とある海賊の場合
「どっせぇええいっ!」
まるで関取のような声だ。腹の底から響く掛け声とともに男が腕を振り上げ、左手に掴んでいた網に絡め取られた海魔が海面に引きずり出された。
ブヨブヨとした皮膚、体表には鱗やら珊瑚やらヒトデやらが貼りつき、縮れた頭髪はほとんどが抜け落ちてより病的さを増している。人間離れして両目の間隔の空いた風貌はより魚じみていて気味が悪い。爪の禿げた右手にぶら提げたカトラスが、その海魔がかつて『何』であったか簡潔に示していた。
「――――シッ」
思うところはない。やり慣れた仕事だ。
雑念を抑え込んで放ったスワロウの矢が、網に囚われて身動きの取れない海魔の眉間へ正確に撃ち込まれた。
「ステン! そいつは?」
「ん……」
スワロウの呼びかけに網を持った男は言葉少なに首を振り、
「しら、知らない、男だ」
「服装から見た感じ、どこぞの船長格みたいだが」
「か、顔が、ふくれて。も、もうわか、らない」
どもりがちで海の男とは思えないほど声量がないが、もう慣れたものだった。戦いの時に気勢を上げる以外は驚くほど大人しい気質。八年以上の付き合いで、この男はこういうものなのだと理解は進んでいた。
「……今日のところはこれで終わりか? 今回はやけに蟹類が多かったが」
「ない。ない、たぶん、これで最後だ、こっちは」
「そうか、とりあえず舟に戻ろう。その網にかかってる船長も財布のひとつも持ってるだろ」
人型の敵は戦利品もしょっぱい。鮫なり鯨なりならば骨や牙を持ち帰れるというのに。船長というにはぼろい身なりからして、今回も大した実入りはなさそうだ。
憂鬱に溜息をついてスワロウがステンを促した。水上歩行のスキルがあるとはいえ、海面に長く立ちんぼになるのもスタミナを消耗する。用が済んだならさっさと上がるべきだ。
踵を返したスワロウの視線の先には一隻の小舟。筏のようなぼろい外見に取ってつけたような帆下駄が乗った、ジャンク船と呼ぶのもおこがましい代物だ。
小船は左腹をスワロウたちに向けていて、その右舷側には――
「ムゥーハハハハハァー! これが練乳一気飲みの気分という奴かンマイコォー! 今この瞬間んんっ、俺のんマジックポテンシャォは限りなくぅ! 高まっているぞぉー!!」
ずががががが、キュインキュイン、ばりばりばりばり、ポワンポワンちゅどーん。
頭の悪い擬音を響かせながら哄笑を上げて魔法をぶっ放す魔法使いが一人。てゆーかマイコーって誰だ。
派手に海面を蒸発させる爆発、バチバチと無駄に空気を震わせる稲妻、スクロールで覚えられる癖に今や効率悪すぎて誰も使わない魔力弾、果ては重力弾やら魔力吸収系の闇魔法まで。節操なく多彩な魔法を駆使して破壊の嵐をぶち撒けている。いつになくハイテンションなのは楽しんでるわけではなく実のところ苦戦してテンパってるからと見た。
「つーか、アレ何だ?」
「た、タコ? オクトパス?」
またの名をイビルフィッシュ。大の男の胴体ほどの触腕がビッチビッチとうねり回っている。マッコウクジラを圧倒しそうなスケールの大蛸がスワロウたちの舟をひと思いに粉砕しようと腕を振り上げ――――空から撃ち落される雷撃に焦がされた。
ばさりばさりと空気を打ちのめす羽ばたきの音、旋回し鱗粉を撒き散らしギチュンギチュンと嘶きのような怪鳥音を響かせる。
図体が図体だし対人よりも魔物系の相手をさせた方がよかろうとあちらを任せていたものの、相も変わらずあの派手さには閉口させられる。
「ふはははははは! 燃えろ凍れ爆ぜろ溶けろ潰れて果てろ! 我が奥義は今まさにクライマッ――あっ、ちょっ、誰かヘルプ掴まれた吸盤吸盤ヤバいヤバいヤバ、バババババ!?」
あ、謎ビーム。
援護のつもりだろうか、空から落とされた赤紫の電撃が降り注ぎ、ついでのごとく巻き込まれた魔法使いが悲鳴を上げる。
とりあえず触腕に捕まった脚は解放されたようだが、全身からギャグのようにブスブス黒煙を上げる姿はとても無事には見えない。
