とある魔法薬師の場合:中
騎士団領都ブレンダから北の山へ進んだところに、その鉱山街はあった。
位置的にはブレンダとドワーフの地下王国のちょうど中間あたり。地形は程よく峻嶮で程よく平坦――つまり集落はできても都市には発展しづらい、そんな立地である。
地下王国の周辺には大鉱脈から枝分かれした小規模な坑道が散在していて、それなりの量で鉄鋼の産出が見込める。そしてそこを目当てに稼ごうとする鉱山夫たちを中心に、山麓ではいくつかの集落が形成されていた。
カリンの住む鉱山街――スオミもその中のひとつだ。
比較的恵まれた立地で山の中とはいえブレンダと街道で繋がり、商人の往来も周辺の村よりはある方だろう。騎士団領の穀倉地帯から麦を仕入れ、代わりに鉄製品を輸出するのが主産業だ。
昨今は砂漠戦線の活性化により武器の需要が増え、でありながら地下王国の滅亡という未曽有の事態から代替品としてスオミの鉄製品への需要が増えている。流石にドワーフの鍛えた刀剣類に劣るものの、鎧を多用しない砂漠民との戦いではさほど切れ味が求められない、というのも需要の増加の要因だろう。
コロンビア半島の交易都市ハスカールがプレイヤーの手によって急激な発展を遂げた街であるなら、このスオミは戦争という外的要因によって頭角を現そうとしている街だった。
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鉱山街スオミの中央広場には一体の銅像が建っている。
騎乗したエルフの女騎士だ。戦場での姿を現したのだろう、右手に馬上槍を携え、左手に旗を掲げて雄々しく馬を後ろ立ちにさせる姿は、まるでナポレオン像のような雄大さを見る者に与えていた。
数年前からスオミに設置されているこの銅像は、行き交う商人を通してひそかな名物として知名度を上げている。
「なかなか見事な銅像ですねぇ。えぇ、えぇ。エルフをモデルにした作品、というのがいささか癪ですが」
そしてその銅像を目の前に、感慨深げにしきりに頷きながら鑑賞に勤しんでいる男の姿があった。
「…………」
スライム狩りから帰還したカリンは、無言で男の隣に立ち止った。見上げれば正面にはエルフ像、女騎士は荒れ狂うカリンの内心など素知らぬ顔で虚空に向けて鬨の声を上げている。
「しかし、おかしいですねぇ」
男が言った。粘着質な気質が聞こえてくるような声だった。
「今にも動き出しそうな躍動感、馬の隆起した筋肉、それにほら、あの槍の穂先は現行品と比較して鋭さを競えそうなほど。……これほどの銅像が、こんな僻地の町に立っているなど」
「……恐るべきはエルフの技術力です。知ってますか、四年ほど前にこの近くでエルフの遺跡が発掘されたそうですよ?」
「あぁ、なるほど。『彼女』はその時の発掘品ですか。それはそれは……」
何百年も時を経たという割に銅像の表面は錆ひとつない。本来なら自由の女神ばりに緑青が浸蝕していたもおかしくないのだが。
「それなりの身分についていたエルフの墓だったようです。前線指揮官か、領地貴族か……とにかく、こんな格好の立派な騎士像が四体も置かれるくらい、高貴な人物だったようで」
「おやおや、何とも皮肉な話だ。健気にも似姿を銅像に移して主君の墓を守ろうとしたのが、今やこうして下賤な人間の観光資源として食いつぶされるとは」
見下した視線で銅像を眺め、男は嘲弄の声を上げた。人ならず反応を返さない女騎士を見飽きたのか、振り返り改めてカリンへと向き直る。
薄ら笑いが気持ち悪い、とカリンは思った。
「――初めまして。魔王ウルリック陛下より西方軍を預かる、ハヌマッドと申します」
「これはこれは、軍司令官様が自らとは恐れ入りますね」
男――ハヌマッドは巧妙に人間へ擬態している。顔や首元にある刺青も、カリンの眼が見破っている背中に生えた蝙蝠の翼も、すべて闇魔法による幻覚でただの人間に見えるように隠しきっていた。いちいち魔法で体を覆うのが面倒で刺青を化粧で誤魔化しているカリンとは大違いである。
素知らぬ顔でカリンは鼻を鳴らした。
「いいんですか? ドワーフとの戦線は膠着状態なんでしょう? こんな田舎町で油を売る暇なんてないはずでしょうに」
「はは、耳に痛い痛い。――いえ、確かにそれも重大事ではありますがねぇ? 何を置いてもここに赴くべき理由がありましたので」
言って、ハヌマッドはじっと意味ありげな視線をカリンへ向けた。言わずともわかるだろう、そんな含みのある眼差しだった。
うんざりとした顔のカリンは鬱陶しげに溜息をつく。
「…………とりあえず、私の店で話しましょう。ここでは人の目があり過ぎる」
