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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
幕間
466/494

砂礫の賢者:前

 ファリオン騎士団と砂漠民族の戦いは、騎士団のやや劣勢で膠着状態に陥っている。

 魔王軍の蜂起、それを好機と見た砂漠民の侵攻。攻め寄せた砂漠民は次々と騎士団領の村落を蹂躙し、十を超える拠点を呆気ないほど容易く落としてみせた。その一気呵成の勢いたるや、一時は騎士団領首都ブレンダ以西を削り取り首都に攻め入らんとするほどであった。


 しかし、そんな彼らの好調はわずか一日にして打ち砕かれることになる。


 ファリオン騎士団長ロドルフ・ラムセスが自ら率いる精鋭重装騎兵団による突撃蹂躙。連日の攻勢で疲弊していた砂漠民の戦士たちではひとたまりもなかった。戦場はまさに青々と草の生い茂る遮蔽物のない平原。騎兵が最も威力を発揮する地形であり、砂漠で育った駄馬や駱駝ではこれから逃れることなど不可能だった。

 否。これはむしろ、あえて西部領土を犠牲に砂漠民を引きつけ、彼らが最も得意とする盤面から一撃で粉砕するための布石だったのか。

 ……なんにせよ、砂漠民の軍は主力の多くに損害を受け散々に追い散らされることになる。


 味方惨敗の報せを受けた軍師ロレンスは早々に手を打った。ひと息に騎士団領を併合する戦略を大幅に転換し、削り取った領地を固め持久戦の構えを取ったのである。


 具体的には、騎士団領西の平原部で奪い取った領地を区切るように、北から南へ長大な防塁を築いた。

 そう大した大きさのものではない。高さにしておよそ一メートル余り、多少鍛えた人間なら容易に飛び越えられる代物だ。実際、砂漠民の中ではこれの効果を疑う者が後を絶たなかった。

 しかし相対するのは身軽な歩兵ではなく重厚な騎兵である。競技馬術のように軽装で跳ね回るそれでなく、ファリオン騎士団の切り札は騎士・騎馬ともに重量のある鎧で固められている。そんな彼らに高さ一メートルの跳躍は不可能とロレンスは断言した。


 大枚をはたいて購入した魔法薬を馬上に満載したロレンスは、戦場を駆け巡りながら防塁を築いた。夜を徹して疾駆する彼の背後からボコボコと音を立てて土がせり上がり防塁を形成するさまはひときわ不気味であり、砂漠民に伝わる怪談のひとつに加わったほどであるという。

 都合三頭の馬を乗り潰し、ロレンスは三日(・・)で防塁を築き上げた。これにより騎士団の反撃の手は弱まり、膠着状態を生み出すことに成功する。


 結論として、騎士団は西の領土の数割を失い、砂漠民は主力の数割を失った。いわば痛み分けながら地勢的には砂漠側が押しているという状況である。

 『ロレンスの長城』と後に称される防塁の西側では、この春から入植が開始されている。騎士団領は騎馬を養えるほどに豊かな穀倉地帯で、農業が軌道に乗れば兵站の心配が要らなくなる上に軍の規模を拡張することさえできる。捨て置く手などなかった。


 ――――そして、現状は。

 騎士団は騎兵を前面に押し出さなくなった。突撃するにしても防塁が邪魔だし、これを騎乗して乗り越えられる騎士はいるにはいるが、それほどの熟練は数が限られる上に軽騎兵ばかり。突っ込ませたところで、防塁を越えた場所で統率を乱し返り討ちになるのは見えきっていた。

 ゆえに、ロドルフ団長は他人の血を流させる手を講じた。――傭兵を雇い、防塁を破壊する任を与えたのである。

 鎚を手に防塁に向かおうとする傭兵と、それを妨害し防塁を修復する砂漠軍。鉢合わせた双方が繰り広げる散発的な小競り合いが行き詰まった戦況を端的に表していた。



   ●



 第一印象は、年老いたマサイの戦士。

 黒ずんだ肌にはあちこちに染みが散らばり、厳しい環境にさらされて生きてきたことを示すように顔に皺が刻まれていた。癖のある白髪は適当に刈り込まれ、同じく白い無精髭がうっすらと頬から下を覆っている。

