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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
決断を迫る者
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その日々は宝石のように

 一年間の停職処分――それが俺に下された罰則である。


 まぁ、戦場でもなく権限があって敵将を殺したわけでもない。傭兵時代ならまだしも今の俺は立派な宮仕えとなれば、勝手な捕虜の処断など問題にしかならないわけで。

 とはいえ、こういった越権の末の処断というのはこの大陸でも珍しくないことだったりする。二百年前の再統一戦争の辺りでは、王国軍の貴族が軍の奴隷として扱っていたプレイヤーを、そろそろレベル10を迎えて抑えが効かなくなるからという理由で自由に殺害していたのだとか。

 もっとも、状況が違いすぎるのでどれがどうだとか比べるモノでもないのだが。


 むしろ今回の停職処分は周囲への見せつけの要素が大きい。今回の件でお嬢は長年の譜代で元は王国軍貴族だった独立気風並々ならぬ竜騎士と、新参者にして都市ひとつ分の財力を背景に権勢を伸ばそうとする元傭兵の腹心部隊長、この二人に処分を下したことになる。特に竜騎士は追加でもう一人追放処分もしてるが……まあ、これは放置でいいだろう。

 これによってアリシア・ミューゼルは自らの君主権の確立を内外に知らしめることになった。それは王国軍ですら苦慮していた軍内の統制であり、家中を取り纏める強権を手にしたことになる。

 竜騎士の数はだいぶ減ってしまったものの、もはや勝手気ままに辺境伯家の意向を無視する竜騎士が現れることはあるまい。そのことを考えれば戦力的にはマイナスでも総力的には差し引きゼロ、といったところか。


 本来なら前辺境伯が存命の頃に成し遂げるべき事案ではあった。二十人もの竜騎士が犠牲になる前に、元傭兵などという余分(・・)を付け加える必要なく達成する見込みがあった目標ではあったのだ。

 つくづく今年に入ってからの間の悪さは特筆もので……あぁいや、愚痴はやめておこう。



 ――さて話が変わるが、エリス夫人が懐妊していた。


 薄々何となく気づいていたので、領都に帰還した時にそれとなく副団長の辺りに気を配って観察していたのだが……うむ、実に愉快なリアクションでした。

 帰還するなり夫人に抱き着かれて赤面していた副団長が、耳元で何事か囁かれた途端バカみたいに顎を落として驚きを露わにしていたのだから、それはもう笑えたのなんの。恐る恐る震える手つきで夫人の下腹部に手を当ててあなたそんな事してもまだわかりませんよと突っ込みを受けている様はまさしくマイホームパパ。帰還してからの事務手続きの最中にも終始にやけた喜色が漏れ出ていて、そのリア充っぷりにこちとら口の中でジャリジャリ甘ったるい吐き気が止まりません。爆発しねえかなあいつら。


 クラウス・ドナート執政から相談役として招聘を受けていたエリス夫人は、出産と育児のために二年ほどの猶予を申し出たのだという。流石に能力と気骨の備わった母は泰然自若、変に職場におもねらない態度は日本人としてぜひ見習いたいものである。

 彼女の予想では、ドワーフの地下王国が再興の兆しを見せ、騎士団と砂漠民族の争いが砂漠有利で進行し、ゴダイヴァに落ちのびたロドリック王子と睨み合うため王都の軍備を増強しているマクスウェルなどなどなど、群雄割拠の様相を呈してきた大陸情勢はしばらく停滞するのだという。


 ――人間に限らず、魔王にいたるまで誰も彼もが戦力増強に勤しもうとする。特に魔族軍は南の王都勢、北東のドワーフと挟まれた形になり、劇的に動くことができないでいるのだとか。

 地道にガーゴイルやデーモンを召喚し続け戦線を押し上げるか、謀略をもって不和を撒き散らし隙を作るか――どちらにせよ一年かそこらで出来ることでもない。その間にさっと産んでさっと育てます、などと平然と嘯く姿はどことなく恐ろしかった。



 ……そういうわけで、一年は事態が動かない。

 魔王軍との戦いやら内戦やらで今年に入って歩兵も竜騎士も大損害を受けた辺境伯軍は、最低一年は内部の安定に力を注ぐことに決定した。

 この数カ月戦続きだったのもある。何をするにも先立つもの、というわけで、今秋の収穫を待ってから本格的に大陸への介入を開始するのだとか。

 幸いというべきではないが、半島最大の戦力である竜騎士は大半が戦死している。ドラゴンの脅威を知る人間であるほど、打撃を受けた今の半島を危険視することはないだろう。王国軍、魔王軍ともに目の前の相手へ隙を晒してまで手を出したがることはないはずだ。