見かねた様子でステンが言った。
「たす、たすけよう」
「あー、まぁ、うん」
是非もない。スワロウは海面に立ち尽くし軽く空を仰いだ。
初夏の青空、東の空はまだまだ快晴。これなら夜は星がよく見えるだろう。
「今日の夕飯はタコ尽くし、と」
「まる、丸焼、きと、ゆでだこ」
「酢の物もありか。――で、ノルマは?」
「ひとり、二本」
「オーライオーライ!」
軽くやり合って息をつく。ついさっき元仲間に引導を渡した時よりも、肩からはだいぶ強張りが抜けていた。
矢筒から新たな矢を取り出し、引き絞って狙いを定める。
とりあえず舟だけでも守らなければ、この場の全員はスタミナ切れで海の藻屑と化すに違いない。
●
瘴気島北寄りの東端にスワロウたちの拠点はあった。
海岸に屹立するように建てられた、石造りの監視塔である。かつて王国の統治が行き届いていた頃の名残であるそれは、今や廃墟も同然に打ち棄てられ、海賊残党のねぐらと化していた。
……残党といっても、たった人間三人からなる小グループでしかないのだが。
半年以上も前の話になる。南海地方ロイス群島海域にて権勢を誇っていた海賊たちが、何者かに襲われて壊滅するという憂き目にあった。
敵勢力の詳細は一切が不明。突如として出現した『霧』が海域の大半を包み込み、それに巻き込まれた海賊たちはその全てが消息を絶った。スワロウの知る限り例外はひとり。小舟を操って命からがら逃げだしたというその男は、断片的な証言をいくつか残したきり狂乱して自ら首を搔き切った。
霧。
触手。
化け物。
憑りつかれた。
みんな狂った。
聞き取れた意味のある言葉はこの程度。参考になるとは到底言えない。
商船護衛のためゴダイヴァにまで出張っていたスワロウたちはたまたま難を逃れた形である。くだんの『霧』も遠目に視界に納めた程度、その実害に関しては推測する他にない。
ただ言えることはひとつ――――あの海域に、かつての仲間はもはやいない。
あの海域にいるのは海賊どもの残骸だ。皮膚には鱗が浮き上がり、瞼がなくなり真円に近くなった眼の間隔は不気味に開き、指の間には水かき。どこからともなくぬめぬめとした粘液が体を覆っている。フジツボだのヒトデだの貝だのをあちこちにへばり付かせ、顎の後ろにはエラのような切れ目が。
船長も戦士も、水夫も航海士も測量士も、ナガン火山島の中立街で栄えた商人も、そこでスワロウが世話になった娼婦も、皆ことごとくああなった。あんなものが人であるものか。海賊であるものか。
海賊は船を操るものである。帆を張り櫂を押し引いて船上にあるものだ。断じて水に潜るものなどではない。
誇り、などと上等なものなど持ち合わせていた気はなかったが――
これは、弔いといえるのだろうか。
スワロウたち三人とあとおまけの一匹は、逃げ延びた瘴気島の北東端に留まってかつての縄張りを見届けている。かつての仲間がその醜態を現したとき、何を置いてでも引導を渡すためだ。
●
瘴気島の北東端には、東に広がるロイス群島海域を望むための監視塔が建っている。都市国家時代に横行した海賊衆の襲来をいち早く察知するための物でもあり、また商船を導くための灯台の役割も持っていた。
灯りをともす機構は今となっては朽ち果てて使い物にならないものの、それでも数人が暮らす分には支障のない拠点といえた。
時は夜。監視塔の足元に火を焚いたスワロウたちは、食後の雑談代わりに戦利品の分配に勤しんでいた。ちなみに最大の戦果はタコ足の香草焼きである。とても歯切れが悪かった。
……とはいえ、戦利品などといっても大した物などない。欠けた短剣や錆ついた硬貨がほとんどではあるのだが。
「こ、これ! これ見ろ、これ!」
ステンが興奮した様子で立ち上がり、右手に持つものを掲げてみせた。
右手をすっぽりと覆う手甲のような物体である。所々赤みがかったキチン質で、先端に行くほど鋭利に尖っている。
