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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
幕間
467/494

砂礫の賢者:中

 数年前に迎え入れた暗殺教団残党は、数多くの利益をロレンスにもたらした。

 砂漠内における不穏分子を監視させ、大陸各地に散らばる『草』による情報網をいくつか掌握し、いくつかの裏金ルートを立ち上げた。

 何を隠そう王都最大の商会の一つは『協力者』のひとつで、ここ最近新たに開発した兵器を横流ししてくれるとのこと。……それきり音沙汰が途絶えてしまったが、特に気に留める必要もないだろう。


 ――短刀に仕込んだ毒もその一つである。

 暗殺教団に伝わる致死毒、なかでも異臭が少なく気取られにくいものを焼き入れた。毒を製作しロレンスに渡したアルティングルは彼の『提婆達多』が作るそれに及ばない二流品であると卑下していたが、それでも巨人を一分と経たずに心停止に追い込む致死性を誇っていた。


 いかに生命力に長けた土魔法使いであろうと、これで背中を刺せば殺せる。万が一殺せずとも動きは鈍る。その間にとどめを刺せばいい――


「…………いつから気付かれましたか?」


 内心の動揺を押し殺しながらロレンスは問いかけた。師はそんな弟子をせせら笑い、言葉を返す。


「阿呆め、儂を誰だと心得る。――あらゆる鉱物は我が眼を欺けぬ。錆びつき、焦げた鋼が貴様の胸に収まっておるのは先刻承知よ。おおかた確実に殺すため毒を入れたのだろうが、仇になったなぁ」

「面目次第もなく」

「それに貴様は場を整え過ぎた(・・・・・・・)。儂を迎えたあの天幕、貴様の合図次第で外界を遮断する檻を張る代物であろう」

「…………」


 いかにもその通り。屋根から横布そして絨毯まで全てが特注品(・・・)だ。誤魔化しのために煌びやかな装飾を施し、表面には別の付呪を刻み込んだ。これもすべてこの師匠と『大地』との接触を断つため。

 ――――『大地の賢者』は伊達ではない。目の前の魔法使いは、地面に触れてさえいればどこぞのドリュアスのように養分を汲み上げて生命力を補強する。暗殺を決めるならあの天幕の中が絶好の舞台だった。

 しかし、見破られていたのならば意味はない。初手から警戒された時点で毒殺の手は消えていた。


 ふう、と気だるげな表情でロレンスは嘆息を漏らす。


「……やはり、師匠にはお見通しだったようで」

「それだけではあるまい。あの宴に用意した酒や肴、一体そのどれだけに毒を混ぜた?」

「人聞きの悪いことを。そんな手当たり次第に仕込めるわけがないでしょう。――食後の葡萄に、毒針を一粒ずつ刺しておきました」

「よりにもよって儂の好物か! この馬鹿弟子めが……ッ」


 日本人である以上もったいない精神からは逃れられない。コトが終われば廃棄する食品が山のように、では前線で粗食に耐えている兵に合わせる顔がない。


「――――最後の要請です、師匠。我が軍門に下っていただきたい」

「戯けたことを。これだけ無礼を働いてまだほざくか!」

「あなたほどの戦力を中立のまま放置するわけにはいかない。いっそ殺してしまった方が盤面を整理できるというものです」


 目の前の男は捨て置くには奔放過ぎ、敵にするには強力過ぎた。ともすれば敵の騎士団よりも優先して排除するべきなほどに。

 弟子の態度が気に食わないから、なんて理由でせっかく築いた防塁を一瞬で粉砕しかねない老人であり、その暴挙を阻むことはとんでもなく難しい。ならばここで退場願う以外になかった。


 夜の砂漠に対峙する。それぞれの手には樫の杖、師の杖はひたすら無骨であるのに対し、弟子のそれには鮮やかな翠の宝石が嵌め込まれている。

 一陣の風が互いの間を吹き抜けた。


「落ちぶれたの、ロレンス」

「それは違う。俺は今この瞬間が、一番上等ですよ」


 皮肉を交えた次の瞬間、土の師弟は互いを殺害するべく魔力を練り上げた。



   ●



()ァ……!」


 この老人に加減などという言葉はない。偏屈と人嫌いを併せて煮詰めた性根の賢者に、弟子への配慮など残るはずがない。むしろ不始末を拭ってやるためなどと建前を飾り付けて本気で殺しにかかるのはわかりきっていた。

