とある魔法薬師の場合:後
――人間は脆弱だ。肉体だけでなく、その精神まで。
誰か、あるいは何か。虫だの獣だの玩具だの、傍らに戯れで据え続けてきただけのものですら、長く触れ続ければ依りかかる。情が移る。
自ら進んで弱みを作るその蒙昧さは、ハヌマッドの理解の及ばないところにあった。
――そして、それは同族であろうと同じこと。
「――ふむ、揺さぶりはそれなりに上々、と」
魔法薬店をでたハヌマッドは、中央広場への道を歩みながらそうひとりごちた。
店の中に残った女魔族はカウンターに突っ伏したまま動く気配もなく、それほどまでに打ちひしがれたのかと思わず笑いそうになった。
……たとえ表面上は同族であろうとも、アレを魔族と称するのは憚られる。
所詮は『客人』。確かに肉体の組成は魔族のそれと遜色なかろうが、その精神の在り方はまるきり人間そのものだ。
人に紛れて街に潜んでおきながら、闇魔法で洗脳を広めるわけでもなくただの魔法薬師として商いに興じるなど。手前勝手に魔族としての利点をほしいままにしたのだ、せめて僅かばかりでもこの戦いに還元するのが筋ではないか。
幸いなことに、あの女の魔法薬の腕は当代で群を抜いているという。戦乱の今、魔法薬への需要は鰻登りで資金源としても有用だ。精々搾り上げて貢献してもらうとしよう。
「劣等風情が……」
反抗は許さない。逆らう気など起こさせる気はなかった。
アレを動かすための手綱は既に把握している。化粧と闇魔法で秘匿した気になっているアレの正体そのものだ。
街の人間に危害を加えると聞いたときの、あの血の気の引いた顔。剥き出しの敵愾心はむしろ逆効果だというのに。
無思慮にも弱点を曝け出す愚昧さに呆れ果てる思いだ。
「あぁ――――存外に楽な交渉でしたねぇ」
心の内からカリンを嘲笑し、ハヌマッドは中央広場に踏み入った。槍を構えて立ち尽くす銅像を背にして辺りを見回せば、長閑にも広場で憩う住民の数々が。
小鳥に餌をやる老人、睦まじく語り合う恋人たち、何が楽しいのか走り回って遊ぶ子供に、名物の銅像を見上げて感慨にひたる観光客――
「――――」
一瞬の不快感。泡のように湧いては消えた汚濁のような嫌悪感。
ただのそれだけで、ハヌマッドは悪辣で最悪な選択を選び取った。
「ふむ――――ふむ」
……脅しは、充分にかけたつもりではあるが。
念押しに、示威行為くらいはしておこうか。
買物帰りに露店を見かけて、思い付きでおやつを買うような感覚で、ハヌマッドはこの広場の人間を皆殺しにすることを決めた。
「まぁ、湧いては増える人間たちのことです。多少の間引きは必要でしょう?」
外見にかけた幻惑の魔法を解く。背中か突き出る蝙蝠の翼、鬣のような後ろ髪に、頬を走る刺青が露わになる。
胸の前に掲げた右掌は、ぼっかりと孔が空いていた。手の甲から掌まで貫通する痛々しい大穴。しかし不思議なことに、その孔は覗きこんだところで向かい側を見通すことができないほどに暗みがかっている。
「――初めまして、ごきげんよう、さようなら。爽やかな一日を血で汚すのは、私としてもとても心苦しい。恨むならば、あの魔法薬師を恨むことですねぇ」
拾い上げた小さな飛礫を手の甲の孔へと通していく。装填していく。
喜悦に満ちた声で謝罪しながら、ハヌマッドは呆気にとられる民衆へ掌を向けて――
●
貴人を埋葬するにあたり、副葬品として人形をともに埋める場合がある。
愛玩目的のものであったり、霊を慰める巫女の役割を果たすものだったり、用途はそれぞれだ。
中でも兵士を模した人形の用途は明白だ。死後も主人を守るために、あるいは死後も主人を待ち受ける戦いへ参集するために武器をもって墓前に控える。一騎当千の勇士であり、忠義に秀でた腹心であることが大半である。
――古代中国では、それを兵馬俑と呼称した。
「――仕留めた?」
掲示板から帰還したカリンが中央広場にやってきたとき、既にコトは終わっていた。
死因は背後から槍の一突き。錆びひとつない銀色の穂先は正確にハヌマッドの心臓を破壊し、逃れようのない致命傷を与えていた。
駄目押しのように魔族の身体は串刺しになったまま高々と掲げられている。だくだくと傷口から溢れ出る鮮血が槍を伝い、手元から滴って騎馬の足元まで赤く染めていた。
百舌の早贄――――そんな印象をカリンは抱いた。
「ぁ……ぐ……」
「む、まだちょっと生きてるじゃん。もしかして腕落ちた? 守護像さん」
喘ぎ声は断末魔に近い。
まだ息のあるハヌマッドに、カリンはエルフ像へ視線を送る。返り血を浴びて凄惨な雰囲気を纏う女騎士は、旗を担ぎながら小器用に肩をすくめてみせる。表情の変化がろくにないくせにやたら感情表現が豊かな銅像である。
まあいいか、と気を取り直し、カリンはハヌマッドへ向き直った。
「――とりあえず、息のあるうちにあなたの節穴ポイントを三つ挙げておきましょうか。
この街のプレイヤーが魔族の私一人だと思い込んだこと。
私があなたみたいなのへの対策を用意してないと思い込んだこと。
あの遺跡の話とこの銅像を勝手に結び付けたことです」
遺跡の話はした。副葬品の銅像の話題も出した。