――――どう見ても蟹の鋏だった。
「……それ、二週間前にやったやつ?」
「うん! うん……!」
「暇な時にもぞもぞ作ってたのって、それを手に合わせるため?」
「た、大変だった……!」
スワロウの問いにステンが得意げに頷き、蟹手甲を着けた手で軽くシャドーする。恵まれた体格から放たれる拳の風切り音が、二週間前の悪夢をそこはかとなく蘇らせた。
……射ても射ても殻に弾かれるスワロウの弓、ステンの銛は半ばからぼっきりと折れ、ルルイックの火炎も通りが悪かった。鱗粉も謎ビームも効き目が薄く、あわや船が転覆寸前までいったのだ。
あの蟹をどうやって倒したのか、あまりの疲労でスワロウの記憶にはっきりと残っていない――
「ふん……ッ!」
ひときわ気合いの乗った一撃。試し打ちの目標となった傍らの樹が、ズン、と重々しい音とともに鳴動する。ステンが腕を引くと、大の男の胴体ほどの太さの幹が見事に丸い貫通痕を残していた。
「お、おう……」
「つ、次、これ使う。もり、銛も、剣も、すぐ錆びる。これ、錆びない」
思わず漏れた感嘆の声にステンが胸を張る。……どもりがちで他人から侮られやすい男ではあるが、頭の回転は早い方だ。『霧』の異変を目の当たりにしたときも、狼狽える船長を尻目にいち早くトンズラを主張したのはステンだった。
「しかし、『錆』が錆びない武器を使うか」
横合いから魔法使い――ルルイックが口を挟んだ。木に吊ったハンモックに身を預け、へらへらとしまりのない顔で酒瓶を傾ける魔法使いは、肩をすくめて自らの杖を掲げる。
「どうせなら魔法使おうぜ、魔法。スクロールには『魔法刃』なんつう魔法もある。錆びないし鈍らない、折れても再生成すればいい」
「うるせー魔法馬鹿。その直ぐ折れるのが大問題なんだろうが」
「お、俺、スクロール、使えない……」
「あーもう、馬鹿の言うことなんか気にすんなって! 後衛職に剣だの槍だのの良し悪しなんか分かってたまるかよ」
「――――ギィィ、ギィィ!」
コンプレックスを刺激されたのか肩を落としたステンをスワロウがなだめる。同調した風に傍らから異音が響いた。
「え、ナニこれって俺が悪い流れ? そんなに変なこと言ったか?」
「ギィ、ギギギ!」
「ちょ、何す、おま――わわわっ!?」
空気の読めない馬鹿に苛立つ『何か』。『それ』が腹立ちまぎれに放った頭突きはハンモックのかかっていた幹を圧し折り、ルルイックは為す術もなく地面に強かに尻を打った。
「おぉぉぉ……腰、おぉぉおぉ……!」
「馬鹿だ……」
腰を押さえて悶絶するルルイックを一言で切り捨て、スワロウは下手人へ目を向ける。そこにいたのは――
全体的なフォルムは蛾。それも規格外に巨大な。
全長およそ四メートル以上、翼長となると十メートルに及ぶ。顔の大きさだけでスワロウの身長ほどもある。いったいどんな仕組みなのやら、翅を折り畳めなければこの拠点にだって入り込めないに違いない。
釣り目がちな赤い複眼に、眉間からVの字に伸びる黄色い触角はどこか硬質な見た目だ。真っ黒な胴体や巨大な翅は攻撃的なほどにトゲトゲしていて、きっと背中に乗っても乗り心地は最悪だろう。
翅の色は黒を基調に稲妻のような赤のまだらと黄色のアクセント。それの凶悪な面構えと相まって実に刺々しい外見である。
――要するに、具体的に近似した例を挙げるとするなら。
「すごく……バトラです……」
平成怪獣王VSシリーズに登場する、絵に描いたようなツンデレムーブで知られた戦闘破壊獣にそっくりだった。
何故バト〇なのか。なぜモ〇ラではないのか。というか百年近く前の映画作品のキャラクターなど登場させて大丈夫なのだろうか。
「ギィィ! ギィィ!」
ルルイックに制裁を下した怪獣は満足したのか、言語化不可能な鳴き声を上げながら今日の獲物にかぶりつく。