 かといって枯れ木のような老人というわけでもない。貫頭衣のように簡素な衣服から露出する肩肌や胸板は鍛え抜いた筋肉を主張しているし、そのごつごつと節くれだった指が鋼鉄剣を握り折るのを目にすれば、彼を老人呼ばわりする人間など現れないだろう。


 ――そんな一見老練の戦士じみた雰囲気を纏う男が、実はディール大陸を代表する四賢者の一人であるなど、もっと想像に難いことであろうが。


 大地の賢者、シャーワル。

 俗世を嫌い放浪を旨とする、ロレンスの師である。


 場所はブレンダ西の平原、駐留する砂漠軍が設営した数多くの天幕のひとつにて。

 簡素な樫の杖を携えた魔法使いを前に、ロレンスは平身低頭していた。


 天幕の中では豪勢な宴の支度が整っている。砂漠では取れづらい瑞々しい果物に、丹念に裏ごしし鮮やかに透き通った葡萄酒。砂漠中の珍味をよそった器の数々は金銀で装飾が施され、敷き詰められた絨毯は煌びやかに発光する付呪が施されている。

 たった一人をもてなす宴にこのありさま。支度が並大抵の財力では叶わないことがよくわかるほどである。


 ――そんな饗応を受けておきながら、シャーワルの態度は冷淡だった。


「……ふん、見下げ果てたものじゃな」

「返す言葉もありません」


 シャーワルの罵倒に動じず、ロレンスは頭を下げ続ける。


「……弟子入りの時に、腹に一物抱えた男とは思っておったが……教えた土魔法を世俗の諍いに使うばかりか、儂にまで参戦せよと?」

「師匠におかれましては、この大陸に並ぶものなき土魔法の使い手。我が軍にお力添えいただければ、先の戦で痛手を負った砂漠の民も意気軒昂と士気を取り戻――」

「戯けめが……ッ!」


 ゴ、と鈍い音が天幕に響いた。罵声とともに振り抜いた杖先がロレンスの頬を殴打したのだ。

 憎々しげな表情を隠しもせずにシャーワルが言う。


「教えを授けるいの一番に言い含めたのを忘れたか!? 我らの魔法は大地と合一し大悟へと至るための求道の糧。下らぬ殺し合いに費やす魔力など欠片もないわ!」

「そこを曲げてお願いいたします」


 べっと賢者の吐き出した唾がロレンスの額にかかった。生暖かい感触が目にかかるのを感じながら、ロレンスはなおも食い下がる。


「……下らぬ殺し合いに費やす命を減らすためにも、師匠のご助力は是非に。わずか一戦、一度だけ杖を振っていただきたいのです。あの平原、騎兵たちが駆けまわる大地を畑のように耕してしまえば、鎧を着こんだ馬は見る間に足を挫き使い物にならなくなる。それだけで――!」

「貴様の都合であろうがッ! 土を耕したければ鋤でも持ってくればよいのだ! どうせ儂に魔法を使わせたがるのも、賢者を従えたという名声目当てであろう!」


 あながち間違いでもない。シャーワルの名声はそれだけの価値を持っている。

 しかし、単純に強力な土魔法の使い手が必要な場面でもあった。防塁から首都ブレンダにかけての平原全てを耕そうとするなら、ロレンスだけでは手が回らない。魔力を数十回枯渇させる勢いで魔法を行使したとしても、やり遂げるまでに何週間かかることか。おまけに恐らく、耕せる深さは騎馬突撃を妨げられるほどでもないだろう。

 ――しかし、目の前の賢者ならば。

 地の賢者シャーワルならば、Sランクに達した魔法によって一晩で敵の騎馬を無力化できる。なんとなれば地割れに隆起に地盤沈下となんでもござれ、本気を出して大地震でも起こそうものならブレンダそのものが消滅するほどである。