 現に今この瞬間迫る土塊。詠唱どころか気合い一発で撃ち出した飛礫は優に人間の頭ほどの大きさがあった。直撃すれば即死は免れない。


 ゆえに、こちらも出し惜しみする余裕など皆無。


「モントゥの腕!」


 杖先を突き立てた地面から巨大な腕がせり上がる。土で形成された腕は飛礫を弾くと、蝿叩きのようにその質量を老人へ向けて倒れ込ませた。

 重量のみならず表面の高度も強化済み、ただ受け止める心積もりで迎え撃てば思いもよらぬ衝撃を身に受ける。下手に杖で突き込もうとすれば、そのまま杖ごと腕の骨まで砕けるだろう。


 ――が、


「ぬん……ッ!」


 雄々しい一喝、隆起する上腕二頭筋。杖すら使わなかった。

 いったいどれだけ筋肉自慢がしたいのか。叩き降ろされる巨腕に対し、賢者は対抗するかのように拳を突き上げた。冗談のようなサイズ差、蟷螂の斧を地でいく行為はしかし、それこそギャグのように巨腕を粉砕して瓦礫を巻き上げる。


「オイオイオイまじかよ……!?」

「まずは小手調べェ……っ!」


 突き上げた拳を振り下ろし、老人はロレンスを指差した。爆発するように膨張する魔力の波動、無色透明の球形が内部の空間を捻じ曲げながらロレンスに撃ち放たれる。

 三メートルを超える球体が目の前に迫る。地面を抉り巻き上げた瓦礫は球体の内部で一瞬にして圧縮された。呑まれたものがどうなるか、まざまざと見せつけられればそれがいかなる術式かなど一目瞭然。


「泰然たる翠の光芒よ……!」


 土魔法における基礎にして基本の詠唱。あらゆる魔法使いはこの呪文を起点にイメージを喚起する。発展は千差万別であろうとこれだけは変わらない。

 まずは基礎を固める。そこから頑強に魔法を汲み上げる――そうでもしなければ三秒後の死は免れない―――!


「斥力場固定、出力臨界――――ゲブの身じろぎは大地を揺るがす」


 インベントリを展開、ひったくるように掴み取った真球の水晶を突きつける。一年間隙を見て魔力を籠めつづけた宝珠(オーブ)は波打つように明滅し、中央を起点に無色の力場を発生させる。

 斥力場。土魔法使いなら石化といずれかを選んで習得する応用術。一見空間を歪めるのが精々の弱々しい魔法は、しかし目の前の重力場に抗うために必須の技能でもあった。


「お、ぉぉぉおおお……ッ!」


 せめぎ合う、ひしめき合う、抗い続ける。

 圧倒的な威圧感、絶望的な実力差! 老人にとって指先ひとつで引き起こせる児戯ですら、十五年鍛え続けたロレンスにとって眩暈がするほどの高みにある。

 押し寄せる力場の波動は、いっときでも気を緩めればロレンスの全身を覆いビー玉サイズの見苦しい肉球に変貌させるに違いない。

 宝珠は機能を果たしている。ただ賢者シャーワルの重力魔法に拮抗するためだけに用意した魔道具。与えられた領地をすべて返上してまで金と労力をつぎ込んだ一品物。それは確かにロレンスの魔力を増幅し、斥力場に関してのみ老賢者と同等にまで押し上げ――――


 ――――びし、と。

 手の中の水晶に、亀裂が入った。


「ギ――――ッ!?」


 ぎちぎちと亀裂が拡がっていく。細かい破片がガラスのように脚元に落ちていった。

 逆流した魔力に腕が破裂しそうになる。杖を投げ捨て空いた右手で抑え込むも、耐え切れずに左手の所々が筋が入るように血を弾き飛ばした。

 抑えきれない。耐えられない。腕の骨が軋みを上げて今にも砕けそうだ。せめぎ合う力場の余波を受けてサンダルが地面を抉って後退していく。


「ぁ、ぎ。ぅ――――」


 悲鳴を上げる余裕すらない。まるで拷問でも受けているようだ。押し込められる左手は万力で潰されようとしていて、痛みに耐えかね引っ込めでもすれば今度は身体ごと圧殺される。死にたくなければ、水晶が砕ける前にこの我慢比べに勝たなければ。