聞けば芋虫の頃は葉っぱばっかり食っていたものの、途中から飽きて主食を魔物に替えたあたりで進化ツリーが変化したのだとか。なぜ草食のままでいられなかった。
――スワロウ、ルルイック、ステン、そしてこの怪獣。ステン以外はプレイヤーで、今はこの三人と一匹で海賊稼業を続けている。
海賊稼業といってもほとんどが漁業と通行料の徴収ばかりで、ソレらしいことなどこの半年指折る程度しかできてはいないのだが。
「つーかさぁ、最近実入りが減ってきてねえか?」
ハンモックを新たに別の樹に結わえつけながらルルイックが言った。神殿領で二年間の神官修行ののち、出奔して魔法使い兼海賊に転向したという異例の経歴持ちは、いささか以上に感性が俗っぽい。
「先々月くらいまではほら、『アレ』の持ってる装備も痛んでなかったし? 懐に金貨でも忍ばせてるのを漁ればそこそこの稼ぎになったんだがよ」
「て、手入れし、してない。かと、カトラスが錆びていた」
ルルイックの愚痴にステンが追従する。それについてはスワロウも同意見だった。
化け物にされてから得物に研ぎを入れることもなく、状態が悪化していく一方の装備品。あれでは金物屋に屑鉄として売り払うくらいしか用途がないほどだ。日を追うごとに衣類もどんどん襤褸切れと化し、初期は帯びていた財布も最近はどこかに取り落している。恐らくは中身ごと海の底だろう。
海賊稼業は金がかかる。潮風に吹かれれば装備は容易く錆びるし、重い鏃を使えば矢は海へ沈んでしまう。かといって魚の骨や鮫の牙で鏃を作っても、海水を吸った箆は変形して使い物にならない。
最後に大金を抱えていた『奴ら』は誰だったろうか。小太りな商人風の男の衣服が金ボタンのぶん高値で売れたはずだが。
「……駄目だな、先行きが悪すぎる。魔物狩り以外でも金策を考えないと」
「敵を倒したらゴールドをドロップ、なんて時代は終わったのかねぇ?」
元からそんな時代は来ていない。今までが特殊だったのだ。
不貞腐れて張り直したハンモックに寝そべるルルイックと意見を交換し合う。
「河岸を替えるか? 北西辺りに移って砂漠民と交易してみるとか」
「潮の流れがなー。一から覚え直すのめんどくね?」
「ふ、舟、が、わるい。ボロすぎる」
スワロウの提案は二人のもっともな意見に却下される。
確かにあの辺りは群島付近とまではいかないものの流れが複雑で、憶えるのがいささか骨だ。一から調べ上げて実際に船を乗入れ、顧客を見つけて速さをアピールして……収益が出るまでにどれだけかかるやら。
十年は自転車操業を覚悟するべきだろう。それまで苦労した挙句黒字になって五年でログアウト――あまりやりたい事業ではない。
おまけに元手になる船も問題だ。現在スワロウたちが魔物狩りに使っている舟ではあまりに小さすぎた。
本当は別にちゃんとした船はあったのだ。『霧』から逃げ出すときに使っていた、ジャンク船紛いとはいえ商船にも使えるれっきとしたものが。横合いから突っ込んできた鮫に船長が食われたものの、動かすだけならスワロウたちにもできる。
しかし、半年前に瘴気島にまで辿り着いたとき、船は『奴ら』の追撃によって中破に追い込まれてしまった。あれを補修するにはそれなりに金がかかる。
「あれさえ動けばなー。船一隻でも瘴気島の東半分は牛耳れるのによ」
「ひと、人が、たりれば……でも、やとえない。か、金が、ない」
「お前らそういうところ海賊だよなぁ」
口々に愚痴り合う半漁師と不良神官。略奪に忌避感を覚えない辺り出自が知れる。思わず突っ込むスワロウも似たような内心である。
……とはいえ、たとえ船が直ろうともかつてのような無法は働けないだろうが。
「聞いたろ、この島の自警団の話」
「聞いてるよ、北の屯所の正規兵を追い出したんだって? 我こそは島の主にー! って息巻いてるんだろうな」
「これからは俺たちがここに来た時みたいに好き勝手出来なくなる。下手に住民に手を出したらゴブリンの前座に討伐隊の差し向けだ」