「おや、私は構わないのですがねぇ? 話など聞きたい人間に聞かせてやればいい。どうせ後で封じる口だ」
「ハヌマッド――――だったっけ?」
剽軽に肩をすくめる魔族に、カリンは殺気の混じった視線を向けた。
「ここでの狼藉は許可しない。街の人間に手を出せばタダじゃおかないから」
これは失礼、とおどけた仕草で頷いたハヌマッド。にやにやと茶化すような笑みはそのままだ。カリンの脅しなど欠片も脅威に感じていないのだろう。
つまりこいつは、カリンのことなど多少反抗的な家畜のようにしか思っていないのだ。どうやり合っても最終的に支配下に置いて搾取するのだから、と上位者を気取ることを止めもしない。ともすれば周囲の人間を巻き込んで殺し合いを繰り広げても構わない、という態度を隠しもしなかった。
――そしてそれは、急所に足を踏み入れられたカリンの図星をついていた。
「……こっちです。茶を出す気はないので、話が終わればさっさと帰ってください」
踵を返し、街中にある魔法薬店へと歩を進める。後に続いているであろう男の薄笑みなど見たくもない。
振り返らず広場から立ち去るカリンの背中に、どこからか視線が注がれていた。
●
「単刀直入に言います。魔王軍に加わりなさい」
魔法薬店の扉を閉めて振り返ったハヌマッドは、余計な修辞を排して用件を述べた。
「魔王軍? 私が?」
それに対し、カリンは面倒くさげな表情を崩さない。
「それ、よく考えて言ってます? 私、辺鄙な田舎町で細々生きてるクソ雑魚ですよ? 戦闘職じゃないし、そもそもレベルだって30かそこらだし」
「承知しています、もちろん。あなたはバアルなどとは比べるべくもない、戦いに適した『客人』でありながら魔法薬に傾倒した方だ。本来ならこうして声をかけることすらあり得ないことです」
さりげなくディスってくるハヌマッド。これといった隔意もなく言い放ってくるように見えるあたり、本当に魔族以外に価値を認めていないのだろう。たとえ同じ魔族でも、生まれながらでないプレイヤーは同族ではないということか。
そもそも戦う力がないなら魔族でも無用だなどと、まったくもって脳筋過ぎる価値観である。本来魔族は人間社会に潜伏し、不安を煽って転覆を図るのが常套手段だ。望む望まざるに関わらず、こうして王国が転覆でもしない限りテロ活動に勤しむのが本分だったはず。
「……あぁ、なるほど。つまりあなた、ここ最近に召喚された口ですか」
「うん? ――えぇ、もうじき十カ月になりますが、一年に満たないという意味では新参ですねぇ」
特に気にした様子もなく男は答えた。
「魔族が陰に隠れ、姑息に這い回る時機は終わりました。必要なのは策略を弄するザムザールのようなものではなく、軍を指揮し前線にて敵を刻める純然たる戦力なのです」
「そーですか。さすが王子の教育役を背中から撃ち殺した人は言うことが違いますねー」
元宮廷魔術師、老オーサーを背後から暗殺し、その功績でハヌマッドが身を立てたという話は掲示板を利用するプレイヤーならば大半が知っている。そして手柄を奪い取られた魔族プレイヤーのゼノンがそれを恨みに思っているということも。
二人の間柄は険悪まっしぐらで、西方軍指揮下にあるゼノンが未だ命令違反に走らないのが不思議なほどだという。
大口を叩くわりに手段が姑息、おまけに周囲の人望もないスカし野郎――カリンのハヌマッドに対する評価はおおよそそのように固まっていた。
そんなカリンの内心を知ってか知らずか、男は気取った口調で饒舌に持論を語りだす。
「魔王軍には人材が不足しています。王国軍を撃退し、半島のドラゴンすら墜とした今、我々は勢力拡張の好機にある。しかし魔王陛下はあれ以来、新たな兵力の補充も私のような将の召喚も消極的で、大々的な戦力の拡張は望み薄。――となれば、新たな戦力は在野に求めるほかにない」
「へー、そっすね」
あ、これ聞き流していいやつだ。
吊るしていた薬草を少量ちぎって薬研にセット。ごりごりと磨り潰していく。
「確かにあなたは『客人』としては貧弱だ。しかしそれを補って余りある魔法薬の技術がある。えぇ、私はたとえ直接戦力に数えられなくとも、評価するべきところは見ているのですよ」
「ふーん」
前日のうちに仕込んでおいた丸薬を放り込み、再び薬研でごりごりごり。
とにかく細かく磨り潰しておくのがコツだ。あとで火の通りが変わってくるし、スライムの粘液の浸透性がこの作業に左右される。決して手の抜ける作業ではない。
「差し当たり、カリン。魔王軍への協力として、あなたの作る魔法薬の供出を要請します」
………………あァん?