 しかし、どうやって。


「あぁあぁあぁああっ、ぐ、ぅぅあ」


 押し負ける、競り負ける。目の前には賢者が発する重力結界。この壁を一歩踏み越えるだけで紛れもない死が待っている。じりじりとにじり寄る死の壁は、ついにロレンスの掲げる水晶に接触し、恐ろしい勢いで咀嚼を始めて――


 ――――唐突に、唸りをあげていた力場が消失した。


「え……?」


 思わず思考が真っ白になった。

 何もない。何も。今にもロレンスを押し潰そうとしていた重力場が、跡形もなく消え去っている。

 凌ぎ切れたのか、温情をかけられたのか。疑問に思うよりも先に、生き延びたことへの安堵が立って、



 その気の緩みが隙だった。



「ぬぅん……!」


 呆然としている間に接近を許していた。踏みしめる足腰に振りかぶる拳、筋骨隆々な腕の筋肉は倍ほどに膨れ上がり、みちみちとはち切れそう。

 次の瞬間に感じたのは、左頬への熱。


「ぶ……ッ!?」


 首が捻じれた。頬骨が砕けた。脳が潰れそうな痛みに否が応にも四肢から力が抜け、衝撃波すら発しそうな勢いで打ち飛ばされる。遠耳に聞こえた何かの破裂音は、あれの拳が音速を超えたためか。

 なんという拳打、なんというフィジカル。本当にあれが魔法使いなのか疑問すら覚える。下手な戦士など片手で捻ると言わんばかりのタフネスさ。ふざけるなこっちは魔法で精一杯だってのに肉体鍛錬なんかやれるかっての。


 浮遊感は十秒近くも続いた。脱力したロレンスの身体は為す術もなく重力に従い落下し、べちゃりと血反吐をアートのように撒き散らして転がった。


「ぁ……ぶ、ご……」

「――なんたる無様。なんたる不肖」


 足音が聞こえる。砂漠の砂を踏みしめて誰かが歩み寄ってくる音だ。

 首が動かない。姿がわからない。……本当に目は見えているのか。視界が霞がかっているようで、左の眼が見えている感じがしない。


 足音の主は動けずにいるロレンスの傍らで立ち止まると、聞こえよがしに嘆息した。


「ロレンス、ロレンスよ。所詮、貴様はそこ(・・)止まりよ」

「びぅ……」


 うるせえ、という罵倒は喉から溢れる血に塞がれた。

 咳き込むロレンスを見下ろし、老賢者は目を細めて、


見えておったぞ(・・・・・・・)。貴様は儂に師事しながらも、探求の道を志さなかった」

「…………」

「なんたる蒙昧、なんたる傲慢。貴様は我が研鑽を、ただ己が立身出世のために用いる手段として身に着けようとした、な――――!」

「ふ、ご……!?」


 蹴り上げられた。

 四つん這いになって立ち上がろうとしていたロレンスを、シャーワルは蹴鞠でも扱うように蹴り飛ばしたのだ。

 再度味わう浮遊感。へし折れた肋骨が肺に刺さる。全身に走る痛みで脳が焼ききれそうになった。

 仰向けに転がり、酸素を求めて口を開閉させるロレンス。そんな弟子の様子をシャーワルは冷笑を持って見守っていた。


「儂を――大地の賢者をここまで虚仮にしたのじゃ。相応の応報は覚悟の上であろう?」

「ひゅ、こ……」

「なんとか言わんか、腐れ『客人』が!」


 踏み潰される。90kgに及ぶ体重とそれを上回る衝撃をもって撃ち落とされた足裏。もはや痛みはない。ただ内圧に肺が押し上げられて口から血が噴き上がる。


「どうした!? 痛みに強いのが貴様ら『客人』であろうが! 先のように憎まれ口でも叩いてみよ! 見苦しく血を撒き散らすのが現代知識とやらの解答か!?」

「ぐ……!?」

「知っておったぞ、みえておったぞ! 恭しく首を垂れるその陰で、貴様は儂のことを嘲笑っておった! 頭の固い老害だと? 御大層な題目を唱えるも所詮はただの人形じゃと!? 貴様も奴ら(・・)と同じ言い草で物笑いに見下すか!? 気取られぬと思っておったか!? 遊び半分で世を掻き乱す異物風情が……!」