 つまり――


「なるほど、体のいい休暇か」

「コーラル、それは言い過ぎでしょう」


 ソファに座り込んだ俺のぼやきを聞きとがめ、執務机での書き込みの手を止めたアーデルハイトが声を上げた。


 春の日差しの暖かな、領都のロイター邸である。

 謹慎処分を食らった俺はここ数日、許可の下りた数少ない外出先であるアーデルハイトの屋敷でひたすら駄弁る自堕落な日々を送っていた。

 どうしてこんなことになったかというと、原因は目の前の女竜騎士にある。それもこれも、と――


「ん……」


 書き物が一段落したのだろう、机から顔を上げたアーデルハイトが軽く背筋を伸ばした。首の後ろで軽く纏めただけの若草色の髪がさらりと流れる。


「気分が悪くなったとか? それとも憚りとか? 流石に人を呼んだ方が――」

「……まったく、あなたは少し機微というものを学んだ方が良い」

「そうは言うがな。後遺症だってまだ心配なんだ、何かあっても俺一人に丸投げだなんて荷が重いぞ」

「ちゃんとした医師の方に見てもらってますし、そう心配はいりませんよ。あなた方『客人』は魔法医療について疎いようだから余計心配なのでしょうが、傷は全て安静にしていれば完治する程度のものです。

 ――あぁそれと。手を貸してもらえるなら、そちらのソファに座らせてもらえますか?」


 そう言ってこちらを見た彼女の顔は、半分が包帯に覆われていた。


 ――先の戦いの手傷である。オットー・ヨラの騎竜を倒した際、ドラゴンの放った雷撃をスヴァーク越しに受けたアーデルハイトは軽くない傷を負った。

 身体の内外での火傷はもちろんのこと、最も状態が懸念されたのは右の視力である。一時は沸騰寸前まで身体が雷撃に熱されたのだ。下手をすれば眼球まで茹で上がり失明するところまで行っただろう。

 現に、今もなお右の視界は白みがかっていて遠近感が掴みづらいのだという。


 普通なら治癒の見込みなどないものだが……さすがは魔法文明というべきか、包帯に特殊な付呪を施したものを巻き付け再生治癒を試みるのだという。何それ欲しい。

 順調に再生が進めば一年弱で包帯が取れ、あとはリハビリに励むことになるのだとか。

 ……ちなみにその包帯、値段を聞いてみたら目玉が飛び出るほどの金額だった。ひと巻あれば砦が建てられるとか吹っかけ過ぎではあるまいか。

 なんでも辺境伯家に伝わる家宝の一つで、初代辺境伯がルフト王家から下賜された由緒正しい魔道具なのだとか。今回の戦いで戦功を上げたアーデルハイトへ褒美として貸し与えられたのだという。


 ――さて、当然その間は片目で過ごすことになるわけで、日常生活にも不便が起きる。そこで目をつけられたのが、偶然同じ期間謹慎処分を食らった憐れな猟師こと俺だった。

 人手がいるだろうしキミも暇だろうし、いい機会だから社会奉仕の一環として励んできなよ、と何故かニヤニヤと笑いながらお嬢は命を下していたっけ。


「……どこか辛いところは?」

「はい、いいえ。すこぶる快調ですよ」


 肩に腕を回して彼女の身体を支えながら歩き、ゆっくりと負担のかからないようにソファへと座らせる。これだけの運動でも辛いのか、アーデルハイトの頬はやや上気していた。これは思った以上に介護が必要なのかもしれない。


