オチが見え過ぎでは
澄み渡る青空、吹き抜ける晩春の風、すっかり暖かくなった陽光はぽかぽかと草むらを照らし、半島のヤマツツジもそろそろ見どころを迎える頃。
――演習場にどっかりと置かれた不審物のもたらす悪臭がその場にいる全員を祟り殺さんとばかりに襲い掛かっていた。
「――――う、ごふぉ……!?」
ヤバい、開幕からして吐血しそう。元凶は紛れもなく目の前の異物である。牛糞馬糞なぞ物ともしないこの臭い、腐れトマトになれている半島民の嗅覚にここまでダメージを与えるとはいったい何やつ。もうやだ帰りたい。
――――と、いうわけで。皆さんこんにちは。半島全域を巻き込んだ内戦から数カ月、ワタシたちは元気です。いや元気じゃねえ、今まさに気力を奪われている最中ですがいかがお過ごしでしょうか。
芸術都市から帰還したギムリンたちが何やら思いついた様子で団長と話し込んでいたのが一週間前。領都と連絡を取ったり演習場の貸切許可を取ったりと忙しくしているのは把握していたし、またぞろ奇妙な実験を始めるつもりなのだろうと予想はしていた。そして『ディール大陸史に残る大実験を開始する』とかなんとかで召集令が貼り出されたのが三日前。
事務仕事で手が離せない連中は置いといて、とりあえずハスカールの主要メンバーが集まってはみたのだが……なんだこれ。
いやなんだこれ、ほんとになんだこれ。
目の前の光景を理解することを脳が拒む。そして今にもこの場から立ち去りたいと足が勝手に回れ右したがるのをどうにかこうにか抑え込んだ。
目の前に広がるのは――
黒い小山。
たかる小蝿。
不満げな唸り声を上げてそっぽ向く、ついさっき踏ん張ったばかりの翠の竜。
そしてテメエだけ炭を仕込んだマスクで口元を守る、どや顔で仁王立ちになるドワーフ二人である。ふざけんなそれ全員分寄越せ。
「グッゥゥウウゥウゥ!?」
あーうちの白狼まで悶絶してる。慰め代わりに首元を撫でてやるが焼け石に水、じったんばったんともがいた揚句、慌ただしく地面を掘って鼻先を突っ込んでしまった。それ効果あるのかなぁ……?
他の面々の反応も様々だ。
団長なんかは鼻をつまみながら目をキラキラさせてるし、副団長は瞑目して明鏡止水に逃げ場を求めている。ノーミエックは要領よく先んじて手に入れたマスクで鼻を覆い、タグロは驚いたことに口元は引き攣ってはいるもののリアクションは薄い。
よく爺さんたちの無茶振りに付き合わされている鍛冶屋は内容のことを聞かされているのか苦笑いに留めているし、いつの間にか都市に定住するようになった大鷹は速攻見切りをつけて飛び去っていった。
「――――よし、話は終わりね。私もう帰るから!」
「逃げるな馬鹿エルフ」
そして臆面もなく立ち去ろうとする我が副官。だが逃がさん。
踵を返したエルモの首根っこを掴んで引き止めると、マジギレの面持ちで彼女は叫んだ。
「だって私火薬になんて興味ないもん! 後で結果だけ報告してくれたらそれでいいじゃない!?」
「かもしれんが。むしろ誰もがそう思ってるが」
「エルフに爆破実験なんか見せようとすんなバーカ! ドラゴンの糞の臭いにまみれたエルフなんかイメージ台無しでしょうが!」
「まあそう言うな。よく言うだろう? 旅は道連れ世は情け、渡る世間は鬼だらけ、と」
地獄の道連れは多いほど気がまぎれる。つまり他の誰が逃げようとお前だけは絶対に道連れにしてくれるわ。
こんちくしょう! と罵倒を撒き散らす副官を尻目にギムリンの説明は始まった。
「――さて皆の衆、まずはこの度の実験のため新鮮な糞を提供してくれた翠竜スヴァークと、その騎士アーデルハイト・ロイター卿へ感謝の挨拶を述べるのじゃ」
いるのかなぁ、それ。
「……こんなことで感謝されても、困るのですが……」
その場の全員の視線を一斉に受ける羽目になったアーデルハイトは、居心地が悪そうに身じろぎした。まだ領都での仕事が残っているだろうに律儀に爺さんの要請に応えてしまうあたり、苦労性というかなんというか。
流石に気の毒になった俺が彼女に声をかける。
「……あー。その、あれだ。別に無理して付き合うことはないんだぞ、ハイジ」
「いえ。最近は怪我もあって執務室に籠りきりでしたので、いい気分転換になるかと。それに――」
それに……何だろうか。
不自然に言葉を切ったアーデルハイトは改めて俺の左腕にもたれかかった。
治癒しきっていない怪我の影響で右の視界が不安らしく、外に出る時はこうして俺が杖代わりになることが多い。最近は寄り添って歩くのにも随分慣れ、最初のようにつんのめったり足を踏んだりといった赤面ものの失態も減ってきている。
「しねばいいのに」
「いきなりなんだお前」
そしてこんな風に彼女を介護しているところに出くわすたび、真っ白い視線を送ってくる我が副官。解せぬ。