 それをあくまで地形変化のみに留めて要請しているのは、砂漠民の勝利に瑕疵がつくのを恐れたためだ。

本命はあくまで族長ファーティマ率いる砂漠民。賢者とはいえ外様の魔法使いであってはならない。


「……この通り、無理を承知で平にお願いいたします。どうか私の顔に免じて、一度だけ……!」

「くどい!」


 平に頭を絨毯に擦り付けるロレンスにシャーワルは冷たく返す。


「何度頼まれようと貴様ごときに心動かされる儂ではないわ! ……多少見どころのあった弟子が、その実ただの小娘に入れ込む俗物であった! このざまでは儂の面目も丸つぶれよ……!」


 言いたい放題に弟子を悪罵すると、地の賢者は憎々しげに鼻を鳴らして踵を返した。

 下らぬ会合であった、帰る、と言い捨てて天幕を跳ね上げて立ち去っていく。ロレンスは平伏したまま深く息を吐くと、師を見送るために立ち上がった。



   ●



 星がよく見える夜空だった。

 砂漠は空気が澄んでいる。湿気を含まない空が視界を阻害しないためだという。その環境は砂漠にほど近いこの平原も同様で、見上げれば天の川が零れ落ちそうなほどに輝いていた。


「――この辺りでよい」


 砂漠民の陣営から程遠く、西へ半刻ほど馬を歩かせたあたりでシャーワルは立ち止まった。急な師の制動に、見送りのため追従していたロレンスも手綱を引く。

 借り物の馬を下りたシャーワルは同様に降り立ったロレンスに自らの手綱を手渡した。……ここから先は徒歩で行くという意志表示であり、ここで道を分けるという意味でもある。


「……本当に、よろしいのですか?」


 ロレンスが言った。これを最後の機会と心得たのか、いっそう沈痛な表情で師匠に問いかける。


「ファーティマ様は騎士団領を呑み込むのみならず、大陸に覇を唱える器をお持ちです。魔法使いにも理解を示してくださる。きっと師匠の求道にも――」

「黙れ俗物、ほざくな」


 にべもなくシャーワルが罵った。欲得に負け権力者に尾を振る弟子など、見ていて不快でしかなかった。


「真に出来た(・・・)君主ならば、なぜ今この場にその小娘はおらぬ? 天下の四賢者を招聘しようというのだ、族長直々にその器を見せるべきであろうが」

「……ファーティマ様は、多忙でして。それに師匠を良く知る私の方が、心安くもてなせるであろうと」

「はん」


 心苦しげな男の言い草にシャーワルはせせら笑った。

 年端もいかぬ小娘のことだ、どうせ直前になって怖気づいたに違いない。言霊ひとつで自らを惨殺しうる魔法使いと天幕の中で会談など、迷信深い田舎者ならいかにも青ざめる内容ではないか。


「胆力に欠ける女君主と、それに媚びへつらうおべっか使い。なんともお似合いなものよ! これに未来を見る砂漠の人間は顔に節穴でも空いておるのか!」

「…………」


 口を極めて罵詈雑言を撒き散らすシャーワル。ロレンスは答えず、師の背後に無言で目を伏せて佇んでいた。

 見るに堪えぬ、見る価値もないと師が歩を進める。距離が離れていく。


「予言してやる。ロレンスよ、砂漠の進軍はこれにて終いじゃ」

「――――それは、どうして?」

「わからぬか? わからぬだろうなぁ。ゆえに貴様は小娘などに入れ込んだ。入れ込んでいた。他人より多少モノが広く見える、その程度の器量で天下など!」


 足跡が伸びていく。距離が開いていく。

 遠ざかろうとする師匠を見つめ、ロレンスは口を閉ざして。


「……天下人などではない、王佐の才などでは断じてない! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――――その胸元に忍ばせた、毒の短刀が貴様の限界なのだ……」

「――――――」


 師のその言葉を聞いた瞬間、ロレンスの鉄面皮は音もなく崩れ去った。

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