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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
幕間
472/494

まだ、何も見えないけれど

 数日ぶりに対面した少年の顔は、悪い意味で様変わりしていた。

 目の下には濃い隈が浮かび、げっそりとこけた頬は骨が浮いている。眉間に刻まれた縦皺は、皮肉げな笑みを貼りつけた今もなお薄れる様子はない。

 あれが本当にかつてノエルへ魔法を教授した隠者なのか。一目では目を疑う。次に誰何を禁じ得ない佇まい。


「お前……」

「…………」


 呆然と見とれるテオへ気のない一瞥を送ると、少年はすぐに視線を逸らして議場へと踏み入った。周囲の人間になど目もくれない、正面のノエルにのみ視線を注いでいる。


 ――――当然、それを快く思わない人間もいた。


「おい」


 声をかけたのは自警団の古株の一人だ。屈強な筋力を誇り、恵まれた上背からゴブリンの頭蓋を何体も砕いてきた。中肉中背の少年に対し、彼は身を仰け反らせて見下すように立ち塞がる。


「クソ餓鬼。お前がどこの誰だか知らねえが、よそもんがしゃしゃり出てくるんじゃねえよ。部外者は立ち入り禁止ってやつだ」

「…………、ぃだ」

「あぁん?」


 何事かを少年が呟いた。誰にも聞き取れない小声で、目の前の青年も訝しげに眉をひそめる。


「ンだぁ? 声小さくて何言ってんだかわかんねえんだよ! 男ならシャキッと声出せや!」

「…………別に」


 対する少年は歪に唇を歪めて、


「こんなテンプレ、今更やられたってバカみたいだ。そう言ったんだよ」

「あぁ?」


 瞬間。

 少年から伸びた腕が巨漢の顎を強かに打った。投げやりに放たれた裏拳、技術も何もない、しかし速度は蛇のごとく。不意を突かれた青年は脳を揺らされ、間の抜けた声を漏らして昏倒する。

 意識は残っているのだろう。呻き声とともに立ち上がろうと床に手をつくも、そのたびにバランスを崩して転倒した。あれではしばらく起き上がれまい。


「――ほら、馬鹿みたいだろ」


 それは一体、誰を差した言葉なのか。

 そんな青年を見下ろして鼻を鳴らすと、少年は改めてノエルへと向き直る。


「……顎の骨が外れてるかもだけど、それ以外は何ともないだろ。ボクシングでもしてるならご愁傷様だ。脱臼が癖になったかもな」

「キャバリー……」

「かる……いや、何でもない。――それで? そこで話は聞かせてもらったけど、一体なんの冗談だ?」


 痩せた犬のような風貌もそのままに少年は嘲笑を漏らした。


「人手がない、武器もない、食糧もない。そんなザマでやることが、明らかに勝ち目のない戦いに万歳突撃ですって? 牟田口かよお前。雑草でも喰ってろ。でなきゃ役にも立たない神棚の前でぶつぶつ念仏でも唱えてろ」

「な――――お前っ」


 テオにはキャバリーの言っている台詞の意味が半分も理解できなかった。それでもノエルが酷い侮辱を投げつけられたのは察せられた。

 赤面していきり立つテオを鼻で笑うと、少年はノエルへと向き直る。少女はそれに、静かな瞳で迎えた。


「――俺に力を貸してほしいって? 残念だったな、誰が貸すか。身の程知らずに特攻かます馬鹿の遊び相手してやる暇なんてないんだよ。少しは考えて戦い方を決めろっての」

「助けてくれないの?」

「やらない。必要でもない」


 ノエルの問いに即答するキャバリー。……力を貸すでもなく、何と戦えと示すわけでもなく、まさか本当にただ冷やかしに来ただけなのか。

 もったいぶった言い方にいい加減苛立ったテオは目の前の少年を睨みつけた。


「……お前、茶化しに来ただけなら――」

「北の駐屯所」


 台詞を遮って唐突に告げられた地名にテオは眉をひそめた。

 ――北の駐屯所、王国軍が瘴気島の統治のために少数だけ兵を配備している拠点のひとつだ。徴税官もそこに配置されていて、半年前に徴税された島の麦も王都へ運ばれる前にそこに備蓄される。