思わず手を止めて顔を上げたカリンの目の前には、したり顔で笑みを浮かべるハヌマッドがいた。
「現状、魔王軍はドワーフたちを相手に優勢に戦況を運んでいますが、それでも日々の損害は馬鹿にならないのですよ。損耗を抑える手立てがあれば、戦局は一気にこちら側へ傾くはず。……かといって劣等たちが使う光魔法は我々と相性が悪く、市井に出回る魔法薬は体質的に効き目が薄いものが大半。――そこで、あなたです」
「なにグッドアイディアですみたいな顔して奇天烈な馬鹿抜かしてるんです?」
むしろそれは犬知恵ではあるまいか。
思わず敬語もすっ飛ばして突っ込むカリン。しかしハヌマッドは自らの提案に酔っているのか、聞く耳も持つ様子が無い。
「そこであなたにはインプやデーモンにも効き目のある魔法薬を用意して頂きたい。HPとMPを回復させるものを二種類――あぁ、もちろん両方を兼ねた薬なら大歓迎ですが」
「ばかにしてんのか」
今度こそ痺れを切らしてカリンは席を立った。一応は同族のよしみということで話だけは聞いていたものの、あれを寄越せこれを寄越せと欲しがるばかりでこちらにメリットひとつ見せやしない。商売の根本がなっていない客だった。
「人の仕込みの時間を奪っておきながら、でかい顔して言うことが代金も見せず薬の無心ですか。話にならない。
こう見えて、私は仕事で魔法薬を作ってるんです。趣味じゃない、責任と誇りをもって魔法薬に向き合ってるんですよ」
伊達や酔狂で十五年も魔法薬と向き合ってきたわけではない。今は亡い師と出会ってから、ひたすらこれと定めて真摯につとめて来た。だからこその今がある。王都やブレンダの貴族から買い付けの依頼が来るようになったのは、ひとえに自らの努力のたまものだとカリンは胸を張っている。
だからこそ値段に妥協はしない。ものには適正の価値があり、それを理由もなく下げるのはそれに関わったものの価値全てを貶めることに繋がるのだ。それは道具の値段であり、職人の腕の値段であり、商人の靴底の値段であり兵士の剣の研ぎ代だ。
それを常連でもないぽっと出の魔族が、手前勝手な理屈をこねてたかりに来るなど、業腹極まりないことだ。
「――お前に食わせるタンメンはねえ。お帰り願います」
「そうは言わずに。同じ魔族のよしみでしょう?」
「知ってます? 日本人って一族意識が希薄なんですよ。親戚なんて従兄弟の先は苗字も覚えられないくらい。そんな相手に種族のよしみなんて……お帰り下さい」
「では――――それを大々的に宣言してもらいたいものですねぇ」
にちゃり、とハヌマッドはいやらしい笑みを浮かべた。彼が何をしようとするのか、容易に想像がついたカリンは忌々しげに唇をかむ。
「どうしました? わざわざ化粧で顔つきを誤魔化すくらいだ、ここの住民にはあなたの正体を明かしていないのでしょう? ――これは困った、街で話題の魔法薬師が、実は人類の天敵だったとは」
「お前……」
「それとも店を出て直ぐに、私が『特技』を披露しましょうか? 皆さん気に入っていただけると思いますよ、なにしろ王子の傅役すら仰天させた飛礫の秘術だ――おっと失礼、元傅役だった」
断れば街で血の雨を降らすと言外に語る。それを止める手段などお前にはないだろうと、ハヌマッドはカリンをせせら笑った。
戦闘に不慣れなカリンは、それを聞いても歯噛みして拳を握りしめるしかできない。
黙り込んだ彼女にハヌマッドはとどめの一言を言い放った。
「あぁ、勘違いなさっていたようですねぇ、カリン。この街が私の目に留まった時点で、あなたに選択肢など残されていなかったのですよ」
●
店の扉が閉まり、招かれざる客は去って行った。色よい返事をお待ちしていますよ、と嗜虐の滲んだ言葉を残して。
カリンはカウンターにもたれかかったまま、重苦しい溜息をついた。
「……あ~ぁ、くそったれ」
刃物の投擲と、幻惑術用の闇魔法が少々。それがカリンが手札にできる戦闘技能だ。その他には初歩的な魔法だったり、基礎すら抜け切れていない戦闘スキルくらい。はっきり言ってまるで勝てる気がしない。
断言できる。魔法薬師カリンがハヌマッドと正面切って挑んだところで、万が一にも勝ち目はない。
「――――」
わずか数秒の間に、どうにもならない現実を飽きるほどに検討した末、カリンは沈痛な表情で瞳を閉じた。
――――取れる選択肢は、あまりに少ない。
煮えくり返る腹の内を抑えつつ、やけくそな気分でカリンはカウンターに顔を突っ伏して意識を闇に落とした。
週三回更新を目指します