そうこうしている間、一同からおざなりな拍手を受けていたドラゴンがうんざりした仕草で立ち上がった。そりゃそうだ、衆人環視の中で脱糞させられ、あまつさえこれからそれを弄ると言われたのだから。
翠竜は忌々しげに尻尾で地面を叩くと、こんな所にいられるかとばかりに翼を広げて飛び去っていった。
「――ところで、普段はドラゴンってどこで排便してるんだ?」
「火山の火口です」
ふと口を突いて出てきた疑問に若草色の竜騎士が答えた。
「出征中は処理のため人足を雇いますが、常時であれば火山内の巣穴に用便用の区画が設けてあります。そこから尻を突き出して、溶岩の上に……」
聞けば、そうやってすっきりしたのち、溶岩から立ち昇る熱気によって肛門を乾かすのだとか。乾いた尻を手近な岩場に擦り付け、汚物のこびり付いた瓦礫も火口に落とす……と。
存外に考えられた習性である。それなりに衛生は保たれるし、熱気によって生じた上昇気流に引かれて臭気も上に抜けていく、という寸法だ。
もっとも、マグマの熱気に余裕で耐えられるドラゴンという種族だからこそ可能な習性なのだろうが。
「スヴァークも巣穴に向かっているのだと思います。慣れない状況なので尻に違和感がある、とひっきりなしに思念が伝わってきましたので」
「この距離でそんなことがわかるのか? あまり無理は――」
「もったいなぁぁぁあああぁあぁあああいぃ!」
竜との同調は騎士に負担がかかると聞く。彼女の身体を案じる俺の台詞は、ギムリンの絶叫に遮られた。
見れば下手なドワーフの身長以上に盛り上がった糞の山の前で、ギムリンが地団太を踏みながらこちらを指差している。
ちなみにガルサス翁の方は、ほほーんとか意味不明な唸り声を上げながら糞の山へ躊躇なく手袋装着の腕を突っ込んでいた。それはギャオスかトリケラトプスの落とし物ですか。中から万年筆でも探す気なのか。
「せっかくドラゴンだなどと希少な家畜を有しておきながら、出したクソは有効活用もなく焼却処分とか! せめてタービン回してエネルギー循環に用立てようとは思わんのか!?」
「家畜言うなし」
「近くの畜産農家を見よ! 鋤を引かせる牛が糞をすれば灰や落ち葉を混ぜ込んで発酵させ肥料として再利用! これぞ生活の知恵っ!」
「聞けよオイ」
やたらテンションの高い爺さんに突っ込みは通用しない。もはや騒ぐだけ騒がせた方が得策か。
半ば諦めかけた俺を尻目に、参加者の中から手が挙がった。タグロである。
「ちょっといいっスか? 聞きたいことがあるんスけど」
「うむ?」
ギムリンの首肯を受けたタグロはどことなく訛りの滲む口調で言葉を重ねる。
「だいぶ前の座学で、ギム爺さんから『自分が最先端を行っているという先入観は棄てろ』とか言われたことがあるっス。人間が思いつく画期的なアイディアなんて既出なことが多いって……」
「良い質問じゃ、花の都で革命起こす権利をやろう!」
だから、そのテンション。
意味不明な権利を押し付けられたタグロは曖昧な表情で沈黙し、それをいいことに爺さんが饒舌に言葉を継いだ。
「周囲から見れば一目瞭然なこと。あとから振り返ればどうして思いつかなかったのか疑問に思うほどの初歩的なミス。
例を挙げればいくらでもある。――プラズマクラスター、マイナスイオン、水素水に血液クレンジング……どうしてこんなものに引っかかるんじゃと嘆きたくなるほど胡散臭い健康法の数々! 比較的科学全盛であった21世紀ですらこのざまよ。
鑑みるに、年月を重ね洗練された文明であろうと、いっそ不自然に放置されるボトルネックが存在することがある。――コーラルよ、原因は何じゃと思う?」
「……あー、あれか? 正常性バイアスとか、成功経験とか?」
「いかにもその通り。問題はな、その場の全員が満点の解答を知らないまま実績を積んでしまったという歪な経験値にあるのじゃ」
前回はこれでうまくいった。その前も、そのまた前も。毎年毎年同じ方法を続けて同じ結果が得られるなら、それは成功である。
その認識が誤りであるとギムリンは言った。いわば百点満点のテストで、誰もがそれを五点満点のテストであると勘違いして答案しているに等しいと。間違いを正す試験官は存在しない。解答者は自分が95点を失点していると知らずに五点が取れたと喜んでいるのだ。
「――花の都、パリの街並みはクソまみれじゃった」
爺さんが言った。
「十八世紀、フランス革命の時代じゃ。過密する人口により公衆衛生は整わず、市民は用を足したあと窓から糞を投げ捨てたのじゃ。路地裏には悪臭が満ち、掃除夫の不足から疫病の温床となったという。――そんな中、効果があるとされたのは瀉血療法に鳥の嘴のマスク! いったいどんな発想をすればその結論に至る!? 臭い除けに凝ったデザインのマスクをするよりもまず路地の洗浄が先決であろうが!
