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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
幕間
464/494

すてますか、むきあいますか

 何をするでもない。ただ時間を潰していた。


 日課のようにただ南の海を眺めつづける。日の出から日没まで、何をするでもなく。

 何が見たかったのか。何を探しているのか。いっそどうでもよくなって、いい加減飽きたからと立ち上がったところで、



 ――――思い出す。唐突に蘇る。

 混雑する駅のホーム。

 背中の衝撃、肝の冷える浮遊感。

 身をよじって見えるのは、怪物のように迫りくる電車の両目――



「――――――っ」


 ぞくり、と肌の粟立った腕を抑えつける。

 結局、柊軽馬は歯を食いしばったまま、身をすくめるように座り込んでいた。



   ●



 海岸から帰ったカルマを迎えたのは、小さなメモを片手に難しい顔で大鍋をかき混ぜるイニティフの姿だった。


「おぉ、カルマか」


 大鍋を睨む目つきはそのままに眉を跳ね上げたイニティフが言った。


「日没前に帰って来たか。珍しく早――いや、季節を鑑みればそうでもないかの? まあよい。夕飯はすぐに支度が整うところじゃ」

「…………」

「聞いて驚け、今夜の具材はなんとペガサス肉よ。ゴブリンに棲み処を追われたはぐれがおってな、仕留めるのは造作もなかったわ。希少な珍味でもある、次にノエルが来た時にでもお裾分けしてやろうかのう」

「ノエル……?」


 饒舌に語る死霊の少女、その台詞の一部にカルマが反応する。……そういえば、ここ数日あの少女の姿を見ていなかった、と。

 来るな来るなと散々追いやっても、次の日には何食わぬ顔で姿を現す茶髪の少女。釣れてますかー、なんてとぼけた台詞でやってきたときは、突っ込み代わりにごく低威力に抑えた空気弾を額に打ち込んでやったが。


「お主が出て直ぐだの、入れ違いにノエルがやって来たわ」


 いつもならそのまま、カルマが居座っている海岸までやってくるくせに、今朝のノエルは少年を追おうとせずに残念がっていたという。海岸にまで探しに行く暇もないのだと。


「……なんだよ、それ。麦の種付けには早いだろ。あいつそんなに忙しいのか?」


 カルマの当然の疑問にイニティフはうむ、と頷くと、



「――――いやなに、顔を出せるのは今日が最後じゃと言っとったからのう」



 そう、何気ない口振りで言った。


「え……?」


 突然のことに頭の中が真っ白になる。……毎日ではないものの、隙あらば賑やかしにやって来たあの少女が?

 いや待て、今日が最後(・・・・・)とはどういう意味だ。


 嫌な予感がむくむくと胸の奥で頭をもたげる。そんなカルマの様子など素知らぬ様子で、イニティフは軽い調子で告げる。


「とうとう決起するようだの。いい加減、ゴブリンの被害が馬鹿にならんのだと。いい塩梅じゃ、これ以上畑を荒らされて種付けを邪魔されてはこちらが飢える。小競り合い追い散らしてばかりではあちらが飢える。――爆発の時期は迫っていた」

「……つまり、それは」

「まるで示し合わせたようだわ。やつらめ、一丁前に軍勢で攻めかかるようだの」


 馬鹿げている。あいつらは死ぬつもりか。

 言葉を失ったカルマを流し見て、イニティフは鼻を鳴らした。


「おおう? どうやらその顔、行く末が見えたようだのう。――いかにも、ノエルたち村人に勝ち目など毛頭ない。数が違い過ぎるでな」


 瘴気島東部の村々から屈強の男たちを掻き集めても精々が三百人。根こそぎ徴集すればさらに集まろうが、それでは各々の村の守りが薄くなってしまう。畑を守るがための決起であるために、彼らは決して田畑を見捨てて打って出ることはない。

 そして、敵の数は――


「平のゴブリンだけで2000匹(・・・・)、上位個体まで含めればいったいどれほどとなることやら……なんとも、よくもここまで増やしたものなぁ? しかも産むだけ産んで無秩序に垂れ流したのとは違う。騒乱を小競り合いに収めて、大一番に放出する機を窺う能まである」


