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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
雪山を行く狼連れの傭兵
45/494

鋼角の鹿

「――――――」

「どうした?」


 役人が去って数日経ってのことだ。村では初夏の祭りが近づき、同時に開催される結婚式に向けて若者たちがそわそわと落ち着きをなくしていく頃のこと。

 俺はそこそこの大きさの猪を仕留めてその日の狩りを終了とし、灰色の群れを訪れていた。

 相変わらず小僧――ウォーセは真っ白な身体を弾ませて俺に飛びついてくる。もう生後……二か月半ほどで、小型犬ほどの大きさに成長していた。

 最近は胡坐をかいた俺の脚の間に丸まって寝るのがお気に入りらしい。飛びつくや否や早く座れと袖を齧って引っ張ってくるほどである。


 ……それはいいとしてこの仔狼、妙に毛並みの温度が低い気がする。皮膚の温度は子供らしく高めなのだが、毛先にいくほどひんやりしているというか。

 まあ気にするほどでもないか、と仔狼の頭に手を乗せて撫でくり回していると、不意に灰色がピクリと耳を動かした。

 なんだなんだと声をかけるも、大狼はその首をあらぬ方向に向けて、その先をじっと睨みつけている。

 どこかで見た光景だ。そう、動物が異変を感じ取って突然首だけをそちらに向けるような。


「…………」

「くぅ?」


 釣られて同じ方向を見てみるが、特に何があるわけでもなくいつもの木々が視界に立ち塞がっている。視界内にないということは、音か匂いに反応したのだろうが――こらこら顔を舐めるな。

 無邪気にじゃれついてくるウォーセを宥めすかして立ち上がった。不満そうに脚を甘噛みする小僧の頭をポンポンと叩いて引き剥がす。


 ……縄張りを荒らすとなると、やはり熊か。それともまさか北の魔物がもう……?


 おいおい勘弁してくれよ、と嫌な想像を頭を振って追い出し、灰色の背中を撫でた。

 ――オン、と一声灰色が吼えると群れの連中は立ち上がり、子供たちを引き連れて山の奥に引き返して行った。

 名残惜しそうにウォーセが吼えたが、ひらひらと手を振って別れの挨拶とした。彼らの気配もやがて消え失せ、あとには俺と灰色のみが残される。


 ……群れをほっといていいのか、お前さん?


 単独行動を決め込んだ群れのボスに呆れた視線を向けると、灰色はじろりと横目で睨み返した後鼻で笑うような仕草を見せた。

 ……ここ最近、この狼の挙動がやたら人間臭くなってきた気がする。


 まあいいか、と気を取り直して歩き始めた。向かうは先ほど灰色が睨みつけた先。恐らくは廃棄村へ続く唯一の街道。


 ――大丈夫大丈夫、ちょっと田んぼの様子を見てくるだけだから。



   ●



「あれは……」

「グルゥ……」


 街道を見渡せる小高い丘の上に、灰色と一緒になって寝そべって眼下を見渡す。少し前から匍匐で動いていたから、身体が草まみれになっている。あとで着替えよう。

 夏が近づき緑が深まったものの、ちょうど目の前は枝葉が途切れて視界が確保できている。これなら対象の全貌を把握できそうだ。……もっとも、これでは人間も米粒のようにしか見えないが。

 ……別に俺が見つけた場所じゃない。俺はただ灰色の尻を追いかけただけである。狩りの基本は下見から。やはり餅は餅屋ということか。


 見下ろした先にいたのは奇妙な集団だった。

 人数は30人強。全員が徒歩で騎乗している人間はいない。それに加え積み荷を満載した荷馬車が二台。中身は……あれは布を被せているのか、何を積んでいるのか判別できなかった。


 そして、なにより目を引いたのは荷馬車の直上だった。

 御者台のすぐ後ろ。背もたれに立てかけるかたちで、槍のようなものが突き立っていた。荷馬車を船にたとえるなら帆柱のようにも見える。

 そしてその先端に、銀色に煌めくものが取り付けられている。


「…………」


 目をすがめる。魔力を目に溜めて視力を強化した。

 ――遠視のスキル。……別に視覚障害になったわけじゃない。クロスボウでの狙撃を試しているうちに、いつの間にか習得したものだ。

 拡大された視界には、


「鉄の、角……?」


 まるで旗印のように、鹿の角のようなものが掲げられていた。



   ●



「――もし。そこな方々」


 街道を進む傭兵団『鋼角の鹿』の前方に、何者かが立ち塞がった。


「なんだ、お前は?」


 先鋒を任されていた班長が警戒を強めた。指笛を鳴らして注意を促し、集団の行進を止める。


 ……斥候は放っていたはず。これほどまでに接近されるなど、領都を発って初めてのことだった。


 ……道を阻んでいるのは猟師風の男だった。枯葉色の外套に身を包み、目深にフードを被っていて表情は見えない。服装は草にまみれていて、どこかの茂みに隠れていたことが察せられる。