 繰り返し腹を踏み潰される。そのたびに玩具のように血が噴き上がる。まるでポンプか何かのようだ。

 口角泡を飛ばしながら、師は誰かを罵倒していた。かつて出会った何者になのか、それとも心に巣食う何かになのか。


 ――――このままでは死ぬ。為す術もなく死ぬ。

 抗おうにも指一本動かせない。身体のどこを動かそうにも激痛が走って思うようにならなかった。

 こうなるのがわかっていれば、痛覚設定でも弄っておくんだった――――いや。



 こうなるのがわかっていたから、なにも弄らなかったのだ。



 痛みは耐えてみせる。傷は癒す。死は……どうにもならないから覚悟だけはしておこう。

 真っ当な勝ち筋など存在しない。生半可な小細工など鼻で笑って踏み潰す規格外。どれほど鍛錬を積み、どれほど完璧に筋道を整えても打倒は困難。

 ならば――


「む……!?」

「――――ハ、ナから……」


 打ち下ろされた足裏を掴みとる。まさか動けると思わなかったのか、シャーワルが眉をひそめた。ロレンスはげほ、と血痰を吐き出して、


「まっとうな筋なんて、用意してないもんでね……!」

「貴様……!」


 大丈夫、傷は癒えた。

 胸はどうにか庇ってきたし、呪文を紡ぐ喉もいたって無傷。大地から吸い上げた精気は遅々としながらも内臓を再生させている。

 あとは――


「ホルスの――」

「ちぃ……!」


 やっとの思いで掴んだ手を蹴り払われた。危険を察知した地の賢者が全力で跳躍して後退する。いったいどんな脚力をしているのか、三メートル以上もの高さを軽々と。

 寝転びながら見上げた師匠の脚には、先ほど掴んだ拍子にこびり付いたロレンスの血痕が。


 目印(・・)が、出来た。

 大地を離れ空にある賢者に庇護はない。

 迎え撃つなら今を置いてどこにある。


「――セトの玉座ッ!」


 拳を地面に叩きつけて叫んだ。口から血が溢れて落ちる。流れた血は砂漠の砂に吸われて消えた。

 隆起する砂漠の大地。これまで散々仕込みは済ませた。水晶ルビーオニキスエメラルド、その他思いつく限りの魔力を籠めうる大地の媒介。あの男を招きよせた段階で埋め込んでおいた。全てはこの賢者から制御を奪い取るため。

 土塊が隆起する。跳ね上がるように、飛びあがるように起き上がる。賢者を中心に彼目がけて迫りゆく二つの土塊。さながら虎鋏のように(・・・・・・・・・・)


「ぬぅううぉおおお……!?」


 捕らえた(・・・・)

 ロレンスが用意した最大の罠は、空中にあったシャーワルを見事に捕らえきっていた。まるで食虫植物に食われる虫のように腰から先を呑み込まれたシャーワルは、苦悶の声をあげながらなおも腕をついて抗っている。

 なんという怪力。自動車など軽く平面にするプレス機並みの圧力をもっても殺しきれない。これが当代の地の賢者、一つの時代に四人のみ存在を許される魔法の頂点。


「魔法使いの頂点がマッチョ自慢だとか、ふざけんな……」


 思わず吐き捨ててロレンスは覚束ない足取りで立ち上がった。内臓がぐちゃぐちゃになったよう激痛が残っている。肺がじくじくと再生していく感触に吐き気がした。

 思うように動かない脚に喝を入れてどうにか立ち上がり、師のもとへ歩み寄ろうとして――――みっともなく膝をついた。


 ……これ以上は力が入らない。ここから先は、ここでやるしかないらしい。


「お、おぉぉぉおおぉおおお!?」

「師匠……」


 ――――否、決別はとうに済ませた。

 言葉は不要。あとは力を持って示すべし。


 憤怒の眼差しで睨みつけてくる師を前に、ロレンスは深く、長く息をついて。


「大地の抱擁。イシスの翼は閉じる――」

「ロレンス――――!」


 さらに地面が隆起する。顕現するもう一対の虎鋏。閉じる花弁のように跳ね上がる。

 すでに両腕を玉座(セト)に囚われた賢者に、(イシス)を抑える余裕などありはしない。


「この――……!」


 監獄のように、あるいは棺桶のように。

 四方を閉ざされた賢者からは、断末魔すら途切れて消えた。

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