 感心した風にイニティフが言う。まるで野球を観戦して監督の采配を寸評する野次馬のように。

 ノエルは、彼女は。イニティフにとっても知らない仲ではないというのに、どうしてそうも素知らぬ顔で。


「…………イニティフ」

「負けるわなぁ、間違いなく。あの村に、いやそもそもこの瘴気島に一騎当千の勇者など存在せぬ。痩せこけた農民が鍬をもって殺せるゴブリンの数などたかが知れる。真っ当な武器は北の海の向こうから流れて来た騎士団のお下がりが精々、それも一体何人が持っている? たとえ鉄剣が百振りあってもまるで足りん」

「イニティフ」

「知っとるか? ゴブリンは敏捷に優れる。常ならばその健脚は逃走に用いられるが、襲撃に振り分けられたときの脅威は百年前の惨事が示す通りよ。……一体二体に打ち込む隙に、三体目四体目が跳びかかる。ノエルとともによく顔を見せていたあの若者ですら、いったいどれほど凌げるか――」

「どういうつもりだ、イニティフ……!」


 滔々と戦況を分析するイニティフに、ついにカルマが激昂した。


「何が言いたいんだ、何をさせたいんだ!? そんなことを俺に言って何になるんだよ……ッ!」

「別に、なぁ。ただ事実を確認しておるだけじゃよ」


 鍋から視線を放し振り返るイニティフ。その顔に浮かぶのは嘲笑か、それとも憐憫の笑みか。

 ――――言いようもなく、腹立たしい。


「ふざけるなよ、どうしろっていうんだよ!? こんな馬鹿げたゲーム世界で、真面目ぶって力をひけらかせって!」

「それよ。まさしくそれなのだ、カルマ。その認識がお主の眼を曇らせている」


 憐れむ響きを声に滲ませてイニティフは首を振る。ことの本質はそこにはないのだと。


「――世界とは、生命とは、人生とは。大本の前提、その真偽に依って立つものではない。主体はあくまで主観にあるのだ。

 ――――ひとは、命の数だけ世界を持っている。魂の数だけ枝葉を伸ばす、それぞれ独立したひとつの樹なのだ。社会も、歴史も、養われる真実も、全てはいっとき、たまさか交わったうたかたの夢であろう。……ならば、その価値を定めるものとは何だ? 何もかもが淡い雪のように消え去る夢幻であるならば、我らはそこに何を求めればよい?」

「なに、が……」


 わけがわからない。

 これはお決まりの説教だ。難解に哲学じみた言葉を弄んで相手を煙に撒こうとする、老害のよくやる手口。

 カルマは反駁の言葉を口にしようとして、結局何も言えずに口を閉じた。……嫌なことを聞かされている、だというのに拒み切れないのはどうして――


「わからないか。理解を拒んでいるのか……まぁ、割り切れぬわな。死を間近にした小僧ならばそれも当然か。

 しかしこれ以上悠長にしていてはよろしくない(・・・・・・)。なにより――――お主、本当は想像がついているであろう?」

「――――――」


 具体性の欠片もない主語の欠けた問い。それ以上に雄弁な女の瞳がカルマを貫く。


「何が言いたいのか、とお主は問うたな。儂はこう答えよう――――言い逃れをさせぬためだ、と」

「どういう――」

「お主は知ったぞ、あの村の現状を、この島の窮状を。知ってしまったのだ。ならばもはや逃れることは許されぬ、心を離すことはもはや叶わぬ! 耳を塞ごうと目を背けようと意味はない。誰に非難されるでもなくそのしこりはお主の心にこびり付く。心が腐り付くぞ……!」


 呵々と大笑し言葉を続ける。追い詰めるように、追い立てるように。


「さあどうする、どうするのだカルマよ! 見過ごせば皆死ぬぞ、お主が見殺しにするのだ! 兵は殺され、田畑は完膚なきまでに踏み潰される。ゴブリンゆえに女は犯されまいが、いっそそれ以上に惨めな末路よ。食うあてもなく大陸に渡り、その日の糊口をしのぐために行きずりの男どもに体を開く毎日。一年とも経たずに病を得て路傍で行き倒れるのが精々よな。

 ――――どうした。想像でもしたか? その光景を、あの(・・)ノエルがそうなる未来を!」

「うるさい……ッ!」


 図星だった。

 想像力が豊かでなければ、そもそもこんな自分の影に怯えるような毎日など送ってはいない。イニティフの語る未来は、異様な臨場感をもってカルマの脳裏にその光景を映し出していた。