 随分と存在感の希薄な男だ。呼気の音すら伝わってこない。気配は周囲の自然と溶け込み、視線を切れば見失ってしまいそうなほど。


「……この辺りを狩場にしている、ただの猟師だよ。いつものように山に入ったら奇妙な集団を見つけてね」

「得物も持たない猟師か」

「おっと、これは驚いた。こんななんちゃってファンタジーがはびこる世界だ。別に素手で兎を狩る猟師くらいいてもおかしくないと思うがね」

「馬鹿にしてるのか」


 茶化すような口調。フードからわずかに覗く口元を歪めて応対する猟師に、班長は不快感を覚えた。


「……おお、悪気はなかった。勘弁してくれ。――ただ猟師というのは本当でね。得物は……さて」


 男が手を差し出した。その手元が青白く発光し――次の瞬間、装填されたクロスボウが現出していた。


 ――インベントリ。


 いきなり武装を取り出した猟師に反応して、数人の傭兵が腰の剣を引き抜いた。猟師はそれを意に介さずに淡々と続ける。


「……見ての通りだよ。――さて、こちらの自己紹介は済んだことだし、今度はそちらの用向きを聞きたいんだが。辺鄙な田舎に剣呑な武装集団が大挙して押し寄せたんだ。それくらいは聞いても罰は当たらないと思うんだがね」

「……俺達は傭兵団『鋼角の鹿』だ」

「こうかくの鹿?」


 猟師が視線を班長の背後に向けた気配。荷馬車に固定した旗印を観察しているのだろうか。


「甲殻、攻殻、降格? ……ああ、『鋼角』か。つまりあれは鋼の角、と。なるほど」


 ぶつぶつと独り言を漏らし、納得したように頷く猟師。てっきり魔法的な道具かなにかかと思った、とも。


「それで、傭兵がこの田舎に何の用かな? ここから先は分裂時代、王朝にも見捨てられた廃棄村。傭兵を雇えるほど裕福な人間はいないし、出てくる魔物も狼や熊といった武功の足しになるかわからない野生生物ばかりだ。自分より強い奴に会いに行きたいなら、さらに北方の火山か南西の森林に行くといい。――とくに森は爬虫類が手強くてな、毛皮が手に入らないから俺は敬遠している」

「……今回のスタンピードに対処するにあたって、辺境伯がこの近辺の警備にと我々を雇った。周辺の巡回を行うための拠点を、その廃棄村に求めている」

「………………なんと」


 素で驚いたのか、猟師の口がぽかんと開いた。微かに漂わせていた不信感が霧散している。先頭の班長として持たされていた身分証代わりの公文書を見せると、感心したような声を上げる。


「辺境伯が、ねえ。……なんだ、長老はああいうが、何だかんだでちゃんとした領主じゃないか」

「……それで、俺たちの疑いは晴れたのか?」

「いやこれは失礼」


 皮肉交じりに班長が問いかけると、意外なほど呆気なく猟師は頭を下げた。手に持つ弩弓も霧散して消え失せる。


「ここを守りに来た親切な傭兵さんとは露知らず、とんだ無礼を働いてしまった。気分を害されないことを願う」

「怪しまれるのは仕方ないと思う。つい最近もこの辺りでは山賊団が横行していたらしいからな」


 いささか毒気を抜かれた班長が返す。猟師はフードの下から不思議な苦笑を覗かせて、


「……村では近いうちに初夏祭りが開催される。よければ楽しんでいってくれ。――ああ、それともう一つ、忠告を」

「忠告?」


 不穏な単語だった。班長が聞き返すと猟師は一歩後ずさり、


「この辺りは狼の縄張りだ。賢い連中で、縄張りを侵しても滅多なことでは人間を襲わない。――ハ、やられた連中はどんな馬鹿をやったのか……まあいい。とにかく彼らの姿を見ても、武器を向けたりはしないことだ」

「獣相手にへりくだれ、と?」

「住み分けてくれ、と言ってるだけだよ。あの村の天敵が荒れた海や吹雪なんかの環境要因だけで、魔物被害がほとんどないのは狼たちが魔物を適当に間引いてるのが大きい。それを善意がましく乱さないでくれ。

 ――――そうでなければ、手痛いしっぺ返しを食らうことになる」

「なにを――」


 何を言っているのか、そう問い質そうとした班長を無視して猟師は片手を上げた。すると、


 ――――ゥウォオオオオオオオオオオォン


 どこからか、獣のとんでもなく大きな咆哮が。


「…………な、なんだあっ!?」


 荷馬車で眠りこけていた団長が跳ね起きる気配。傭兵たちは武器を手に油断なく周囲を警戒する。

 力んだ体が緊張で震える、じりじりと陽光に照らされて汗が滲んだ。

 しかし、


「…………こない?」


 誰かが呟いた。予想された獣の襲撃はいつまで経っても現れない。

 拍子抜けした班長が視線を前方に戻すと、そこにいたはずの猟師は影も残さず消え去っていた。


「『亡霊』……」


 傭兵の一人が漏らした言葉が、この初夏の街道に寒々しく響いていた。

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