しかし、中央広場に飾られた銅像が『それ』であるなどと、カリンは一言も口にしていない。
そう聞こえるように多少の誘導はしたものの、あくまで勘違いをしたのはハヌマッドの怠慢である。
「根本的に他人を侮り過ぎなんですよ、あなた。だからこんなミミック作戦に引っかかる」
そう吐き捨ててカリンはあたりを見まわした。
腰を抜かしている観光客を除けば、中央広場で起きた流血沙汰に――それも銅像が動いているという傍から見れば異常事態に住民が騒ぎ出す気配はない。
それどころか、広場に散歩に来ていた老婆はどこまでものんびりした口調でカリンに語り掛けてくる。
「おんやぁ、カリンちゃん、お知り合いかい?」
「いいえ、おばあちゃん。初対面の不審者です」
「あれまぁ」
ほう、と緊張感に欠けた溜息をついて老婆は銅像を見上げた。
「とうとううちにも、こんな変質者がやってくるようになったんだねぇ……」
「対策は取りますよ。――ところでおばあちゃん、先週新しくした薬はどんな調子です? 指先に痺れとかありません?」
「いんやぁ。胸のつかえる感じもせんし、すこぶる調子がいいねぇ。カリンちゃんの薬は効きがいいからねぇ」
「ただの薬は専門じゃないんですけどね……」
ひとしきり語り合ったのち、老婆は杖を突きながら広場を後にした。
――カリンがこの街に住むようになってから十年以上世話になり続けている街の長老格である。カリンの種族についても、あの老婆の口添えが無ければこうして能天気に店を商う余裕など生まれなかっただろう。
「さて、と――」
串刺しになった魔族は、いつの間にか全身を弛緩させていた。
エルフの女騎士を模した銅像は、槍に突き刺した魔族を磔のごとく掲げながら台座から飛び降りた。巨大な騎馬がずしんと音を立てて踏みしめたというのに、石畳には亀裂ひとつ入らない。
どうしようか、と首を傾げる兵馬俑に、カリンは適当に肩をすくめた。
「そこいらの山の中に捨ててきてください。魔物かスライムが片付けてくれるでしょ」
了解、という意味なのか、銅像はナポレオンのごとく騎馬を後ろ立ちにさせて高々と槍を掲げた。ナマの光景なら馬の嘶きが聞こえそうなほど、それは立派な馬術っぷりだった。
蹄の音を響かせながら遠ざかっていく銅像を尻目に、カリンは思慮に沈んでいく。
「あーあ、目をつけられちゃったか……」
これ以降は、もはや戦乱と無関係ではいられまい。
魔族の方面軍司令官を殺したことはそう遠からず知られるだろう。これは明確な魔王への敵対宣言だ。
そしてこのスオミは発展のさなかにあるとはいえただの鉱山街。軍事拠点としての価値は無きに等しい。守るにはまるで向いていないのだ。兵士の質もたかが知れていて、これから鍛えるにも時間が足りない。
味方が要る。ただ肩を並べるのではなく、前面に出て盾となってくれる屈強な味方が。
であれば誰にすり寄る。誰に頼る。
ここは王都からは遠すぎるのでマクスウェルは却下。王子は王都と睨みあい、背後に位置するスオミに目をかけてはいられない。平原で無双を誇る騎士団も山がちなこの地形では形無しで頼りにならない。砂漠の民も騎士団の相手で手がいっぱいでスオミに援軍など送るまい。
となれば、結論はもはや決まりきったようなもの。
「地下王国か……」
ちょうど一年前に崩壊したドワーフの国、その残党たち。
ここから火山地帯を越え北西にある丘陵地帯にて要塞を築き、魔族と一進一退の攻防を繰り広げているという。
ドワーフを率いるウォラン王は苛烈な気性で知られ、支配下に収めた人間たちを奴隷として最下層に置き、明確な身分制度を築こうとしている。ドワーフに向かない農業や畜産業を肩代わりさせ、崩落で激減した人口を補おうとしているのだ。
今この情勢で彼らが魔族に落とされるのはカリンとしても避けたい。あのドワーフ戦線が突破されれば、雪原と丘陵地帯の間を抜けるようにして魔族がこちらまで勢力を伸ばしてくる。どうにかして堰き止めてやらなければ、今度こそスオミが戦火に巻かれてしまう。
「……どうにか対等な同盟に持っていきたい。せめて従属するにしても自治権は認めさせたいけど……」
持ちだせる対価といえば、そこそこ止まりの鉄鋼業とそれなりに自信のある魔法薬くらいか。
ドワーフ相手の交渉だ、鉄鋼の技術に関しては鼻で笑われるだろうけれど、魔法薬を主軸に据えてやり合えばどうにか芽があるかもしれない。減りに減ったドワーフ人口、その中でも負傷しやすい戦士職を回復させる魔法薬は、彼らにとっても喉から手が出るほど欲しい代物のはず。
体力、スタミナ、マジックポイント。小回復から大回復、あるいは自動回復付与まで魔法回復薬の効果は様々だ。回復に留まらず、麻痺幻惑透明化と特殊な効果も多種多様。
そして『それ』を作る腕前において、カリンは自分は大陸でも屈指であることを自負している。
それを庇護の対価として差し出すとすれば――
「……あ、しまった」
そこで、カリンは致命的な間違いを自らが犯したことに気付いた。
「あの死骸、ドワーフとの交渉材料に使えたんじゃね? うわしまったやっちゃった……!」
――数時間後、捨てたはずのハヌマッドの遺体を再び拾いに走らされ、兵馬俑の機嫌が急降下したのは余談である。




