見られるだろうか。
富か? 名声か? どちらもきっと容易く手に入る。
重要なのは得られるものではなく、その過程に見られるもの。
それは野望であり、誇りであり、生き様であり、つまりは黄金に輝く人生そのものだ。
きっと、彼のもとで見られるそれは、圧巻の絵巻となってこの30年を彩ってくれるだろう。
――――けれど。
熱心に勧誘してくれるのは嬉しいんだが、タイミングが悪かったなあ。
「……言葉を尽くして誘ってくれるところ悪いんだが、この話は断らせてもらうよ。残念ながら先約があってね」
「士官の内定でもあったのかい?」
「いや、ここの長老との約束だ。長くて十年、最低でもあと四年半は、この村に狩った獲物を卸すことになっている」
「……つまり、そこから先はフリーなんだな?」
「……そういうことになるな」
「よぅし! だったら今から唾つけとくぜ。五年後あんたはうちの一員だ、いいな!」
「――――」
強引な男だ。人の都合も聞かないで。
でもまあ、そこを不快に思わせないところも、この男の人徳なのだろう。
正直、悪い気はしない。これほど真っ直ぐに求められるのは現実ではなかったことだし、この男がどんな英雄街道を進むのか、見てみたいとも思う。
鍛冶屋より先にイアンに会っていたら、二つ返事で応えていただろう。
「……わかった。その時のこの村の状況次第だが、時が来たらあんたの部下になろう」
●
立ち去る猟師の後姿を見送って、イアンは大きく息を吐いた。
「……まったく。下手するととんでもないばけもんの卵だぞ、ありゃあ」
いや俺より年上みたいだし卵じゃないか、と。
ぼやくように呟く。覗かせた顔に、いつものような強気は見られなかった。
猟師と初めて遭遇したあの街道。イアンは前夜の博打に大勝ちして荷台で爆睡する権利を勝ち取っていて、彼と部下にどんなやり取りがあったのかは目撃していない。
だがあの遠吠えは鮮明に記憶している。
背筋の凍るような獣の猛る声。眠気など一瞬で吹き飛んだ。
混乱する頭をどうにか落ち着け周囲を見回したとき、団員以外には人影一つ見当たらなかった。
……誰かがいた、というのが信じられない気持ちだった。自分の気配察知スキルのレベルは団でも随一だ、寝ていた時は仕方ないが、離脱する様を見逃すなど人間相手には初めてだった。
そして今夜、面と向かってみて確信した。こいつにはまだ先があると。
目を見たときの直観。見て取れる彼の力と、彼自身が思い描く理想がまるで一致していない。
彼がいたところには、よほど凄まじい使い手が手本になっていたのだろう。自分を卑下する様には、騎士のやるようなありがちな謙遜などがなかった。
ただ足りないと、揺るがない事実を見つめるように。
もどかしさすら滲ませて見つめる先には、どんな師の背中があるのだろう。
こういった男は強くなる。明日の自分の剣先を明確にイメージできるがために。
団員のウェンターもたまにこういう目をすることがある。もっと先がある、もっと巧くなれると。
……速くなるだけじゃ、強くなるだけじゃ足りないんです、とはいつの言葉だったか。
「あーあ、俺も負けてられねえなあ!」
よっ、と気合を入れて屋根から飛び降りる。夏とはいえ北国の夜風はかなり冷える。ぶるりと震えて伸びをした。
そう、負けてはいられない。抱く野望はこっちだって負けてないのだ。
見てろよ猟師。この五年で、お前が勿体ぶって済みませんでしたと土下座するくらい、俺たちはデカくなってやる。
……でもまあ、まず先にこのスタンピードを片付けないと。
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一週間後、北方の防御線が突破されたとの知らせがこの村に届いた。




