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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
幕間
474/494

賽は投げられた

 ――――カラン、からから。



 暗闇の中で、乾いた音が転がった。微かなその音を、エルモの耳は鋭敏に聞き取っていた。


 賽子の転がる音、それを聞くたびに思うことがある。――――世界について、人生について。運命とは、必然とは。



 ――――カラン、からから。



 神はダイスを振らない、そう語ったのは誰だったか。

 あらゆる事象には因果が存在する。いかなる物事にも原因があり、過程を経て結果にいたる。粒子、波、光――この世全ての現象を観測可能ならば、そこに確率の入り込む余地はない。未来は精密に予測可能であり、計算の発達に従って『予測』は『予知』にまで達するだろう。


 ――人呼んで、ラプラスの悪魔である。


 しかし実際は理屈とは異なる。いまだ未来は不透明で、事象は常に不確定。こうして振られる賽子の出目も、確率のくびきを脱することはない。

 未来を見通すには何かが足りないのか。数式か、それとも記号か。……なんにせよ、人はままならない結果にやきもきしながら『乱数(かみ)』の囁きに耳を澄ませるのだ。



 ――――カラン、からから。



 盤上は戦場だ。ゲームとはすなわち、勝敗を決するための神前儀式ともいえよう。

 確率とは神の戯れ。ならばあらゆる余分を削ぎ落せば、(それ)との言葉とは賽の出目のようなもの。

 であるならば、こうして賽子の音に耳を傾けている己は、まるで神に仕える巫女のようではないか――



 ――――カラン、じっ、から――



「――――っ」


 乾いた音に混じる、ささやかな異音。

 それを耳にした瞬間、エルモは速やかに手を閃かせた。



   ●



「――――ちょっと」


 その瞬間、その場の誰もが言葉を失った。


 夏も盛りに近づいた、汗ばむ夜中の話である。

 交易都市ハスカール、その一角に鎮座する賭場に毎夜集う博徒ども。いつもならば賭けボードゲームやチンチロリンに騒がしく興じる汗むさい野郎どもが、血の気の引いた顔つきで一堂同じ方向を向いていた。


「な、なにごとでしょうか、姐さん……?」


 震える声がその場に響く。理由はいたって単純である。

 パシン、と乾いた音。賭場の隅で丁半博打に興じていた博徒たち。張った張った、よござんすかよござんすかと、威勢のいい掛け声が応酬されるそのさなかにて、突如ある博徒がツボ振りの腕を掴んだのだ。


 金色の髪を軽く編み込み、そこから覗く耳は長く尖る。南国仕様の薄着からは見てわかるほど起伏がない。どっかりと膝を立てて座り込むそのさまは、あたかもヤクザの大親分のごとく――