「ぜん、ざ……」
屯所の兵を吸収した自警団は、正規の調練を重ねて急速にその練度を上げているという。この調子だと年内に激突か、あるいは肩慣らしに手頃な賊を討伐、という流れになるのではないか。
先行きの暗い憶測をスワロウが口にすると、ステンが目に見えて肩を落とした。
「ぜんざ……ついで……おまけ……」
「気にすんなってステン! ほら、海賊なんて所詮中ボスにもなれないごろつきなんだからさ! どうせあのまんまでもそのうち王都あたりから海賊討伐が来てただろ」
「ルル、黙れ」
「ルル言うなし!?」
古巣を懐かしむステンとデリカシーのないルルイック。馬鹿を一喝してスワロウは思案に耽った。
……実際問題、半島越しの東辺海航路が開通して以降、ロイス群島海域の海賊たちの景気は下火になっていた。書物や護符、装飾といった嵩張らない高価な産品はエルフとの交易のために北へ持ち込まれ、戦乱の兆しの強まる大陸西部には主に糧食が。
合理的ではあるし、海域の通行費や商船護衛の依頼で海賊たちの懐が多少潤ったのは事実である。しかし、肝心の略奪品からは次第に華美さが失われ、質素な実用品ばかりが横行するようになった。
――そして、とどめがふた月ほど前の大捕物である。
治安を取り締まる警備隊が、王都で一番の勢力を誇る商会の女主人を武器密売の罪で検挙したのだ。それによって商会は各部署の有力者たちが独立する形で散々に分裂。一週間と経たないうちに、王都の裏表を牛耳っていた大商会は有象無象のその他大勢に転落しもはや見る影もない。
砂漠民を顧客として大商会が利用しようとしていた売買ルートは海賊の残党を通したもので、当然それにスワロウたちも加わろうとしていた。これを機に一旗あげられれば、という下心があったのは否定しきれない。
商会が潰され、取引もパーになった残党たちは今度こそ先行きを失った。当て込んでいた収入が断たれ、今度こそ立ち行かなくなったのである。
――――思えば、そこで何かしら手を打つべきだったのかもしれない。
「……ええい、やってられるか!」
考えれば考えるほどドツボにハマる思考に終止符を打ち、スワロウが突如叫んだ。突然のことに仲間の二人がびくりと肩を震わせる。
胡乱げな視線を向けてくる二人を意に介さず、スワロウが言った。
「息抜きだ息抜き! こんな島の片隅でうじうじ燻っていられるか! 都会に繰り出そうぜ!」
「と、都会?」
「おう、とりあえずゴダイヴァだ」
鸚鵡返しに聞き返すステンにスワロウが答える。
「王子様がトップに収まった街がどう変わったか、実際に目で見て確かめてやるのさ!」
治安の状況、商会の品ぞろえ、兵の練度……見るべきところは数多い。
まずは街が上向いているのか、下向いているのか。雰囲気だけでも見極めておきたい。
見極めたうえで、それが好ましいものであるなら――
「おいおいおい! まさか足でも洗う気かよ!」
冗談きついぜ、とルルイックが目を丸くする。それにスワロウは鼻で笑い、
「片意地張って手を後ろに回すのは嫌だろ? 安心しろって、選択肢の一つに加えるだけさ。――――それにそんなビクつくなって、要は観光だよ、観光! 時化の日に気分転換で飯屋で飲み食いするようなもんさ!」
行き詰まったのなら一度息抜きをしてみるといい。野郎ばかりで固まって頭を抱えても仕方がない。
王都とは比べようがないものの、ゴダイヴァはそれなりに都会だ。人は多い、嗜好品も豊富で娯楽もある。こんな田舎とは大違いである。
「最近じゃ、北の鉱山町に腕のいい魔法薬師がいて質のいい魔法薬が仕入れられるんだと。戦場も近いし、死んだ騎士の遺品が掘り出し市に並んでるかもしれん。掲示板で宣伝してたんだが、新しく出来た『お店』はお触りオッケーだって――」
「よーしゴダイヴァだ! 飲んで騒いで裸で駆けまわるぞ、ゴダイヴァだけに!」
一匹フィッシュ。不良神官は酒と女で身を持ち崩した。