 しかし、それがどうしたというのか。まさかそこを襲えというわけでも――


「……おい、まさか――」

「知ってるか? あそこには去年の年貢がまるまる残ってる。武器だってお前らが使ってるようなおんぼろとは大違いなきちんとした物が唸ってるぞ」

「馬鹿な! 反乱を起こす気か!?」


 それまで聞いていた村人の一人が怒鳴った。


「ただでさえゴブリン相手に生きるか死ぬかなんだぞ! このうえ王国軍とやり合えってのか!?」

「王国軍?」


 村人に向き直ったキャバリーは、これ見よがしな笑みを浮かべていた。


「馬鹿なこと言うなよ。お前らの言う王国軍って、一体どこにいる(・・・・・)っていうんだ?」

「あぁ?」


 困惑する。その場にいる誰もがこの少年の言うことが理解できないでいた。

 王国軍は王国軍だろう。ルフト王国の守備を司り、この瘴気島にまで統治を及ぼす軍事組織。王都にも要塞都市にもゴダイヴァにも、この瘴気島にだって王国軍人はいるではないか。

 そう答えると、キャバリーは心底馬鹿にしきった声で嘲笑した。


「はっ、これだから馬鹿どもは。――――もう一度よく考えてから答えろ。お前たちの言う王国軍は、いったい誰に(・・・・・・)率いられているんだ?(・・・・・・・・・・)

「それは――」


 それは…………誰にだったか。

 当たり前のこと過ぎて逆に答えに窮する。思いもよらぬ問いかけだった。

 王国軍は国民を、領土を守る組織だ。統率するのは将軍だ、将軍を任命するのは国王だ。ならば結論は自明であるというのに。


「王様も、大将軍も戦死した。王子は即位してない上に実力がなく、王都を追い出されて今や弱小勢力。一番勢力の大きい宮廷魔術師は簒奪者な上に魔族とぶつかってて瘴気島まで手が届かない。

 お前たちを守る兵はどこに所属してるんだ? お前たちはどこに税を支払えばいいんだ? どれも王国兵を率いる勢力だぞ? 吹けば飛ぶような王子様に? 瘴気島なんか目にも留めない宮廷魔術師に? 砂漠相手に精一杯な騎士団? いっそ砂漠についた方が厚遇してもらえるかもな!」


 ロドリック王子、マクスウェル筆頭、そして騎士団。

 どの勢力も名目上王国兵を率いている。指揮権を持っている。誰もが自らの正当性を主張している。血筋、道理、実力――瘴気島の人間からすればどれもが見劣りするものではなく、そして彼らは瘴気島へ強権を発動できるほどの影響力を失っているのだ。

 血筋を見るならロドリック王子を支持するべきだ。魔族へ最も勝ち目があるのはマクスウェルだ。瘴気島に最も地理的に近く、庇護を期待できるのはロドルフ・ラムセスだ。そして今一番勢いがあるのはファーティマだ。


 瘴気島の民は一体、誰に税を納めればいい?

 否――――去年村々を訪れた徴税官は、いったいどこへ(・・・・・・・)麦を納めたというのだ(・・・・・・・・・・)――――?


「――わからないだろ。わからないはずだ、お前らの頭じゃ判断なんかできるもんか。そしてそれは、北の駐屯所の徴税官(・・・・・・・・・)だって同じなんだ」


 少年は言った。北の駐屯所には、半年以上前に徴税された麦が未だどこにも納められず眠っていると。


「好機を窺ってるつもりなんだろうな。いつ誰に味方面して麦を届ければ一番利益になるか、見極めるつもりで決断を渋ってる。……本当はただ、優柔不断なだけだっていうのに」

「……それを襲えって言うのか? そんなことをしたら俺たちは罪人だ」

「逆だろ、お前たちは義憤に駆られて腐敗した役人を糾しに行くのさ」


 テオの問いにキャバリーがこともなげに答える。大義名分はこちらにあるのだと。


「むしろ大々的に喧伝してやればいい。徴税官は情勢が不明なのをいいことに税を着服していると。末端の兵はそんなこと知る由もない、騒いだ分だけ疑心暗鬼に囚われて動揺してくれるさ」

「そうしたら、私達に味方してくれる兵士も出てくる?」

「流れる血は減らせる。駐屯所にはお前らが使ってるようなぼろい棍棒よりましな武器もある。ゴブリンへの勝算も増すさ。――――あぁ、それと」


 ひと息ついて、少年は思案げに目を伏せる。


「奪った税は全部分け合うな。一部は残してゴダイヴァに送れ」

「王子に?」

「瘴気島は王子様を支持する――そう表明してやるのさ」


 勢力的にはもっとも弱小なロドリック王子に。たとえ援助を申し入れてもあちらからの助勢など望むべくもない立ち位置だ。だというのに、なぜ。

 首を傾げるノエルにキャバリーは鼻を鳴らし、


「少しは考えろ。いつまでも誰かの庇護に入ろうとするな。これからお前たちは一勢力として割拠することになるんだぞ」

「でも……」

「物事を悪い方ばかりに考えるな。弱小ということはこちらに指図してこないということ、ゴダイヴァから動けないということはこっちが拡大できれば逆に呑み込めるということだ。それに王国の正統を主張する王子は騎士団との関係を維持している。砂漠とブレンダ、ゴダイヴァと王都。それぞれの敵に向かうために背中を預け合って同盟を組んでるようなものだ。そこで王子を支持する勢力が現れれば……」