同じ時期、同様に過密都市であった江戸では、むしろ人糞は高値で取引される金肥であったというのに……」
都市伝説レベルの話であるが、フランスでハイヒールが発明されたのは路地に広がる人糞を避けて歩くためであったという。
無論、根拠のない俗説の域を出ないが、それがまことしやかに現代まで伝わっている辺りあの時代の行き詰まりっぷりも相当だったのだろう。
「では翻るに、この世界におけるひずみとは何じゃ? ――決まっておる、魔法の発展じゃ、科学の不発展じゃ。硫黄の高騰、エセ錬金術の横行! どいつもこいつも白痴結界でも展開してるのかとばかりに足元をお留守にする。常識で考えれば明々白々だというのに」
「んー、言わんとすることはわかるのう。ほれ、硫黄と水銀の化合によって黄金を生み出したという錬金術師なぞ、ウン百年生きてきて聞いたこともない。まぁ、金蔓の財布のひもをこちらから締めることもないで、わざわざ訂正はせんかったが」
ぐちゃぐちゃと糞の山を弄りながらガルサス翁が同調した。……というか、デマを解きもせず金儲けの種にしてるあたり、地下王国の罪も重い気がするのだが。
「……ち、やはり碌に残っておらなんだか」
――と、なにやら用事を終わらせたのか、白髪のドワーフが舌打ちとともに汚物の山から腕を引き抜いた。引き出した手の中には鉛筆ほどの大きさの鉱物が握られていて、それを目当てに悪戦苦闘していたのだとわかる。
「糞がこれだけあって、まとまった大きさの硫黄がこれっぽっち。ドラゴンは内臓に砂肝でも仕込んどるのか?」
「みみっちい! 糞の中に紛れ込んだ欠片を探るためにこんな物を用意したのではないぞ!」
「しかし買い求めるよりもよほど欠片が大きいではないか、これ。臭いさえ我慢すれば砂金採りのごとく収益をあげられような」
「硫黄を採るために洗い流した汚水をどうするのじゃ。内海で赤潮発生なぞ洒落にならんわ」
「ううむ、惜しいのう……」
名残惜しげに唸ると、ガルサス翁は糞まみれになった両腕を気持ち悪げにひらひらさせて、
「手を洗いに行く。しかし酷い臭いよ、石鹸まるまる使って小一時間かかるかもしれぬ」
「なんじゃあ、見ていかぬのか? それでは帰ってくる頃には終わっとるぞ」
「構わん。磨り潰した鉱物と硫黄と動物の骨の混合物……結果なぞ透けて見えたわ」
引き留める爺さんなど意に介さない。意味深な台詞を残してガルサス翁が去って行く。
そんな相方の後姿に爺さんは残念そうに溜息をつくと、気を取り直した様子で声を張り上げる。
「――ではまず通常の燃焼実験から開始する! この醸し出されるメタン臭、これに火を近づければメタンハイドレートのごとくガスが燃え上がる光景が見られるはずじゃ」
インベントリから取り出したるは一本の松明。爺さんは器用に片手で火打石を操って松明に火をつけると、ドラゴンの糞へと無造作に近寄り…………ん? 小分けにしないの?
「ヤバい……」
「コーラル?」
零れ出た本音を訝しんだアーデルハイトがこちらへ振り返る。しかし答えてやる余裕などない。俺は慌ててインベントリを展開し――
「硫黄の炎色は紫がかった青! 高校時代に燃やしてみた連中も多いじゃろう。本当は暗い夜の方が色を見分けやすいのじゃが、今回は安全を鑑みて――」
――――――ずん。
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……多くを語ることはすまい。
いったいアレのどこが安全だったというのか。まさにあれこそ白痴結界の体現ではなかろうか。
ギムリンは全治一か月の火傷、周囲の参加者はその日の服を処分する羽目になった。
咄嗟に円盾を出して身を庇った俺とアーデルハイトは事なきを得たものの、その日の午後は円盾の洗浄に半日を費やすことになった。
その後、実験に使用できるドラゴンの糞は、一度につき五合枡一杯分に規定されたという。