「……さて、何か茶でも淹れるか? 西の輸送路が安定してないせいで値が張ったが、結構なものがインベントリにあったぞ。茶器はどの辺りに――」

「コーラル」


 どこかに茶棚でもないものかと辺りを窺っていた俺を遮り、アーデルハイトが言った。どこか不満げな目つきで俺をじっとりと見据え、


「お茶もいいのですが、もう少し寛ぎましょう。――こちらへ」

「む……」

「こちらへ」


 なんだろう、自らの隣をぽんぽんと片手で叩くその仕草に有無を言わせないものを感じる。

 結局彼女の醸し出す空気に押し負けた俺は、手持無沙汰に隣に腰を下ろすことになった。

 ――で、


「…………おい」

「ん?」

「近くないか?」


 もう密着といっていいレベルで身体の位置が近すぎる気がするのですが。

 そんな俺の苦言を意に介した様子もなく、アーデルハイトはくすくすと笑った。


「近いですか?」

「どうかと思うぞ、この距離は」

「介護が要るのですよ。これくらい近くないと」

「かもしれんが……」

「それとも」


 窺うように見上げてくる。若草色の髪の隙間から覗く瞳が、どこか不安げに揺れた。


「……不快、でしたか? 薬の臭いが染み付いてますし、鼻につくようなら――」

「まさか。まるで臭わないとも。少なくとも悪臭なんてとても」


 彼女の懸念を慌てて否定する。実際、薬草の匂いは調合の具合が絶妙なのかまるで気にならないほどだし、むしろほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐってきて逆に落ち着かないほどだ。

 そう伝えると、アーデルハイトは安心したように微笑んだ。


「そうですか。なら、良かった」

「おい……」


 なぜ寄りかかる。もたれかかる。


 いつになく構われたがるアーデルハイトに、完全にお手上げだった。

 胸元にもぞもぞと顔を押し付けてきてくすぐったい。どうしてくれようかとしばし考えた結果、どうにもならないと結論した俺はやけっぱちな気分で腕を回した。


「コーラル……?」

「枕代わりだ。その姿勢は辛いだろう」


 返答はなく、頭一つ分の重みが腕に寄り掛かった。


「…………」

「…………」


 なぜだろう、沈黙が重い。

 なのに不思議と不快じゃない。

 まるで日向で微睡んでいるような安心感、甘い気怠さにいつまでも浸っていたいとも思えてくる。


「…………あー」


 そんな俺をひとたび現実に戻したのは、とある光景だった。

 いつの間にか俺の膝の上に置かれていたアーデルハイトの左手。袖の内側の肌には、いくつも走る火傷の痕があった。

 雷撃を受けた際のものだろう。きっとこの痕は全身に渡っているに違いない。

 完治すれば目立たなくなるものだと聞いてはいるが、それでも……


「……なぁ、ハイジ」

「なんです?」

「あまり、無茶はしてくれるな」

「あなたが言いますか」


 返す言葉もありません。

 いや、実のところこちらにだって言い分はあるのだ。


「嫁入り前の大事な珠の肌だろう。もっと大事にするべきだ」

「大事にしてます。でも、それよりもっと大事なものがあるだけです」

「他を優先してばかりだと、自分が行き遅れるぞ?」

「――なら、あなたが貰ってくれますか?」


 からかい半分の口調だった。

 返事など期待していないのだろう。思わず閉口した俺に構わず、彼女は目を閉じて俺の肩に寄り掛かって来た。本格的にうたた寝に入るつもりなのだろう。

 肩に押しあたる頬が、よくわかるほど熱をもっていた。


「――――――弱った」


 勝てないなぁ、これは、どうにも。

 いつの間にやら、小さな娘はこんなに強かになっていた。これはなるほど、いつまでも子ども扱いはしてやれまい。

 しかし、そうなると……そうなると。


「ふむ……」


 もう寝息を立てているアーデルハイトの髪が乱れて顔にかかっていた。空いた右手で梳くってやると、どういう反射なのか掌に頬を押し付けてくる。


 ……どうしよう、一瞬獣になりかけましたよ、今のは。


「この魔性め、まったく」


 まぁ、いい。良しとする。何がいいのかはよくわからないが。

 生憎俺は紳士なもので、幼女の頃から面倒を見ている女性に欲情はしないのです。しません。しないと決めました、今。

 だから今は昼寝の時間だ。何の変哲もない、平穏そのままの怠惰な一日。それでいい。

 こんな、もどかしくも幸せな日々が何日も続くのも、それはそれで悪くない。


 ――いい夢を見よう。やりたいことをしよう。綺麗なものを目に収めよう。護りたいものを護ろう。愛しいものを愛そう。

 今も昔も夢もうつつも、人生なんてのはそんなささやかな願いで出来ている。



   ●



 ――――それが、俺の最後の安息。

 俺が真実猟師コーラルとしていられた、最後の安寧の日々だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] オッサンと少女の微妙な関係と思わせといて、咲き乱れる百合の華。深い。 [一言] フフフ…口の中でジャリジャリ甘ったるい吐き気が止まりません(奥歯噛み砕きながら) 駄目エルフと赤モップは何処…
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