 ミューゼル辺境伯軍独立歩兵大隊ハスカール所属猟兵隊副隊長、『雷弓』のエルモ。


 長いエルフ耳をぴょこんと震わせた彼女は、胡乱げな視線をツボ振りへ向ける。周囲のの男たちは固唾をのんで、その一挙手一投足へ視線を注いでいた。


「――そう言えばあなた、見ない顔ね」

「な――ななな、なにぶん、し新顔でして」


 ツボ振りの顔が哀れなほどに引き攣った。掴まれた腕がぎしぎしと軋みを上げる。貧弱なエルフの筋力でありながら、逃れようと四苦八苦するツボ振りの腕は微塵も動かない。

 新顔、新顔ねぇ、とひとりごちたエルモは、掴み込んだツボ振りの腕をゆっくりと掲げ上げた。退けられた壺の下からは、何の変哲もない賽子が現れる。


 出目は――――五、三の丁。

 エルモが張り込んだ役だった。


「ほ、ほら見て下せぇよ! あんたの勝ちだろ!? 細工なんかこれっぽっちも!」

「…………」


 上ずった声でツボ振りが主張した。エルモはそれに応じず、じとりと目を据わらせて賽子を観察する。

 床に粉が落ちた形跡は無し、賽の目に穴が突かれた様子も、糸や針を仕込んだ形跡もない。


「ま、まだお疑いだってんなら、存分に調べて貰っても結構ですぜ! 俺ぁこれでも領都の方じゃいかさまだなんて(こす)い真似は滅法苦手で通ってんだ! 何なら――」

「ちょっと」


 物証が出ないことをかさに着てツボ振りがまくし立てる。しかし小柄なエルフはそれをにべもなく遮った。掴み取ったままの腕がぎしぎしと悲鳴を上げる。

 ……まだ何かあるのか。何を怪しんでいるというのか。


「――――」


 ツボ振りの腕ごと掲げ上げた壺笊と、その下から覗く賽子。それらをじっと睨みつけるエルモは、おもむろに自らの魔法を発動させた。


 ――――ぴし、と二人の体毛がわずかに逆立つ。

 エルフの指先から生じた微弱な電流は、ツボ振りの手を伝って壺の底面へ。すると――



 かこん、と。

 二つの賽子が、まるで見えない何かに触れられたかのようにひとりでに転がった。



「ひっ――――!?」

「――――随分と甘く見られたものね、新顔さん」


 力の抜けた手から壺が零れ落ちる。蒼白になったツボ振りの顔に向けて、薄く笑みさえ浮かべてエルモは言った。


「すり替えた賽子に鉄粉を塗って、壺には目立たないように磁石を仕込む。――いいえ、仕組みから察するに銅線を側面に巻き付けて沿うように張り付けたのかしら? 魔法でちょっとした電気を流してやれば、壺そのものが磁石になって賽子の砂鉄のついた面が上向きになるってところかしら」

「ひ……はひっ……」

「考えたわね。コイルの仕組みなんて魔法世界じゃそう知られてないもの。ちょっと静電気がバチバチいうくらいなら、素人は怪しまないわ」


 でも、相手が悪すぎたわね。

 そう言うと、エルモは突き放すように男の手を離した。男は悲鳴を上げると取り戻した右手を大仰に抱えて腰を抜かしたまま後ずさる。しかしすぐ後ろの壁に阻まれて強かに後頭部を打ち鳴らした。

 常であれば頭を抱えて痛がってもおかしくない勢い。しかし男はそれすらままならなかった。目の前に立ち上がった小柄のエルフが、獄卒のような気配で男を見下ろしていたからだ。


 呼吸が乱れる、歯の根が合わない。自らの迂闊さを今になって呪う思いだ。

 ……賭場に潜り込んだ時には気付かなかった。彼女こそが賭場のエルモ、ハスカールにはびこる悪質ないかさま博徒を鉄拳制裁して回ること数十件、この交易都市にて『健全な賭場』という矛盾した概念を誕生させた張本人である。


