生きとったんかワレ
その出会いは、いつぞやのように唐突だった。
「もし。コーラル殿ですかな?」
雪が深々と降る昼下がりのことだった。
アーデルハイトの傷もだいぶ癒え、ジリアンの領城での事務仕事もそう苦ではならなくなってきている。さすがに仕事中までいつまでも面倒を見てもらうわけにはいかない、という彼女の弁もあり、その間は俺も自由に時間を過ごすことになっていた。
この日もまた同様で、ジリアンの近くまで雪中訓練に来ていた団長たちに顔を出したり、団員たちに冷やかし紛いに訓練をつけたりと過ごしたあと、仕事上がりのアーデルハイトを迎えるため領城の廊下で時間を潰していたところで、不意に背後から声をかけられたのである。
振り返れば、そこには無精髭を蓄えた精悍な容貌の男が立っていた。
黒髪に黒瞳。髭のせいで年齢の方はいかんとも判別し難い。腰には剣を佩き、鍛え上げた筋肉は貴族服の上からでもわかるほど隆々としている。えらの張った顎に、やけに目つきがキラキラしているのが特徴的な男だった。
「はぁ。いかにも、私が猟師のコーラルですが」
余所行きの口調で慎重に受け答える。常より半島貴族に恨まれることしきりな我が身である。おまけに今年の春にやらかした処刑と処刑未遂のせいで恨みを方々から買っている自覚はあった。
実際に領城に来てからも周囲からの視線が痛い。案内役やらは視線が合うたびにビクビクしてるし、役人風の男たちは寄り集まってはこちらを見てひそひそと噂話に余念がない。城に仕える侍女なんかは曲がり角で出くわすと悲鳴を上げて後ずさるほどである。
もしやどこぞからのお礼参りから何かか……と陰ながら身構える俺に対し、男は名乗りを聞くや破顔して腕を広げてみせた。
「やあやあ、やはり! 噂通り、独特な気配の御仁だ!」
「喧嘩売ってんのかテメー」
「はっはっはっ」
おっと失礼、思わず口が。
そうは言っても、口さがなくガハハと笑う男には悪意というものが見られなかった。暖簾に腕押しというか、毒気を抜かれる感じだ。
しかしこの男、初対面のはずなのにどこかで見たような気がする。雰囲気が誰かに似ているというか……なにげに男前な風貌からして芸能人に似たようなのがいただろうか。
「――して、申し遅れましたな」
ひとしきり笑った後、朗らかな表情もそのままに男は名乗った。
「拙者、ドルフ・マイヤーと申す。竜騎士ルオンの息子にして、黒竜グリーヴの乗り手。この秋に叙勲を受け、コーラル殿と陣幕を同じくすることと相成りました」
「――――」
………………え?
不意打ち過ぎませんか、それ。
思いもよらぬ名を名乗られて一瞬頭が真っ白になった。思い返すのはかつて今と同じように呼び止められた秋の昼前。どことなく見覚えのある面影なのはそういうことだったのか。
「やぁ、以前からお会いしたいとは思っていましたが、ようやく叶いましたな」
動揺する俺の内心を露知らずドルフは言う。
「……そう、なるほど……ルオン殿の……」
「意外でしたかな? ドラゴン狂いの竜騎士にとて、子供をつくる甲斐性くらいはあったのです」
いかん、頭が全く働かない。それほどまでにこの出会いは衝撃的だった。
十カ月も前の敗戦で全滅した竜騎士。それに補充の騎士が現れることも、それがあの男の息子だったことも――
「ルオン殿は……いえ」
待て、俺はいま何を言おうとした。何を言いよどんだ。
今更死んだ人間について何をどう言えというんだ。俺はあの戦場に間に合わなかったし、間に合いようのない戦いだった。
――――間に合えば、助けられたとでも?
思えばアーデルハイト以外で親交があったといえる竜騎士はルオン・マイヤーくらいだ。だからあれは――――久々に、手の届かないところで知人が死んだことになる。
だからだろう、血迷っている。思い上がっている。力があろうがなかろうが、どうにもならないことはあるというのに。
言葉に詰まったことを誤魔化すように、俺は当り障りのない台詞で取り繕う。
「……何でもありません。ドルフ殿の今後の武運を祈ります」
「うむ、ありがたく受け取りましょう。コーラル殿の祝福ならば、効き目もよくありそうだ」
なんでや。何でそんなに目がキラキラしとるねん。
このドルフ、初対面の癖にやたらと馴れ馴れしいというか親しげな空気を向けてくるというか。身に覚えのない敬意が滲み出て来ていてとても居心地が悪いです。
居心地が悪いので……うむ。
「――失礼。気を悪くされたなら申し訳ないのですが」
「さて?」
「何か、勘違いされているのでは?」
今のうちに、誤解を解いておくべきか。
「勘違い、ですかな?」
「先ほどから、ドルフ殿は私に妙に好意を向けておられる。それ自体はありがたいのですが、あまり外聞のよろしいことではないでしょう」
言っていて気が付いた。彼が俺に向ける感情、この目つきは憧憬によるものだ。
まるで幼い子供たちがヒーローショーでミカエルに向ける視線と同質の、俺からすれば後ろめたいばかりの――
「見ての通り、私は大それた英雄豪傑というわけではない。むしろあなた方からすれば新参の、それも無法者に近い立ち位置の平民でしょう。半年前のこともある、あまり親しい様子を周囲に見られるべきでは――」
「それは偏見、行き過ぎた卑下というものですな、猟師殿」
顔色一つ変えずに男は俺の言葉を遮った。しきりに納得した風に首を振っては頷いている。
「ふむ、なるほど。戦いならいざ知らず、察しの悪さは親父の愚痴通り、と――」
「ドルフ殿?」
「いいえ、こちらの話です。何しろ二年も前に賭けで負けましてね、流石に適齢期までにはと思っていたのですが、未だに長引いているとはロイター卿が哀れでならない……あぁいや、今はその話ではありませんな」
なんだ? なぜそこでハイジの名が出てくる?