「――同盟に食い込むことができる。少なくとも騎士団がこの島に攻めることはなくなる」


 瘴気島北面が脅かされる心配がなくなる。そのうえ、海運によって経済が上向くことも大いにありうるだろう。

 ――もちろんこれは机上の空論である。しかし八方塞がりでいたテオたち瘴気島住民にとって、キャバリーの提言は活路が開けたと思わせるのに十分なものだった。


「さあ、どうする? この博打に乗ってみるか?」


 そう挑発する少年の瞳は、しかしどこか空虚を孕んでいた。



   ●



 議論は決した。瘴気島住民は明朝をもって北部駐屯所を襲撃し、徴税官の不正を糾弾する流れとなった。

 これをもって彼らは弱小ながらも一つの勢力として頭角を現すこととなる。――――その意味を、正しく理解している人間がどれほどいることか。


「……ねぇ、キャバリー」


 明朝の作戦に備えて村人たちが立ち去ったのち、誰もいなくなった議場で、ノエルとテオ、そしてキャバリーは向き合っていた。

 壁にもたれて項垂れる少年に対し、ノエルが感謝の言葉を告げる。


「ありがとう、来てくれて」

「言うなよ、馬鹿が」


 無愛想に少年が返した。視線を合わせようともせず、その目は床の汚れを見つめている。


「……正直、今でも迷ってる。こんな茶番、とっとと見捨ててどこか静かなところに移ろうかって」


 皮肉や冗談ではないのだろう。真実彼の瞳は虚無を宿し、この島で起きていることに価値を見出していない。

 厭世観か無気力感か、かつて見たあのふてぶてしい態度からは想像できないほどの憔悴が少年から見て取れた。

 ――いや、ただ虚勢を張っていただけで、実際はこのさまがキャバリーの本質なのかもしれない。


「……でも、それだと後味が悪いから」

「キャバリー……」

「そうだよ、後味が悪いんだ。わざわざ枠を使って強化してやった馬鹿が、こんな馬鹿みたいな戦いで死ぬのが我慢できない。ただそれだけ、それ以上の思い入れなんてない」


 だから勘違いするなよ、とキャバリーはノエルを睨み据えて、


「俺は、お前に肩入れしてやってるんだ。顔も覚えられないその他大勢の連中なんか知るか。そんなもの背負えるか。俺が見てやるのはお前だけだ、ノエル」

「うん……うんっ」

「――――っ、やっぱり馬鹿だ、お前」


 満面の笑みで頷いたノエルに、キャバリーは気まずげに顔を逸らすと踵を返す。ここには用はないとばかりに議場の出口へと去って行く。


「とにかく、精々死なないように気をつけるんだな。お前が死んだらもう知らない。気兼ねなく俺は出ていくからそのつもりでいろよ」


 捨て台詞にしてはお人好しに過ぎる――そんな感想をテオが抱いている間に、キャバリーはそそくさと姿を消した。



   ●



 ディール暦716年4月。

 瘴気島北西部に逼塞していた自警団が蜂起、大陸と瘴気島を繋ぐ港のある北部駐屯所を襲撃した。

 彼らは瘴気島徴税官が税を不当に着服し、正当な相手に納められていないことを名目に徴税官を糾弾。それに呼応して兵士たちの四割が離反し、自警団へと加わった。

 王国の斜陽、地理的に孤立した瘴気島の状況、ゴブリンの増加による治安の悪化などなど、既に著しく士気を欠いていた駐屯部隊はまともな抵抗もできずに壊走。徴税官自身は小舟を使って北に逃げ、騎士団へ身を寄せることになる。


 北部拠点を制圧した自警団は、ひとまず食いつなぐための食糧と良質な武具を手に入れ、新たに百名近くの正規兵を組み込むことで規模と統率を強化、本格的にゴブリンへの対決姿勢を強めていく。

 人間がゴブリンを駆逐するか、ゴブリンが人間を隷属させるか。早ければ年内に趨勢を決することになるだろう。

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