 そんな取り締まりの鬼に睨みつけられたのだ。若く経験の足りないツボ振りにできることなど、それこそたかが知れていた。


「ご……ご容赦下せえ……!」


 脇目も振らず床に額を叩きつけた。一心不乱の土下座である。


「ほんの、ほんの出来心で……! この街に着いて、路銀が尽きてっ、ちょ、ちょっとした小遣い稼ぎのつもりだったんでさぁ……!」

「やっぱりよそもんかよ!」


 傍らで見守っていた博徒の一人が野次を飛ばした。ハスカール大隊主計課主任のネアト氏(騎士団領出身)である。


「姐御が前に座っても顔色一つ変えねえからおかしいと思ったんだ! 突然やってきたボーナスタイムに目の色変えねえツボ振りなんて――」

「ネアト君」

「いや失礼。こんな若人がいかさまで小金稼ぎとは世も末ですね、まったく嘆かわしい。――ところで私は急用を思い出したので失礼します。たまには体も動かさないと」


 澄ました顔でそっぽを向いた元騎士はそそくさとダーツ台の方へ去ってしまった。そんな遠い同僚の背中を睨みつけたあと、エルモは改めてツボ振りへと向き直る。


「――それで、君」

「お許しを! この通り、この通りでさあ……! 指でも何でも詰めますから、どうか! どうか命だけは……!」

「なんでそんなヤクザみたいなことになってるのよ!? 要らないわよあんたの指なんか!」


 大いに溜息をついてエルモはどっかりと腰を下ろした。ツボ振りの男に視線を合わせると、見定めるように瞳を覗きこんでくる。


「ひとつ確認するわ。――あなた、そのキョドりっぷりからして初犯ね?」

「は――ははぁ……!」

「だから畏まり過ぎって……あぁもう」


 ひたすら平身低頭する男に、エルモは持て余したように首を振った。億劫そうではあるが、不思議と毒気のない仕草に見えた。


「――初犯で未遂。それに見た感じまだ若いみたいだし? 罰則はそんなに重くはならないでしょ。アイディアはともかく素振りが素人丸出しだったもの」

「素人……」

「とにかく。賭場のいかさまは現行犯逮捕、罰金と労役が妥当ね。お金が無いならその分長く働いてもらうことになるわ」

「そ、それが……」


 口ごもりながらツボ振りが答えた。司法に払えるほどのお金など持ち合わせがない。

 そもそも懐に余裕があるなら、賭場に来ていかさまなどというリスクに手を染める必要などないのだ。


「それは……まぁ、ご愁傷様」


 男の訴えを女エルフは興味なさげに取り下げた。犯罪者の言い分に耳を貸す気などないということなのだろう。

 改めて肩を落としたツボ振りにエルモは何を思ったのか、その目の前に何かを投げて寄越した。それは――



 よく使い込まれた壺笊。

 中には木を削った簡素な六面賽子も。



「こ、これは……?」


 面食らった男がエルモを見返す。どう見ても丁半博打に用いる道具一式、これを自分にどうしろというのか。

 対するエルモの答えは、あまりに呆気からんとしていた。


「決まってるでしょ。振らないの?」


 つい今しがたいかさまで捕らえた詐欺師に、この女は博打のツボ振りを催促している。意味不明な言動に男が目を白黒させていると、女エルフはおどけた様子で肩をすくめた。


「……ていうか、私いま非番なのよね。こんな夜中じゃ留置所だって人が少ないし、夜勤の仕事を増やすのもいやでしょ? だからあなたの連行は朝になってから。

 ――つまり、それまでは自由の身ってこと」


 それは、つまり。彼女が言いたいことは。

 いかさまを見逃す気はないが、取り逃す気など毛頭ないが、それでも――


「あ、姐さん……」

「大体、博徒なら言葉じゃなくて賽子で語りなさいっての。さぁどうするのかしら? 大人しく朝まで縄について心証を良くしておく? 今からちょっとだけでも小金を稼いでおく? それとも私直々にボロ勝ちして文無しにしてやろうかしら?」