疑問で頭を埋め尽くす俺を尻目に、ドルフは肩をすくめて言った。
「まず第一に。今の竜騎士であなたを恨む者などいませんよ、猟師殿」
「それは――」
「竜騎士自体が数人に減ったから、なんて戯事ではありません。なんなれば、先の戦でドラゴンを喪った遺族たちも、猟師殿を恨んでいるものはごく少数でしょう。いったいあれから何年経ったと思っているのですか」
十五年ですよ、十五年。とドルフは朗らかに言った。それだけあれば恨みだの憎しみだのは薄れて消えるのに充分なものなのだと。
「あの事件を根に持つ謂れがどこにありましょうか。騎士として自らを律し研鑽を積まんとする者にとって猟師殿の言葉は訓戒以上の意味合いは持ちません。半年前のアレについてだってそうです」
同じ場にいれば、自らもあなたと同じことをしていたかもしれない。とドルフは語った。度し難い裏切りと欺瞞と詭弁、それらを絵に描いたような光景だったならば、座視したままでいられる騎士などいまいと。
真っ直ぐな瞳だった。見つめられているこちらが恥じ入りそうなほど、迷いのない瞳だった。
「ここだけの話ですがね。猟師殿に憧れを抱く子弟も多いのです」
「あこがれ?」
予想だにしなかった台詞を鸚鵡返しに返すと、男は笑いながら頷いた。
「単身で魔族を何人も討ち取る卓越した技量、先の戦いで見せつけた部隊としての練度、毒を受けながらも辺境伯閣下を守りきった献身……ひとつひとつ挙げてみれば、なるほど今代の英雄と呼ぶにふさわしい働きですからな。我も続かんと発奮する貴族子弟は、思った以上にいるのです」
「ただの成り行きです。そんな大それたものでもない」
これまでに俺が出来たことは、どれもこれもがたまたま手が届いたからできたことばかりだ。偶然そこにいて、出来ることをやってきた。解決する手段が手元にあった。それこそ絵物語の英雄のように、不可能を可能にしたことなど一度としてありはしない。
困難に突き当たるたびに思うのだ。これがあの無愛想な上司なら、あの馬鹿みたいな親父なら、あるいは俺の思いもよらない方法を探し出して奇跡のようにみんなを救ったのかもしれないと。
耳にこびり付くのは、遠雷のような爆撃の音。
腹の底を焼くように、怒りは未だ燻り続けている――
「かもしれない。しかし、だからといって彼らの憧憬まで否定しないでいただきたい。コーラル殿」
一瞬、思いにふけっていた俺にドルフが言った。
「ご存知ですかな。実は猟兵の中に竜騎士家の出の者がいるのですよ」
「うちに?」
「妾腹ではありますがね。あぁ、本家と険悪というわけではないのであしからず。腹違いの兄は……あの戦いでドラゴンが死んだので、領軍の所属となっていますな。
――いいや、肝心なのはその話ではなく。関係自体はあるのですが」
ひた、と笑みを消したドルフが俺を見る。
「その兄の方は、己が竜騎士でなくなったことを悲嘆していないのですよ、猟師殿」
――それが、どれほど驚天動地なことか、この半島の人間ならば誰もが知っている。
竜騎士の身分を自らのアイデンティティにする奴らは多い。わずか数十騎、あるいは一騎ですら戦況を変え得るドラゴンナイト。その力を、身分を失って嘆かない者が連中にいるなど、まったく想像もしていなかった。
「確かに戦力の喪失は惜しいことです。叶うならば一騎でも多くの竜騎士を確保したい。しかし、竜騎士でなくなったからといって、この乱世でやるべきことが失われたわけではない。辺境伯閣下へ働きを示す道はいくらでも残されている」
「――――」
「ある意味あなた方の功績でもあるのですよ。ハスカール――斧の戦士たち。彼らは半島の、歩兵弱卒の悪評を覆してくれた。ただの平民たちが、ともすれば竜騎士以上の戦功を打ち立てた。はは、負けん気を起こすには充分ですな。ドラゴンに乗れないからと拗ねている場合ではない」
快活に笑い、ドルフは眼元を和らげた。それが言いたかったのですと肩をすくめる。
「まぁ、そういうことです。拙者はあなたに一度会って感謝を伝えたかった。この半島に現れたハスカールという新たな風は、この地の多くの人々に道を拓いた。身分を問わず若者たちに希望を見せた。これを偉業といわず何と言いますか。
だからあえて言います、己を卑下しないでいただきたい。過ぎた謙遜は、あなた方を目指す我ら若者への侮辱へと繋がりますぞ」
「若者……?」
言葉が続かない。目の前の男の熱気に押されて、言い返すことができなかった。
辛うじてひねり出すことができたのは、ささやかな揶揄くらいである。
「若者というには、ドルフ殿は結構な貫禄を誇っておられるようですが」
「はは、御冗談を。まだ21ですぞ」
ドルフ、動じる気配なく衝撃発言。その髭面で20そこそこって……
「息子もまだ五歳になったばかりです。昨日も父にドラゴンの扱いがなってないとどやされたばかりで、まだまだ精進が足りません」
「ははぁ………………は?」
………………なんですと?