「お、俺、いきたい、と、所ある」
「あぁん?」
おっぱいおっぱいとひとり騒ぐ馬鹿を尻目に、ステンがもじもじと言いよどむ。
「どこに? ゴダイヴァで?」
「さい、最近、はやりの、えん、演劇団が、あるって」
聞いたことがある。プレイヤーが主催している流れの演劇集団で、魔法を用いた特殊効果が特に売りなのだとか。
問題は、彼らが主に公演する内容である。
「……海賊が、ヒーローショーを?」
「だ、ダメ、か……?」
しょんぼりと全身で落胆を表現しながら聞き返してくる大男。ギャップが酷い。しょぼくれた大型犬に見つめられている気分になる。
しかしこういう時にどう返答するかは、スワロウとルルイックは示し合わせて決めていた。
「アリだな。だろ?」
「ありあり! 大いにアリ! 海賊だってヒーローになれるんだよ! ヒーローだっておっぱいが好きなんだよ!」
「やっぱり黙れよお前!」
「そ、そう、か。そう、か……!」
スワロウの呼びかけにルルイックが呂律の回らない口調で同意する。
二人の同意を得て、見るからに元気を取り戻したステンは改めて自前の網の補修に取り掛かった。
気分はまさに遠足前夜。テンション極まって徹夜でもしてしまいそうなノリである。それくらいこのド田舎には娯楽がないのだから仕方がない。
一党の空気が上向いたのを感じたスワロウが、口元を緩めて自らの得物の整備に取り掛かろうとした――――その時。
「ギィィッ!」
「あいだぁ!?」
バトラ、怒りの猛抗議。
額の触角でスワロウを小突き倒した怪獣は、赤い複眼を点滅させながら翅の模様をピカピカと点滅させる。忙しなくかつ一定の規則性を持った点滅間隔は紛れもなく内輪で定めたモールス信号で、
――――イキタイ、ゲキ、ミタイ
「いやでもその図体でかぁ?」
そうスワロウが指摘すると、バトラは焚火の近くにのしのしと近寄ると、黒い節足を使って火に照らされる地面に何やら書き込み始めた。
……『遠視』、『飛行』、『上空』――日本語で書かれた内容からして、その怪獣が何をする気なのかおおよそに察する。
「スキル使って無理矢理覗くって? 台詞とかは読唇術使うから大丈夫? 無駄にスペック高いなお前……」
――――イク、ミタイ、ゲキ、ミタイ
「でもばれたら大騒ぎだぞ。下手すりゃレイドエネミー扱いで賞金首じゃ……いだっ!?」
返答は触角の一撃。
――――イキタイ、イキタイ、ミタイ、ミルミルミルミルミルミル――
「ええい! ツーツートントン翅をギラギラさせるのはやめろ! 目が痛い!」
かつて流行ったパカパカのごとく翅を明滅させる怪獣と、目を庇いながら悲鳴を上げるスワロウ。この怪獣との交流のおかげでモールス翻訳が素で出来るようになったのは良かったのか悪かったのか。
そして視神経に甚大なダメージを受けている仲間をほったらかしにして旅行の予定を立てている二人。いつか覚えておけよと拳を握るスワロウだった。
●
民間船に偽装した小舟で海を渡りゴダイヴァへ。お尋ね身分を隠して潜入し、久々の都会の空気を存分に味わった。古くなった装備を一新して、劇場だの美術館だの文明的な建物へ入ってみたり。
色街に散々入り浸った挙句まだ足りぬと未練たらたらなルルイックを引き摺って西のブレンダへ。騎士サマとやらの練度を目に収めて、これなら何人くらいなら相手取れると酒の肴に下馬評に興じた。
小遣い稼ぎに砂漠戦線を冷やかしたあとは、北にある噂の鉱山街に訪れた。存外歴史ある街並みや躍動感あふれる中央広場の銅像に圧倒されつつ、くだんの魔法薬師と知己を得ることに成功する。
なんだかんだで寄り道ばかりの旅路で、当初の予定を大幅にぶっちぎった旅程だった。散財ばかりで海賊時代の貯金をほとんど使い果たしてしまったが、これはこれでありなものだと後悔はない。
帰還した瘴気島で、三人と一匹が捻くれた目つきの少年と出会うまで――――あと、二ヶ月。