 場末の酒場で、あるいは路地裏で。汚らしい男の吐く酒臭い息を受けながら身体をまさぐられる少女の姿。淀みきり光を失った瞳には、いつか見た輝きなどどこにもなく。


 ――――その顔は、見たことがある。見たことがあるから、ありありと想像できる。

 そこから救ったと、救った気になった少女がいた。

 力を与えた。希望を与えられたと、その時は無邪気に喜んでいた。

 なんて滑稽な。なんて無様な。

 結局、独りよがりな正義感で誰かの人生を狂わせただけじゃないか――


「うるさい、うるさい! うるさいうるさい……ッ! お前に何がわかるんだ!? 何を知った気で! お前も、あいつらと同じだろう!? 俺のことをモルモットか何かとしか見てないくせに!」

「いかにも! いかにもその通りよ!」


 癇癪じみた罵声は、それ以上の大喝で遮られた。

 目の前には黒髪の少女の姿。爛々と瞳を輝かせ、髪を風にたなびかせる姿は、昂る感情に合わせるように形を失う。滲み消える肉体と引き換えに現れたのは、浮遊する半透明の骸骨だった。


『――我が名はイニティフ! 無限をなぞらえる大いなる亡霊! エルフどもに引き裂かれた惨めな贄の末路である! 我が虚ろなる眼窩は死を見つめ、この身を取り巻く総ては我が探求への糧である! 魔王も、賢人も、そしてお主も(・・・)同様よ……!』


 轟々と、耳鳴りが頭蓋に響く。問答無用で頬を張り飛ばされた気分だった。

 たまらず尻餅をついたカルマは、呆然と目の前の異形を見上げた。


『いったい何を勘違いしていた? ここに庵を結んで世捨て人を気取れば、誰かが憐れんで小銭をめぐんでくれるとでも? 来たるべき惨劇を目前に座視を決め込むくせに、悲哀を飲み干し背負う覚悟も持ち合わせぬ。隠者としても失格ではないか!』

「そん……それでも! 俺は――!」

『何の努力もなく、何一つ心を開かず、そんなさまで誰かに打算なく寄り添って貰えるなどと思っていたのか。片腹痛い!

 カルマよ。お主はまだ、その人生を何一つとして始められていないのだ――――!』



   ●



 慌ただしい足音が聞こえる。乱れた歩調で駆け去って行く気配。獣のように唸りながら、少年は逃げるように走り去っていった。

 イニティフの台詞に返す言葉を失ったカルマは、やはり逃げ出すことを選択した。


 頼れる者などどこにもいない。作ろうともしなかったのだから当然だ。

 逃げる先などどこにある。つい今しがた潰してみせたばかりだ。

 少年の脆弱な心は、この孤独にどこまで耐えられるか。


「……いい加減、頃合いゆえな」


 人間の肉体に体を戻したイニティフは、どこか寂しげに息を吐いた。


「これを見過ごせば、今度こそ腐る(・・・・・・)。無力を騙り、冷笑をもって世間を拗ねる餓鬼の世話などまっぴらよ」


 世を変える力も知見も持ちながら、酒に空かせて不平不満を漏らすほどに執着を捨てきれぬ。無為自然、などと酔っぱらった戯言を嘯いて腐るに任せる老荘気取りども。そんな愚昧は唾棄に値する。

 このままいけば、あの少年もそう(・・)なると確信した。だから突き放した。


「――儂は、確かに人でなしだわな」


 あの者の死を見たい。その魂の行き場を見たい。

 だからこそこうやって付き合っている。誰よりも近い、敵のような他人としてあの少年に寄り添っている。

 しかし――


「――しかしなぁ、カルマよ。儂はこう思うのだ。

 結末が、どんなに救いようのないものだとわかりきっていても、その道のりを良きもの(・・・・)にすることはできる。人生など所詮おのれの自己満足なのだ、笑って終われるに越したことはないではないか」


 価値など、意味など、それこそ己だけが胸に刻んでいれば良い。

 寸毫ほどの幸福のために生命を費やして、それでいいと笑って済ます。それが人間というものだ。



 ――――願わくば。彼の少女が、あの少年の新たな再誕の兆しであればいい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] この亡霊悟りを開いてやがるw [一言] ここの登場人物すべてが長い胡蝶の夢を見ているんだと思う やはりVRMMOは哲学だと思う
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