 勝気な口調で挑発するエルモの表情は、裏腹に悪戯心が滲み出ていた。


 ツボ振りがどちらを選んだのか、その夜の勝者が誰であったかは知る人ぞ知る。

 しかし、彼女に伴われて留置所に向かうツボ振りの顔は、朝焼けのように晴れ渡っていた。



   ●



「――――――で、オチは?」

「持ち金ぜんぶスりました……」

「この馬鹿エルフが」


 ハスカール新城、ロイター卿執務室にて。

 四つん這いになって慟哭するエルモを前にして、猟師は呆れ果てた顔で嘆息した。


「……イカサマ見抜く眼はずば抜けてるくせに、肝心のギャンブル運は壊滅的と来た。これ以上のカモはないだろうよ」

「だってありえないでしょアレ! 丁半博打なんだから確率は二分の一に収束するはずでしょ!? 何でことごとく外れるワケ!? あんなのチートよチート!」

「なるほど、畳のささくれあたりを利用したのか。出来んことではないが……」


 理不尽な惨状に喚くエルモに対し、何やら得心いった様子の猟師。進退窮まったツボ振りに第六感が開花したのかもしれない、などと適当なことを呟いている。

 一通り鬱憤を吐き散らしたのち、エルモは深々と溜息を吐いて猟師を見やった。何かをねだるような上目づかいに、醒めきった視線を送るその上司。


「…………で?」

「お金貸してください。給料日までの四日だけでいいから」

「駄目だ」

「ぐっ……せめて部屋貸して! 寝る場所がないのよ……!」

「兵舎があるだろう」

「そ、それは……」


 にべもない猟師の返答にエルモは口ごもった。もごもごと言葉にならない呟きと、定まらず泳ぐ視線。男から向けられる視線から熱が失われていく。

 散々に逡巡しまくってから彼女は答えた。


「……実は、寮長から申し渡されまして」

「何を?」

「『副隊長に用意できる部屋はもうありません』って……」

「ほう」


 わざとらしく目を丸くする猟師。


「そういえば、我が副官は兵舎にいくつ部屋を持っていたかな?」

「四つです……」

「全部使えないと?」

「埋まってます」

「何に埋もれてるって?」

「今までに購入した、あれこれに……」

あれこれ(・・・・)?」


 ゆらり、と首を傾げた男の額には、くっきりと青筋が浮かんでいた。


「あって無駄にならないからって三か月前に買った干し肉30キロはどうなった?」

「……食べ飽きて放置中……」

「二か月前、背筋伸ばすのがストレス解消にいいとか言って運び込んでたぶら下がり健康機はどうしてる?」

「三日坊主でした……」

「半月前に何故か三本も買ってた高枝バサミは?」

「まだ開封もしてません……」

「この汚部屋職人! お前はどこの北斎だ!」


 これにはさすがの猟師も苦笑い、もとい大噴火。


「前々から口を酸っぱくして言ってただろう! もう少し整理整頓を身につけろ!」

「やろうとしたわよ! でも出来ないんだから仕方ないじゃない!」


 身も蓋もなくエルモは逆ギレした。


「やったわよ! やったのよ、必死に! その結果がこれなのよ! 箒を買って、ハタキを買って、今はこうして部屋から押し出されてる! これ以じ――」

「ええい、名言をみっともなく汚すんじゃない! お前の場合買ったはいいが使いもせずに部屋に突っ込んでゴミを増やしただけだろうがっ!」

「ぐぐぐ……!」


 まるで見て来たかのように惨状を言い当てる猟師にエルモは返す言葉もない。歯噛みして座り込む副官に、猟師はどうしたものかと嘆息した。


 ――――と、そこで。


「――四日程度であれば、都合がつくのでは?」


 唐突に、執務室の扉の向こうから聞こえて来た声。

 おもむろに開け放たれた向こうから現れたのは、若草色の髪をした竜騎士だった。

 数カ月前に受けた火傷の痕もだいぶ薄れ、包帯を取り除いた瞳も視力も回復したのか杖を必要としていない。ただし、それでも体が慣れないのか仕草にはぎこちなさが残っていた。


「――ハイジ、戻ってきたのか。五分もすれば迎えに行くつもりだったんだが」

「やめてください、コーラル。ただの花摘みでしょう」


 無神経な猟師の気遣いに顔を赤らめるアーデルハイト。先ほどまでこの男は介護のためと称して彼女の手洗いにまで付きまとおうとしていたのだ。過保護にもほどがある。

 そそくさとソファから立ち上がった猟師はアーデルハイトへ歩み寄ると、淀みない仕草で手を差し出した。それを当然のように受け取った女竜騎士は、恥じらいながらも右の重心を猟師へと預ける。


 阿吽の呼吸、ツーカーの中。あれこれそれで通じる老夫婦の息にまで達するのではあるまいか。

 間近でそれを見せつけられたエルモは無性に渋い茶が飲みたくなった。爆発してしまえばいいのに。


「……それで? 都合がつくって?」


 強引にエルモが話題を戻した。切羽詰まった現状、つい先ほどの彼女の台詞は聞き捨てならない。


「竜騎士さんの私邸でも貸してもらえるのかしら?」

「私のではありません、コーラルの寮室を使えばよろしい」

「おい」


 さりげないアーデルハイトの台詞に猟師が抗議を入れる。


「勝手になに決めてる。俺の部屋だぞ」

「ですが、大して使ってもいないと聞いています。コーラルが主に寝泊りするのはあの山小屋でしょう? 兵舎の方は荷を出し入れするのが精々のはず」

「それは……そうだが……」

「それに、あなたはここ数カ月ほとんど帰っていないのでは? 私の世話をするためといって、コーラルの姿を見ない日は一日だってなかった。その間のたかが数日、使わない部屋に信頼のおける副官を泊める程度、わけもないでしょう」

「…………」


 黙り込む猟師。尻に敷かれている様子がありありと察せられる。というかここ最近アーデルハイトのしたたかさが実に磨きがかかっている気がする。それだけ二人の生活を濃密に過ごしているというのだろうか。


 ――二、三のやり取りと猟師の渋々といった了承の声。それでいて互いへの不満など微塵もありませんともいうような甘ったるい雰囲気。

 猟師が向き直った時、エルモは足元の絨毯の毛を毟る作業に没頭していた。


「それじゃあエル――――おい、何やってやがる」

「ごめん吐き気する。あとで殴っていい?」


 その訳わからなげに目を白黒させるツラを、無性にぶん殴りたい。

幕間はこれにて終了です。いやぁ長かった(精神的に)


次章より本格的に話を進めていきます。退場する人間もいれば、本格的に介入してくる人でなしもちらほら。

書き溜めてからの投稿になるので……更新は早くとも四月になってからかと。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 何度読んでもアーデルハイトちゃんは最高 [気になる点] でも目の前で見せつけられたらきっと俺も毟らずにはいられない(´・ω・´) [一言] 新章やったぜ!!!!! 毎回楽しみにしております…
[良い点] 更新いつも楽しみにしてます。 最近話を忘れてきてしまっているのでまたもう一周したいと思います。!
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